36. ある女神の記憶
「私、家出します!」
「え、ちょっとモークシャ!?」
「だってここって退屈でつまんないんだもん! 私の心は波乱万丈に満ちた冒険を求めているの! じゃっ!」
「待ってよ! モークシャーーー!!」
怖がりなカーマは私について来られないことはわかっている。ごめんねカーマ。でも私、一人でも強く生きるわ!!
「やっほーい! 自由最高!」
って、粋がってたけど、普通に海を越えるの疲れた。
浜辺で寝転んで休憩しよっと!
「はあー! 気持ちいい!」
うんと伸びをしてから空を見上げた。
こんなに広いんだもの。自由にいろんなところを飛び回ってみないと損よね。
この世界にはどんなものがあるんだろう。ちっぽけな世界に篭っていたらわからないものがきっと沢山ある。
「つーぎーはー! お花畑だー!! 綺麗ー!!」
お花の香りを胸一杯に吸い込んだ。
「あー!最っ高!」
綺麗な風景を見ていると、カーマにも見せてあげたくなる。あの子も無理矢理連れて来ればよかったかな。……って、駄目駄目。無理強いは良くないよね。沢山楽しい思い出作って、帰ったらカーマに沢山楽しい話をしてあげよう! そしたら次は一緒に来たいって言うかもしれないし! そうしよう! 決定!
「次はどうしよっかなー。そうだ。王都とか見てみたいかも!」
海を超えた先にドラガーナよりももっと大きい国があると聞いたことがある。そんなの、見に行かないわけにはいかないじゃない!
「うわー!凄い!広い!」
そこはこの世界最大の国、王都。ドラガーナよりも、ずっと広くていろんなものがある。
大っきな時計塔もある。それに真ん中にある大きなお城、あそこに行ってみたい!
早速お城のテラスにこっそり降り立ってみた。空から見る景色も素敵だったけど、テラスから見る景色も素敵!
「あの」
「ひえっ!」
突然声をかけられたものだから変な声を出してしまった。見ると、そこには気弱そうな男の人。煌びやかな服を着ているから貴族様かな? それか、
「……もしかして、王子様……とか?」
「いえ、僕はこの国の王です」
「わっ! 王様だった! ごめんなさい! 間違えちゃった」
「いいんですよ。見たところ、君はこの国の人間ではありませんね」
「ふふっ。この国には羽の生えている人間なんていない?」
「はい。初めて見ました。綺麗だ」
「ふへへっ。褒められると照れるなあ」
彼の手が私の羽を撫でた。急に触られると何だかぞわぞわするなあ。
「よろしければ、少しお話をしませんか?」
「え、いや〜、私はこれから観光に行くのです! だから、また今度!」
逃げてしまった。でも、大丈夫だよね? 王様って言ってたけど……失礼だったかな。
でも、そんなことは王都観光をしていたらすっかり忘れてしまった。人が沢山いて、賑わう繁華街。素敵な風車のある丘。何もかもが新鮮だった。
最後に時計塔の屋上に降り立った。そこから見る夕焼けに目を奪われた。日が沈みきると、暗闇がやってくる。星の輝きを見ていると、隣に男の人が立っていた。
「うわあっ!」
今日二回目だよ。その人は王様みたいに煌びやかな服は着ていなかった。闇に紛れるような黒いローブを見に纏った男の人。長い艶やかな髪は夜空みたいに澄んだ黒い色をしている。
「……」
彼は何も言わない。ただじっと空を眺めていた。
「空、好きなの?」
彼は少しだけ私の方を見たけど、すぐに視線は空へと戻ってしまった。
「私、空好きだよ。飛んでると気持ちいいもん。貴方も空が好きなら、一緒に飛んでみようよ」
「……」
「無視? おーい。聞こえてますかあ?」
「……ああ」
「うわあっ! 喋った!」
彼は不機嫌そうに私を見た。
「ごめんごめん! だって急に喋るんだもん。ねえねえ、私、もっと貴方の声が聞いてみたい!」
「……」
「えー! また無視ー?」
全然お話してくれないのに、彼と一緒に居るのは不思議と心地が良かった。
次の日も私は王都観光を楽しんで、夜になると時計塔に向かった。昼は居なかったけれど、夜になると彼は時計塔の上に現れた。ずっと無口だけど、偶に少しだけ、ほんの少しだけ私の話に堪え切れずに見せる笑顔をもっと見たいと思った。笑顔が好きだと思った。……好き? あ、そっか、私、この人のことが好きなんだ。
これが恋ってものかな。外の世界で初めて知った。これが恋なら、恋って素敵だね。
カーマ! 私、外の世界で初めて恋をしたわ!
