↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
同位体の双星因果律〜金の姫は五行の摂理を紐解きます。ただし、相棒の愛は定義不能〜  作者: 迷子
序―天緋金編―

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/39

File-29【妄執履歴】斑目という女(2) ――栄華の亀裂

【時刻:二一時三〇分】

【現在地:大阪・会員制ホストクラブ――VIP室】


 店内には、大人の色気を纏った上品なラウンジミュージックが流れている。

 磨き上げられたテーブルに、シャンデリアの光がきらめいた。

 フロアからはホストたちの威勢のいい掛け声や、客たちの弾んだ笑い声が聞こえてくる。


 その喧騒から離れたVIP室では、今夜も豪華な宴が繰り広げられていた。


「いやぁ、ほんま景気ええなぁ! さすが、さわちゃんやわ!」


 隣に座る担当ホストが、満面の笑みを浮かべた。

 テーブルの上には、空になった高級シャンパンのボトルが何本も並んでいる。

 その横で、彼は新たに開けたボトルを恭しく傾け、斑目砂羽のグラスを満たした。


「せっかく大阪まで来たんやし、楽しまな損やろ?」


「ふふっ。そうね。楽しまなくちゃ、来た意味がないもの」


 斑目はグラスを持ち上げ、黄金色の液体を揺らした。


「せやろ? ほな、今夜は最後まで俺に付き合ってな。さわちゃんが帰りたないって思うくらい、楽しませたるから」


「あら。ずいぶん自信があるのね」


「そら、俺かて一応No.1やからなぁ。大事なお姫様を退屈させるわけにはいかへんやろ?」


 彼はそう言って、極上の笑みで斑目の顔を覗き込む。


「……それとも、俺じゃ物足りひん?」


「まさか。あなた、なかなか面白いことを言うのね」


 斑目はくすりと笑い、彼の頬を指先で軽く撫でた。

 担当ホストは、子犬のように嬉しそうに目を細める。


「うわ、そんなんされたら、ますます帰したないやん……」


「ふふ。なら、もっと私を楽しませてちょうだい」


「はいはい、お姫様の仰せのままに」


 彼は大袈裟に頭を下げてみせた。

 斑目は満足げに微笑む。


 心地よい。

 実に、心地よい時間だった。


 自分の機嫌を窺い、望む言葉を囁き、極上の笑顔を向けてくれる美しい男たち。

 惜しみなく金を使う自分を、誰もが「特別な存在」として崇めてくれる。

 その優越感が、たまらなかった。


「さわちゃん、次どうする? もう一本いっとく?」


 担当ホストが、空いたボトルに目を向ける。


「ええ、お願い。せっかくの夜だもの。ケチケチする理由なんてないでしょう?」


「ははっ、ほんま頼もしいわ! ほな、景気よくいこか!」


 彼がスタッフに目配せすると、ほどなく新しいボトルが運ばれてきた。

 コルクの弾ける音が、豪奢なVIP室に響く。


 その瞬間、斑目の胸に浮かんだのは、目の前の男とは別の人物の顔だった。


(万霊の秘薬もあちらに届いたかしら……)


 グラスを傾けながら、斑目は内心でほくそ笑む。


(これで、『彼の方』からの評価も決定的なものになるはず)


 彼の方から見出されて一年。

 今回の小型呪槍の製造で衰弱した緋月を治癒するために、自腹で競り落とした逸品。

 それを滞りなく届けることができれば、私は更なる高みへ登ることができる。


 斑目は隣の男に視線を戻した。


「ねえ。あなた、私はどこまで上り詰められると思う?」


「どこまでって……そら、行けるとこまでやろ!」


 男は迷いなく答えた。


「さわちゃんなら、何でもできそうやもん。なんちゅうか、普通の人とはスケールがちゃうねん」


「あら、嬉しいことを言ってくれるじゃない」


「ほんまのことやで?」


 彼は斑目の手を取り、指先にそっと口づける。


「俺、さわちゃんみたいな人に出会えて幸せやわ」


 その言葉を聞き、斑目は目を細めた。


 ――そうよ。


 自分は、選ばれる側の人間なのだ。

 金も、権力も、他人の称賛も。

 手を伸ばせば、いくらでも掴み取れる。


 天緋金を搾り続け、金行の頂点に上り詰める。

 斑目はグラスを掲げ、琥珀色の液体を照明に透かした。


(金の姫の座は、私のものよ……!!)


