File-26【妄執履歴】斑目という女(1) ――虚飾の栄華
久々の登場、斑目さんのお話です。
【現在地:大阪ミナミ・会員制ホストクラブ――VIP室】
時は遡り、闇オークション後・夜更け。
幾重にも積み上げられたグラスの塔を、黄金の液体が流れ落ちる。
シャンパンの気泡が、光を反射して宝石のように輝いていた。
きらびやかなネオンに包まれたこのホストクラブは、ある『初回来店』の女の独壇場と化していた。
「――すごすぎやろ、さわちゃん! 大阪の夜は初めてって言うてたのに、初日からこのリシャール連発はヤバいわ! さすが俺たちの女王様や!」
担当であるその店のNo.1が、これでもかとばかりに甘い笑みを貼り付けながら、斑目のグラスに酒を注ぐ。
今夜が初めての来店なのだと告げたとき、名刺を片手に「なんて呼んだらいいですか?」と嬉しそうに訊いてきた彼に対し、斑目は不敵に笑ってこう言ったのだ。
――『私の名前は斑目砂羽。下の名前で呼ぶことを許してあげる』と。
甘い愛称とともに呼ばれるその響きは、彼女のプライドと虚栄心をこれ以上ないほど心地よくくすぐっていた。
「いやホンマ、最初店に入ってきたときから『うわ、なんかエグいオーラの人来たな……』ってビビってんけどさ。こんな上品で、しかもケタ違いに金払いも良い美人、ミナミ一帯探してもさわちゃんしかおらんわ。……俺、マジで今日でさわちゃんの虜なってもーたわ、どうしてくれるん?」
「ふふっ、口が上手い男ね」
斑目はクスクスと喉を鳴らし、男の肩に気怠げに寄りかかる。
もっと褒めろ、もっと私を崇めろ――そんな心の声が透けて見えるほど、彼女の目は陶酔に潤んでいた。
(世界は私を中心に、私を頂点として回っている)
札束の暴力で男を従え、欲望のままにすべてを服従させているような全能感。
己こそが選ばれた真の支配者なのだという強烈な自己陶酔が、脳の奥をとろけさせるような快感となって身体中を駆け巡る。
「これくらい安いものよ。今の私には、いくらでも稼ぐ手段があるんだから――。必死に甘い言葉を並べて私の機嫌を取る男たちを眺めるのも、なかなか悪くない暇つぶしね」
(……彼とのあの交わりとは比べものにならないけど)
脳裏に焼きついたその幻影をそっと反芻しながら、斑目は冷笑を浮かべる。
オークションで手に入れた莫大な不当利益。
そして、裏社会の太いパイプと、あの傲慢な金行本家から吸い上げる無限の資源。
すべてが自分の思い通りに回っている。
かつての下働きだった頃の泥臭い生活など、もう遠い過去の幻のようだった。
だが、華やかなシャンパンの泡の向こうに、ふと淀んだ過去の記憶が浮かんできた。
――すべては、あの時から始まっている。
かつて、あの『琥珀』と『緋月』が暮らしていた、鳴神家本邸最奥にある別邸。
斑目はその屋敷で働く、名もなき「使用人の娘」だった。
当時、斑目は十六歳。
小遣い目当てに、ほんの軽い気持ちで両親の手伝いについてきただけだった。
だが、足を踏み入れた邸宅の奥で彼女が目にしたのは――美しく、誰からも愛される血筋の者たち。
中でも緋月は格別だった。
艶やかで、ふわりと揺れる灰色の髪。
宝石のように輝く大きな赤い瞳。
彫刻のような鼻梁と果実のように瑞々しい唇。
まだ十にも満たない、幼く無垢な子供だというのに。
この世にあれほど美しい少年が他にいるだろうか?
