File-40【潜入報告】船通山戦(8) ――天逆鉾・緋金の真価
互いの宣戦布告の余韻が、無音の地下工場に冷たく広がる。
二人の距離は、およそ十メートル。
私が全身から濃密な殺気を放つ一方で、大叔父の佇まいは不気味なほどに静かだった。
その手に握られているのは、量産品の釘のような形ではない。
二メートル半はあろうかという長物だ。
通常の人間であれば取り回すことすら困難だろうその矛を、大叔父は微かなブレすら見せずに構える。
矛から放たれる不吉な緋色が周囲の空間を禍々しく染め上げていた。
三本の鋭利な極細の刃が、螺旋のように緻密に絡み合った異様なフォルム。
三叉の切先から下端の石突までもが相手を串刺しにする鋭さを備えている。
だが、そこには『撹拌』の溝も、『拡散』の刻みも、見る限りどこにも見当たらない。
(まずは、得物に刻まれた呪式を読み解く必要がある……)
そして、私の目的はあくまで大叔父の『制圧』だ。
斑目は見殺しにしてしまったが、この男の悪行こそ白日の下に晒す。
そのためには、奴を殺すのではなく、武器を無力化するか、身体を動かせない程度の損傷を与えるのだ。
(最初に狙うは両足――機動力を削ぐ!)
極限の緊張の中、私は細く息を吐き出し、重心を低く沈める。
ダンッ――!
床を抉るように蹴り込んだ足が、重い破裂音を響かせる。
相手の視線を撹乱するため、鋭いジグザグの軌道を描き、一気にその懐へと飛び込んだ。
抜刀の勢いそのままに、両足への強烈な薙ぎ払いを見舞う。
だが、大叔父は表情一つ変えず、ただ手首を返すのみ。
円を描くように跳ね上がった長矛の下端――石突の切先が、正確に私の刃の軌道を塞ぐ。
キィィンッ!
耳障りな高周波が地下工場に弾けた。
同質の超伝導結晶同士が極限の速度で激突し、悲鳴のような『不協和音』を引き起こす。
(嫌な音……!)
完全に殺された踏み込みの勢い。
だが私は即座に刀を引き、激突の反動を利用して独楽のように身体を捻った。
遠心力を乗せた重い横薙ぎで胴を狙い、それが弾かれた瞬間に手首を返し、今度は斜め下から肩口へ向けて鋭く斬り上げる。
さらに低く沈み込んだ姿勢からバネのように跳ね起き、矛を握る手首を削ぐべく、下から上へと鋭く刃を振り抜いた。
流れるような体重移動から放たれる、残像を曳くほどの神速の三連撃。
しかし、大叔父は歩を動かさない。
鍔のない柄を滑る両手のスライドと、最小限の手首の返し。
ただそれだけで長大な矛を風車のように旋回させ、点で貫く刺突から凶悪な横薙ぎの線へと軌道を自在に変えてみせる。
私がどう踏み込もうと、矛が描く真紅の軌跡が不可侵の防壁となって立ち塞がっていた。
キィンッ! キィンッ!
激突のたびに、互いの異なる振動が干渉し合い、狂ったノイズとなって刀身から伝わってくる。
そして、弾かれた刀を強引に返し、矛の柄に滑らせて懐へ入り込もうと踏み込んだときだった。
ガキッ!
滑るはずの刀身が、DNA状に絡み合う槍の螺旋に絡め取られる。
瞬間。
刀身を伝う、巨大な渦潮に呑み込まれるような強烈な捻れと、波が無数の飛沫となって弾け飛ぶような衝撃に、私はひとつの事実を悟る。
量産品にあったような人工的な溝など、この矛には必要なかったのだ。
三本の極細の刃が緻密に絡み合うこの形状自体が、ただ激突するだけで『撹拌』と『拡散』の呪式を永続的に引き起こす、完成された『原点』だった。
「悪趣味な形しやがって……!」
「何を言う。美しいの間違いだろう」
私がギリッと歯を食いしばり、力ずくで刀を押し込もうとした、その鍔迫り合いの最中だった。
至近距離で刃を交わしているというのに、大叔父は何かの悪戯を思いついたかのように三日月の笑みを深めた。
直後、彼の周囲の空間が陽炎のようにぐにゃりと歪み、無数の鋭利な白刃が一斉に顕現する。
(剣戟の最中に、別の錬成……ッ!?)
