File-13【重要報告】万霊の秘薬――生かされる地獄
プレビュー会場の喧騒を離れ、私たちはメインステージを見下ろす上層階の回廊へと足を進めた。
待ち合わせの場所で合流した沙羅姫は、私の顔を見るなり、白狐の面を少しだけ傾げてクスクスと笑った。
「個人のVIPルームに入る許可を得るなんて、やるじゃない。さすがは優秀な画商さんだわ」
「いや、相手がちょろすぎるというか……ほんの少し煽てたら、あっさり警戒を解いちゃってさ」
やれやれと肩をすくめながら、さきほどまで貼っていた愛想笑いを引っペがす。
「相手が警戒を緩めなかったら、呪言の気を少し混ぜようかと思ったけど、そんな必要もなかったや」
相手に行動を強制させる『呪言』の術。
神獣であるハクや、自分より上位の術者には通じないが、「なぜかそうしなければならない」と本人に錯覚させる使い方もできる非常に便利な術だ。
「敵が愚かというのは、実に好都合なものね。この後も期待できるわ」
シャンパンゴールドのドレスの裾を優雅に揺らしながら、沙羅姫は楽しげに微笑んだ。
やがて、私たちは目的の区画へとたどり着く。
重厚なマホガニーの扉の脇には、専用のセキュリティを護る黒服の警備員が直立している。
――その目の前が、あの斑目が用意したVIPルームだった。
「ご招待にあずかりました、横浜の画商です」
私がそう告げると、黒服は名簿と私たちの姿を確認し、恭しく扉を開けてくれた。
部屋の中は、海上のメガフロートにいるとは思えないほど豪華なしつらえだった。
特等席のガラス張りの窓からはメインステージが一望でき、ふかふかのソファには、先ほどまで下品に笑っていた斑目がふんぞりかえっている。
「あら、いらっしゃい。よくこの部屋がわかったわね」
「お招きいただき光栄です、斑目様」
私たちは適当な席に腰を下ろす。
沙羅姫は白狐の面をつけたまま、まるで自らの領地であるかのように悠然とグラスに口をつけた。
そのただならぬ気配に、斑目の取り巻きたちがわずかに気圧されている。
そんな様を眺めているうちに、ホールの照明がスッと落ち、ステージ中央にスポットライトが集まった。
いよいよ、後半戦――『メインオークション』の開幕だ。
「――皆様、長らくお待たせいたしました。これより、本日の極上なる目玉出品の数々をご覧に入れましょう」
司会者の煽り文句と共に、最初の競売品がステージ中央へと運び込まれる。
次々と高額な呪具や美術品が落札されていく喧騒を背景に、私はグラスの水面をぼんやりと眺めていた。
「――さあ皆様、お立会い! 本日のオークション、『トリ』を飾る最高峰の出品物をお迎えいただきましょう!」
司会者の熱狂的な声に煽られ、ステージ中央の特設フロアが厳かにせり上がってくる。
「さあ皆様! 本日のメインを飾りますのは、創世の神槍『天沼矛』の業を宿した極上の特級呪具! 純度一〇〇%の『天緋金』で鋳造された、全長四十センチの小型呪槍――計三百本でございます!」
競売人の絶叫が、会場の空気を一発でスパークさせた。
「出品は、五行界を揺るがす新鋭――斑目様! 幻の霊金をこれほどの物量で揃えただけでも奇跡ですが、この呪具の真価は、あらゆる霊脈を一撃で沈黙させる圧倒的な破壊力にあり――!」
特設ステージの絢爛なスポットライトの下、最高潮の熱狂と飢えた歓声が渦巻く。
その中央に鎮座していたのは、夕暮れの空を凝縮したかのような妖しく美しい深緋色の――しかしその実態は、規則正しく溝の刻まれた、重厚な『杭』の山だった。
瞬間、私の背筋に、冷たいものが走る。
霊波の障壁を越えて、ほんの微かに、あまりにも懐かしい気配が伝わってきた。
(――っ、この霊気……!)
私を守るためにと自らを貫いた、緋月の、あの熱を帯びた、切なさを孕む霊力の名残り。
間違いない。あの天緋金の精製には、彼の力が使われている。
胸の奥が冷たく締め付けられた。
緋月の力がこうして市場に出回っている可能性など、頭ではとうに理解していたつもりだ。
しかし、実際に目の当たりにすると――。
三百本などという、桁違いの量。
これだけ大量の呪具として生産されているということは、彼の残した『霊核』が、今もなおどこかで無理やり絞り取られているのではないか――?
嫌な汗が頬を伝う。
「ほう……あれが噂の天緋金ね。見事なものだわ」
私の動揺に気づいたのか、隣に座る沙羅姫が静かに目を細めた。
その声にハッと我に帰り、私は慌てて呼吸を整える。
ガラス越しにステージの熱狂を見つめながら、最前列に陣取る斑目は白虎の面を外し、下卑た笑みを浮かべて自慢げに語り始めた。
「ふふ、随分と騒がしいこと……。でも今回は、五行すべてを食い破る特別品だもの、熱狂するのも無理はないわね。あれほどの性能を持った呪具を、この世で安定して生み出せるのはうちの組織だけよ。手間もコストも莫大にかかっているけれど、こうして高値でちやほやされると、苦労のしがいもあるってものだわ」
(五行のすべてを食い破る……?)
