File-19【回想録】優しすぎる君へ ーー守るための決断
月日は流れ、私は十二歳、緋月は九歳になっていた。
気がつけば、私の隣にはいつも、ふわりとした灰色の髪を揺らす彼がいることが当たり前になっている。
けれど最近、緋月はどこか思い悩んでいるような表情を見せることが多くなっていた。
「……ダメだ。霊力操作……うまくできない……」
縁側にぽつんと座り、自分の小さな両手を見つめながら、緋月が悔しそうに唇を噛む。
彼の体内には、到底九歳の子供とは思えないほどの、途方もない霊力が眠っている。
まるで薄いガラスの小瓶に、荒れ狂う海を閉じ込めているような状態だ。
力を引き出そうとすれば、莫大な霊圧に耐えきれず、器である彼自身の体が内側から砕け散ってしまう。
だからこそ、彼の肉体は防衛本能として無意識のうちに『蓋』をし、決壊を防ぐためにほんの僅かな霊気しか漏れ出さないよう制限をかけているのだ。
彼に才能がないわけではない。
むしろ、あまりに規格外すぎるのだ。
それでも緋月は、うまく術を使えない自分をひどく責めていた。
「大丈夫だよ、緋月はまだ体が小さいからさ。いっぱい食べて大きくなったら、絶対うまくいくって!」
私は隣に座り、落ち込む彼の頭をポンポンと撫でた。
霊力に対して肉体の『器』が釣り合うようになれば、自然とコントロールもしやすくなる。それが五行の摂理だ。
「でも……琥珀ちゃんが僕と同じくらいの歳の時には、もう、かっこいい刀を作れてたのに……」
「そ、それは――」
俯いたままの緋月の言葉に、私は言葉を詰まらせた。
九歳の私が金属錬成を形にできたのは、別に才能なんかじゃない。
祖父による、文字通り、血反吐を吐くような過酷で無慈悲な稽古の賜物だ。
霊力が枯渇し、何度も気を失いかけながら叩き込まれたあの激痛の記憶。
もしこれを正直に伝えれば、心優しい緋月は「自分も」と、祖父の元へ嘆願に行きかねない。
あんな地獄を、この無垢な少年に味わわせるわけにはいかない。
「お、女の子の方が男の子より体の成長が早いんだってさ。だから私の方が早く器が大きくなっただけだよ」
咄嗟に出た言い訳に、緋月はパチリと瞬きをして顔を上げた。
「……そうなの?」
「そうそう! 当たり前じゃん。だから、そんなに心配しなくて大丈夫!」
わしゃわしゃと緋月の柔らかい髪を撫で、もっともらしい嘘で誤魔化す。
こんなことしかできない自分にチクリと罪悪感を覚えたが、彼を守るためには仕方がないと言い聞かせる。
「それに、あの赤い鉱石――天緋金だったら扱えるようになってきてるでしょ? この前もすごく綺麗な花を作ってくれたじゃん!」
太陽のように赤く輝く不変の金属、天緋金。
金行の術師の中でも極めて稀な、幻の金属だ。
まだ幼い彼がそんなものを作り出せると本家の大人たちに知れ渡れば、彼がどう利用されるかわからない。
私が、この子を守れる力をつけるまでは。大人たちからこの子の力を隠し通さなければならない。
そう強く思えばこそ、祖父の理不尽な修行にも歯を食いしばって耐えることができたのだ。
「何度も言うけど、天緋金の錬成の『先生』は私なんだからね! 他の先生には絶対言っちゃダメだよ? 二人だけの秘密」
私が小指を差し出すと、緋月は少しだけ目を丸くした後、いつものふにゃりとした愛らしい笑みを浮かべる。
「うん。……琥珀ちゃんが言うなら、そうする」
細く白い小指が、私の指にしっかりと絡められる。
なぜかほんのりと頬を赤らめて頷く彼の体温が、指先から真っ直ぐに伝わってきた。
⭐︎
ある日の午後。
縁側で本を読んでいた私の元へ、緋月が神妙な面持ちでやってきた。
いつもなら花が咲くような笑顔で駆け寄ってくるのに、その手には一冊の古びた本が大事そうに抱えられている。
「琥珀ちゃん、秘密のお話があります」
「秘密? 私たちの秘密ならいっぱいあるじゃん。緋月が木登りできないとか――」
「なっ、それ小さい時の話でしょ! もう木登りくらいできるよ!」
私がクスクスと笑うと、緋月はムッと口を尖らせた。
しかしすぐに真剣な目に戻り、私の袖を引く。
「いいから。……秘密の話だから、蔵に行こう」
緋月に手を引かれ、私たちの秘密基地と化している古い蔵へと入る。
ひんやりとした空気が肌を撫でた。
「それで、秘密の話って? 手に持ってるその本のこと?」
「うん……この本に、『双星比和』の術式陣が書いてあった」
「はあ!!??」
私の素っ頓狂な声が響くより早く、緋月の小さな手が私の口を塞いだ。
「しーーっ、琥珀ちゃん声大きいってば」
「いや、だって、それって禁書じゃ……」
「え? 普通に一般図書院にあったよ?」
琥珀がなぜ驚いているのか全く分からないといった様子で、緋月は不思議そうにぱちぱちと瞬きをした。
「……? そうなの?」
私は首を傾げた。
双星比和の術式陣など、おいそれと子供が手に取れるような場所に置いてあるはずがない。
機密を扱う『記録院』ならともかく、一般の図書院に?
