影―090 愚か者
子供の頃から、僕は他人を信じていなかった。
信じられるのは自分の事だけ。
そんな信条を掲げた生き方は子供の僕には辛いものがあり、僕の内面には少しずつ、不満と苦痛など、負の感情から構成された巨塔が積み上げられていった。
普通ならば、親にでも相談するべきことだ。
けれど他人に心配をかけるのも、僕はあまり好きではなかった。
とにかく、一人で生きたかったのだ。
誰も信じず、誰にも心配をかけず、自分の力だけで生きてゆくことが、僕の目標だった。
故に全てを隠す技術を身につけた。
全てを誤魔化す技術を身につけた。
他人の心情を読む技術を身につけた。
本心を殺して抑える、精神力を身につけた。
けれど当時の僕は考えもしていなかったのだ。
――こうして、その巨塔が崩壊した時に、その先に。一体何が待っているのかを。
心が、死んでいくのを感じた。
壊れ果て、冷たくなってゆくのだ。
冷たくなるにつれ、双眸からは肌の焼けるような熱い涙がこぼれ落ち、頭の中が真っ白に塗り潰されてゆく。
心の奥底に積み上げられていた巨塔は崩壊し、その巨塔を作り上げていた一つ一つのピースが、本音が、蛇口を捻るかのように吹き出してくる。
僕はさっき、仲間を拒絶した。
白夜を助けに行こうと乞いてきた仲間達を拒絶し、酷い言葉を投げかけた。
そして、心配してきてくれた彼女を――拒絶した。
――一人にさせてくれ。
そう言われた彼女の、今にも泣き出しそうな顔が消えることなく、瞼の裏に刻み込まれている。
「……僕は、最低だ」
膝の上に置いた握り拳がギリギリと骨が軋む音を鳴らし、歯を思いっきり軋ませた。
今まで、本心をひた隠しにして生きてきた。
僕の目標とする『かっこよさ』を元に、合理性を土台にしてもう一つの人格を作り上げた。
それが――知性の化物。
ありとあらゆる事象を知性と理性によって判断してから行動し始める。合理的を優先し、感情的を排除する。
それは酷く孤独な生き方ではあれど、決して損をする生き方ではなかったのだ。
だから僕は、知性の化物で在り続けた。
本音を隠し、死への恐怖を押しこめ、常に冷静にカッコよさを追求し続けた。
そうして出来上がったのが『ギン』という男であり、愚かしさの欠片も存在しない、孤独に生きるに最も適した人格だ。
――けれど、僕には仲間ができてしまった。
最初に、浦町と出会った。
もちろん拒絶したし、逃げもした。
けれどアイツは僕を逃がすことはなく、気がつけば僕は、彼女と過ごす時を楽しいと考えていた。
この世界で初めて、恭香と出会った。
共に苦楽を乗り越え、共に成長してきた。
今じゃ浦町よりも信頼しているし、僕の相棒としていつもそばにいてくれる彼女は、それだけで僕の『安心』となっていた。
その後、白夜、輝夜、オリビア、レオンと、様々な人と出会い、いつの間にか僕の周囲には多くの人が集まっていた。
そしてそれは、知性の化物としての僕を撲殺した。
仲間といれば、楽しいと思えてしまう。
仲間が傷つけば、心が動いてしまう。
だからこそより一層合理性を追求し始めた中。偽りの自分として今まで仲間達と接してきた僕だけれど、一つだけ、本心から言っていた言葉があった。
――仲間のためなら、死んでもいい。
その言葉だけは、本心だった。
心の底から仲間を守りたいと思ったし、知性もまた、僕と仲間、どちらが将来有望かと考えてその意見を肯定した。
けれど。
――死にたくない。
ふと、その本音が漏れだした。
白夜の脱退。
それによって今まで必死にとどめていた本音が、漏れだしたのだ。
仲間のためなら死んでもいい。
けれど、死にたくない。
その矛盾した本音が、僕の外骨格を粉砕した。
――仲間のためなら死んでもいい。
それは合理的な答えで、知性の化物として、僕として、肯定できる言葉だった。
――死にたくない。
それは酷く感情的な答えで、知性の化物としては否定したく、僕としては肯定したい言葉だった。
その二つの矛盾した言葉に板挟みにされて。
僕の心は、悲鳴をあげたのだ。
「……はぁ」
ため息を漏らして顔を上げる。
そして同時に、ノックの音が響き渡った。
「……?」
返事はしなかったけれど、僕の起きている気配は十分に感じられたのだろう。
遠慮気味に、小さく開かれたドアの向こうからは――
「……恭香?」
さっき拒絶したはずの彼女が、顔を覗かせていた。
☆☆☆
