File-21【帰還報告】同位体の証明 ――反撃の糸口を掴みました
「……あー、死ぬかと思った……」
およそ三百年ぶりの白虎憑き。
これから緋月を助けに行こうという大事な局面で、しかもその死因が『バスタブで寝落ちて溺死』だなんて。
そんなことになれば、五行界の歴史に未来永劫語り継がれる笑えない伝説になってしまう。
私は両手でお湯を掬うと、バシャッと勢いよく顔にぶつけて、無理やり意識を『現在』へと引き戻した。
顔から滴る水滴を乱暴に拭いながら、熱くなった頭をフル回転させる。
疑問を、一つ一つ潰せ。
まず、なぜ天緋金から発せられる霊波を緋月の『声』として受信してしまったのか。
(八年前、双星比和の術式の上で、私と緋月は、確かに互いの『霊脈』を繋ぎ合わせた……!)
結末があまりにも凄惨だったから、双星比和の成否など考えてもこなかった。
だが、お互いのパスが繋がったということは、術式自体は成功していたんだ。
私と緋月はあの日、たしかに『双星』になれていたんだ……!
込み上げる歓喜に、思わず泣きそうになる。
だが、それをギュッと胸の奥に押し戻し、すぐさま思考の海へ戻る。今はまだ、喜びに浸る時じゃない。
考えるべきはあの『呪槍』の破壊方法だ。
徹夜の解析で、天緋金のベースとなる波長はすでに割り出している。
だが、遠距離から攻撃しても、空気を伝う間のノイズによって簡単に防がれる。
かと言って無策で接近戦を挑めば、天緋金の持つ『攪拌』の波に飲まれ、こちらの霊脈がズタズタになるだけだ。
実戦の激痛に晒されながら、敵の殺意で不規則に変動する波長をリアルタイムで追いつづけるなど、自殺行為に等しい。
波長が合う前に、こちらの霊脈が耐えきれずに壊れてしまうからだ。
それが、これまでの絶望的な結論だった。
だが――そもそも、前提が違っていたのだ。
私と緋月は、すでに『双星』として霊脈が繋がり、根源の波長が完全に同調している。
私たちは同位体。
すなわち、霊核の性質は全く同じでありながら、姿や質量だけが異なる、同じ根源から分かたれた物質。
一気に視界が開けるような感覚。
強固に組み上げられていた『完全な詰み』という絶望の塔が、たったひとつのピースを抜き取っただけで、ガラガラと音を立てて瓦解していく。
どれほど熟練の金行術師がベース波長を知っていようと、激戦の中で己の霊力を『他人の波長』へと完璧に偽装し続けることなど不可能だ。
だが、同位体なら偽装する必要すらない。
私が錬成する刃――いや、私の身体自体もまた、天緋金と同じ性質――霊的な抵抗がゼロ、かつ外部からの干渉を弾く『一方通行の絶対防御』を持つ。
互いの刃が激突する度に、同じ材質の音叉が響き合うように、衝撃を通じて敵の情報が『共鳴』として伝わってくる。
刃を交える一瞬の激流の中から、『呪式の不純物』と『殺意のブレ』というノイズだけを捕捉する。
ベースが自分自身と同じだと分かっていれば、他人の波長を手探りで探るより遥かに早く、ノーダメージのまま最短ルートで正確なチューニングが可能だ。
そして、波長が一〇〇%同調したその瞬間。
敵の呪槍はこちらの攻撃を「異物」ではなく「自分自身」だと誤認し、絶対防御のゲートを開く。
唯一の問題は、敵のゲートが開かれるその瞬間――完全に同調した私自身の絶対防御もまた、相手の『攪拌』を「自分自身の力」だと誤認し、無防備に素通ししてしまうこと。
防御を失った霊脈へ、敵の『攪拌』が減衰なしでダイレクトに襲いかかる絶死の激痛。
その痛みを耐え抜き、直結した超伝導回路へありったけの破壊エネルギーを叩き込む。
天緋金は『超伝導体』ゆえに、どれほどのエネルギーを流そうと抵抗ゼロでやり過ごせる。
だが、天緋金に寄生している脆弱な『呪式』には抵抗がある。そこへ、逃げ場のない全負荷が直撃するのだ。
敵の『攪拌』に私の霊脈が引き裂かれて死ぬのが先か。
『呪式』が莫大な負荷に耐え切れず、弾け飛ぶのが先か。
死と隣り合わせの綱渡り。
けれど、これ以上ない完璧な勝利への筋書き。
(……いける!)
「あ、」
湯船の中で、ふと声が漏れた。
思考の糸が、さらにその先へと繋がっていく。
私と緋月が双星であるなら。
あの呪式を剥がして、純粋な金属体に戻った天緋金は、そのまま私の霊脈に『吸収』できるんじゃ……?
「……っ!」
私はざばっと勢いよく湯船から立ち上がった。
体を拭くのもおざなりにして、濡れた髪から雫を滴らせてバスタオルを引っ掴み、脱衣所を飛び出す。
「琥珀!?」
リビングに駆け込んだ私を見て、沙羅姫が目を丸くした。
だが、私は彼女の驚きに構う余裕すらなかった。
一直線にテーブルへと向かい、そこに置かれた『小型呪槍』――無理やりの搾取を受け、苦しみの声をあげていた天緋金に両手を伸ばす。
私が何をしようとしているのか悟った瞬間、沙羅姫の顔色が変わった。
「待ちなさい、琥珀……! 何をする気!?」
沙羅姫が血相を変えて止めに入ろうとする。
無理もない。
双星以外の他者の霊力を直接体内に取り込むなど、違う血液型の血を大量に輸血するようなものだ。
強烈な拒絶反応を起こし、最悪の場合は全身の霊脈が破壊され、死に至る。まさに自殺行為に他ならない。
沙羅姫が私の腕を掴むより早く。
不意に白銀の粒子が集まり、真っ白な毛並みを持つ巨獣――ハクが音もなく顕現した。
ハクは私と沙羅姫の間に入り込むと、沙羅姫に向けて静かに首を振った。
『止めるな』と、黄金の瞳がそう告げている。
ハクの無言の圧力と、私への絶対的な信頼を感じ取り、沙羅姫が息を呑んで立ち止まる。
私はテーブルの上の天緋金に、そっと両手で触れた。
伝わってくるのは、やはり悲鳴のような波長だった。
痛くて、苦しくて、泣き叫んでいるような声。
無理やりこんな残酷な形に作り変えられ、傷つけられた、あの子自身の痛みだ。
――痛かったね。
――もういいよ。その痛み、私が引き受けるから。
祈るように目を閉じ、その悲鳴を、痛みを、丸ごと抱きしめるように受け入れる。
――せめて、私のそばに帰っておいで。
すると、冷たく硬質だった金属の塊が、ふわりと熱を帯びた。
あの子に刻み込まれた人を殺すための模様が、優しく融け落ちていく。
やがて天緋金は赤い光の粒子へと還っていった。
美しく、温かい光の群れ。
それは空気に溶けるように私の肌へと降り注ぎ、なんの抵抗もなくスッと霊脈の中へ吸い込まれていった。
流れ込んでくる悲鳴の残滓に胸が締め付けられたけれど、それ以上に、愛おしさが勝った。
乾いた砂に水が染み込むように、極めて自然に、私の中にある霊力と溶け合っていく。
赤い粒子がすべて私の中に収まり、ふっとリビングに静寂が戻った時。
『ただいま』
胸の奥の、ずっと深い場所で。
そんな声が聞こえた気がした。




