2-7 『正義の名前』
爆発的に広がった白雲を突き抜けるように、真っ黒な何かが吹っ飛ばされていく。
それは路傍に停められていた車にボディが粉々になるほどの衝撃を以てぶつかり、ようやく動きを止めた。
「げほっ。げほ……」
背中から車にめり込んだクロは湿っぽい咳を放ちながら、ゆらりと立ち上がる。
身体に目立った欠損はないものの、少なからず傷を負ったのだろう。焼けた肌から俄かに蒸気が立ち昇り、裂けた額からポタポタと赤い血を垂れさせていた。
「…………」
水蒸気爆発によって大きく地面の抉れた広場を前に、クロは言葉を発することなく視線を尖らせる。
白煙で何もかもが覆われ、肌が焼け爛れるほどの高熱を帯びた空間で、しかしクロの眼には、確かに敵の姿が捉えられていた。
「ボハハハハ!!!」
獰猛な嗤い声と共に、その男は堂々と白雲を押し分けて姿を現す。
「あの爆発を間近に食らって、なんで生きてんだ?!凄いなお前ッッッ、楽しいなお前ッッッ」
「それはお互い様だろう。なんでお前も生きてるんだ。もしかして俺の同期だったりするのか?」
内臓にまで衝撃が伝わったのか、クロは先程の軽快さなど見る影もない、鈍重な動きで戦闘態勢をとる。
その姿に赤毛の男は、隆々とした身体を揺らすほどに豪快に嗤った。
赤毛の男は邪魔だと言わんばかりに肌の上で燻っていた衣服を剥ぎ捨て、魔術師らしからぬ鍛え上げられた肉体と、隠されていた相貌を露わにする。
赫い髪がまるで炎のようにわなわなと立ち揺らぎ、快男児らしく豪壮なその顔立ちには、年相応の皺と薄い髭が蓄えられていた。
尖った耳も、全身を覆う体毛もない、ただの"人間族"。しかし、その男の瞳には、未だ冷めやらぬ熱とかつてないほどの悦びが、確かに燃え盛っていた。
「いいな!!いいぞ!!!もっと楽しもうッッッ!!!」
犬歯を剥き出しに、男は一直線にクロへと迫る。
回避する余裕もないのか腕を交差させて防御しようとするクロを前に、男は砕くほどに地面を踏み締めてその剛拳を力のままに振り抜
「――――いいえ。ここで打ち止めです」
寸前。蒼い閃光が、男の巨体を彼方へと突き飛ばす。
腹に生じた衝撃に身体をくの字に折り曲げながら、男は遥か後方にあった建物の瓦礫に埋もれるようにして止まった。
「ぐぼっ……な、んだ、あれは……」
口の端から血を垂らし、呻き声を上げながらも男は必死に記憶を辿る。
肌を焦がすほどの閃光、空気に残る蒼色の軌跡。
男は辛うじてその眼で捉えていた。蒼い炎を身に纏い、男の胴を貫き、その重みを物ともせずに飛翔する……蒼炎の鳥を。
晴れ始めた白雲の中。見上げれば眩しいほどの太陽と、気が遠くなるような青空がこちらを見ている。
目を丸くして呆然と佇むクロの耳元で、「チチチッ」と焚べられた薪が弾けるような、耳心地のいい囀りが響いた。
そこにいたのは、青空に負けないほどに蒼く色づいた炎を纏った、一羽の鳥。
クロの視線を受けたそれは側を飛び抜けるように、主人の元へと帰っていく。
「――――九界八里。絢爛豪華を埋め尽くす、見渡す限りの魔の者悪の者。切られた火蓋は数知れず。轟く砲火も飽きた頃でしょう」
現れる、だんご状に纏められたネビージュの長髪。鋭利な紺色の瞳と、凛然とした雰囲気を帯びた端正な顔立ち。
穏やかな足取りで歩を進めた彼女はクロの視線を背に、その足を止める。
蒼炎の鳥が三匹、彼女の周りをまるで遊ぶように飛び回り、彼女の美しい瞳を煌めかせる。
冷たい敵意を如実に孕んだその眼で、彼女は腰に差した日本刀の鞘を俄かに握り込んだ。
