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第10話 醜い姉の神話

あと一人。


それは人数のはずなのに、千歳には別の言葉みたいに見えました。

本の中では、姉は父に差し出され、男に送り返されていました。


醜いから。


その言葉だけが、紙から離れて、胸の奥に残っていました。

咲良ちゃんの画面には、まだ空欄がある。

図書室の静けさが少し変わりました。


「図書室」


千歳は、それだけ返しました。

すぐ既読がつきます。

数分後、咲良ちゃんは本当に来ました。

図書室だから、いつもの声より少しだけ小さい。

それでも、咲良ちゃんの声は咲良ちゃんでした。


「ちー、お願い」

千歳はスマホを握りました。

もう、次に来る言葉が分かっていたからです。

「あと一人なの。ほんとにあと一人」

咲良ちゃんは両手を合わせました。

「判定女神だけでいいから」


その「だけ」が、千歳の胸に小さく引っかかりました。

小さいのに、取れない棘みたいでした。


判定女神だけでいい。

鑑定結果までは見ないよ。

中身までは聞かないよ。

だから大丈夫だよ。


咲良ちゃんは、そういう意味で言ったのだと思います。

本当に悪気はありません。

でも千歳には、少し違って聞こえた。


私の気持ちはいらない。

私がどう思うかも、今はいらない。

必要なのは、咲良ちゃんの画面で最後の空欄を埋める女神。


「……私じゃなくてもいいじゃん」

千歳の声は、自分でも驚くくらい小さかったそうです。


咲良ちゃんの顔から、笑いが消えました。

言葉にした瞬間、千歳自身も少し驚いていました。


「誰でもよくないよ」

咲良ちゃんは言いました。

「ちーだから頼んでるんじゃん」

それは、たぶん本心です。

でも本心だからこそ、きつい時があります。


千歳は机の端に置いた本を見ました。


コノハナサクヤヒメ。

イワナガヒメ。


咲良ちゃんが表紙に気づきます。

「あ、それ。私の女神のやつ?」

千歳は答えませんでした。

答えたら、嫌な言い方になる気がしたからです。


咲良ちゃんは悪くない。

だから、胸の沈みを置く場所がありませんでした。

この場で咲良ちゃんを責めれば、きっと何かが壊れます。


「嫌なら、いいよ」


咲良ちゃんは小さく言いました。

それは優しさです。

でも、その優しさは、断る側に全部を預けます。

断ったら、咲良ちゃんをがっかりさせるのは自分。

女神コレクションを完成させないのも自分。

千歳はスマホを開きました。

父が作ったアプリ。

咲良ちゃんが集めている女神。

澪ちゃんのお守りを見つけた時から、なぜか自分の周りで動き始めたもの。


「やればいいんでしょ」


千歳は、女神占いのアイコンを押しました。

画面の光が、少し硬く見えました。

断る自由はある。

でも、断ったあとに残る空気まで自分が持つしかないのです。


入力画面には、見慣れた項目が並びます。


氏名。

生年月日。

出生時間。

性別。

生まれた場所。

それから、その場所の特性。


父が作ったアプリです。

だからこそ、妙に入力しづらかった。


自分の名前を入れる。

自分の生まれた時間を入れる。

入力の途中で、千歳は何度も指を止めました。

それだけなのに、自分をどこかへ登録しているような気がした。


咲良ちゃんは画面を覗き込みません。

そこは、ちゃんとしている。

だから余計に、悪者にできなかった。


確認ボタンを押すと、画面の奥で小さな光が回り始めました。

花びらでも、星でもありません。

硬くて、静かな光でした。

石の中に閉じ込められていた火が、少しずつ目を覚ますみたいだった。

画面が切り替わります。


判定女神。

イワナガヒメ。


千歳は息を止めました。

さっき読んだばかりの名前でした。


醜いから送り返された女神。

その言葉が、先に頭に浮かびました。


でも、画面に現れた女神は違っていました。


浅黒い肌。

短い髪。

花をまとっているのに、甘くない目。

醜くなんて、なかった。

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