File-41【潜入報告】船通山戦(9) ――混濁する同位体
床一面が、あっという間に赤黒く煮えたぎる泥の海と化していく。
それはまるで、イザナギとイザナミが混沌とした海原をかき混ぜて大地を作った『国生み神話』の反転。
創造物をただの混沌へと還す、冒涜的な術だった。
大叔父はその泥海の中心に悠然と立ち、矛を操って泥を天へと逆巻かせている。
対する私は、足元から食らいついてくる泥の飛沫を間一髪で躱し、頭上の虚空に錬成した鋼板へと飛び移る。
だが、飛沫が鋼板に触れた瞬間、足場の金属までもがドロリと崩壊を始めた。
足裏の磁場が完全に死ぬ、コンマ数秒前。
私はギリギリのタイミングで反発力を爆発させ、崩れゆく足場を力任せに蹴り飛ばした。
バチィッ!!
眼下からは、私を捕まえようと泥の波が触手のように伸び上がってくる。
それに足首を掴まれるより早く、私は宙に斜めの鋼板を展開して強引に軌道を折った。
跳弾のごとく大叔父の頭上を飛び越え、背後へと鋭く飛びかかる。
先ほど浅い傷を刻んだ、首筋から肩口へ。
傷口を抉るように、もう一度、斜めに深く刃を振り下ろす。
しかし、大叔父は振り向くことすらしない。
長矛の柄を背中にぴたりと添わせるように動かし、背後からの私の刃を受け止める。
キィィンッ!!
天緋金と私の刃――同位体同士が激突し、耳障りな高周波の悲鳴が弾けた。
瞬時に、脳内で波長を合わせこむための演算が走る。
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(まだ誤差が大きい……次ッ!)
私は激突の反発力を殺さず、空中で身体を捻りながら新たな鋼板を生み出して蹴り飛ぶ。
間髪入れず、今度は体側の死角から、胴体を真っ二つにする勢いで真横に刃を薙ぎ払う。
直後、背中にあった矛がまるで円を描くように回転し、迎撃の軌道に乗った。
矛の三本の切っ先が、重力を味方につけて真上から垂直に急降下してくる。
それは私の横振りの軌道を完璧に封じ、そのまま丸ごと粉砕しようとするギロチンの刃だった。
ギャリィィィンッ!!
矛と刀の激突。
私の横振りの軌道は、上からの強烈な叩きつけによって完全に塞がれた。
それでも――
(こっちの加速、舐めんな……!!)
空中の足場を連続で蹴り飛んできた私の『質量と速度』が、大叔父の完璧な防御ごと力ずくで押し込んでいく。
ギロチンに真っ向から喰らいつき、ガラスを引っ掻くような狂った不協和音を軋ませる。
私は強引に刀をさらに前へと捻り込み、ギロチンの重圧を突破した先端が、大叔父の脇腹を浅く裂いて血を滲ませた。
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(まだだ……もっと手数を!)
だが、大叔父の矛捌きもまた、絶技と呼ぶにふさわしい熟練の域にあった。
横からの攻撃を受け止めて真下を向いていた長矛。
大叔父は、その柄を握る両手を支点に、切っ先を猛烈な勢いで跳ね上げた。
テコの原理を利用し、下から上へと半円を描いて私の喉元を抉りにくる、凶悪な逆軌道の斬り上げ。
「ッ!」
足場のない空中で強引に上体を反らして喉元への直撃を避けるが、前に残った胴をなぞるように三叉の刃が衣服を裂き、私の腹部から鮮血が舞う。
(……上等!)
痛みをアドレナリンで塗り潰し、私は虚空に錬成した鋼板を蹴ってさらに加速する。
眼下からは私を飲み込もうと泥の津波が牙を剥き、眼前からは二・五メートルの長矛が急所を狙い澄ましてくる絶望の空間。
私は空中の至る所に鋼板を敷き詰め、磁力反発を駆使して目にも留まらぬ乱反射を繰り返した。
泥の飛沫が上がる足元スレスレを滑空して下段を薙いだかと思えば、軌道を鋭角に折って遥か上空へと跳ね上がり、死角の頭上から真っ逆さまに急降下。
重力と慣性を乗せた斬撃を容赦なく叩き込む。
大叔父を中心とした全方位の死角から、磁場の超加速で三次元の突撃を繰り返す。
己の肉を斬らせることも厭わない。
キィンッ!
ギィィンッ!
ギャリィィィンッ!!
極限の削り合いの中、刃が交わるたびに集まる矛の波長データが、私の脳内で急速に組み上がっていく。
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次第に大叔父の腕や頬にも切り傷が増え、その顔に汗が滲んでいく。
「……良い剣技だ、琥珀。ならば、これにはどう対処する?」
拮抗した死闘の最中。
全方位から攻撃を繰り返す私を完全に叩き落とすため、ついに大叔父が動いた。
足元の泥海を大きく隆起させ、工場の天井に届くほどの巨大な壁として、私の目の前にせり上がらせたのだ。
照明が遮られ、視界を完全に塞ぐ赤黒い泥の絶壁。
「そっちも力押しかよ……!」
しかし、これこそが好機。
私はあえて後方へは逃げず、下からせり上がっていく泥の壁の表面スレスレを駆け上がるようにして、さらに上空へと跳躍した。
大叔父から見れば、私が巨大な泥の波に飲み込まれたか、壁の向こう側へ逃げたように見えるはずだ。
泥の絶壁が重力の限界を迎え、私を押し潰そうと崩れ落ちてくる、まさにその一瞬。
私はその絶壁の縁を蹴り抜け、大叔父の真上から、真っ逆さまの急降下攻撃を仕掛けた。
重力と磁力の加速をすべて乗せた、完全な死角からの奇襲。
(ここで決める!!)