底知れぬ余裕を見せつける大叔父に舌打ちをする私をよそに、顕現した白刃の切先が向いたのは、眼前の私ではなかった。
大叔父の視線の先――数メートル後方に浮かぶ、光の繭。
ハクと緋月だ。
空を裂く風切り音と共に、白刃の群れが繭へと容赦なく射出される。
斑目を庇っていた時と同じやり口。
私の動揺を誘うための手段だろう。
しかし、私の視線は目の前の男から微塵も逸れない。
緋月の命は、すでにハクへと預けてある。
背後のハクが主の信頼に応えるように眩い光を放つと、光の繭が白銀の結界を展開し、降り注ぐ白刃をいとも容易く弾き落としていく。
「ふむ、同じ手は食わんか」
愉快そうに私の背後を見つめる大叔父。
(その余裕、へし折る……!)
「よそ見してんな、クソジジイ」
地を這うような凄みのある声と共に、私は拘束されていた刀を強引に振り解き、さらに深く踏み込んだ。
大叔父の意識が錬成と後方の繭へと割かれた、ほんのコンマ数秒の隙。
一切の躊躇を捨てた全霊の薙ぎが、大叔父の首元へと迫る。
「……!」
矛の旋回では間に合わない。
その事実を悟った大叔父の顔から初めて余裕の笑みが削れる。
一歩も動かなかった彼が、衣擦れの音を残し、初めて後方へと大きくステップを踏んでその一撃を躱した。
(――退かせた!)
私がさらに踏み込もうとした、その瞬間。
「少し手遊びが過ぎたかな」
一歩退いた大叔父の口元に、再び三日月の笑みが戻っていた。
(まずい、後退じゃない……ッ!)
私は咄嗟に防御姿勢をとる。
矛を扱う者にとって、後ろへ下がるという行為は逃走ではない。
自らの武器が最も威力を発揮する『最適な間合いの再構築』だ。
身を躱したステップの勢いそのままに、大叔父が完全に攻勢へと転じた。
これまでその場から動かず、手首の返しだけで捌いていた静かな攻防が嘘のような、暴風の如き猛攻。
長大な矛がうなりを上げ、赤黒い軌跡が下段、中段、上段と、あらゆる角度から私を蹂躙しにかかる。
「くッ……!」
キンッ! キンッ! キィンッ!
後退を余儀なくされるのは私の方だった。
防御した直後には、もう次の刺突が眼前に迫ってくる。
弾いても、躱しても、次の一撃がその合間を縫って飛び込んでくる。
大叔父が作り出した完璧な間合いの中で、私は防戦一方に追い込まれた。
(平面じゃ手数が違いすぎる……!)
相手の獲物は天緋金製。
形は違えど、呪式破壊の理屈は以前解析した小型呪槍と同じだろう。
呪式を破壊するためには、こちらを『敵だと思わせない』波長を作ること――つまり、矛の波長との完全同調が必要。
(まずはデータを蓄積しないと……!)
