File-18【回想録】死ぬまでの誓い ーーなんだか胸が苦しいです
『好き』だの『可愛い』だの、たった四歳の子供から急に浴びせられた好意に、私はかなり戸惑った。
だが、ひとまず「三つも年上の私が泣き崩れていたから、幼いなりに精一杯慰めようとしてくれたのだ」と、自分の中で強引に結論づけることにした。
ひとしきり泣いて落ち着いた後、私たちは手を繋いで、玄関から家の中へと上がった。
ぎゅっと私の手を握り、嬉しそうに満面の笑みを浮かべてトテトテと歩く緋月。
それに対し、目を真っ赤に腫らし、どう見ても先ほどまで大泣きしていた私。
足音を聞いて奥から出迎えた緋月の母が、その異様な光景に「ひ、緋月!? 琥珀様に何をしたの!?」と大慌てしていたのを、今でも鮮明に覚えている。
ともあれ、その日を境に、私たちは少しずつ距離を縮めていった。
緋月は私が心を開いたと見るやいなや、隙あらば私にひっついて無邪気に甘えてきた。
『琥珀ちゃん可愛い』
『琥珀ちゃん大好き』
天使と見紛うほどの愛らしい笑顔で、好意を全開にしてぶつけてくる。
その度に調子を狂わされて、顔を真っ赤にして狼狽えてしまう自分が嫌になり、私はついに彼に対して『可愛い』と『好き』の言葉を禁止した。
その代わりに――。
「緋月……一緒に稽古、行く?」
「うん!!!」
祖父から受けるあの霊力操作の時間を除き、剣術や体術、座学の稽古を共に受けるようになった。
もちろん、私と緋月の間には三つという年齢差がある。
すでに基礎ができている私と、まだ小さな彼とでは、身についている技術に大きなギャップがあった。
だから、復習の時間として、私が緋月の『先生』になる時間を設けることになった。
私が主となって稽古を受けている間は、緋月は邪魔にならない場所で己の鍛錬をこなしつつも、時折こちらをじーっと見つめては、私の動きを一生懸命に真似ていた。
そのひたむきな姿は、なんだか私に可愛らしい弟分ができたかのようだった。
完全に緋月に心を許した私は、それに伴って緋月の両親とも自然に打ち解けていった。
おばさんに教わりながら、緋月と一緒に台所に立って料理をしたり(私があまり料理が得意ではなく、むしろ不器用なのだと発覚したのはこの時だった)。
私に憑いている神獣――ハクを紹介して一緒にモフモフの毛並みに埋もれたり。
ピクニックと称して、お弁当を持って祖父の管理が行き届いた広大な鳴神家の庭を散策したり。
両親を失い、凍りついていた私の心は、音無家との穏やかな日々の中で確かに溶かされていった。
緋月はとにかく私にべったりで、いつしか同じ部屋で、布団を並べて眠るようにすらなっていた。
⭐︎
「ねえ、緋月。今更だけど……私の世話役になんで緋月の家が選ばれたのかな」
夜。
お互いの布団に入り、天井の木目を見つめながら、私は隣で同じく布団に包まっている緋月に問いかけた。
「白虎に縁のある家系って、鳴神の分家には他にもいくつかあるし。あのお祖父様が、お母さん同士が親しかったって理由だけで、音無家を選ぶなんて、あんまり想像がつかないんだよね」
「あ、それはね――」
《私が説明した方が良かろう》
緋月が口を開きかけたその時、私の背後から低く威厳のある声が響いた。
私のすぐ隣で丸くなっていた誇り高き神獣、白虎のハクだ。
彼もまた、私たちと一緒に眠る大切な家族の一員だった。
ハクはのっそりと身を起こすと、私と緋月の布団の間に割り込むようにして、どさりと横たわった。
《音無家は、かつての先代『白虎憑き』の子孫だ。そして、こやつ――緋月は、先代の『先祖返り』なのだ》
「先祖返りって、なに?」
私の素朴な疑問に、ハクはやれやれと鼻を鳴らし、尊大で呆れたような――それでいて、どこか世話焼きな態度で口を開いた。
《血や霊脈というものは、代を重ねるごとに薄まっていくのが道理だ。だが、極稀に……何世代も前の強力な祖先の霊的形質を、まったく薄めずにそのままの濃度で受け継いで生まれてくる者がいる。それが『先祖返り』だ》
ハクは金色の瞳で、布団から顔だけを出している緋月を見つめた。
《緋月はまだ幼いが、その身の内には、かつて私を従えていた大術師と同じ、とてつもなく強大な霊脈の素養が眠っている。もし琥珀が生まれていなければ、緋月が私の主となっていただろうな》
「へぇーーー! すごいね、緋月!」
感心して素直にそう告げると、緋月はふにゃりと、嬉しそうに笑った。
しかし、ふと、嫌な疑問が頭をよぎった。
それほどの特異な力を持つ彼が、なぜただの分家の子供として、わざわざ私の世話役なんてしているのだろう。
あのお祖父様が、そんな才能を見落としたまま放置するだろうか?
