第51話 最後方の司令官
主幕舎へ、全線の報告が途切れず届いていました。
「西の撤退線、負傷者の列が止まりました」
「新人線、アラハバキ様が維持」
「補給の水壺が、二つ遅れています」
「小牧野の座留め、変化なし」
地図の中央では、千歳が置いた黒い石の周りに、いくつもの色が重なっていました。
どこも助けを求めています。
けれど、人も水も足りません。
一つへ送れば、別の場所から消えます。
「どこを優先しますか」
伝令が尋ねました。
千歳は、すぐには答えられませんでした。
勝つための順番は分かりません。
でも、消えかけている色と、まだ動ける色の違いは見えました。
「西の列は、どうして止まったんですか」
「負傷者を運び終えた人たちが、戻る水壺とぶつかっています」
「道がなくなったわけじゃないんですね」
「はい」
千歳は地図の上で、二つの流れを指で分けました。
「負傷者を運んだ人は、空のまま戻らないでください。水壺か手当ての布を持って、空いた道から前へ戻ってください」
伝令が走り出します。
「新人線へ増援は?」
別の者が聞きました。
前線では、バキ教官の桃紫がスサノオの黒い力を止めています。
その周りにいる新入生たちは、広がらず、撤退線の入口だけを守っていました。
「送りません」
幕舎の空気が張りました。
「アラハバキ様を、見捨てるのですか」
「違います」
千歳の声は震えました。
「別の線を薄くして助けに行けば、そこが次の弱い場所になります。バキ教官は、それをさせないために前へ出ました」
黒い石を押さえる指に力を入れます。
「新人線は、前へ出なくていいです。撤退線の入口を残してください」
次の伝令へ向き直りました。
「小牧野へも、新しい人は送りません。でも、ナミ教官とカグ先輩の色は切らさず追ってください」
どこか一つを勝たせる命令ではありません。
今ある人と道を、互いに消し合わない場所へ返しているだけです。
カミムスヒが、伝令たちへ言いました。
「意味を落とさず、短くして伝えなさい」
報告と命令が、再び幕舎の外へ走り出しました。
* * *
しばらくすると、地図の色が動き始めました。
西へ負傷者を運んだ者が、水壺を抱えて前へ戻ります。
新人線は広がることをやめ、撤退線の入口を囲む形へ変わりました。
補給の色は一か所に重ならず、空いた道へ分かれて流れます。
どこも勝ってはいません。
どこも安全ではありません。
それでも、消えかけていた線は残りました。
「これが、司令なんですか」
千歳が聞きました。
「今、あなたがしたことが司令です」
カミムスヒは答えました。
「最後方は、戦いから最も遠い場所ではありません。すべての報告と痛みが、最後に集まる場所です」
千歳は地図を見ました。
前線に残る人。
西へ下がる負傷者。
戻っていく水。
小牧野に留められた二人。
盾の場所まで一人で守るバキ教官。
全部が見えるからこそ、一つだけを正しいとは言えませんでした。
* * *
私の画面にも、千歳の命令が順番に表示されていました。
── AIツクヨミ 応答 ──
千歳さんは、単一の勝利条件を選択していません。
残っている機能を保持し、
互いに失わせない位置へ再配置しています。
────────────
「司令官というより、交通整理だな」
── AIツクヨミ 応答 ──
複数の入力を保持する行為として、
適切な表現です。
────────────
その下には、管理者PINの入力欄が開いたまま残っています。
試行可能回数は、残り三回。
私は、まだ一文字も入力していません。
当てずっぽうで使える回数ではありませんでした。
「候補を絞る手がかりは、過去の入力履歴にあるんだな」
── AIツクヨミ 応答 ──
はい。
あなたが管理者入力として残してきた判断傾向を、
五色石盤側の観測語と照合します。
────────────
「候補を出せるか」
── AIツクヨミ 応答 ──
候補の自動確定はできません。
どの観測語が、その判断傾向と一致するかは、
記録を開いて確認する必要があります。
────────────
画面に、過去の手入力だけを抽出する検索欄が開きました。
紅花事件より前。
千歳の観測が始まる前。
私は、いちばん古い記録から調べることにしました。




