第32話 崩れる均衡
崩れたのは、予想よりも早かった。
昼を少し過ぎた頃。
最初の異変が起きる。
「……おい、こっち!」
焦った声。
医療の場からではない。
外。
別の建物の方から。
「……」
私は、すぐに動いた。
考えるより先に。
――走る。
入口を抜ける。
人が集まっている。
中心に。
一人の男が倒れていた。
「……呼吸が浅い」
ダリウスの声。
すでに来ている。
早い。
だが。
「……こっちもだ!」
別の声。
さらに奥。
「……」
私は、一瞬だけ止まる。
視線を動かす。
二箇所。
同時。
――。
「……」
その瞬間。
理解する。
――回らない。
どちらかしか見られない。
「……リリアーナ」
アメリアの声。
少しだけ、低い。
「どうするの?」
――。
問いが、突き刺さる。
逃げ場はない。
「……」
私は、目を閉じる。
一瞬だけ。
そして。
開く。
「……分けるわ」
即座に言う。
「ダリウス、こっちは任せる」
「……」
彼は一瞬だけ私を見る。
そして。
「分かった」
短く答える。
それだけ。
信頼ではない。
だが。
判断として。
「アメリア」
「うん」
「もう一つ、行くわよ」
「分かった」
――走る。
次の場所へ。
迷いなく。
だが。
心は、静かではない。
――もう一つの建物。
中に入る。
そこには。
二人。
同時に倒れていた。
「……」
私は、足を止めた。
完全に。
――無理だ。
二人同時には、見られない。
「……」
空気が、重い。
周囲の視線が、刺さる。
期待。
不安。
そして。
――委ね。
「……リリアーナ」
アメリアが、そっと言う。
「……」
私は、答えない。
答えられない。
――選べ。
その声が。
頭の中で響く。
「……」
私は、ゆっくりと視線を動かす。
一人目。
呼吸が乱れている。
二人目。
意識が薄い。
どちらも危険だ。
どちらも。
――助けられる可能性がある。
そして。
――助けられない可能性もある。
「……」
時間が、削れる。
一秒。
一秒。
確実に。
「……」
私は、ゆっくりと息を吐いた。
そして。
決める。
「……こっち」
一人を指す。
それだけ。
理由は言わない。
説明もしない。
「……分かった」
アメリアは、何も聞かなかった。
ただ、動く。
もう一人の方へ。
自分で。
選んで。
――。
私は、選んだ方に向き直る。
そして。
動く。
迷いなく。
さっきまでとは違う。
――これは。
完全な。
選択だ。
「……」
手を動かす。
水。
呼吸。
反応。
すべてを見る。
全力で。
「……」
だが。
時間が足りない。
焦る。
ほんのわずかに。
それでも。
抑える。
「……」
呼吸が、少し戻る。
ほんの少し。
だが。
確かに。
「……」
私は、息を吐く。
そして。
――振り返る。
アメリアの方を見る。
「……」
そこに。
動きはなかった。
静かに。
ただ。
――止まっていた。
「……」
時間が、止まる。
音が、消える。
何も。
聞こえない。
「……」
私は、ゆっくりと立ち上がる。
足が。
少しだけ重い。
だが。
進む。
一歩ずつ。
「……」
近づく。
見る。
そして。
理解する。
――間に合わなかった。
「……」
誰も、何も言わない。
必要がないから。
それが。
すべてだから。
「……」
私は、何も言えなかった。
言葉が、出てこない。
ただ。
そこにある事実だけが。
重く。
静かに。
残る。
「……」
アメリアが、ゆっくりと顔を上げる。
こちらを見る。
その目は。
揺れていない。
「……」
そして。
小さく。
「……こっちは、ダメだった」
それだけ言った。
――。
私は、何も言わなかった。
言えなかった。
これは。
初めてのことではない。
だが。
――自分で選んだ。
それが。
決定的に違う。
「……」
胸の奥が、重い。
沈む。
深く。
静かに。
「……」
私は、目を閉じる。
一瞬だけ。
そして。
開く。
「……戻るわ」
そう言った。
声は。
揺れていなかった。
「……うん」
アメリアが頷く。
それだけ。
それでいい。
――外に出る。
空気が、冷たい。
だが。
さっきとは違う。
「……」
私は、ゆっくりと歩く。
戻る場所へ。
選んだ方へ。
――。
その背中に。
もう一つの事実が、静かに積もっていた。
助けられたものと。
助けられなかったもの。
その両方を抱えたまま。
私は、進んでいた。
第32話まで読んでいただきありがとうございます。
ここでついに「選択の代償」が描かれました。
これまでの主人公は“救う側”でしたが、
ここで初めて「救えなかった側」を背負います。
この経験が、次の選択を大きく変えます。
次話は、この物語の核心です。
主人公が「何を選ぶのか」が決まります。
ここからが一番大事なところです。
ぜひブックマークして追ってください。




