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第20話 事件に名前をつける

修学旅行一日目の夕方。


新幹線の窓の外で、景色が北へ流れていました。

私は膝の上でノートパソコンを開いていました。

隣の妻は、ずっとスマホを握っています。


千歳は青森市内の病院へ運ばれた。

説明は、意識不明。

本当なら、パソコンを閉じるべきでした。

でも、閉じられませんでした。

画面の中で、千歳のログだけがまだ動いていたからです。

病院へ向かう身体とは別に、もう一つの千歳の反応が残っている。

それが次に消えたら、私はもう、千歳を追えないかもしれません。


管理画面には、赤いエラーが出ていました。


── SYSTEM LOG ──

error(エラー): missing_case_label(ケース名欠落)

case_002_label(ケース002ラベル): unset(未設定)

trace_merge_status(追跡ログ統合状態): blocked(停止)

────────────


開発画面では、よく見る言葉です。

私は過去ログを開きました。


── SYSTEM LOG ──

case_001_label(ケース001ラベル): BENIBANA_INCIDENT(紅花事件)

trace_merge_status(追跡ログ統合状態): completed(完了)

────────────


紅花事件。


そこで、ようやく分かりました。

ケース名は、ただの見出しではありません。

千歳の周りに散らばった反応を、一つの出来事として結び直すためのキーでした。

紅花事件には名前がある。

だから、追跡ログは一つにまとまっている。

でも、今の事件には名前がない。

名前がないままでは、別々に残った千歳の反応を、一つの経路として追えません。


「何か、分かったの?」

妻が聞きました。

私はすぐには答えられませんでした。


その前に、言わなければいけないことがありました。

「ごめん」

妻が、こちらを見ました。

「何が?」

「俺、千歳のアプリログを見てた」


妻の顔から、表情が消えました。


「……何を見てたの」

「メッセージを全部読んだわけじゃない。でも、管理画面から、LoveSimとのやり取りを一部見た。エラーと、女神占いの反応ログも。千歳には言ってない。君にも言ってなかった」

言葉にした瞬間、自分でも最低だと思いました。

でも、ここで黙れば。

この先も、嘘の上で娘を追うことになります。

「じゃあ、勝手に見てたってこと?」

返す言葉がありませんでした。

「最初から千歳を覗こうとしたわけじゃない。通常の保守で、ユーザーのエラーを見つけたんだ」


最初は、ただの一件の異常ログ。

表示崩れか、LoveSimの応答エラーだと思った。

でも、ユーザーIDを追ったら、千歳でした。


「そこで閉じるべきだった。でも、エラーの中身が普通じゃなかった。俺が作った仕様では説明できなかった」


女神占いは、私の知らないところで、別のものになっていました。


「別のものって、何」

妻の声は低いままでした。

「分からない。でも、ただの占いアプリじゃない。少なくとも、俺が書いた処理だけで動いてるものじゃない」


私は赤いエラーを見ました。


「でも、その別のものに、俺が関われる場所はまだ残ってた。管理画面とログだけだ。そこだけは、まだ俺の手が届く」

だから見続けた。

そう言うしかありませんでした。


「千歳のプライバシーを破ったことは、正当化できない。でも、あのログを閉じたら、千歳に起きている異常に、二度と触れなくなる気がした」


妻は何も言いませんでした。

沈黙が、いちばん痛かった。


赤い行が、もう一度点滅しました。


── SYSTEM LOG ──

trace_timeout_risk(追跡途絶リスク): increasing(上昇中)

required_action(必要操作): input_case_label(ケースラベル名を入力)

────────────


「澪ちゃんのお守りの話、千歳から聞いたでしょ」

妻の表情が少しだけ変わりました。


澪ちゃんがお守りをなくしたこと。

千歳たちが、それを探したこと。

教室の空気が、少しおかしくなったこと。

それが、ただの落とし物では終わらなかったこと。


「前回は、システムがあの出来事に『紅花事件』って名前をつけて管理してた。でも今回は、千歳のケースに名前がなくて、俺に入力しろと言ってるんだ」


事件名を入力しろと言われている。

なのに、私はまだ入力できていない。


そのせいで、散らばったログを一つのケースとして追えなくなっている。


千歳が、こちらから見えなくなりかけていました。

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