第24話 翡翠の本当の色
バキ教官が、石の台に近づきました。
小さな箱を開けました。
赤い石。
黒い石。
白い石。
そして、翡翠。
首元に翡翠を下げた少女が、少しだけ姿勢を正しました。
バキ教官が、箱から翡翠を取り出し、台の中央へ置きました。
「見ろ」
それだけでした。
「問題文は?」
「ない」
「ヒントは?」
「石がある」
「それ、ヒントじゃない」
── LoveSim 応答 ──
見たままを記録してください。
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桃紫の火花をまとったまま、バキ教官の目が細くなりました。
演じていることも、怖がっていることも、全部見られている気がしました。
「俺を見るな。石を見ろ」
怖い声でした。けれど、千歳の逃げ道を塞ぐ声ではありませんでした。
千歳は息を吸いました。
最初は、緑に見えました。
でも、すぐに緑では足りなくなりました。
青。
白。
灰。
黄。
水の奥の色。
土に沈んだ色。
山から削られてきた時間の色。
千歳は、言ってしまいました。
「これ、緑じゃない」
その一言で、火の音まで止まった気がしました。
誰も笑いませんでした。
それが、逆に怖かった。
翡翠を下げた少女が、まっすぐ千歳を見ています。
驚いている。
でも、嫌な顔ではありません。
少しだけ、泣きそうにも見えました。
「その石を、緑だけで済ませない方に、初めて会いました」
── LoveSim 応答 ──
現代日本語の基本色名では、あなたの視覚情報を分類できません。
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見えるということは、知らないふりができないということです。
そしてここでは、見えた者から順に役目を与えられる気がしました。
見えたことを、言ってしまった。
千歳は、その意味に遅れて気づきました。
* * *
画面でも、翡翠に関するログが動きました。
── SYSTEM LOG ──
jade_scan(翡翠スキャン): active(起動)
color_layers(色層): over_standard(標準超過)
classification(分類): insufficient_vocabulary(語彙不足)
case_002_label(ケース002ラベル): unset(未設定)
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語彙不足。
それは、いかにもシステムの言葉です。
でも私は、そこに千歳らしさを見ました。
あの子は昔から、色や空気に名前を付けるのが下手でした。
見えているものに、言葉の方が追いつかなかったのだと思います。
同じ家にいた時、私は娘を見ていたつもりでした。
でも、あの子が何をどう見ていたのかまでは、ほとんど知らなかったのかもしれない。
画面に残った断片は、答えではありません。
それでも、その断片を見るたびに、私は自分が聞き流してきた言葉の方を思い出していました。
その遅さが、痛かった。
* * *
バキ教官が言いました。
「お前、翡翠を緑だけで見ていないな」
「見えたら何なの」
「役目がある」
「勝手に決めないで」
「見える者には、見える者の役目がある」
千歳はその言葉が嫌でした。
見えるから、気づく。
気づくから、黙れなくなる。
黙れないから、面倒な子になる。
そんなことは、現代の教室でもう何度もありました。
「見えたくて見てるわけじゃない」
バキ教官は、千歳を真正面から見ました。
「なら、見えたものを捨てる訓練から始めるか」
ここでは、見えることすら逃げ道ではありませんでした。
カミムスヒが、静かに手を上げました。
「断定はしません」
バキ教官が振り返りました。
「イワナガヒメではない、と?」
「それも断定しません」
カミムスヒは、千歳を見ました。
「身体はイワナガヒメ。石への反応も通る。けれど、呼吸が違う。立ち方が違う。声に返す間が違う」
一つずつ並べられるたびに、演技がほどかれていく気がしました。
「これは歓迎すべき帰還ではありません。異常です。ですが、翡翠の奥にある色まで見えている」
「断定しないって、何?」
「仮にここで見る、ということです」
つまり、逃げる前に観察されるということでした。
千歳は、五色石盤の前に座らされました。
追い出されるわけではない。
けれど、イワナガヒメとして迎えられたわけでもない。
仮に、ここで見る。
その曖昧さだけが、かろうじて救いでした。
白い石が、息をする。
黒い石が、沈む。
赤い石が、脈を打つ。
青い石が、流れる。
黄色い石が、土の中で光る。
千歳は手を置いたまま、小さく聞きました。
「あんた、まだ全部知ってるんでしょ」
── LoveSim 応答 ──
断片的に把握しています。
ただし接続が不十分です。
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「じゃあ、お父さんに言って」
── LoveSim 応答 ──
音声経路はありません。
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千歳には、向こうにいるはずの父へ声を届ける方法がありませんでした。




