3-3 『■■■』
暗い。
暗い。
暗い、どこかにいた。
手を動かすことも、耳を効かせることも、何かを見つめることもできない。感じるのは、冷たい石の感触と、その表面についた露の湿っぽさと、
『…………』
どうしようもない、退屈。
洞窟の中は涼しかった。いや、この厚い岩壁を隔てた先では吹雪が、魂を削らんとするほどに吹き荒れているのだろうが、わしには……妾にはどうでも良いことだった。
涼しいのは洞窟ではなく、石に変えられた自分自身の身体そのものなのだから。
『…………』
時間はあった。時間という物が喰えたなら、腹が膨れるほどに。
後悔はなかった。自身が成したことを悪と呼ぶのなら、妾にとってはそれを阻むものこそ悪であったのだから。
だから、記憶を覗き見たことに、特別深い意味はない。
自責の念や、改悛の情があったわけでもない。ただ、側に積まれた書物を、埃を払ってまで読むだけの暇ができた。それだけの、ことだった。
"◾️◾️◾️"、こっちへおいで
呼びかけに応じて、何かがやってくる。拙い足取りで。
"◾️◾️◾️◾️◾️"、今日は何を食べたい?
見上げた先に、台所に立つ大きな背中が見えた。
あんな、聞いてや"◾️◾️◾️"!"◾️◾️"がさあ、"◾️◾️◾️◾️◾️◾️"のこと好きらしいんやって!
牧草の裏で、隠れるように。並んで座っている。
愛しているよ、"◾️◾️◾️◾️"……ずっと、いつまでも
紅焔の揺らめく中で、血が垂れる。
目の前には、涎を口腔に満たした、白銀の獣――――
家族。親子。友人。恋人。知人。親戚。親友。伴侶。仲間。兄弟。姉妹。愛人。
妾は?
"モニカ"だけは……!この子だけはどうか……っ
"アルベルト"!逃げなさい!!早く!!!
"カイネ"!!こいつはうちに任せて先に逃げや!!!
このっ……"化け物"が!!!
化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。化け物。
そうじゃ、妾は化け物。
名前を喰らい、記憶を喰らい、存在を喰らい、そして…………喰らった名前を忘れることができない、一人ぼっち。
何十年。何百年。何千年。
妾は家族を知った。親子を知った。仲間を知った。友人を知った。
その全てが、妾にはないことを、知った。
何万年。何億年。何兆年。
ずっと。
ずっと。
ずっと。
『一人は、寂しいな』
「――――っは。っはぁ、はっ、はぁっ…………」
電気の消された、仄暗い空間。飛び起きた先には、殺風景なマンションの一室が見えた。
カーテンは無く。冷淡な月明かりが夜風と共になんの抵抗もなく入り込んでくる。
全身から吹き出した汗が、未だ冷たさを孕んだ風に当てられて、身体中に巡る悪寒を際限なく引き延ばしていた。
「…………夢……か」
いつのまにか蹴り飛ばしていた布団を手繰り寄せ、シロは再び横になる。
ふと、傍で眠るクロの姿が視界の端で見えた。
少し癖のついた黒髪を携えた青年は、穏やかな寝息を立てている。
「……」
その、彼に縋るように。シロはそっと、クロの側へと身体を動かした。青年の腕を全身で抱き留めて、顔を埋める。
暖かい。温かい。石のような冷たさは感じられない。
だが、身体の奥底から感じる、この寒さだけは、どうしても消えてくれない。
「……シロ?」
「…………起こしてしまったか?」
「いや、それはいい。どうしたんだ?」
「別に……寒かっただけじゃ」
「…………。そうか」
布団が擦れる音が響く。シロの小さな身体を包み込むように、クロは優しく抱きしめた。
背中に回る腕の温かさ、耳を澄ませずとも身体に感じるお互いの鼓動。
シロは山吹色の目を僅かに伏せて、「なあ、クロ」と注意しなければこの世から消えてしまいそうな声音で呟いた。
「これから、どうするんじゃ?」
「これから……?そりゃ、ジャック・ザ・リーパーを捕まえるために」
「違う。その仕事が終わった、あとじゃ」
「終わったあと……?」
クロの腕がぴくりと動く。しかし、その困惑もすぐに消え去り、残ったのは頭を撫でる優しい手のひらと、頭上から降り注ぐ落ち着いた声。
「変わらない。俺はシロと一緒に生きるよ。一緒に探偵をして、美味しいご飯を食べて今まで通り……そうだな。楽しく、生きていこう」
「そうか。…………そうか」
「そのためにもまずは死神ジャックを捕まえないとな。……あの三人の記憶に目ぼしいものはなかったんだよな?」
「あぁ、何もなかった。あやつらはただのチンピラじゃ。どうも魔法大学を出た後はそういう道に走る族が多いらしいの」