それから私は彼の居る時計塔に、夜な夜な通うようになった。
「貴方はいつもここにいるの?」
「……」
「もっといろんなところへ行ってみたいとか見てみたいとか思わない?」
「……ああ」
「そっかあ。私、まだ少ししか世界を回っていないけどね、綺麗なところ、沢山見たよ。ねえ、貴方は昼は何処にいるの?」
「昼は……動きにくい」
「そっか」
あのお花畑、一緒に見に行きたかったな。って、ん? 別にそれって、夜でもよくない?
「それじゃあさ! あのさ! 明日の夜、一緒にお花畑を見に行こうよ!」
「花?」
「うん! 凄く綺麗なんだよ! 絶対感動するよ!」
「……」
「駄目?」
両手を合わせ、首を傾げて彼の顔を覗き込むと、彼は薄く笑った。
「わかった」
「本当! やったあ! 約束ね! 明日、絶対一緒に行こうね」
好きな人と初めてのお出掛けだ!うきうきとした気持ちでその日の昼は王都を散歩していた。気持ちは夜に会える彼のことでいっぱいだ。
「こんにちは」
「え、はい。こんにちは?」
歩いていると、いきなり腕を掴まれた。
あれ、この人知り合いだっなかな? 兵士さん、かな?
「城まで来て頂けませんか。陛下が、お呼びです」
「王様が? 何の用だろう?」
「詳しい話は城で」
「うーん。わかりました!」
何だかよくわからないけど王様が呼んでいるというなら行かないわけにはいかない。
お城に行くと、すぐに王様の自室に案内された。部屋の中には王様が一人。部屋に入って来た私を捉えて薄っすらと微笑む。
「あの、王様? 何かご用ですか?」
部屋の中には私と王様だけ。何の物音もしないせいで、ただでさえ広い部屋が更に広く感じる。
「ずっと、貴女を探していたんです。あの日、貴女と出会った日から、ずっと貴女の姿が脳裏から離れなくて」
王様はゆっくりと私に近づき、手を私の腰に回した。
「あ、あの……」
「この国で羽の生えた女性は君だけだ。すぐに見つかって良かった」
「えっと……な、何の御用です?」
「君を僕の側室にしたい」
「へ? それってどう言う……」
言い終わらないうちに唇が重ねられた。思わず突き飛ばそうとしたけど、強い力で押さえ込まれてしまい出来ない。
「い、嫌っ!」
助けて。
私の声は誰にも届かない。私は一人だから。
ドラガーナに居るときは、こんな風に乱暴に扱われることなんて無かった。みんな、女神を大切にしていたから。
ああ、気持ち悪いな。嫌だな。
気がついたときには日が暮れていた。
「あ、約束……」
お花畑、見たかったな。
空が、遠くなった。格子の窓の先の空が遠かった。
最初に逃げようとしたせいで、羽は捥がれてしまった。首に付けられた鎖が私をここに縛り付ける。
ここに来るのは王様と、数人の侍女だけ。
私は、何しにここに来たんだっけ?
食べ物を食べてもすぐに戻してしまった。自分でもやつれてきたのがわかる。きっと酷い顔をしているに違いない。
それでも、王様は言う。
「綺麗だ。誰よりも綺麗だ。ずっと僕の側に居ておくれ」
そう言って私に触れた。
気持ちが悪い。
どれだけ時が経ったかわからない。いつの間にか膨れてきた腹を撫でながら、私はカーマのことを思い出していた。
「外の世界は怖いよ」
そう言っていたカーマ。貴女の言葉は正しかったわ。怖いこと、沢山知ったし、された。
でもね、私、知っているの。私が見て来た世界は本当に美しかったってこと。自由に飛んだ空は凄く気持ちが良かったってこと。
ねえ、この美しい世界に生まれる私の子。貴女は私の生まれ変わり。
この格子の部屋から出て、あの人にお花畑を見せてあげて。暗い夜に溶けて消えてしまいそうなあの人に、世界の素晴らしさを教えてあげて。
そう言えば、私、あの人に名前も伝えていなかった。あの人の名前も知らなかった。名前も知らないあの人、約束を守れなくてごめんなさい。
ばいばい、カーマ。ごめんね、帰れなくて。貴女に話したいこと、沢山あったのに。
ああ、もうおしまいの時間。
最期に、生まれ変わった私がこの世界の素晴らしさに、また気がつけますように。
『女神モークシャの記憶』




