27
香羽鳥のさえずりが名残惜しく空を流れ、ラクダの蹄が砂をならす音が邸宅の前に響いた朝。
いよいよ、別れの時だった。
アナスタシアは緩やかに抱擁を交わしたあと、レティシアに少しだけ口を尖らせる。
「レティシア。……お兄様もご家族も、本当にあなたのことを心配していたのよ?」
「ふふ、そんな顔しないで。ちゃんと、次からはもう少しこまめに手紙を書くわ」
「“次からは”じゃなくて、毎月です。最低でも」
アナスタシアの口調は冗談めいていたが、目は少し真剣で。
レティシアは「わかったわよ」と小さく笑って肩をすくめた。
別れの挨拶はそれぞれ静かに交わされ、ミレイユもバルドーもそれぞれ頭を下げ、ゴドフロワは全員に手土産と香油の詰め合わせまで用意していた。
空気がすこししんみりしかけたそのとき、レティシアがパッと両手を広げて声を上げる。
「さ、また会いましょう! 次に会うときには――」
いたずらっぽく笑って、
「この商会をもっともっと大きくして、“レティシア王国”を作ってみせるわ!」
「……っ!」
四人の顔が一斉にこわばった。
アナスタシアが最初に口を開く。
「レティシア、それは……冗談よね?」
「そ、それ、ちょっと本気に聞こえるんですけど……!」
ミレイユの声が少し裏返る。
「……やめてください」
バルドーの言葉は真顔そのものだった。
「大胆すぎる冗談です。控えてください」
ルカが眉間を押さえた。
しかし、レティシアはいたずらっぽく笑う。
「だって、やってみたいんだもの。“レティシア王国”。可愛い名前じゃない?」
ゴドフロワがその隣で、まぶしそうに目を細めて笑う。
「レティはやんちゃだねぇ。でも……たぶん、本当にできちゃうかもね」
言葉を失った一行は、最後にはあきらめたように笑いあった。
その笑顔のなかには、確かな絆と友情、そして未来の再会への約束が、ひそやかに揺れていた。
旅の終わりとともに、砂と香の国・カシュマールから戻った一行は、久しぶりの邸宅の空気にひと息ついていた。
広い窓を開け放てば、見慣れた風がカーテンを揺らし、鳥の声が木立を渡ってくる。
異国の陽射しと色彩に馴染んでいた目には、どこか落ち着きと静けさのある景色だった。
アナスタシアはゴドフロワが送ってくれた荷をほどきながら、手元に並ぶ小箱の数に小さくため息をもらす。
「……ルカったら、ほんとうに全部買ってしまったのね」
そう言いながらも、目元は緩んでいた。
香油の瓶、精緻な小物、ペアのストール、ガラスの花冠――
そのどれもが、旅の記憶とともに手元にあることが、嬉しかった。
傍らでミレイユが、丁寧にハンカチをたたみながら声をかける。
「でもお嬢様、嬉しそうに笑ってましたよ。包みを開けて、ひとつずつ確認して」
「見られてたのね……」
アナスタシアは照れくさそうに首をすくめた。
そのころ、書斎ではルカがバルドーにコーヒーを差し出していた。
「無事に戻れてよかったな」
「ええ。ですが……この量の伝票処理を見て、無事だったと断言していいかどうかは微妙です」
バルドーが机に積まれた“購入品一覧”を見下ろすと、ルカは苦笑して言った。
「全部、必要だったんだ」
「はいはい、“彼女が喜ぶなら必要”ですね」
「……わかってるじゃないか」
バルドーはコーヒーを啜って目をそらした。
だが、ふと懐に手をやり、そこから取り出した小さな布包みを見つめる。
ミレイユから旅の前に渡された、小さな手縫いのお守り袋。
カシュマールの夜は遠くなったが、
そこに刻まれた想いは、この邸宅の空気に、確かに溶け込んでいた。