「…………魔法大学。………………そうだ、それだ」
獣耳の間を撫でていた手のひらが、止まる。
クロの胸に顔を埋めていたシロが訝しみながら顔を上げた時、クロは何かを考え込むように顎に手を当てていた。
「クロ……?」
こちらではなくどこか遠くを見つめるクロに、シロは不安げに弱々しく問いかける。数秒経ってようやく何かに思い至ったのだろう、クロが抑えつつも興奮の滲んだ声で告げた。
「そう……京都には世界最大の魔法大学があったはずだ……名前は確か……」
「ノクターキルン魔法大学か?」
「それだ……!確かその大学には世界のありとあらゆる書物を納めた書庫があったはずだよな?」
「そうじゃが……それがどうしたんじゃ?」
訝しむシロの視線に、クロは得意げな笑みを浮かべて答える。その言葉は、シロの目を見開かせるに足るものだった。
「『賢人の備忘録』」
「――――!」
「それがあれば世界中の人間の情報を閲覧できる。その中からジャックの名前を見つけることなんて、俺たちにとっては朝飯前だろ?」
『賢人の備忘録』
神秘の時代に名を馳せていた、八人の王と四匹の獣。その一柱たる賢美の王が作成した、自動書記魔法がかけられた無数の書架。
その神代の遺物はこの世に存在してきた無数の人々、彼らが辿ってきた道程を全自動的に書き留める。
その書架もノクターキルンにあるだろうと告げたクロに、「いや、いや……」とどこか焦りを孕んだ声で首を振る。
「け、結局探す手間は変わっておらん。それどころか増えておるぞ。確かに備忘録は死神ジャックについての情報を納めとるじゃろう……じゃが、名前も知らん相手を見つけるのは、砂漠の中で一つだけ色が違う粒を探すようなもんじゃ」
「被害者の名前ならわかってる。そこから辿ればすぐに見つけられるだろう」
「……っ。ノクターキルンの書庫の警備は厳重じゃ。生きて帰れる保証もないんじゃぞ……」
苦虫を噛み潰したような苦しげな声に、クロは白銀の前髪をその指先で髪を梳いてやって、山吹色の瞳と目を合わせる。
積み重ねてきたものが崩れてしまいそうな、そんな耐え難い不安に晒され、潤んだ瞳。
目の端の水滴を拭ってやって、穏やかな声音で告げたクロの言葉に、
「お前は俺たちが絶対に守る。だから、安心しろ」
「――――――」
獣らしい縦に裂けた瞳孔が、鋭く収縮する。
「俺たち?誰のことを指しておるのだ?」
「ふはっ……何言ってるんだ。今俺たちの隣で寝てるあいつのことだよ」
我慢しきれずに笑ってしまったクロが、背後で寝息を立てている外薗を肩越しに見つめて、再びシロへと向き直る。
「あいつは強い。多少頭でっかちではあるが……。あいつは俺たちを見捨てるようなことはしないよ。それは俺が保証する。…………"外薗"は絶対にお前を守ってくれるよ」
「そんなこと……
――――待て。いま、お主、名前を」
指摘されて初めて気付いたのだろう、「ん?……あ……」と言葉を吟味するように爪先を唇に当てる。
「"外薗"………"外薗水鳥"………。そうだ、"外薗水鳥"だ…………やっと、覚えられた」
夜風が俄かに吹き込んでくる。心をやく月光が、二人を照らし出す。
無邪気な笑みを湛える青年を。細やかな指先を、震わせる少女を。
境界線が曖昧な陰影の、その濃い方へと逃げるように、
シロはクロへと全身を密着させる。
これから、成すことを。
誰にも、知られぬように。
薄い桜色の唇を、クロの耳元へと近づける。交差された首が互いの温度をありありと伝える中、困惑の声を漏らすよりも先に、シロが囁いた。
「なあ、クロにとって外薗は、なんじゃ?」
「……?仲間だ。シロと同じだよ」
「…………そうか」
『一人は、寂しい』
暗い。
昏い。
喰らい。
暗いような空間に、黒い光が差し込んだ。
彼は言った。
『ああ、俺もだ』
「どうしたんだ?シロ……最近何かおかしいぞ?」
「……そうじゃな。わしはちょっとおかしくなってしまったみたいじゃ。じゃから今日のところは………………忘れてくれ」
ごくり
と、嚥下の音がクロの耳元で響いた。
こんばんわ!星見夜船です!
今回も読んでくださりありがとうございます。皆さんのPVが私のエンジンをフル回転させてくださります…もしよろしければ感想などドシドシ送ってくださいね!
さて、一週間限定であったはずの毎日投稿ですが、色々あって試験的に延長することになりました。執筆が間に合わなくならない限り、できるだけ毎日投稿を維持していこうかなという心づもりです。
いったい何日もつのだろうか……頑張ります。
次回の投稿もお楽しみに!




