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同位体の双星因果律〜金の姫は五行の摂理を紐解きます。ただし、相棒の愛は定義不能〜  作者: 迷子
序―天緋金編―

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File-14【特命依頼】崩れた境界 ーー本日の姫様は優しいです

 斑目が落札した『万霊の秘薬』は緋月に使われる。

 ということは、この秘薬に追跡印をつければ、緋月が囚われている場所を割り出す大きな足掛かりになりうる。


 ――怒りに任せている場合ではない。


 斑目の高揚感をさらに煽り、自ら進んで秘薬を差し出させるための布石を打つ。


「あぁ……なんと見事な落札劇。斑目様の揺るぎない審美眼と圧倒的なご威光には、ただただ感服させられますわ。私のような浅学な画商など、到底及ぶべくもありません」


 私の滑らかで涼やかな物言いと、黒狐の面越しに見上げる熱っぽい視線に、斑目はすっかり酔いしれたように肩を揺らして笑った。


「ふふっ、そこまで言う? まあ、当然よねぇ」


「ええ、お見事としか。……差し出がましいお願いとは存じますが、その『万霊の秘薬』が放つ格別の霊力、ほんの一瞬だけでも間近で拝見することは叶いませんでしょうか」


「の、飲み薬だから手に取るのはダメだけど……ま、いいわよ。特別に見せてあげるわ」


 斑目がすっかり気を良くし、優越感に浸るように黄金色の薬液が入った小瓶をこちらへスライドさせてきた。


 私は黒狐の面の下で鋭く目を細め、静かに手を伸ばした。

 ふわりと、小瓶のガラス表面に指先が触れる。

 

 その刹那――私の内側で沈静化させていた『金行』の鋭利な霊力を、針の先ほどに極限まで圧縮し、ガラスの底へとほんの一瞬だけ潜り込ませた。


 ――『追跡印(マーキング)』、完了。


 誰にも気づかれることのない、正確無比な金属の共鳴波が、黄金色の薬液の奥底へしっかりと刻み込まれた。


(緋月……。必ず助けるから、あと少しだけ耐えて)


 私は斑目への殺意を心の底に押し隠し、優雅に微笑みながら小瓶を押し返した。


「……なんと深い慈愛に満ちた輝き……。大変良い勉強になりましたわ」


「ふふ、当然でしょ」


 斑目が満足げに鼻を高くしたその隙に、私たちはVIPルームを辞去し、重厚な扉の向こうへと身を滑らせた。


 メガフロートの華やかな喧騒の中を、沙羅姫は乱れの無い優雅な足取りで歩いていく。

 私もまた、彼女に合わせて黒狐の面の下で表情を凍てつかせ、「冷徹な水行の画商」としての歩調を完璧に保ち続けた。


 エントランスを抜け、待たせてあった黒塗りの車に乗り込む。

 

 車内という密室に入っても、私はまだ気を抜かなかった。

 夜景が流れる窓の外を見据えながら、全身の血管を引き絞るような思いで内なる殺意と動揺を抑え込む。


 ――まだだ。まだ安全圏ではない。


 やがて私たちは、身支度を整えた隠れ家――ホテルのスイートルームへと帰還した。

 重厚な扉が静かに閉まり、カチリとオートロックの音が響く。

 

 部屋に入るなり、沙羅姫の背後に控えていた侍女たちが素早く散開した。

 あらかじめ張っておいた結界に異常はないか、留守の間に不審な気配が入り込んでいないかを念入りにチェックしていく。

 

 数分後、侍女たちが深く一礼し、別室へと下がっていった。

 その背中を見送った、次の瞬間。 


「っ……!」

 

 私は水行の変化を解き、ガクリとその場に崩れ落ちた。

 本来の月光のような銀髪が、視界の端で揺れる。

 

 先ほどまで全身を駆け巡っていたアドレナリンが急速に引き、激しい気だるさと悪寒が津波のように押し寄せてきた。

 冷や汗が止まらない。呼吸の仕方もわからなくなり、私の身体は小さく痙攣するように震え始める。


 沙羅姫に誘導され、なんとかソファに座り込むと、彼女は冷たいミネラルウォーターのペットボトルを私の両手にそっと握らせてくれた。

 表面に浮かんだ結露の冷たさが、熱を持った手のひらから伝わり、パニックを起こしかけていた思考をわずかに現実に引き戻していく。

 

 沙羅姫は何も言わず、ただ静かに私の隣に腰を下ろした。

 そして、ドレスの裾が触れ合うほど近くに身を寄せると、私の震える肩に、自身の肩をそっと預けてきた。

 

 土行の静謐で揺るぎない体温が、音のない部屋の中で、絶対的な安心感となって私を包み込んでいる。


「……っ、姫ちゃん……私、……緋月が……ッ」

 