「せめて最後は。目の奥が焼けるほどの華々しき幕を、この外薗水鳥が下ろして差し上げます」
「……お前、なんでここにいるんだ?」
「それはこっちのセリフですよ。クロさんこそなんでこんなところで?」
「俺はただ巻き込まれただけだ。純粋な被害者だよ」
「あなたが言うとなんだか説得力がありませんね…………まあ、あとは任せてください」
肩越しにクロを睥睨する彼女の素っ気ない物言いに、しかしクロはなんの抗議もすることなくドサッとその場に腰を下ろす。
「じゃあお前に任せる。あいつらには後で話を聞かないといけないんでな、お手柔らかに頼むよ」
「…………」
クロはあぐらをかき、完全にくつろぐ雰囲気を放ち始めた。
外薗は彼を咎めることもなくすぐさま前方へと視線を戻す。
彼に見られないように、悟られないように。自身の口角が、堪えきれないほどに上がっていることを、彼に気づかれないように。
その時、地面へと座り込んでいるクロの背後が、まるで陽炎のようにゆらりと揺れた。
何の変哲もなかったはずの風景がその波紋を広げるように歪み、その奥に隠れていた小鉄の姿が朧に滲み出る。
水属性の隠遁魔法"レイプルーフ"
(兄貴の仇……っ)
手に握っているナイフを、無防備なクロの背中へと突き立て――――る寸前、俄かに弾けた火花と共にその切先が弾かれる。
振り向きざまに放たれた外薗の神速の居合が、小鉄の視界に残像だけを残していた。
「――――っな」
「クロさん。約束、忘れてませんからね」
「ああ、あとでな」
「こんっの、ふざけえ"っっ」
自身のことなど眼中にもないかのように言葉を交わす二人に、声を荒げようとした小鉄の身体が強かな衝撃と共に打ち上げられる。
「ぐっ……っんだこれぇっ!!」
小鉄の小柄な肉体。その十分の一程度しかないはずの蒼炎の鳥が彼の小腹を軽々と突き上げ、上空へ押し上げる。
蒼炎の鳥はふっと身を翻し、今度は空中から急降下させられる小鉄の身体へ、飛翔していた他の二匹も空中で追突し…………凄まじい速度で彼の身体を地に堕とす。
鈍い衝撃音。アスファルトが砕け、クレーターの中で横たえる小鉄は「……かはっ」と魂を捻り出すかのように血を吐いて沈黙した。
「それがお前の魔法か?使い魔……ってわけでもなさそうだが……感覚としては付喪神に近いのか?」
「半分正解って感じですね。これは神代より私の家に受け継がれてきた一振りの刀剣。その銘は、」
「『晩晴』……か。鍛治の王が手掛けた傑作の一振りだな」
「――――」
先んじて名を告げたクロに、外薗は目を丸くする。「知っているんですか?」とそう問いかけるべく開かれた口は、遠方から響いた野蛮な嗤い声にかき消された。
「ボハハハハッッッ!!日に二度も神代の遺物と手合わせ願えるとは、なんたる楽しさかッッッ!!」
「あなたも知ってるんですか……一応秘匿されてるはずなんですけどね。すこし萎えます」
瓦礫を散らしながら姿を現した赤毛の男に、外薗は軽口を叩きつつも油断なく構える。
互いに睨みを効かせ合う、一触即発の状況。
ゴングは、意外なところから鳴り響いた。
「"タイダルブラスト"ッッッ!!!!」
小鉄の咆哮と共に、圧倒的破壊力を秘めた水球が外薗へと放たれる。
瞬時に反応した外薗はその水球を一刀の下に切り捨てる。しかし、その隙をかの男が見逃すはずもなく、赤毛の男は瞬時に肉薄すると徐に拳を振り上げた。
「"エンチャント・エクスプロード"」
獰猛な詠唱に呼応するように、拳が紅いオーラを纏う。
