File-11【潜入報告】白狐と黒狐の夜会――幕を開ける狂宴
案内されたホテルの地下駐車場。
侍女によってドアが開かれた黒塗りの高級車の後部座席に乗り込もうとした私は、中にいた人物を見て、思わず「へっ?」と間抜けな声を漏らした。
「あら、様になっているじゃない」
豪奢なシャンパンゴールドのドレスに身を包み、涼しい顔でグラスを傾けている絶世の美女。
私の最大のパトロンであり、私の身支度(という名の拷問)中には一切顔を出さなかった土御門の姫君――沙羅姫が、当然のような顔でそこに座っていたのだ。
「ひ、姫ちゃん!? 来るなんて一言も……!?」
「驚くことかしら? 貴女の面倒を見るついでに、私も少々『お買い物』を楽しもうと思ってね」
沙羅姫は長い足を組み替え、フルートグラスの中で黄金色の泡を揺らす。
「それに、貴女を一人で放置したら、いざという時に会場を丸ごと吹き飛ばしそうだもの」
クスクスと、妖艶でいて揶揄うような笑い声が車内に響く。
「し、失礼な!」
抗議の声を上げたものの、たった数分前に『いざとなったら爆散させればいい』と考えていたドンピシャの図星を突かれた私は、引き攣った笑いを浮かべながらそそくさと彼女の隣に乗り込むしかなかった。
車が滑らかに発進し、神戸の夜の街へと滑り出していく。
ふと周囲を見渡すと、見慣れた人影が見当たらない。
沙羅姫の双星――『嶺』だ。
いつ何時も沙羅姫の側に控えている彼女がいないのは、どこか不自然に感じられた。
「ねえ、嶺さんは一緒じゃないの?」
グラスを傾ける沙羅姫に問いかける。
「こういう社交場に双星を連れていくと、身元が割れやすいの。それに――」
沙羅姫は愉快そうに私を見つめる。
「あの子は必死に隠そうとしているけど、貴女に構いすぎると嫉妬しちゃうのよね。可愛らしいでしょう?」
クスクスと笑う沙羅姫に対し、私の脳裏に数日前のラウンジでの嶺の態度がよぎる。
嫉妬を向けられる側は堪ったものではないのだが、沙羅姫はそれがとても愉快であるらしい。
やがて彼女はグラスを空にすると、傍らに置いてあった黒いベルベットの箱を開け、中から二つのお面を取り出した。
「はい、貴女の分よ。顔が割れないようにね」
手渡されたのは、艶やかな漆黒の地に銀の流水紋が施された『黒狐』の半面だった。
沙羅姫の手元には、対となる端正な『白狐』の半面がある。
どちらも目から上だけを隠す形で、視界や会話を妨げないよう現代のパーティー向けに美しくアレンジされた特注品だ。
「わ、すごい……。これ、姫ちゃんが用意してくれたの?」
「ええ。そこらの中途半端な成金どもは安っぽい洋風のマスクをつけているでしょうけれど、五行に通じた名家の人間は、自身の属性やルーツに擬えた特注の面をつけるのが暗黙のルールなのよ。なめられないためのハッタリね」
沙羅姫は上品な仕草で白狐の面を顔に当て、シャンパンゴールドのドレスにふさわしい、近寄りがたいほどの高雅な風格を完成させた。
「ちなみに、今回貴女が接触するターゲット――斑目の着用予定の面は、すでに情報屋から割れているわ」
「へえ。どんなの?」
私が黒狐の面をつけながら尋ねると、沙羅姫は手元のタブレットを操作し、斑目のデータを空中に投影した。
そこに映し出された、下卑た笑みを浮かべる女が身につけていた特注マスクを見て――私はピキッとこめかみに青筋を立てた。
『白虎』の半面。
我が最愛のモフモフであり、金行を司る気高き神獣の顔を、よりによってこの小悪党がドヤ顔で被っているのだ。
希少な金属を裏取引しているからといって、箔付けのために『西の白虎』を気取っているのだろう。
「……姫ちゃん。あいつ、予定より早いけどボコっていい?」
「気持ちはわかるけれど、だめよ。あの女は泳がせておく価値があるわ」
「えーー、姫ちゃんのケチー」
私は黒狐の面の下で唇を尖らせ、ちぇっ、と分かりやすく不貞腐れてみせた。
もちろん、天緋金の出処を探るために彼女を泳がせておかなければならないことくらい、私だって百も承知だ。
それでも、大好きなハクをあんな悪趣味な箔付けに利用されている腹立たしさは、文句の一つでも言わなければ収まらなかったのだ。
「ふふっ。子どもみたいな顔をしないの。せっかくのドレスが台無しよ」
「面で顔隠れてるのにわかるの?」
「伊達に五年も貴女の面倒を見ていないわ」
白狐の面の下で、沙羅姫が可笑しそうにクスクスと笑う。
沙羅姫と他愛のないやり取りをしているうちに、窓の外には神戸港の美しい夜景が広がっていた。
やがて車は湾岸エリアのさらに奥、一般車両の立ち入りが制限されたゲートを抜け、海上に浮かぶ巨大な人工島――メガフロートへと差し掛かる。
一見すると超富裕層向けの海上リゾート施設だが、煌びやかなイルミネーションに照らされたその実態は、今夜に限っては裏社会の重鎮たちが集う魔窟だ。
エントランスに車が横付けされると、待機していた黒服のスタッフが恭しくドアを開けた。
ふわりと、潮の香りが鼻をくすぐる。
(……よし、仕事モードだ)
私は小さく息を吐き、表情を引き締めた。
車を降りた瞬間から、私は金行の琥珀ではない。
『水行の画商』だ。
黒狐の半面の奥で涼やかに目を細め、水行の術師らしい、知的で底知れない笑みを唇に貼り付ける。
「行きましょう」
「ええ」
隣に並び立つ白狐の面を被った沙羅姫は、もはや私など足元にも及ばないほどの圧倒的な『大物パトロン』のオーラを放っていた。
レッドカーペットを進むと、エントランスには飛行機の搭乗口のような厳重なセキュリティゲートが待ち構えていた。
「招待状を拝見いたします」
屈強な警備員に、湊が手配した『黒い封筒』と偽装IDのカードを提示する。
カードをスキャンした警備員は、微かに目を見開いたあと、より一層態度を硬化させた。
水行の画商と土行のパトロンという、金払いの良いVIPだと認識されたのだろう。
「お通りください」
促されるまま、セキュリティとして備えられた巨大なゲートをくぐる。
ピリッとした微弱な霊波が全身を撫でた気がしたが――警告音は一切鳴らなかった。
(……完璧。大金叩いて特級呪符買っといて良かった〜)
ドレスにあしらわれた黒曜石のビーズ装飾も、ただのガラスの装飾品として完全にスルーされている。
私は内心でホッと胸を撫で下ろしながらも、堂々とした足取りでゲートを抜けた。
重厚なエントランスの扉が開かれる。
「――ようこそ、狂宴の夜へ」
出迎えた支配人らしき男の声と共に、視界が開けた。
メガフロートの内部に造られた巨大な吹き抜けのホールには、眩いほどのシャンデリアが輝き、クラシックの生演奏が優雅に響き渡っていた。
行き交う人々は皆、タキシードや豪奢なドレスに身を包み、その顔には思い思いの『半面』をつけている。
欲望と霊力が入り混じるむせ返るような熱気の中へ、私たちは静かに足を踏み入れた。




