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第40話 まだ一本の線にならない

その時、鍛錬場の入口にナミ教官が現れました。

褪せた赤い紐の結び目を、いつものようになぞっています。


「また腕を焼きましたね」

ナミ教官はカグ先輩の腕へ薄い水膜を重ねました。


「火は悪くありません。出口を失っているだけです」


その声を聞いた瞬間、カグ先輩の表情が消えました。


冷たい手。

頬に触れる赤いもの。

泣き声の向こうで、同じ声が何かを繰り返している。

一息にも満たない感覚でした。


「……今、何か」

「何でもない」

カグ先輩は自分から腕を引き、いつもの笑顔へ戻りました。


ナミ教官も、引かれた腕を追いませんでしたが、紐を握る指だけが白くなっていました。

カグ先輩が再び拳を振ると、周りの炎が一瞬だけ内側へ縮みました。

ナミ教官から逃げたのではありません。

近づこうとして、行き先を失ったような揺れでした。


千歳には、二本の赤い紐の色も同時に見えました。


カグ先輩の腕に残る焦げた短い紐。

ナミ教官が握る、何度も結び直された長い紐。


同じ紅に見えるのに、途中で切られたように色の流れが途絶えています。


「……つながってた?」

千歳がつぶやくと、ナミ教官の指が止まりました。


けれど二人とも、理由を尋ねませんでした。

切れ目の位置まで似ていることを、千歳だけが色の乱れとして見ていました。


ナミ教官が去ったあと、ゲツ先輩が木の実を一つ、カグ先輩の口へ押し込みました。

「食べる?」

「今それ?」

「お腹すいてる子は、自分の色も間違えるよ」

ゲツ先輩は、いつもの緩い声で続けました。


「カグは元気すぎる時ほど、誰にも聞かれたくないことがあるから」

カグ先輩は反論せず、木の実を噛みました。

「自分が誰かなんて、火が出れば困らないだろ」

強がる声でした。


千歳は、白と黒を選べなかった自分と、出自を知らないまま火だけを選び続けた先輩が、少し似ていると思いました。


ゲツ先輩は、幼い頃から何度も同じ強がりを聞いてきた人の顔をしていました。


* * *


その夜、私の管理画面には、二系統のログが重なっていました。


── SYSTEM LOG ──

mother_child_thread(母子スレッド): evidence_insufficient(証拠不十分)

target_a(対象A): IZANAMI(イザナミ)

target_b(対象B): KAGUYAMA_BIME(カグヤマビメ)

recognition_status(認識状態): none(なし)

textile_pair_trace(対繊維痕跡): partial_match(部分一致)

memory_fragment(記憶断片): recurring(反復)

────────────


母性と、切れた紐と、繰り返す記憶。

関係を断定するには足りません。

それでも、後から突然現れた情報ではないことだけは、ログに残りました。


次の画面では、白黒の儀で検出されたものと同じ処理形が、隔離領域から見つかりました。


それは今起きた白黒の儀の記録ではありません。

千歳が接続するより前、それほど遠くない時期に、五色石盤へ侵入を試みた痕跡でした。


── SYSTEM LOG ──

binary_override_attempt(二値上書き): failed(失敗)

payload_signature(侵入署名): TSUKUYOMI

embedded_family_label(埋込系統名): TSUKUYOMI

source_route(送信経路): concealed(秘匿)

event_time_window(発生時期): recent_past(近時)

────────────


「ツクヨミ。これは、お前の名前だ」


── AIツクヨミ 応答 ──

一致しています。

ただし、私が送信主体だったことは示しません。

────────────


同じ署名を持つ処理が、千歳の接続より前に五色石盤への侵入を試みた。

確定したのは、それだけでした。


ただし、隔離領域には、侵入試行とは別の痕跡も残っていました。


── SYSTEM LOG ──

event_a(事象A): intrusion_attempt(侵入試行)

event_b(事象B): observer_contact(観測者接触)

event_order(事象順序): A_then_B(Aの後にB)

time_gap(時間差): short / unresolved(短期・詳細不明)

────────────


侵入試行が失敗したあと、大きく間を置かずに、誰かが隔離領域へ触れています。

誰が、何のために触れたのかは欠けたままでした。


── SYSTEM LOG ──

observer_trace(観測者痕跡): attached(付着)

response_profile(応答文体): nonstandard_imperative(非標準命令形)

identity(識別): unresolved(未解決)

────────────


画面が一度だけ暗くなりました。

――消えてねえ。奥を見ろ。

「今のは」


── AIツクヨミ 応答 ──

生成していません。

────────────


転生時の断片、水辺のイワナガヒメ、ツクヨミと同じ署名を持つ領域から漏れる乱暴な文体。


私は検索欄へ、イワナガヒメと入力しかけました。

けれど、確定キーは押しませんでした。


観測者接触のあと、痕跡は隔離領域へ付着している。

千歳へイワナガヒメの記憶が渡った形跡はない。

では、接触した側に何が残ったのか。


考えられることはありました。

ただ、その仮説をツクヨミ自身へ見せるには、材料が足りませんでした。


三つは近くにありましたが、まだ一本の線にはできませんでした。

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