外薗が刀を切り返す暇もなく、全力で降ろされた拳は辛うじて間に挟まれた外薗の腕を撃ち抜き………耳を劈くような爆発を引き起こした。
自傷覚悟の爆炎に飲まれた外薗は、しかし。
「"参番"『炎昼の翳り』」
炎が晴れた先で露わになったのは、傷一つついていない彼女の姿であった。
握られていたはずの日本刀は姿を消し、彼女の両腕に蒼色の籠手が出現している。
彼女はその籠手で男の拳を受け止めたばかりか、未だにギリギリと力の込められている男の腕を軽々と弾き返してしまう。
「ぬぅっ……ッッッ」
上体をよろめかせ、距離を取った男を前に外薗は身を屈める。拳など到底届かないその間合い。
しかし彼女は籠手を履いた両腕を地面に打ち付けて、強かに詠唱する。
「"昇火龍"!」
瞬間、外薗の籠手を起点に何かが地の下を這っていく。
地面を揺るがせながら二股に分かれたそれは、凄まじい熱量と共に赤毛の男と小鉄の足元から噴火した。
「「――――」」
噴き上がる炎に打ち上げられ、二人の体が宙を舞う。
「くそっ、またかよぅ!!」
空中で錐揉みになって身を焼かれる彼らを、
「"弍番"『朝凪』」
三匹の蒼く燃える飛禽が追い討ちをかけて、さらに押し上げていく。
全身を打ち付ける鳥の啄みに苦悶の表情を浮かべながら、起死回生の策を求めなんとか眼下を見据えた二人は、目にすることとなった。
刀を腰に差し、こちらへと一直線に跳躍する外薗の姿を。
「"壱番"『正義の彼者誰』」
詠唱と共に蒼炎の鳥が全て燃え尽き、残された炎が全て外薗の刀へと舞い戻る。
外薗は抜き身の日本刀を両手で力強く握りしめて、蒼い炎を纏った刀身を煌めかせた。
「阿呆、空中で為す術がないのは貴様も同じだろうにッッッ!!"イグナイトスピア"ァァッッッ!!!」
こちらへと迫る外薗へと、赤毛の男は手の中に形成された紅焔の槍を握り込む。
全身全霊を込めて投擲されたその槍は、無類の貫通力に物を言わせ、外薗の身体を貫――――「お前、俺のこと忘れてないか?」
――――ボフッと間に入った暗い影に衝突し、炎が掻き消される。
そこにいたのは、同じくして跳躍していたクロの姿であった。
「しまっ、防魔鎧ッッッ!!!」
「――――はぁぁぁあっ!!!!」
一閃。
勇ましい雄叫びと共に、外薗は二人の体を両断する。胴が二つに分たれ、断面に蒼色の炎を激らせながら堕ちてゆく。
「ぼ、ハハハ。好きに楽しんだんだ、文句は言わん……楽しんだら、始末はつけねえとなあ?」
「この、人殺し……がっ……!!」
炎に包まれながら放たれる思い思いの言葉を背に、外薗は
「人殺し?人聞きの悪いことを言わないでくださいよ」
イタズラに笑って、刀身を鞘へと収めた。
瞬間、彼らの全身を覆っていた蒼炎がフッと消火する。
そこにいたのは胴体が分断されていない、五体満足、完全体の二人の姿であった。泣き別れになるはずだった上下の半身は、切られた事実が文字通り焼き落とされたかのように元通りになっていた。
「壱番は殺さずの刀。込められた魔法は、『絶対切断』と『絶対治癒』。死にはしませんよ」
「は……はは、ボハハハハッッ。貴様、なんで優しいやつなんだ!!」
「まあ、でも。お仕置きです。落下くらいはちゃんと味わってくださいね」
「「は?」」
素っ頓狂な声をあげて、二人は上を見上げる。そこには、乳白色のコンクリートの壁……否、地面が眼前へと迫っていた。
ガツンッと二人の身体が地面へと打ち付けられる音が、あたりに響き渡った。
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