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季節がいくつか巡り、花の香りがやわらかく風に溶けるころ。
アナスタシアとルカの邸宅では、朝から準備に忙しい使用人たちの気配と、くすぐったい期待感が空気を満たしていた。
今日は――
バルドーとミレイユの、ささやかであたたかな結婚のお祝いパーティーの日だった。
屋敷の庭には色とりどりの花が咲き誇り、白いテントの下にはテーブルと、心尽くしの料理やデザートが並ぶ。
招かれた客たちは、それぞれの時間と記憶を胸に、この日を迎えていた。
アナスタシアとルカは、仲睦まじく手を取り合いながらゲストを出迎え、
アナスタシアの両親とミレイユの母・メアリーは笑みを交わしながらふたりの成長を噛みしめるように見つめていた。
式の中盤、会場の片隅に、鮮やかなドレス姿が現れると、空気が一気にきらびやかになった。
――レティシアと、その“ダーリン”ことゴドフロワ・バルメの登場である。
「おくれてごめんなさい!衣装の刺繍が仕上がらなくて!」
レティシアは派手な羽飾りを揺らしながら、あっけらかんと笑った。
「……もはや、仕上がったというより武装レベルですね」
バルドーが小声で呟いたが、ゴドフロワは隣でにこにこ。
「レティはね、今日の主役が誰かってことはちゃんとわかってるんですよ」
「ええ、だから主役より目立たない色にしたわ。ちゃんと見て、この金刺繍は光を受けすぎないように抑えてあるのよ?」
「光ってますけどね、レティ」
ふたりの掛け合いに、周囲が苦笑交じりにくすくすと和んだ。
アナスタシアが「お越しいただいてうれしいです」と言うと、
レティシアは手にしたグラスを軽く掲げて、
「だって、愛に生きる女としては、今日という日は祝わずにいられないもの。ね、ダーリン?」
「もちろんですとも。愛するレティ」
高らかに笑うレティシアの声が、庭に咲く花のように明るく響きわたる。
誰も止められない。けれど、誰も嫌いになれない。
レティシアとゴドフロワ――このふたりもまた、確かに“愛を成した”者たちだった。
そして、そんな賑やかなふたりの隣で、主役のバルドーとミレイユが並んで微笑む。
いつものように控えめに、けれど、確かに寄り添う距離で。
テーブルの端では、タバサが相変わらずワイングラスを片手に、「なにこの料理、めっちゃうまい」とはしゃいでいた。
その隣で、ミレイユの母が静かに微笑みながらも「飲み過ぎないようにね」と目を光らせている。
――そして、夕暮れが近づくころ。
バルドーが言葉少なに「……本日は、ありがとうございました」と挨拶しようとすると、
ミレイユがそっと手を重ねて微笑む。
「バルドーさん、こういう時は、もう少し笑ってください」
「……努力します」
場はふわりと笑いに包まれた。
ルカがすかさず、アナスタシアに向かって耳打ちする。
「“笑顔”の訓練なら、毎晩うちの鏡の前でしてたんだよ。……ミレイユ嬢と並んで立てるようにって」
アナスタシアは、少し驚いた顔でルカを見て――そして、ふふっと笑った。
「大丈夫、もう十分すてきな夫婦に見えてるわ」
「僕たちも、ちゃんと素敵な夫婦でいようね」
不意に耳元で囁かれて、アナスタシアはびくりと肩を揺らす。
「な、なによ。いきなりそんなこと……」
「初々しいふたりを見ていたら……ちょっと、羨ましくなった」
言いながら、ルカは自然にアナスタシアの手を取った。
その手は、相変わらずほんの少しだけ汗ばんでいたけれど――あたたかくて、優しい。
アナスタシアは視線を逸らして、小さく笑う。
「……私も、同じこと思ってたの。
ちゃんと、これからもずっと……仲良くいたいなって」
「うん。……ずっと、努力し続けるよ」
ルカは、そっとアナスタシアの指先に口づけた。
まわりの喧騒から切り取られたような静かな瞬間に、彼女は少しだけ目を細めた。
「ルカ……ほんとに、甘やかしすぎよ」
「アナスタシアが、甘やかしたくなる人でいてくれるから」
言い返されて、もうどうにもならなくなったアナスタシアは、
ルカの肩に軽く額をあずけた。
花冠モチーフのケーキに、精油の香る席札、ガラス細工の席飾り。
それぞれの“思い出”が散りばめられたテーブルを囲みながら、
春の夜はやわらかく、ゆっくりと更けていった。
幸福は、誰かの掌にそっと収まるかたちで。
この場所に、確かに息づいていた。