だが、地上にいる限り、この圧倒的なリーチの差ではデータを集めきる前にジリ貧だ。
明確な手詰まりを悟った私は、迫り来る真紅の薙ぎ払いを刀で強引に弾き返し――その反動を利用して、頭上の虚空へと高く跳躍した。
(あの長矛の死角を突くには、圧倒的な『速度』がいる)
斑目を蹴り飛ばした時に使った音速移動『鳴動縮地』なら、相手のリーチの死角に一瞬で潜り込める。
だが、あれは肉体への負荷が高すぎる。
確実に隙を突き、大叔父を無力化する決め手の瞬間まで温存するのが最善だ。
ならば、手段は一つ。
私は空中で身体をくるりと翻しながら、ポケットから一枚の札を取り出した。
沙羅姫支給の身体強化の呪符。
それを口に咥え、犬歯で一気に引き破る。
呪符の力が全身の筋力と霊脈を爆発的に底上げした瞬間、進行方向の虚空に分厚い鋼板を錬成した。
間髪入れず、強烈な磁気を帯びたその金属に向けて、靴底から同極の磁場を叩きつける。
バチィッ!!
反発し合う磁界の激突が生み出した高電圧が、青白いアークの閃光を放ち――私の身体は超スピードの弾丸となって空を切り裂いた。
無尽蔵の霊力とその緻密な操作を可能とする、私ならではの持ち札。
空中の鋼板はこちらの手数を増やすための足場であると同時に、私自身を極限まで加速させるための『発射台』だ。
大叔父の頭上を飛び交いながら、軌道上に次々と鋼を錬成しては、磁力の反発で蹴り飛ばす。
空間を蹴り抜くたびに周囲の景色が急速に引き伸ばされ、視界が流線型のブレに変わっていく。
暴力的な加速Gで、脳が揺れるような感覚。
それに耐えながら、速度を一段、また一段と限界まで跳ね上げていく。
トップスピードに乗った勢いのまま、大叔父の背後――完全な死角となる上空から急降下する。
(その武器、振るえなくしてやる……!)
長矛を握る右腕を見据える。
首筋から腕の付け根を削ぎ落とすように、鋭く斜めに白刃を振り下ろした。
ギィィンッ!!
刀と矛が衝突し、火花が散る。
大叔父は咄嗟に長矛の柄を盾にして刀を受け止めたが、その長すぎるリーチゆえに防御が遅れた。
刀が柄の表面を滑り、切っ先が右肩の肉を浅く裂いた。
「……ほう」
読み通り、大叔父の守りに明確な遅れが生まれた。
二・五メートルもの長矛では、この理不尽な速度と、上空からの変幻自在な旋回には追いつけない。
(いける……! このまま斬撃を続けて、武装解除と呪式の破壊、両方を狙う!)
弾かれた反動を殺さず、私は再び空中に鋼板を錬成して蹴り抜いた。
風切音すら置き去りにし、超速の連撃を仕掛けようとした。
だが――。
「面白い戦法だ。ならば、私も一芸披露するとしよう」
大叔父は、自身の肩から流れる血を気にする素振りすら見せず、無造作に三叉の先端を床へと突き立てた。
「創造反転・『天地未分』」
ボコッ……ボコボコッ……!
床の金属パネルが、不気味な音を立てて沸騰し始める。
強固なはずの金属結合が瞬時に解かれ、おぞましい赤黒い『泥』へと還元されていく。
それだけではない。
液状化した泥の海は意思を持った生き物のように渦を巻き、空中にいる私を飲み込もうと、津波となってせり上がってきた。
「なっ……!」
たった今錬成した眼前の鋼板に、下からせり上がった泥の飛沫が触れる。
直後。
分厚い鋼がドロリと音を立てて崩壊し、反発の要である磁力すらも瞬時に失われた。
踏み込むはずだった壁を失い、行き場をなくした私の莫大な運動エネルギーが空中で破綻する。
(ただの軟体化じゃない。構造そのものを『混沌』に還している……!)
下からは工場ごと飲み込む泥の波。
私が錬成した発射台も、次々と泥に触れた端からドロドロに崩壊していく。
墜落すれば、あの泥の海に全身を溶かされる。
私は慣性でコントロールを失いかけた身体を空中で翻し、強引に体勢を立て直す。
泥の津波に飲み込まれるよりも早く、次の一歩のための鋼を虚空に錬成した。