 その時だった。


 テーブルの上に置いていたスマートフォンが、短く震えた。

 画面に表示されたのは、見覚えのある番号。

 闇オークションの運営からだった。


(……何かしら?)


 斑目は通話ボタンを押しかけて、ふと思いとどまった。

 隣には、担当ホストがいる。裏取引に関する電話を聞かれるわけにはいかない。


「ごめんなさい。ちょっと席を外すわね」


「ん? どしたん、さわちゃん」


「すぐ戻るわ。気にしないで」


 斑目は微笑み、スマートフォンを手にVIP室を出た。

 廊下を抜け、化粧室へ。個室に入り、扉を閉めてから通話ボタンを押した。


「もしもし。何の用?」


『斑目様。夜分遅くに失礼いたします。先日のオークションのお支払いについて、確認したいことがございまして』


「支払い?」


 斑目は眉をひそめた。


『落札代金が、まだ確認できておりません』

「……は?」


 思わず、声が低くなる。


「ちょっと、どういうこと? 落札代金なら、そちらで処理するように手配してあるでしょう?」


『はい。それが、決済が正常に完了しておらず……』


「だったら、出品した小型呪槍の売上と相殺しなさいよ! それくらい、そちらで融通が利くでしょう?」


 苛立ちを隠そうともせず、斑目は言い放った。

 しかし、電話の向こうから返ってきたのは、彼女の望む答えではなかった。


『申し訳ございません。斑目様のお取引口座を含め、関連するすべての口座が凍結されております。現在、売上金の移動も決済も行えない状態です』


「…………え?」


 口座が、凍結?

 何を言っているんだ、この男は。


「ちょっと待ちなさい。そんな話、聞いていないわよ」


『こちらも詳細を確認しているところですが、現時点では解除の見通しが立っておりません』


「ふざけないで!!」


 斑目の怒声が、狭い個室に響いた。


「私が誰だか分かって言っているの!? どれだけ私があなたたちを使ってあげたと思っているのよ! 今すぐ何とかしなさい!!」


『……誠に申し訳ございません』


 電話の向こうの声は、最後まで事務的だった。

 斑目は唇を噛み、スマートフォンを握り締めた。


(全財産が凍結されてるなんて、嘘でしょ……?)


 指先が冷たくなっていく。


 つい先ほどまで、金も、地位も、権力も、すべて自分の思いどおりになると信じていた。

 こんなことが起こるはずがない。何かの手違いだ。


 そう自分に言い聞かせ、努めて冷静な声を作る。


「……いいわ。そちらの事情は分かった。こちらでも確認する」


 そう告げると、斑目は一方的に通話を切った。


(大丈夫よ……今までこんなこと一度たりともなかったのだもの)


 斑目は個室を出ると、鏡の前で髪を整え、口紅を引き直した。

 顔に浮かんだ動揺を消し去るように、唇の端を持ち上げる。

 何事もなかったかのようにVIP室へ戻ると、担当ホストが先ほどと変わらぬ極上の笑顔で迎えた。


「おかえり、さわちゃん。急ぎの用事やったん?」


「ええ、ちょっとした確認よ。もう大丈夫」


「そっか。ほな、続き楽しもか!」


 彼は明るく笑い、テーブルの上のボトルに手を伸ばした。

 斑目もグラスを手に取ったものの、先ほどまでの高揚感はすっかり冷え切っていた。


(口座の問題とカードの決済は別よ……)


