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数日後、街のはずれの静かなカフェ。
昼下がりの光がやわらかく差し込む窓辺の席で、ふたりは向かい合っていた。
カップに注がれた紅茶から、ほのかに花の香りが立ちのぼる。
その香りにまぎれて、少しだけ甘い気配――緊張とも、ときめきともつかない空気がテーブルに滲んでいた。
ミレイユは、ゆっくりとカップを口に運びながら、視線を下げた。
その耳元には、金の繊細な細工が光っている。
バルドーが贈った、あの髪飾りだ。
いつもなら、結い上げる髪をシンプルな留め具でとめるだけの彼女が、
今日は、頬を染めながら、その飾りをつけてきた。
バルドーはそれに気づいているはずなのに、
いつもの無表情で紅茶を飲んでいる。……ように見えた。
けれど――
よく見れば、いつもより背筋がわずかに伸びている。
いつもより、視線が落ち着かない。
ミレイユは小さく笑った。
「……お気づきですよね?」
バルドーが、ほんの一瞬だけまばたきをして、目を合わせた。
「その髪飾りですか」
「はい」
「……ええ。とても……似合っています」
それだけを、まっすぐに告げた。
飾り立てず、照れもせず、まるで誓いのように。
ミレイユは目を伏せて、けれど口元に微笑を湛えた。
「ありがとうございます。……今日、つけて来たかったんです」
言葉の先は、きっともう説明するまでもない。
バルドーの手が、テーブルの上でそっと動く。
何か言葉を探しているようだった。
けれど、言葉よりも先に――
カップの湯気が、そっとふたりの距離をあたためていた。
「……あの日」
紅茶の表面に視線を落としたまま、ミレイユがぽつりと口をひらいた。
「バルドーさんに、髪飾りをいただいたとき。
すごく、すごく嬉しかったんです。でも……」
少しだけ間があく。
指先がカップの取っ手をなぞるように滑っていた。
「……どうしていいか、わからなかったんです」
バルドーは微動だにせず、彼女の言葉をただ受け止めていた。
「わたし、これまで誰かに――その、異性として“想われる”なんて思ったことがなくて。
お嬢様のことを最優先にして生きてきたし、それが自分の役目だと思っていました」
「……」
「でも、あの夜……“お嬢様のためではなく、あなたのためです”って言われて……」
ミレイユは、そっと髪に触れた。
金細工の髪飾りが、光を受けてきらりと揺れた。
「嬉しくて、でも――怖かったんです。
これが勘違いだったらって。
この想いが、片方だけだったらって」
バルドーは、すっと背筋を正した。
その仕草だけで、空気が少し張りつめる。
そして、短く、けれど真っ直ぐに言葉を返した。
「……私は、ミレイユ嬢に贈ったつもりです。勘違いではありません」
ミレイユが目を上げた。
「わからなくても、怖くても……それでも、今日。
こうして会いに来てくださったことが、何よりも……嬉しい」
その声に、ミレイユの唇がすこし震えた。
「……そんなふうに言われたら……もう、勘違いだなんて思えません」
カップを置いたミレイユは、しばらく俯いていた。
けれどふと、何か決意したように顔を上げる。
光を受けた金の髪飾りが、揺れる。
「……もう一つだけ伝えたかったことがあるんです」
バルドーの視線が、わずかに動いた。
ミレイユの目が、しっかりと彼を見ていた。
「……贈り物が、ただ嬉しかったわけじゃないんです。
その気持ちが、あなたからだったから……嬉しかったんです」
言葉を選ぶように、けれど、逃げることなく。
「わたし――バルドーさんのことが、好きです」
風が、カフェの外を通り過ぎていく。
一瞬だけ時が止まったような静けさのなかで、
バルドーのまなざしが、ゆっくりと揺れた。
バルドーは、一瞬だけ目を伏せた。
静かな呼吸とともに、言葉を慎重に選ぶように。
そして、ゆっくりと顔を上げ、ミレイユの目をまっすぐに見た。
「……恐れ多いことだと、ずっと思っていました」
その声は、いつものように淡々としていたけれど――芯があった。
「私は、あなたのような方にふさわしい人間ではないかもしれない。
礼儀や距離を重んじすぎて、うまく想いを伝える術も持っていません」
ミレイユの胸が、きゅっと締めつけられた。
けれど彼の言葉は、そこで止まらなかった。
「……それでも、あなたを大切に思っています」
短く、けれど揺るがない言葉だった。
「気づけば、目で追ってしまう。言葉を交わせば心が穏やかになる。
あなたの笑顔が、誰かのために向けられるたび……少しだけ、嫉妬するんです」
ミレイユの目が見開かれ、やがてそっと揺れた。
「好きです、ミレイユ嬢」
はっきりと告げたその声に、彼女の頬が熱を帯びる。
言葉を返そうとした唇が、かすかに震えて、
それでも微笑みだけは、きちんと花開いた。
ふたりの間には、たしかな想いが、分かち合われていた。




