File-31【妄執履歴】斑目という女(3) ――剥がれゆくメッキと、量れぬ命の重み
【斑目視点】本日2話連続投稿です。
【時刻:二二時三〇分】
【現在地:大阪――ホストクラブ提携質店】
斑目の両脇には、屈強な黒服の男たちが張り付いていた。
店を出てから、ずっとこの調子だ。
少しでも足を止めれば、背後から無言の圧力が迫る。
逃げ道を探そうにも、左右を固められていて身動きが取れない。
連れてこられたのは、ホストクラブと提携している深夜営業の質屋だった。
カウンターの向こうには年配の鑑定士が座り、壁際のガラスケースには腕時計や宝飾品が整然と並んでいる。
「お持ちいただいた品物を、順番に拝見します」
鑑定士の淡々とした声に、斑目は苛立ちを覚えた。
まるで自分が、金に困って泣きついてきた哀れな客の一人であるかのような扱いだ。
「……早くしてちょうだい」
斑目はロレックスの腕時計を外し、カウンターへ置いた。
磨き上げられた金属の輝き。手首に巻きつく、ずっしりとした重み。
これを身につけているだけで、自分が格上の人間であることを実感できた。
時計が離れた手首には、わずかな圧迫感だけが残り、妙に心許ない。
「型番と状態を確認しますので、少々お待ちください」
鑑定士は手袋をはめた手で時計を取り、裏蓋や文字盤、ベルトの状態を事務的に確かめていく。
(これだけで、残額の支払いは余裕よ)
斑目はふんぞり返るように顎を上げた。
だが――。
「状態は悪くありませんね。ただ、箱や保証書などの付属品が一切ありませんので、こちらの金額になります」
電卓で提示された査定額を見て、斑目の表情が凍りついた。
「……は? この品が、こんな値段なわけないでしょう!?」
「販売価格と買取価格は異なりますので」
斑目は言葉を失った。
もちろん、買った値段で売れるとは思っていない。
それでも、これほど足元を見られるとは考えてもいなかった。
斑目は唇を噛み、次にエルメスのバッグをカウンターへ叩きつけるように置いた。
「……これで足りるはずよ」
簡単に手に入る品ではない。
店頭に並んでいるものを、金さえ出せば買えるというわけでもない。
それを手に入れたとき、斑目は自分が『認められた側』なのだと確信した。
けれど。
「こちらは、この金額になります」
再び提示された無慈悲な数字に、斑目の顔が引きつった。
「……冗談でしょう?」
「いいえ」
「ふざけないで! これは選ばれた人間だけが手にできるものなのよ!! こんな安物じゃないわ!!!」
「中古品としての需要や状態を考慮した、適正な金額です」
鑑定士の声には、何の感情もない。
自分がどれほどの金を使ったか、どれほどVIP扱いされてきたかなど、ここでは何の意味も持たなかった。
そこにあるのは、ただの「中古品」と「査定額」だけ。
「っ……だったら、これならどう!?」
斑目はシャネルの財布を乱暴に投げ出した。
それでも足りないと悟ると、今度は首元に手を伸ばし、カルティエのネックレスを留め具ごと引き千切るように外す。
「これもよ! これも、これも……っ!!」
ヴァン クリーフ&アーペル、
ブルガリ、
ハリー・ウィンストン。
震える指で、次々と指輪を抜き取ってはカウンターへ投げつけていく。
指先を飾っていた宝石たち。
それらは、斑目が自分の価値を証明するために纏ってきた『メッキ』に他ならなかった。
それが一つ、また一つと手から離れていく。
急いで外したせいで、白かった指先には赤く擦れた痕が残った。
豪奢な装飾品を外すたび、彼女を覆っていた金メッキがボロボロと剥がれ落ち、惨めで滑稽な素顔が露わになっていくようだった。
「……これで全部よ」
息を切らし、髪を振り乱しながら、斑目は唸るように告げた。
これだけ出せば、いくら何でも足りるはずだ。
