File-16【解析報告】残響する悲鳴 ーー胃薬がもらえるそうです
私は強張った身体からふうっと深く息を吐き出し、この重苦しい空気を仕切り直すように顔を上げる。
「ま、呪具としての性能もエグいんだけど……金行の術師として、私が一番ゾッとしたのは、これを設計した人間の『破壊への執念』だよ」
「……執念?」
「普通、神話の業を模した呪具なんて、名工が一生かけて一本の芸術品を鍛え上げるものだ。でも、これは違う。設計者はこの尋常じゃない破壊力を、型に流し込んで『量産』できるレベルにまで、極限まで構造を単純化・最適化してるんだ」
私は宙に映し出された呪槍をゆっくりと回転させる。
「呪具としての美しさも、名誉も、品格もどうでもいい。ただ効率よく、確実に、大量の術師を殺戮するためだけに、余分なものを削ぎ落として削ぎ落として……気の利いた装飾一つない『釘』の形に行き着いた。これを組み上げた術師は、文字通り効率的な破壊に狂ってる」
そこで一度言葉を切り、私は薄暗い部屋の空気を肺に吸い込んだ。
「……ちなみに。霊波の残り方からして、この個体が作られたのは二週間前が妥当なところなんだけど。前回、天緋金が大量に市場に出たのはいつ?」
「そうね、一ヶ月前くらいかしら」
「……そう、そうなんだね」
ふたたび込み上げてきた猛烈な吐き気を堪えるように、私はギュッと目を閉じた。
「売る前提で作った大量の呪具を、工場内に放置しておくメリットはそうない。ということは、前回の流通から約一ヶ月をかけて、今回のオークション向けに呪具を生産したと考える方が自然だ。……この『小型呪槍』をひと月で三百本作るには、毎日キロ単位の天緋金を抽出しないと間に合わない」
「…………」
「あの子を致死量ギリギリまで痛めつけて、天緋金を搾り取り、それを二十四時間、一ヶ月間、ずっと休むことなく繰り返してる。……そして、死ぬ一歩手前で『万霊の秘薬』を投与して無理やり生きた肉体を引き戻してるんだ」
言葉にした途端、自らの推論のあまりの悍ましさに、空っぽの胃がヒクッと痙攣した。
徹夜で解析を続ける間、幾度となく便器を抱え込むほど私を苛んできた強烈な吐き気。
私はてっきり、それが設計者の異常な悪意――あの『どす黒い呪式』にあてられたせいだと思い込んでいた。
だが、違ったのだ。
真実に思い至った今なら、はっきりとわかる。
一晩中、私の霊脈を無意識に掻き乱し、吐き気を催させていたものの正体。
それは呪式などではない。
『痛い』
『苦しい』
『助けて』
呪具と化してしまった天緋金そのものから発せられる微かな霊波を通じて、私は『それ』を直接受信してしまっていた。
あの子が味わわされた恐怖と絶望の残響。
地獄の叫びが、悲痛な思念となって、私の脳髄に突きつけられていたのだ。
天緋金から聞こえる叫びに視界が歪み、呼吸が浅くなる。
再び強烈な吐き気が込み上げてきた、その時だった。
「――琥珀。追跡印の様子はどうなっているかしら」
沙羅姫の、いつもと変わらない凛とした声が部屋に響いた。
あえて私を現実に引き戻すような、静かで強い響き。
私はハッとして、深呼吸を一つし、大理石のテーブルに視線を落とした。
そこには、タブレットから投影された西日本の立体地図が浮かび上がっている。
「……ごめん。えっと、斑目につけた追跡印――赤いマーカーは、一度大阪のホスト街に行って、その後は外資系の高級ホテルから動いてない。今頃、寝てんじゃないかな」
緋月は今地獄を見ているというのに、ふざけた話だ。
私はやり場のない怒りと苛立ちを込めて、深くため息を吐き出した。
「呆れるほど景気がよろしいのね。他人の命で誂えたベッドは、さぞ寝心地がいいのでしょう」
氷のように冷ややかな目で赤い光点を見下ろし、沙羅姫が短く吐き捨てた。
「……秘薬を積んだ輸送車の方は、緑色のマーカーだね。さっき見た時は、中国自動車道から松江道へ入ったところだったけど――」
私は地図の縮尺を操作し、緑の光点を追う。
マーカーが、島根県の県境――奥出雲の入り口へと差し掛かった、その時だった。
『――ピキッ、ザザザッ!』
鋭いノイズが走り、緑の光点が乱反射したかと思うと、フッと完全に消失した。
「……消えた?」
沙羅姫が細い眉をひそめる。
「いや、潰されたんだ」
私はギリッと奥歯を噛み締めた。
「湊が言ってたんだ。あの土地には、『水神のネットワーク』が張り巡らされてるって。境界を越えた瞬間、土地全体が放つ強大な神気に探知が吹き飛ばされる」
ホログラム地図上の奥出雲一帯が、まるで濃霧に覆われたように薄暗いノイズの海に沈んでいく。
「奥出雲に縁のある金行の追跡印ならいけると思ったけど……駄目だった。広大な神域ノイズに守られた拠点の正確な座標を、外からのスキャンだけで割り出すのは無理だ」
絶望的な事実。
だが、私の中にはすでに、一つの明確な答えが出ていた。
「……実家に帰る」
「今から?」
沙羅姫がわずかに目を見開く。
「連中の生産拠点は間違いなく、あの神域のノイズの奥に隠されてる。うちの家系は、古くから奥出雲の霊脈と土着神の封印を管理してきたんだ。鳴神家本邸の『記録院』に、この地の霊力分布を記した古い地図が保管されてるはず」
電子データ化されていない、古の図面。それを直接探し出すしかない。
私はふらつく足に無理やり力を込め、立ち上がった。
「緋月が囚われているとわかった以上、一刻も早く助け出さなくちゃ」
焦燥感に駆られ、今すぐ部屋を飛び出そうとした私の肩を、沙羅姫の白い手がそっと押さえた。
「琥珀。まずは、自分を整えなさい」
「そんな余裕ないよ! 斑目が先に拠点に戻って、秘薬を投与されたらまた――!」
「その心配はいらないわ」
ふふっ、と。
沙羅姫は優雅に、けれどどこか小悪魔のような笑みを浮かべて、パチンと小さくウィンクをして見せた。
「オークションのついでに、あの女の足回りにちょっとした『悪戯』を仕掛けておいたの。このまま大阪で泳がせておきましょう。いざ拠点へ帰ろうとした一番肝心な時に……見事に身動きが取れなくなるはずだから」
「……悪戯?」
きょとんとする私に沙羅姫はただ微笑むだけで、それ以上語ろうとはしなかった。
代わりに優雅に踵を返すと、窓の重厚なカーテンを勢いよく全開にする。
差し込んできた眩しい朝の光に、私は思わず目を細めた。
「お湯の準備をしてあるわ。貴女は、その冷や汗と吐瀉物の匂いをしっかり洗い流してきなさい。……その間に胃薬と、身体の温まるスープを用意させるから」
有無を言わさぬ、けれど圧倒的な気遣い。
張り詰めていた糸が少しだけ緩むのを感じながら、私は小さく息を吐き出した。
「……ありがとう」
彼女の言葉に甘えるようにそれだけ呟き、私はふらつく足取りでバスルームへと向かった。