 まだ、すべてのカードが使えなくなったと決まったわけではない。

 そう考えれば、今夜の会計を乗り切るくらい、どうということはないはずだった。


 しかし――。


「ねえ。そろそろ、お会計をお願いできるかしら」


「えっ、もう帰ってまうん? まだまだこれからやん!」


「少し予定が変わったの。悪いけれど、お願い」


「しゃあないなぁ。ほな、伝票持ってきてもらうわ」


 ほどなくして黒服が運んできたバインダーを一瞥し、斑目は迷いなく漆黒のカードを差し出す。

 利用限度額など存在しない、彼女の富の象徴。


「これでお願い」

「かしこまりました」


 数秒後。

 ピピッ、と無機質なエラー音が鳴った。


「……申し訳ございません。こちら、承認されないようでして」

「は?」


 斑目の笑顔が、ぴたりと固まった。


「もう一度試しなさい」

「かしこまりました」


 数秒後――。


「申し訳ございません。やはり、承認されません」


「……そんなはずないでしょう?」


 斑目はカードを受け取り、表面を見つめた。

 これまで何の問題もなく、数千万単位の支払いを済ませてきたカードだ。

 使えないはずがない。


「別のカードで試してちょうだい」


 財布を開き、今度はプラチナカードを差し出すが――またしても、非情なエラー音がVIP室に響く。

 斑目の顔が苛立ちに歪んだ。


「ちょっと、端末がおかしいんじゃないの? 別のもので試しなさいよ」


 スタッフは一礼し、予備の端末を用意して改めて決済を試みた。

 が、結果は、変わらなかった。


「嘘でしょう……?」


 斑目の声から、急速に力が抜けていった。

 普段ならこんな金額、気にも留めずに支払えるというのに。


 斑目は財布の中を探り、三枚目のカードを取り出した。

 指先が微かに震えている。


「なら、これよ。早く済ませてちょうだい」


 震える指で差し出した三枚目も。

 祈るように差し出した四枚目も。


 すべて、使えない。

 端末から繰り返されるエラー音が、彼女の優越感を一枚ずつ剥がしていく。


 先ほどの電話が脳裏をよぎった。


 ――関連するすべての口座が凍結されております。


(まさか……本当に、すべて……?)


 背筋を冷たいものが駆け抜けた。


「ちょっと、どういうことなの!?」


 斑目はすがるように担当ホストを振り返った。


「私、今までこんなこと一度もなかったのよ? そちらの決済システムに問題があるんじゃないの?」


 担当ホストは、静かにグラスを置き、困ったように眉を下げた。


「いやぁ、そう言われてもなあ……他のお客様の決済は通ってるみたいやし」


 彼は申し訳なさそうに笑った。


「昨日も今日もようしてもろたんは感謝してるで? せやけど、店の売上は別の話やからな。お姫様言うても、支払いはしてもらわな困んねん」


 その口調には、接客業としての丁寧さは残っていても、彼女を特別扱いする「甘さ」は完全に消え去っていた。


 斑目は彼の顔を見つめた。

 ついさっきまで、あれほど優しく笑いかけてくれていた男。

 自分を楽しませるためなら何でもすると、指先にキスまでしてくれた男。


 しかし、今の彼は違う。


 目の前にいるのは、斑目という「女」ではなく、「金が払えない客」を見極めようとする冷徹なNo.1ホストだ。


「……私、こんなに注文しているのよ?」


 斑目は担当ホストを睨みつけた。


「それなのに、少しくらい融通を利かせることもできないの?」


「そら、そう言われてもなぁ」


 担当ホストは深くため息をつくと、姿勢を正した。


「俺らも商売やから。お代をいただかんことには、どうにもならへんねん。さわちゃんも、大人の遊び方知ってる人やろ?」


 斑目は言葉を失った。


 自分の機嫌を窺い、望む言葉を囁き、惜しみなく金を使う自分を称賛していた男。

 その男が今、自分を厄介な客でも見るような目で見ている。


 こんなはずではなかった。

 金さえあれば、誰もが自分を特別な存在として扱ってくれる。

 そう信じていたのに。


「……分かったわよ」


 斑目は震える指で財布を開き、現金を数えた。

 分厚い札束が入っているとはいえ、今夜開けた何本もの高級シャンパンの代金を賄える額ではない。

 何度数えても――。


「……これじゃ、足りひんな」


 横から覗き込んだホストの冷酷な宣告に、斑目の頬が引きつった。


 金がない。支払えない。

 今まで一度も経験したことのない惨めな現実が、目の前に突きつけられていた。


「……少し、待ってちょうだい」


 斑目はスマートフォンを取り出した。

 どこかに、まだ使える口座があるかもしれない。

 誰かに連絡すれば、すぐに用立ててもらえるかもしれない。


 そう考えて画面を操作するものの、どこにも突破口は見つからなかった。


 ふと顔を上げると、担当ホストはもう笑っていない。


「お客様……お支払いをお願いいたします」


 その声は、ただの「未払い客」へ向ける、ひどく冷たく、事務的な響きだった。


 VIP室の入り口には、いつの間にか体格のいい黒服のスタッフたちが、逃げ道を塞ぐように無言で立っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。