「かしこまりました。では、全体査定額をお伝えします」
鑑定士は手元の書類を確認し、淡々と金額を告げた。
斑目は、目を見開いた。
「……は?」
思っていた額には遠く及ばない。
「ちょっと待って。どういうことよ?」
「お品物の状態や中古市場での相場を踏まえた金額です」
「冗談じゃないわ! どれも一流の品ばかりよ!」
「承知しております。ただ、購入時の価格と現在の査定額は異なりますので」
斑目はカウンターを睨みつけた。
「これだけあれば、十分な金額になるはずでしょう?」
「申し訳ありません。こちらをすべて買い取らせていただいても、ご申告いただいた未払い額には届きません」
その言葉が、頭の中で何度も反響した。
足りない。
まだ足りない。
これだけのものを手放しても、足りないというのか。
「……ふざけないで」
声が震えた。
「私は、五行の頂点に立つ女なのよ……!」
鑑定士は答えなかった。
ただ、カウンターの上に散らばった品々を静かに見つめているだけだ。
斑目はギリッと唇を噛みしめた。
自分の言葉が通じない。自分の怒りが、何の意味も持たない。
それが、何よりも耐え難かった。
高価な品々を身につけていた自分は、特別だった。そう信じてきた。
だが、それらを手放してもなお、自分は何も手に入れられない。
(……いや、違う)
斑目は、強く拳を握りしめた。
(私には、まだ価値がある)
時計も、バッグも、宝石も。
あんなものは、生産拠点に戻ればいくらでも手に入れ直せる。
自分には、もっと本質的で価値のあるものがある。
斑目はゆっくりと顔を上げた。
「……あなたたち、何をしているの?」
声から震えが消えていた。
両脇の黒服たちを見渡し、続いて鑑定士へと視線を移す。
「私は五行の術師よ。それも、金行」
斑目は不気味なほど落ち着いた声で、顎を上げた。
「必要なものは、私自身が錬成できる。だから、奥へ案内しなさい」
一瞬、沈黙が落ちた。
鑑定士は斑目を見つめたまま、瞬きをした。
黒服の一人が、隣の男と目を合わせる。
――何を言っているんだ、この女は。
そんな困惑が言葉にされないまま場に漂った。
だが、斑目は気づかない。
いや、気づいていても気に留めるつもりなどなかった。
彼らが理解できないのは、自分が特別な存在だからだ。
「聞こえなかったの?」
斑目は冷ややかに言い放った。
「早くしなさい」
⭐︎
何が何やらわからないといった風の鑑定士を押し切り、斑目は事務所のパイプ椅子に座った。
扉の外には見張りの黒服が控えているが、知ったことではない。
斑目は、自身の腹部を押さえた。
『偽胎の呪印』。
禁忌の術によって無理やり広げられた丹田は、これまで幾度となく緋月から霊力を奪い、溜め込み続けてきた。
ほんの一年前までただの下働きだった斑目は、本当は体内に取り込んだ天緋金の力を「どう錬成すれば良いか」など分かっていない。
しかし、窮地に追い込まれてなお、彼女は狂気的な万能感に支配されていた。
「出しなさいよ」
斑目は、ドレス越しに怪しく明滅する腹部へ深く爪を立てた。
「私の中にあるんでしょう? 早く、出しなさいよ……!」
丹田の奥が、いや、すべての内臓が焼けるように痛む。
喉の奥から、ねっとりとした鉄錆の味が込み上げてきた。
「っ、ゴ、ハッ……!」
斑目は口元を押さえた。
指の隙間から、赤黒い血がポタポタと滴り落ちる。
それでも、手を止めなかった。
体の内側に溜め込んだものを、無理やり押し出す。
術の制御などできない。錬成術によって美しい形に整えることもできない。
ただ、奪い、溜め込んできたものを暴力的に吐き出すだけ。
次の瞬間。
「……ガハッ、グ、ゴェッ、エエェ!!」
ゴト、ゴト、と。
斑目の足元に、二つの赤黒い塊が転がり落ちた。
拳よりも大きく、表面は岩石のように荒れている。