一目見た瞬間、斑目の脳髄に強烈な電撃が走った。
十六といえば、とうに善悪の分別がつくはずの年齢だ。
それにもかかわらず、八つも年下の幼子を前にして、彼女には倫理的なブレーキなど微塵も働かなかった。
これが運命なのだと、彼女は本気で信じてしまったのだ。
(あの子がほしい……)
それは、普通の少女が絶対に開いてはならない、異常な執着の扉が開いた瞬間だった。
斑目の心に仄暗い熱が宿ったのだ。
それから斑目は、両親に強請って頻繁に屋敷に入るようになった。
最初は一目見られるだけで良かった。
しかし、通ううちに嫌でも気付いてしまったのだ。
いつだって、緋月の赤い瞳に映っているのは、琥珀という一人の少女だけなのだと。
鳴神家の直系であり、白虎の力を宿した本物のお姫様。
許せなかった。
あの少年の瞳に、自分は一度たりとも映らなかったというのに。
自分の方が彼を欲しているのに、自分の方が彼を美しく愛してやれるのに、緋月は頑なに琥珀以外の人間を見ようとしなかった。
ある日、木陰から二人のやり取りを盗み見たことがある。
『琥珀ちゃん、その櫛綺麗だね』
『そうかなあ……そういうの、あんまりわかんない』
なんでもない、ただのありふれた日常の会話。
なのに、緋月が琥珀に向けたその柔らかく蕩けるような微笑みと、熱を宿した愛おしげな眼差しが、斑目の胸に猛烈な黒い澱を焼き付けた。
自分には絶対に向けられない、強烈な愛の光。
それが憎くて、狂おしかった。
だから、盗んだのだ。
二人の思い出の品であり、琥珀が何気なく置いていたその『美しい櫛』を、斑目はこっそりと彼女の部屋から掠め取った。
それだけではない。
琥珀の私室の掃除に託け、彼女の抜け毛を執念深く拾い集めた。
彼が綺麗だと言った櫛と、その櫛を持つ琥珀の銀糸のような髪。
斑目は、その両方を手に入れずにはいられなかったのだ。
斑目はその櫛と髪を、ひそやかに自室の奥深くへと隠し続けていた。
しかし、その様はある人物にずっと見られていたのだ。
周囲が『彼の方』と呼ぶ、底知れぬ男に。
『面白い。その執着、私の元で遂げてみる気はないかね?』
誘われるままに差し出された執着の証は、彼の技術によっておぞましい呪具へと生まれ変わった。
抜け毛と櫛を編み合わせて仕立て上げられた、姿形を琥珀そのものに変える『身代わりの呪具』。
それを纏えば、本物の琥珀に成り代わり、緋月に対する欲望を遂げることができた。
このまま琥珀から全てを奪い、自分こそが次期当主の座に相応しい選ばれた人間なのだと陶酔していた。
だが、『彼の方』にとって、彼女は緋月から『天緋金』という貴重な材料を得るための『設備の一つ』にすぎないことなど、この時の斑目は知る由もなかった。
「……ふっ」
グラスを置いた斑目の唇から、意地の悪い笑みが漏れた。
形勢は逆転したのだ。
あの時、自分をただの使用人として見向きもしなかった者たちは、今や全員が自分の手のひらの上で転がされている。
黒幕の男たちに『看板娘』と持ち上げられ、自分こそがこの金行の真の勝者なのだと、彼女は心の底から信じ切っていた。
――次の金行当主は、血統だけの愚鈍な琥珀などではない。すべてを奪い尽くしたこの私なのだと。
「な? さわちゃん」
蜜のように甘ったるい雰囲気を纏わせ、ホストがさらに身を寄せてくる。
「明日、俺のこと同伴で使ってくれへん? さわちゃんに相応しい、ミナミで一番ええフレンチ予約するから。……俺に、さわちゃんの隣、独り占めさせて」
「もちろんよ」
斑目は艶然と微笑み、男の頬に軽く指を滑らせた。
グラスの揺れる音に合わせ、ゆったりと艶かしく足を組み替える。
「明日も明後日も、私たちが望むなら、いくらだって金なんて湧いてくるんだから。……もっと派手に、この街を酔わせてあげるわよ」
自分が翌日、すべての財産を奪われ、冷徹な地獄へ叩き落とされることなど――この時の彼女は、微塵も思っていなかった。




