第44話 消えたイザナミ
修学旅行二日目の夜。
私は、イザナミを対象候補とする座留め命令を監視し続けていました。
表示は、0.0のままです。
まだ始まっていない。
それだけだと分かった今は、画面を閉じられませんでした。
* * *
千歳のいる世界では、さらに翌朝が来ていました。
アカデミーでは、ナミ教官が五色石盤の前へ新入生を並ばせています。
「この石は、答えを一つにするためのものではありません」
五つの筋は、互いを消さずに重なったまま光っていました。
千歳が五色石盤へ触れると、遠くの水音、火の熱、誰かの息づかいが、いくつも重なって伝わってきました。
その中に、一つだけ規則的な冷たさがあります。
一拍。
二拍。
そして三拍目に、南へ引かれる。
「一、二、冷たい。一、二、冷たい」
ウズメ先輩の舞に残っていた、あの冷たい三拍目と同じでした。
千歳が口にすると、ナミ教官の指が、褪せた赤い紐へ触れました。
五色石盤の光の中へ、もう一つの赤が重なりました。
離れた火の鍛錬場で、カグ先輩が腕布の下にある短い赤い紐を押さえています。
ナミ教官の長い紐と、カグ先輩の短い紐。
二本は離れているのに、同じ拍で熱を失っていました。
千歳には、一本だったものが途中で切られ、両端だけが別々に残っているように見えました。
その時、アカデミーの南にある小牧野村から、伝令が駆け込んできました。
「小牧野の環状列石が、夜の間にすべて内向きへ置き直されました」
伝令は息を整える間もなく続けました。
「中心から八甲田山へ、座留め印が開いています。まだ女神は座っていません」
ナミ教官の顔から色が消えました。
大森勝山では、アンジュと岩木山がすでに結ばれていました。
小牧野は違います。
八甲田山へ、これから誰かを座留めするための空席です。
「座留め印が八甲田山へ根づく前に閉じます」
ナミ教官は立ち上がりました。
「待ってください」
千歳は、褪せた赤い紐を指さしました。
「教官が行ったら、その空席に座らされるかもしれない」
「分かっています」
ナミ教官は否定しませんでした。
「ですが、まだ誰も座っていない今しか、印を閉じることはできません。放置すれば、別の女神が落とされます」
「バキ教官へ知らせます」
「お願いします。けれど、待つ時間はありません」
ナミ教官は伝令札へ行き先を記しました。
「この紐が南へ引かれ続けるなら、ここに残した方が、私を追えます」
そう言いながら褪せた赤い紐をほどき、机の上へ丸く置きました。
「夕刻までに戻ります」
ナミ教官がそう告げたのと同時に、火の鍛錬場にいるカグ先輩の腕で、短い赤い紐が熱くなりました。
冷たい手。
赤い糸が頬へ触れる感覚。
「火は悪くない」と繰り返す声。
幼い頃から夢に出ていた断片が、初めて一人の相手がいる方角を指しました。
カグ先輩は、理由を言えないまま南を見ました。
それでも、誰の声なのかを認める準備だけは、まだできていませんでした。
夕刻になっても、ナミ教官は戻りませんでした。
* * *
同じ頃、病院の画面から、0.0が消えました。
── SYSTEM LOG ──
process_template(処理形式): SEAT_LOCK(座留め)
activation_status(起動状態): active(起動)
target_entity(対象): IZANAMI
entry_site(入口地点): KOMAKINO
lock_progress(固定進行): rising(上昇)
────────────
監視していた未起動の座留めが、イザナミを対象として動き始めていました。
* * *
伝令札を受け取ったバキ教官とカミムスヒも、五色石盤の前へ来ていました。
千歳は机に残された赤い紐を握り、五色石盤へ触れました。
紐の赤は、南の小牧野へ吸われています。
そこから南東の八甲田山へ入り、さらに奥羽の峰を伝って、南へ伸びていました。
カグ先輩も、熱を持った短い紐に引かれて、五色石盤の前へ来ていました。
その短い紐を通して、身体からあふれる火まで、同じ線へ流れかけています。
「教官を座らせるだけじゃない」
千歳は息をのみました。
「教官の力を八甲田山から奥羽へ流して、山脈そのものを境に変えるつもりだ」
一人の女神を留める処理が、日高見の内側へ境界を引くために拡張されていました。
「ナミ一人で、ここまで届くのか」
バキ教官が聞くと、カミムスヒは否定しませんでした。
一つの村と岩木山を結んだ、アンジュの座留めとは規模が違います。
イザナミの力を山筋へ流し続ければ、境界そのものを書き換えられる。
バキ教官は自分の左側を、一度だけ見ました。
そこには、誰もいませんでした。