「……それ、お祖父様も知ってるの?」
得体の知れない祖父の思惑を感じ取り、私は思わず警戒するように声を潜めた。
ハクは長い尻尾をゆらりと揺らす。
《さあな。だが、少なくとも緋月に眠る特異な力には気づいているだろう。おおかた、『星読み』でもして選んだのではないか。命運や星の巡りを算出し、お前の守護者として最も相性の良い子供をあてがうためにな》
ハクの言葉に、私は布団の中でぎゅっと拳を握りしめた。
血の宿命。
先祖返り。
お祖父様の打算。
大人たちの都合で、この小さな男の子を私の運命に巻き込んでいたなんて。
何も知らない、無垢で優しいこの子を、都合の良い道具にさせやしない。
――この子は、私が守る。
そう、強く心に決意した矢先だった。
「だからね」
緋月が、布団の中から身を乗り出すようにして言葉を切り出す。
「僕、大きくなったら琥珀ちゃんの『双星』になりたいんだ」
「……え?」
思いがけない言葉に、私は目を丸くした。
『双星』――それは、術師同士が命を預け合い、生涯を共にする『魂の番』を意味する重い言葉だ。
「……緋月。双星の意味、わかって言ってるの?」
確かめるように問いかけると、緋月は「うん」と大きく頷いた。
そして、少し照れたようにふわりと笑う。
「一生そばにいて、死ぬまで、僕の手で、琥珀ちゃんを守れるってことでしょ?」
ニコニコと無邪気な笑顔のまま、さらりと紡がれた言葉。
幼い子供が発するには、あまりにも真剣で、どこか不思議な凄みすらある響きだった。
私を見つめるその赤い瞳には一切の淀みもなく、熱を帯びた、驚くほど真っ直ぐな光が宿っていた。
大人たちの打算なんて関係ない。
ただ純粋に、一生、自分の手で私を離さずに守り抜きたいという、ひたむきな願い。
ドクン、と。
私の中で、何かが大きく跳ねた。
私がこの子を守る。
そう決めたばかりだったのに。
私よりも三つも年下の、こんなに小さくて柔らかい手をした男の子からの、背伸びした、けれど決して嘘ではない「死ぬまで」という誓い。
大人たちが決めた冷たい運命を、この小さくも揺るぎない言葉一つで、全部ひっくり返されてしまったような気がした。
私の庇護欲と、私だけに向かう、緋月の痛いほどのひたむきさ。
二つの想いが真正面からぶつかり合った瞬間――胸の奥が、きゅーっと泣きたくなるくらいに熱く、痛くなった。
心臓が早鐘のように打ち始め、顔にカッと熱が集まっていくのがわかる。
息の仕方を忘れたように、小さく肺の空気が漏れた。
……なんだろう、この不思議な感覚は。
風邪でも引いたのか。
それとも、温かい布団の中でハクのモフモフした毛皮に挟まれているせいだろうか。
初めて味わう得体の知れない胸の疼きに戸惑いながら、私は必死に照れを隠すようにぷいっと顔を背けた。
「ま、まだ私の『生徒』のくせに! 私が緋月を守るんだからね!」
「だから、大人になったらって言ってるでしょ!」
「大人になっても私が一番強いの!」
「僕だって強くなるもん!」
むきになって言い合う私たちに、二人の間に横たわる白い巨体が、ふうっと深いため息を吐き出した。
《……やれやれ、さえずるのは朝になってからにしろ。明日の稽古に響くぞ。早く眠れ》
呆れ混じりのハクの言葉に、私たちはぴたりと口をつぐんだ。
「……おやすみなさい、ハク、緋月」
「おやすみ、琥珀ちゃん。……ハクも」
静かになった暗い部屋の中。
ハクのあたたかな温もりと、ハク越しに聞こえる規則正しい小さな寝息。
ぎゅっと目を閉じても、胸の奥に生まれた不思議な熱はなかなか冷めてくれない。
(ねえ、ハク。まだ起きてる?)
《なんだ、眠れぬのか》
(うん……。ねえ、双星を選ぶ時って、術式に血を垂らしたら相手の名前が浮かび上がってくるんでしょ? 術式が選んだ人とじゃなくても、双星になれるのかな)
もし将来、自分が双星を選定する時に、緋月の名前じゃなかったらどうしようという小さな不安。
《ふむ……。あれは人間どもが重視する『効率』のためのものだ。その年に成人する術師全員の星読みなど、毎度やっていては手間がかかるのだろう。あとは、肉体的な相性がわかるというくらいか》
(肉体的な相性……?)
《霊力に対する、器の釣り合いを確認するのだ》
(じゃあ、私がものすごく強い器になってたら、星さえ合っていれば誰とでも双星になれるの?)
《簡単に言えば、そういうことだ》
そうか。
私が頑張れば、緋月と――。
そう考えると、胸の疼きがさらに強くなる。
《まったく……早く眠れ》
その夜。
私はハクの神気で強制的に眠らされるまで、延々と双星について尋ね続けたのだった。