金属とも鉱石ともつかない、歪で不格好な塊。
だが、その表面には、生々しい緋色の光が脈を打つように明滅していた。
「……はぁ……っ、はぁ……っ」
斑目はパイプ椅子から滑り落ち、膝をついて荒い呼吸を繰り返した。
口元からおびただしい血が滴る。
腹部には、内側から肉を焼かれたような激痛が残っていた。
それでも、目の前の塊を見た瞬間、彼女の顔に歓喜の笑みが浮かんだ。
「……これなら」
これなら、まだ終わらない。まだ、やり直せる。
斑目は血に濡れた震える手で、塊を拾い上げた。
ずしりと重い。
自分がこれまで緋月から何を奪い、何を腹に溜め込んできたのか。
その「命の重さ」が、今になって手のひらに伝わってくるようだった。
⭐︎
斑目は事務所から表に戻ると、血にまみれたその塊をカウンターに叩きつけた。
「これを査定しなさい! 早く!」
黒服たちが顔をしかめ、鑑定士も「お客様、それは……」と怪訝な声を上げた。
当然だ。
女が口から吐き出した血まみれの異物など、気味が悪いだけだ。
だが――鑑定士がその塊に目を落とした瞬間、店内の空気が凍りついた。
「……ッ!?」
鑑定士が息を呑み、半歩後ずさる。
背後の黒服たちも、得体の知れない悪寒に顔を強張らせ、思わず腰を引いた。
表面に走る緋色の脈動。
鑑定設備などなくても、そこにいる全員が『生物としての本能』で理解させられていた。
この石からは、人を狂わせるほどの濃密で危険な力が放たれている。
触れれば火傷しそうなほどの、圧倒的な呪力の塊。
「……こんなものが、どうして……」
鑑定士の声が、恐怖と、抗いがたい魅了に震えていた。
斑目は血に染まった唇を歪める。
「そこの装飾具より、ずっと価値のある物よ。いくら出せるの?」
「少々、お待ちください」
鑑定士は震える手で厚手の手袋をはめ、塊を慎重に持ち上げた。
表面を確かめ、角度を変え、備え付けの器具で反応を調べる。
その顔から、先ほどまでの事務的な余裕が完全に消え去っていた。
「……あり得ない。あらゆる鉱物の反応から逸脱している……」
「いくら?」
斑目が這い寄るように迫る。
鑑定士はすぐには答えなかった。
価値がないわけではない。むしろ、その逆だった。
材質も、内部に宿る性質も、通常の金属や鉱石とは明らかに異なる。
ただし、ここは深夜営業の質屋だ。
このような得体の知れない呪物を、確かな根拠もなく鑑定し、数千万単位の価格をつけられる設備も人脈もない。
「申し訳ありません。こちらは、今すぐに正確な査定額を出せる品ではありません」
「この期に及んで……!」
斑目は怒りのあまり青筋を立てた。
「ただ、相応の価値がある可能性は極めて高いと思われます。専門の鑑定が必要です」
「じゃあ、いくらなら出せるのよ!」
鑑定士は言葉を選ぶように間を置いた。
「現時点では、買い取りはできません。ただし、お預かりする形であれば、担保として扱うことは検討できます」
買い取りではない。今すぐ大金が手に入るわけでもない。
だが、無一文でホストに詰め寄られるよりはましだった。
「……それでいいわ」
彼女は即答した。
「これを担保にして。今すぐ必要なの」
鑑定士は、カウンターの向こうに立つ黒服へ視線を向けた。
男は塊を見つめ、しばらく考え込んでいたが、やがて店の責任者と短く相談を始めた。
ホストクラブ側にとっても、正体不明の気味が悪い塊をそのまま現金と同じ扱いにするわけにはいかない。
それでも、専門家による鑑定を条件に、ひとまず支払いの一部を猶予する余地はあった。
しばらくして、黒服が斑目に告げた。
「残りのお支払いは、鑑定が済むまでお待ちします。ただし、連絡はいつでも取れるようお願いします」
「ええ」
こんな惨めな扱いから解放されるならなんでもいい。
生産拠点に戻れば、金などいつでも取り戻せるのだから。




