第3話 指が赤くなる呪い
その日、いつもの時間が普通に過ぎていきました。
普通の授業。
普通の休み時間。
普通のざわざわ。
中学生の一日は、だいたいそういう細かい音でできています。
咲良ちゃんは友達のノートをのぞきこみ、澪ちゃんは必要な時だけ笑い、美森ちゃんは誰かが落としたペンを黙って拾う。
千歳はその全部を、少し離れたところから見ていました。
たぶん本人は、見ているつもりもなかったと思います。
忘れ物は、小さなかごにまとめられていました。
でもそれも、教室ではよくある景色です。
誰かの物が一時的に、誰の物でもないみたいに置かれる。
しかし、昼前、朝からあった小さな違和感が、奇妙な事件になりました。
最初の赤い痕が見つかったのは、一時間目が始まる前でした。
隣の席の子が、水道で手を洗っていたそうです。
チョークの粉がついたとか、机が少し汚れていたとか、理由はそのくらいだったそうです。
戻ってきてから、ふと右手を見て言いました。
「え、何これ」
人差し指の横に、血のような赤い痕が浮いていました。
切ったわけではありません。
痛みもありません。
けれど爪の横から第一関節にかけて、まるで血がにじんだみたいな色が残っている。
もう一度石けんで洗っても、完全には落ちません。
先生は「インクかな」と言いました。
でも、インクにしては薄く、血にしては傷がない。
そこだけが、少し変でした。
二人目は、咲良ちゃんでした。
昼前、咲良ちゃんも手を洗って戻ってきました。
給食の前だから、特に不自然ではありません。
けれど席に戻る途中で、咲良ちゃんが自分の親指を見て声を上げました。
「うそ、私も?」
親指の腹に、同じ赤い痕が浮いていました。
最初の子より少し濃い。
血に見えないこともない。
でも痛みはない。
かゆみもない。
どこにも傷はない。
「呪いっぽくない?」
咲良ちゃんが冗談めかして言いました。
いつもなら誰かが笑うはずです。
けれど、その時は教室の笑い方が少しずれました。
面白いような、怖いような、でも大げさに怖がるのも恥ずかしいような。
教室には、咲良ちゃんの「呪いっぽくない?」という冗談だけが、変に残りました。
三人目が見つかった時、教室はさすがにざわつきました。
その子も、手を洗ったあとでした。
消しゴムを拾った時に床に手をついたから、水道へ行った。
戻ってきたら、小指の側面に、血のような赤い痕が残っていたそうです。
「やっぱり呪いだって」
「え、警察呼んだ方がよくない?」
「警察は違うでしょ」
「でも血じゃん」
声があちこちから上がって、先生が少し強めに言いました。
「落ち着いて。まず保健室」
発疹なら、もう少し似た出方をしそうです。
インクなら、触った瞬間に気づくはずです。
血なら、どこかに傷があるはずです。
でも、どれにも当てはまりませんでした。
赤い痕が、いつ、どこでついたのか。
そこだけが、千歳の中に小さく残りました。
千歳が見ていたのは、赤い痕そのものではありませんでした。
澪ちゃんの顔です。
赤い痕が見つかるたびに、澪ちゃんはほんの少しだけ目を伏せたらしいのです。
驚いている。
けれど、みんなと同じ驚き方ではない。
何かを思い出しかけて、すぐにしまったような顔。
千歳は休み時間に聞きました。
「澪、何か知ってる?」
澪ちゃんはすぐに首を振りました。
「知らない」
その返事は、少し早すぎました。
まるで、聞かれる前から答えを用意していたかのように。
咲良ちゃんならたぶん気づかなかったと思います。
私も気づかなかったと思います。
でも千歳には、その返事の早さだけが、妙に引っかかりました。
千歳は、LoveSimを開きました。
意中の相手役を務めるはずのAIへ、教室で起きた謎を持ち込んだのです。
それでも千歳は、かなり雑に打ったそうです。
「クラスで三人の指に血みたいな赤い痕が浮いた。全員、手を洗ったあと。痛くない。傷もない。澪だけ変な顔してる。女神はイザナミ。これ何?」
普通のAIなら、きっと「先生に相談しましょう」と返すでしょう。
それは正しい。
でも、千歳が欲しかったのは正論だけではありませんでした。
── LoveSim 応答 ──
これは呪いではありません。
ただし、偶然でもありません。
まず、赤い色を怖さから分離してください。