「すこし、私も本音を話に来たの」
僕の隣、ベッドの端に腰をかけた恭香は、そう言って口元を緩めた。
「……本音?」
「うん、本音」
言った彼女は、僕の方へと体を預けてきた。
僕はさっき、彼女を拒絶したばかりだった。
だからこそこうしてまた、僕の元へと来たことには少なからず驚いたし、こうして体を預けてくれていることに、彼女なりの優しさを感じた。
「……さっきは、悪かったな」
「いいよ、別に気にしてないから」
――嘘だ。
その嘘はすぐにわかった。
必死になって考えたのだろう、その長い髪は所々に跳ねた跡が付いており、僕と同じ時間だけ悩み、頭を掻きむしって考え続けたのだろう。
前から、彼女はそうだった。
最初は持ちつ持たれつの関係だったけれど、いつからかそれは、僕が一方的に支えられるだけのものへと変化して言った。
彼女はきちんとした理由があれば僕のどんな行動も肯定してくれるだろう。
――その、本音を押し殺して。
「……こっから、本番ね」
今嘘を吐いたばかり彼女は、そう言って僕の着ていた服の袖をぎゅっと掴んだ。
「……私さ、ギンの事が大好きだから。だからこそ貴方に尽くそうと決めた」
「……そう、みたいだな」
ストレートな好意に、そう答えることしか出来なかった。
けれど、彼女の言葉はきっとそれで終わりじゃない。
なにせ――
「でも、それは私の『本音』じゃない」
僕の服の袖を握るその手に、ぎゅっと力が入った。
知っていた、彼女もまた、本音を隠していることに。
だからこそ、僕はそこにつけ込んだ。
彼女の言葉が、行動が、僕にとってあまりにも魅力的で、都合がよかったから。我ながら人間として最低だとは思っていても、知性の化物はその好意につけ込んだ。
「……これでも、ギンのことは分かってたつもりだから。ギンが思いつめてたことには気がつけなかったけど、ギンの言動が本心からのものじゃないって、それくらいは分かってた。だから、私もギンがそうするって分かってて、そうしたんだ」
僕がそうすると、分かっていて僕の望む言動をしたと、そう彼女は言ってのけた。
「開闢のスキルを貰った時から。その能力を知った時から。私はいつか、ギンはいなくなっちゃうんだろうなって。いつか私の前から消えちゃうんだろうなって、そう思った。そして私の前から消えちゃう貴方のことが、貴方の自己犠牲が、少しだけ嫌いになった」
その声は、震えていた。
僕の左腕を抱くようにした彼女は、小さく嗚咽を漏らした。
「……実は、さ。私も白夜の気持ち、少しは分かるんだ」
白夜の気持ち。
それは彼女が、別れ際に告げた事だろう。
「私は、好きな人に死んでもらいたくない。好きな人が私の前から消えちゃうなら、もしも私を残して死んじゃうなら……。この恋は、諦めた方がいいんじゃないかって。そう言われて、少しだけ納得した」
驚きは、しなかった。
だって僕も同じだから。
あの時白夜からそう告げられて、もしも自分が彼女と立ち位置を変えたらと考えたら――納得してしまったのだ。
だからこそ、恭香もきっとそうだろうと考えていた。
「私は、本当はギンに居なくなって欲しくない。無茶なんてして欲しくない。危ない力なんて使って欲しくない。ただ……ずっと皆で、仲良く暮らしてたいだけ……」
それは彼女の本音。
そして、白夜の望みでもあり。
そして、僕の望みでもある。
けれど。
「そうは、簡単にいかないのは分かってる」
そうは問屋が下ろさない。
リスクを冒さずして平和な世界なんて実現できない。
現状、僕が平和を実現できる最有力候補だってことも分かっている。
「……けど、僕は」
「もう歩けない、でしょ」
僕はもう、平和まで走り続けられる自信が無いのだ。
今まで酷使してきた足は使い潰れ、心に灯っていた燈、その燃料もまた尽きてしまった。
今や両足は大地を踏みしめるにはあまりにも弱々しく変わり果て、心は氷のように冷えきっていた。
やっぱり僕は、もう――
「――今から、酷いこと言うよ」
思考に被せるように恭香は口を開いた。
彼女は僕の腕へと顔を押し付けると。
「ギン。私と結婚しよう」
「なっ――」
唐突な言葉に、思わず目を見開いた。
け、結婚……。そ、そりゃ確かに、将来はそんなこともしたいかなとは思っていたけれど……。一体なぜこのタイミングで。
驚いて彼女の顔を覗き込むと、恭香は恥ずかしそうに顔を僕の腕へと押し付けていたが、その耳は真っ赤に染まっていた。