私は内心で激しく舌打ちをした。
(クソッ、司会の説明を聞き逃した)
三百本もの『天緋金』が放つ霊気に当てられ、直前の肝心なアナウンスがまったく耳に入っていなかったのだ。
だが、後悔している暇はない。
『五行すべてを食い破る』という特異な性能。
そして、それを『安定して量産できる』という事実。
(間違いない。とんでもなくヤバい代物が、組織的に――それも『鳴神家』の中枢から生み出されている)
この三百本が裏社会に流出すれば、確実に世界のパワーバランスが崩壊する。
血の気が引いていくのを必死に押し殺し、私は震える奥歯を噛み締めた。
ここで取り乱すわけにはいかない。
感情を塗り潰し、私は画商としての『完璧な愛想笑い』を再び貼り付ける。
そして、斑目が欲するであろう言葉を、甘い毒を含ませた声音で紡ぎ出した。
「さすが、類まれなる才覚をお持ちの斑目様。あのような神品を世に送り出すとは、まさに現代の錬金術師ですね」
私の言葉に、斑目はふんっ、と鼻を鳴らして満足げにワイングラスを傾けた。
「当然よ。あの子のことを私が一番よく知っているもの。少しでも雑に扱えばすぐに枯れてしまうから、手入れにはこれでもかなり気を使っているのよ。……ねえ、そうでしょう?」
斑目は己の下腹部を意味ありげに撫でた。
――手入れ。
(この女が直接、緋月の霊力を搾取しているということ……?)
女の言葉の裏に隠された悍ましい意味を想像し、怒りで爪が手のひらに食い込む。
私は掌から血が滲むのも構わず、ただひたすらに従順な画商を演じ続けた。
やがて、メインオークションは最後のプログラムへと突入する。
「――皆様、お待たせいたしました。これより、本日のアンコール出品の特別枠……『万霊の秘薬』の競売に移ります!」
再びスポットライトが当たり、ステージ中央に黄金色の薬液が入った小瓶が掲げられた。
どんな衰弱や怪我をもたちどころに治癒するという、裏社会垂涎の奇跡の秘薬。
その出品が告げられた瞬間、待ち構えていたかのように、斑目がマイクのスイッチを入れた。
「その薬、私が全て買い取るわ。いくらになろうともね」
圧倒的な財力で他をねじ伏せ、数億という値がついた『万霊の秘薬』は、あっさりと斑目の手に落ちた。
ホールがどよめく中、彼女はグラスのワインを煽り、下品な高笑いを上げる。
「お見事な手腕です。しかし、あのような高額な秘薬をなぜ? ご自身でお使いに?」
私が画商としての興味を装って尋ねると、斑目はソファに深く背を預け、恍惚とした笑みを浮かべた。
「まさか。これはね……私に極上の蜜をくれる、愛しい『恋人』を治すため。最近、少し奥まで愛を注ぎすぎたせいで、悲鳴も上げられないほど『器』にヒビが入っちゃったの。あの子は私が丹念に手入れして、何度でも、永遠に、骨の髄まで吸い尽くしてあげなくちゃ」
斑目はうっとりと頬を赤らめ、自分の下腹部を愛おしそうに撫でさすった。
それは、搾取を性愛と履き違えた、底知れぬ狂気そのものの身振りだった。
――ドクン、と。
心臓が、ひどく嫌な音を立てて跳ねた。
(……『悲鳴』? 『器』を治す……?)
氷水を浴びせられたように、思考が急速にクリアになっていく。
もし、緋月の『霊核』だけが抜き取られ、無機質な動力源として利用されているだけならば、生体の衰弱を治癒する秘薬など必要ないはずだ。
物言わぬ霊核が、悲鳴を上げるはずもない。
秘薬が必要なほどに肉体が傷つき、悲鳴を上げる力を失うほどの苦痛を与えられている。
それが意味する答えは、たった一つ。
八年前に死んだと思われていた、私の大切な家族。
緋月は――生きている。
殺されずに生きた肉体のまま、地獄の牢獄に繋がれ、天緋金を搾り取られる動力源として。
限界まで搾り取られ、肉体が崩壊しかけたら秘薬で無理やり治癒させて、また限界まで……。
今この瞬間も、すり潰され続けている。
――殺す。
理性が、焼き切れた。
視界が真っ赤に染まる。
全身の血が沸騰し、ドレスにあしらわれた黒曜石のビーズに、無意識のうちに爆発的な水行の霊力が流れ込もうとした。
今すぐこの手に暗器を取り、目の前で下劣に笑うこの女の喉笛を切り裂いてやりたい。
いや、暗器だけじゃ足りない。呪符で覆い隠した力を解き放って、こいつの身体をズタズタの肉塊にしてやる。
作戦も、自分の身の安全も、どうでもいい。
ただ、今すぐ――。
「――それはまた、さぞ可愛らしい仔猫を飼っていらっしゃるのね」
その時。
私の膝の上に置かれていた両手を、隣に座る沙羅姫の、ひんやりと冷たい手が力強く包み込んだ。
「っ……!」
ビクッと肩を震わせた私を、沙羅姫は白狐の面越しに静かに、けれど絶対に逆らえない強い光を宿した瞳で見据えていた。
(……落ち着きなさい、琥珀。ここでこいつを殺せば、あの子の居場所のヒントを逃すことになる)
声に出さずとも、その瞳が痛いほどにそう告げていた。
沙羅姫の手のひらから伝わる土行の静謐な霊力が、私の暴走しかけた力を強制的に鎮めていく。
「……っ、ふぅ……」
私はギリッと奥歯を噛み締め、深く、深く息を吐き出した。
そう、沙羅姫の言う通りだ。
ここでこの女を切り刻んだところで、緋月は戻ってこない。
怒りで我を忘れるな。
必ず、この女の拠点を見つけ出し、緋月を奪還するんだ。
「……ええ。これほどの秘薬を惜しげもなく使って、その可愛らしい仔猫を愛でていらっしゃるなんて。斑目様は本当に、愛情深いお方だこと」
私はどうにか黒狐の面の下に愛想笑いを貼り付け、殺意に染まった瞳を隠すように、ゆっくりと目を伏せた。