だが、二十歳を過ぎれば全員が受ける儀式だ。私が思っているより、一般的な知識として扱われているのだろうか。
しかし、私の思考を現実に引き戻するように、緋月が私の手をギュッと握った。
「僕、琥珀ちゃんとこの術を結びたいんだ。なるべく早く。できれば、今すぐ」
「何言ってるの!!?? そんな危ない――むぐっ」
またしても驚きの声をあげる私の口を、緋月がすかさず塞ぐ。
「だから声大きいって!」
「ぷはっ……この術式は、器が成熟した二十歳の人間が受けるものだよ? 今受けるなんて――」
「二十歳より早く受ける人もいる」
「そんなの、双星として選ばれた人が、二十歳より二、三年早く受けるってだけの話じゃん! 緋月はまだ十歳にもなってないのに……」
私が必死に諭そうとすると、緋月は本を強く抱きしめ、真っ直ぐに私を見た。
「琥珀ちゃん、無理してるでしょ」
「え……?」
「無理して、ご当主様との稽古、頑張ってる」
心臓が跳ねた。
「……それって、僕のせいでしょ?」
泣きそうな顔で、緋月は言う。
彼は、全てわかっていたのだ。
私が毎日血と汗に塗れ、霊力を枯渇させて倒れるまで過酷な修行に耐えている理由を。
「この術でパスを繋げば、琥珀ちゃんがたくさん修行して大きくした丈夫な『器』が、僕の霊力を支えてくれるんでしょ?」
「…………」
「そうやって僕が霊力をうまく使えるようになって強くなったら、琥珀ちゃんは、痛いのを無理して我慢しなくてもよくなるんだ」
「それは……」
返す言葉がなかった。
祖父の修行を思うと、いつだって足がすくんだ。痛みを思い出すと恐怖で震える夜だってある。
それを耐えられたのは、守りたいと思うこの緋月の笑顔があったからだ。
「僕のせいで、琥珀ちゃんが苦しむのは、嫌だよ……」
大粒の涙をいっぱいに溜める緋月に、胸が張り裂けそうになる。
「だから、双星比和を結びたい。僕に力を貸して、琥珀ちゃん」
その真剣な瞳から、目を離せなかった。
しかし、リスクがありすぎる――。
「……失敗したらどうするの?」
「わかんない。……でも、このまま弱い自分でいるのは嫌なんだ。僕だって、琥珀ちゃんを守る力がほしい」
(どうしたらいいの……)
ダメだ、と突き放すのは簡単だ。
私がこのまま修行に耐え続ければ、いつか必ず彼を守れる力が手に入る。
もし未成熟な九歳の彼がこの術式を受ければ、最悪の場合、強大な霊力に『器』が耐えきれずに壊れてしまうかもしれない。
けれど――。
私を見つめる緋月の大きな瞳からは、ぼろぼろと涙が零れ落ちていた。
私の痛みを自分のことのように悲しみ、強くなりたいと切実に願う彼を、これ以上『無力な子供』として絶望させたままでいいのか。
それに、私自身の心にも、強い渇望があった。
もし、双星比和が成功したら。
私も飛躍的に強い力を手に入れられる。
天緋金という幻の金属を生み出してしまう、その強大な力には似合わないほど優しすぎる男の子。
この先、本家の大人たちにその秘密が知れ渡ったとき、彼を理不尽な搾取から守り抜くためには、誰にも手出しさせないだけの『圧倒的な力』が必要だった。
双星比和によって私自身の能力が底上げされれば、私の力だけで、完全に彼を庇護できる可能性が高まるのだ。
(ダメだ、私一人じゃ決めきれない)
迷いを断ち切るように、私は脳内で相棒に呼びかける。
「……ハクに確認する」
「本当!? 嬉しい!!」
「ハクがダメって言ったら、本は絶対に戻してきてね! ……ハク、どう思う?」
《――悠久の時を生きる私に、人間の僅かな年月の差などわからぬ。だが、お前たちは双星として交わるに相応しい星を持っている》
脳内に、ハクの厳かで静かな声が響く。
《……己のことだ。自らの意思で、後悔せぬよう決めるがよい》
(後悔……)
私は、ハクの言葉を静かに反芻した。
もしここで安全を選んで双星比和を断り、そのせいで将来、天緋金の秘密を知った大人たちに緋月が利用されてしまうような事態になったら?
私の力が足りず、彼を理不尽な搾取から守りきれなかったとしたら――私はきっと、あの時リスクを背負ってでも『力』を手に入れなかった自分を、一生呪い続けるだろう。
そんな未来だけは、絶対に嫌だ。
ハクの言葉が、私の背中を力強く押した。
そして何より、私のために大粒の涙を流し、私を「守りたい」とここまで強く望んでくれるこの少年の想いに、私は、真っ直ぐに応えたかった。
「……わかった。やろう」
地獄の扉を開く決断だった。
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迷子より