降り注ぐ泥の飛沫の間一髪をすり抜け、ゼロ距離の懐へと一気に踏み込む。
だが、大叔父の顔に動揺はない。
頭上からの強襲を予感していたかのように、静かに矛を天に向けて掲げ、私を迎え撃った。
この激突こそが最後のピース。
ギャリィィィンッ!!
刃が交わった瞬間、矛と自らの波長との『誤差』が、猛烈な勢いでゼロへと収束していく。
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(あと少し……)
極限の一撃を叩き込むため、三叉の根元まで刃を滑り込ませる。
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(……同調した!)
刀と矛が、ひとつの霊力回路として直結する。
防壁は互いを『敵』と認識しない。
「――――ッッ!!!!!」
繋がった瞬間、互いの境界線が消え去った回線を通じて、『撹拌』の呪式が直接私の体内へと流れ込んでくる。
量産品とは比べ物にならない痛み。
霊脈をぐちゃぐちゃにかき回し、崩壊させようとする激痛が両腕を駆け上がる。
だが、ここで怯むわけにはいかない。
回線が開いたのはお互い様だ。
このまま私の霊脈がねじ切られる前に、全霊力を刀にぶち込んで、呪式の中枢ごと焼き切る。
(耐えろ……! 耐えろ!!)
痛みを捻じ伏せ、落下エネルギーの勢いそのままに、最大出力の霊力を刀へ叩き込んだ――まさにその瞬間だった。
「よくぞ辿り着いた。――さあ、『位相反転』だ」
至近距離で、大叔父の顔に不気味な笑みが広がる。
直後、完全に同調していた波が、唐突に『真逆』へと裏返った。
「なっ……!?」
私が叩き込んだ【極大のプラス】の位相に対して、大叔父が矛から放つ波形を【極大のマイナス】へと反転させたのだ。
直結した霊力回路の中で起きた、致命的な霊圧の落差。
それは、全開で押し込んでいた霊圧の激流が、突如として真逆の位相に正面衝突し、爆発的な反発を生み出す致命的なエラーだった。
両腕の感覚を根こそぎ吹き飛ばし、視界が真っ白に焼き切れるほどの衝撃波となって、柄を握る私自身の腕へと激しく跳ね返ってくる。
「が、あッ……!?」
私の全力が、そのまま私自身を壊す猛烈な『逆流』に変わる。
その暴力的な奔流に乗って、矛の『撹拌』が容赦なく私の霊力回路の奥深くへと雪崩れ込んできた。
波長の完全同調は罠だった。
あえて回路を直結させ、私が全力を出し切る瞬間を待って波を裏返す。
逃げ場のない回路内で意図的に霊圧のショートを起こさせ、その爆発的なエネルギーを利用して致死の呪式を流し込む最悪のカウンター。
(霊脈が……心臓からねじ切れる……ッ!)
だが、私とてただ馬鹿正直に腕力で押し込みに来たわけではない。
激痛とショックに意識が飛びかける中、私は失われた感覚を気力だけで繋ぎ止め、左手を柄から離し、懐中から『それ』を引き抜いた。
――天緋金の量産品小型呪槍。
沙羅姫から解析用にと渡された最後の一本。
(防げないなら……こっちも『混ぜて』やるよ!)
私は、自身の内側を破壊し尽くそうとする『撹拌』の激痛に耐えながら、刀と矛が直結する螺旋の結合部へと、呪槍を力任せに突き立てた。
ガギィィッ!!
狙いは一つ。
同じ天緋金、同じ呪式が刻まれた『空の器』を回路に割り込ませること。
天逆鉾とは比較にならない量産品。
それでも、大叔父自身が設計した『撹拌』と『拡散』の呪式が刻まれている。
飽和状態にある私の体へ無理やり押し入るよりも、突如現れた矛と同じ性質を持つ空っぽの呪槍へエネルギーが流れる方が自然だ。
私を壊そうとしていたショートと撹拌の激流が量産呪槍の内部へと一気に雪崩れ込む。
しかし、呪式の理論は同じでも、構造が異なるという致命的欠陥。
完璧な螺旋流路のオリジナルに対し、私が突き立てたのは物理的な溝を刻んで無理やり呪式を再現した無骨な杭。
そんな摩擦だらけの粗悪な道が、天逆鉾の規格外の出力を許容できるはずもない。
(――超伝導崩壊!)
激流が入り込んだ瞬間、限界を超えた呪槍が軋み、悲鳴を上げた。
抵抗ゼロの回路が、突如として高抵抗の回路へと変わる。
行き場を失った莫大なエネルギーが、猛烈な熱となって呪槍の内部で膨れ上がった。
「……ッ!? 何故そんなものを……!!」
予測外のエラー。
大叔父の顔から、初めて余裕が消し飛んだ。
直後。
呪槍がゼロ距離で大爆発を起こす。
大叔父は矛に備わる『拡散』の呪式で自身へ向かう爆発の圧力を即座に外部へと散らして致命傷を免れた。
対して、私は波長の合わせ込みのためにそんな逃げ道を用意していない。
回避など不可能。
すんでのところで、刀を霧散させるが、逃がしきれなかったエネルギーをまともに食らい、全身を巨大なハンマーで殴りつけられたような衝撃波が弾ける。
私の身体は衝撃のままに宙を舞い、後方の虚空へと無惨に吹き飛ばされた。