「こ、これでもっ、は、恥ずかしいんだから……」
「お、おお、おう……」
彼女は恥ずかしそうに小さく顔を上げると、僕の腕を離して立ち上がった。
恭香は僕に背を向けて数歩歩くと、背中で両手を組んで立ち止まった。
「けど、ギンがこのままだったら、多分このお願いは叶わない。それよりも前に、多分私、殺されちゃうから」
――だから。
言って僕を振り返った彼女は、笑っていた。
泣きながら、笑っていた。
「だから、さ。幸せになってよ。ギン」
その時。
僕の心に小さく、火種が灯った。
「貴方が生きる意味を見いだせなくても、私には貴方が必要なんだよ。そのねじ曲がった自己犠牲が大嫌いでも、私はずっと貴方の隣にいて、私が貴方を幸せにする」
それはかつて、僕がネイルへと言った言葉。
それは、傷心した相手を自分へと依存させる呪いの言葉。
それは彼女もわかっていたはず。
ならば……恭香、お前は――
「貴方が生きて、幸せになってくれるなら、嫌われる覚悟も、嫌な女になる覚悟も出来てるよ」
生きる希望が、生きる目的が、燃料が。
完全に消失した僕へと、彼女は自分が燃料そのものになるというのだ。自分が希望となり、目的となり、生きる道標となろうと。
「……馬鹿だよ、お前」
「知ってるよ。自分のことだもん」
これは、半分脅しだ。
動かねば、恭香が死ぬ。
動かねば、結婚出来ない。
それだけは――絶対に嫌だ。
溢れ出す本音に、我ながら驚いた。
……全く、傷心したヤツに希望を見せ、その上で言葉の端々で脅しを加えてくるとは――
「ほんと、嫌な女」
拳に、力を入れた。
足に、力を入れた。
体に、力を入れた。
今までは、一人で生きてたんだ。
一人で生きるために走り続けて、そして燃料が燃え尽き、足が止まった。
このままじゃ全てが終わる。恭香は死に、白夜も帰ってこず、仲間達もみんな殺される。つまりは文字通りの【最悪】だ。
――ならば。
「この先に待つ未来が最悪なら、足掻いてこれより酷くなる、ってことはないってことだ」
もう、一度だけ。
最後に一度だけ。
今まで自他を騙し続けてきた僕は。
自らの意思で、騙されてみようと思う。
「さっきの約束、覚えておけよ」
「忘れるかもしれないから、その時になってもう一回、改めたギンから言ってほしい気分だけど」
はて、それは何の罰ゲームだろうか。
苦笑して立ち上がる。
両足は不格好に、それでいてしっかりと地面を踏みしめていた。
今の今まで、知性の化物として生きてきた僕だけれど。
今日で、知性の化物は卒業だ。
今日から僕は――ただの【愚か者】だ。
こっから先は、カッコよさなんて捨ててやる。
孤高を捨て。一人を捨て。過ぎた知性を捨て。合理的でつまらない生き方を捨ててやろう。
泥臭く、愚かしく、唯ひたすらに。
「お前のために、僕はもう一度だけ、歩き出そう」
今まで本音を隠して生きてきた。
それを知った彼女は言葉巧みに僕の心を揺さぶり、結婚という残酷極まりない言葉を投げかけた。
結婚なんて、したいに決まってる。
結婚、したいのだから――
「死ぬわけには、いかなくなったな」
近くに掛けてあった常闇のローブを羽織る。
もう、このローブを着るのも最後になるかもしれない。
ウルやクロエの力を借りるのも、これから先の未来じゃもう無いのかもそれない。
それは酷く寂しいことだけれど。
――けれどそれは、きっと幸せな未来でのことだ。
「悪いなお前ら、あと少しだけ、力を貸してくれ」
これが、最後だ。
これが終われば、勝敗に関係なく、僕はこの世界の表舞台から姿を消すだろう。
これだけ頑張ってきたのだ、文句は言わせない。
けれど、もしも勝って姿を消す時は。
「その時は、皆一緒に、だ」
その中にはもちろん、あいつも入ってなきゃいけない。
「恭香、輝夜たちは多分、白夜のところに行ったんだろ?」
「うん、もうそろそろ竜国についてる頃だと思うけど……」
ならば、とりあえずは安心だ。
少しの間、向こうは彼女達に任せておこう。
僕は裏で、最後の細工をさせてもらう。
「『転移門』」
月光眼と化した左眼が輝き、目の前の空間に転移門を作り上げる。
繋ぐ先は――神界、全能神ゼウスが居宅。
何をするつもりなのかと、困惑した視線を向けてくる恭香へと向けて。
「ゼウスに、少し預けものが出来ただけだ」
次回、Silver Soul Online。
やっと番外編について少し語ります。