 ペットボトルを握る手がブルブルと震え、喉の奥から熱いものがこみ上げてくる。

 八年間、死んだとばかり思っていた緋月が、生きたまま地獄のような苦しみを味わっている。

 

 その衝撃と、今すぐ助けられない悔しさが決壊しそうになる。

 私は両手でペットボトルを強く握りしめたまま俯き、ぐっと奥歯を噛み締めて声にならない嗚咽を飲み込んだ。

 

 そんな私を、沙羅姫は穏やかな、けれど力強い声で包み込むように言った。


「あの瞬間、衝動のままに牙を剥いていれば、あの子を救う道は閉ざされていたわ。怒りを隠し抜き、標的の懐へ滑り込んでみせた……。見事だったわよ、琥珀。己の仕事を、存分に誇りなさい」


 その言葉は、自身の最も深い傷を抉られてなお、理性を保ち、潜入の役目を果たしきった私への、最大限の賛辞と慈愛だった。

 沙羅姫の静かで揺るぎない声が、ざわつく心をすっと現実へと引き戻していく。

 

 私は震える息を整え、冷えたペットボトルをさらに強く握りしめた。



⭐︎



 どれほどの時間、そうしていただろうか。

 沙羅姫の静かな呼吸と、寄り添う身体から伝わる土行の温もりが、波立っていた私の感情を少しずつ穏やかにしていく。

 

 やがて身体の震えが治まり、私は深く、ひとつ息を吐き出した。


「……ごめん、取り乱して」


 私が気まずさに視線を伏せると、沙羅姫はハンカチで私の目元をそっと拭いながら、ふふっと優雅に微笑んだ。


「貴女の涙を見るのは、これで二度目ね。……滅多に見られない愛らしいお顔を拝見できて、光栄だったわ」


 その上品で愛のある軽口に、私は思わず毒気を抜かれて苦笑してしまう。


 張り詰めていた空気をあえて緩めてくれる彼女の優しさに甘えきってしまう前に、私は両手でパチンと自分の頬を叩き、気持ちを切り替えた。


 もう大丈夫だ。今は泣いている場合ではない。

 緋月を救うための「追跡印」は打てたのだ。

 ここから先は、彼を奪還するための戦いが始まる。

 

 私が真っ直ぐに顔を上げたのを見計らったように――部屋の扉が、コンコンと控えめに叩かれた。

 結界を張った内側からのノック。つまり、別室に控えていた身内の合図だ。


「入りなさい」

 

 沙羅姫が短く応じると、一人の侍女が恭しく部屋に入ってきた。

 その手には、厳重な封印符が幾重にも貼られた黒いジュラルミンケースが抱えられている。


「姫様。お申し付けの品、無事に確保し持ち帰りました」


「ご苦労様。テーブルに置いて、下がって頂戴」


 侍女が一礼して退出すると、部屋には再び私と沙羅姫だけになった。

 

 テーブルの中央に鎮座する、物々しいケース。

 そこから漏れ出る微かな、けれどひどく威圧的な霊気に、私は眉をひそめた。


「姫ちゃん、それは……?」


 私が問うと、沙羅姫は悪戯を成功させた子供のように目を細めた。


「貴女があの女の懐で立派に立ち回ってくれている間……私の方も、少しばかり『お買い物』をさせてもらってね。今日のオークションのトリ、あの女が出品した品よ」


「――まさか、天緋金の小型呪槍(じゅそう)!」


 私は弾かれたように目を見開いた。


「ええ。メインの出品物だけあって競り合いは熾烈だったけれど、土御門家(うち)の息がかかった『水行の術師』に、意地でも落札させたわ」


「経理担当が泣くわね」と軽く言いながら、沙羅姫はケースのロックに手をかけ、カチャリと重い音を立てて蓋を開いた。


 中には、厳重な結界を施されたクッションに沈むようにして、赤黒い光を鈍く放つ三本の金属杭が収められていた。


「落札した天緋金は全部で三百本。今回のオークションで出品された天緋金は、全て土行の管理下に置くわ。……この三本は貴女への特別依頼よ」


 沙羅姫は流し目でこちらを見た。


「どうかしら。涙が止まったのなら、さっそくこの曰く付きの代物の解析を頼みたいのだけれど。私の、最も優秀で、信頼のできる金行の術師に」


 その言葉に、私の内側で冷たく鋭利な『金行』の気が、再び硬質な音を立てて目を覚ました。


「……うん、任せて。その仕事、完璧にこなしてみせる」


 私はぬるくなったペットボトルをテーブルに置き、ケースの前へと歩み寄る。

 輝く銀髪の下、金色の瞳はかつての凛とした光を取り戻していた。

 

 私は術師としての鋭い視線を、目の前の天緋金へと向けた。


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