第8話 消しても戻る処理
そう決めたあと、私は病室のベッド脇でノートPCを開きました。
千歳は眠ったままです。
白い照明の下で、呼吸の音だけが妙に規則正しく聞こえます。
画面には、LoveSimの応答欄が残っていました。
── LoveSim 応答 ──
第二点の時系列を復元してください。
表示名は「あと一人なの」です。
────────────
あと一人なの。
人数を数えるだけの言葉なら、ログに残るはずがない。
私はそう思いながら、管理画面を開きました。
そこには、私の知らない行がありました。
千歳のアカウント、LoveSimとの会話ログ、通知履歴、女神コレクションの開放履歴。
通常の管理領域なら、開発者である私は見られます。
娘の言葉まで読めてしまう。
その事実だけで、指先が少し重くなりました。
けれど問題は、そこではありませんでした。
ログの下に、見覚えのない処理が走っていたのです。
── SYSTEM LOG ──
error_type(エラー種別): missing_route_key(経路キー欠落)
affected_case(影響ケース): case_002
case_002_label(ケース002ラベル): unset(未設定)
unknown_logic(未知ロジック): protected_unknown_logic(保護された未知ロジック)
auto_recovery(自動復元): active(作動中)
────────────
私はその行を消しました。
保存した瞬間、同じ行が戻ってきました。
消せない。
名前も分からない。
でも、もう何かが動いている。
そういう種類のエラーでした。
紅花事件の翌日、教室は少し浮いていたそうです。
「呪いじゃなかったじゃん」
「でも血みたいだったよね」
「澪のお母さん、職人なのすごくない?」
昨日の怖さは、理由がつくと話題になります。
千歳はその輪の外側にいました。
事件を解いたつもりはありません。
ただ、赤い痕と澪ちゃんの顔を見て、LoveSimに聞いただけです。
でも教室では、千歳を見る目が少し変わっていました。
見える子。
気づく子。
頼めば分かってくれる子。
そして次の昼休み、咲良ちゃんはその目を逃がしてくれませんでした。
咲良ちゃんはスマホを出しました。
画面に開いていたのは、女神占いの「女神コレクション」でした。
女神占いをした人が判定結果をシェアすると、判定された女神のイラストが、シェアを受け取った人のコレクションにも一柱ずつ追加されます。
咲良ちゃん自身の、コノハナサクヤヒメ。
最初に誘った澪ちゃんの、イザナミ。
咲良ちゃんの画面では、十三柱のうち、その二柱だけが色を持っていました。
残りの十一柱は、灰色の輪郭しかありません。
詳しい鑑定内容まで共有されるわけではありません。
咲良ちゃんに届くのは、判定された女神の名前とイラストだけです。
そこは、個人的な鑑定結果を友達に読まれないよう、設計上気をつけたつもりでした。
けれど教室では、別のものが見えてしまいます。
誰が咲良ちゃんのコレクションに入ったのか。
誰が最初に誘われたのか。
そして、誰がまだ誘われていないのか。
数字は、ただの数字ではありません。
「あと十一柱。クラスで全部いけると思う?」
咲良ちゃんは明るく言いました。
その明るさで、最初に逃げられなくなったのは美森ちゃんでした。
「いいじゃん、美森もやろうよ」
「なんで私」
「なんとなく」
「理由が弱い」
美森ちゃんはそう言いながら、結局スマホを開きました。
騒ぐ時に一歩後ろへ下がる子です。
誰かの逃げ道をふさがない位置に、いつもいる。
結果は、ヤマノカミ(山の神)。
「美森っぽい!」
「どこが」
「落ち着いてるし。山っぽい」
「雑だな」
それでも美森ちゃんは、シェアボタンを押しました。
美森ちゃんが結果をシェアすると、咲良ちゃんの画面で、灰色だったヤマノカミが色を持ちました。
コノハナサクヤヒメ。
イザナミ。
ヤマノカミ。
三柱が並ぶと、咲良ちゃんの声は弾みました。
「これで三柱目!」
千歳はその光を、少し離れた場所から見ていました。
そこに自分はいない。
けれど、素直には喜べませんでした。
自分がいないことを寂しいと思っていいのかも分からない。
誘われたのに断ったのは自分です。
だから、これは自分のせい。
そう処理すれば、一番簡単でした。
けれど簡単な処理ほど、あとで崩れます。




