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「……で、バルドーは?」
広間がひと段落しかけたところで、ルカがにやりと笑いながら、わざとらしく振り返った。
その視線が、スッとミレイユへと流れていく。
バルドーは一瞬目を伏せ、そして無言で懐から小さな包みを取り出した。
控えめな金の留め具がついた、手のひらほどの箱。
ゆっくりとミレイユの前に差し出しながら、短く言う。
「これを」
「……え?」
ミレイユは完全に面食らっていた。
「わ、私ですか? えっ、あの、でも今日はお嬢様へのプレゼント選びじゃ……」
声が裏返る。
バルドーは少しだけ視線をそらし、しかしはっきりと言った。
「私がアナスタシア様への贈り物を選ぶいわれはありませんから」
「……っ」
ミレイユは言葉を失った。
その横でルカが面白そうに口を挟む。
「ふむ。つまり、ミレイユ嬢になら“贈り物を選ぶ理由”があるってことだな?」
バルドーはかるくルカを睨む。
ルカは肩をすくめて笑ってみせる。
「まったく、恋する男は素直でよろしい」
そのひとことに、バルドーはわずかに顔をしかめたが――
結局は静かに頷いた。
「……そういうことです」
声は低く、どこかこわばっていたが、耳だけはしっかり赤かった。
ミレイユが目を丸くしたまま固まっていると、
彼はふたたび箱を差し出した。
「受け取っていただけますか」
箱の中にあるのは、金細工に繊細な彫りが施された、細く優美な髪飾りだった。
日差しの下でかすかに光を弾き、ミレイユの横顔を思わせるような、淡くて静かな色合い。
「あ……ありがとうございます」
ミレイユの指が、少し震えながらそれを受け取った。
そこだけ、空気がほんの少しだけ柔らかくほどけた。
静かで、不器用で、けれど確かにまっすぐな贈り物だった。
日が傾きはじめ、カシュマールの空が淡い薔薇色に染まる頃。
豪邸の広いバルコニーには、絨毯とクッションが敷かれ、香り高いハーブティーと果実菓子が用意されていた。
バルコニーの縁には薄布が揺れ、遠くには港のきらめきが見える。
「今日は女子だけでゆっくり語りましょう」
そう声をかけたレティシアが真っ先に腰を下ろすと、ミレイユは少し戸惑ったように立ち尽くした。
「でも……レティシア様、私は――」
「ここは隣国カシュマールよ?」
レティシアは涼しい顔で、果実を刺したピックをくるくると回す。
「いまさら“身分がどうこう”なんて言ってたら損よ。
それに、アナスタシアはずっとあなたを“対等な友人”として見てるでしょ?」
ミレイユが困ったようにアナスタシアに視線を向けると、彼女はやわらかく微笑んだ。
「座って、ミレイユ。今日は“お嬢様と侍女”じゃなくて、“私たち”の時間なの」
しばらく逡巡した末、ミレイユはそっとクッションに腰を下ろした。
ハーブティーの香りがふんわりと立ちのぼり、カシュマールの夜風が甘く肌をなでていく。
少しの沈黙のあと、レティシアが言った。
「で? 新婚生活、どうなのよ?」
アナスタシアは喉を鳴らして咳き込んだ。
「れ、レティシア……」
「なに? 聞かせなさいよ。彼のあの様子じゃ、ぜったい色々テンパってるでしょ」
「…………ええ、まあ」
肩を落としながらも微笑むアナスタシアに、レティシアは「やっぱり」と笑みを深くする。
ミレイユもそれに釣られるように微笑みながら、
「でも、おふたり……とても仲が良いです」
と言ってから、ふいにレティシアに視線を向けられ、口をつぐんだ。
「で、あなたと“あの真面目すぎる側近”は?」
「わ、私は別に、そんな……!」
「へぇ?」
レティシアの目が悪戯っぽく光る。
「髪飾りを贈られておいて、それは苦しいわね」
「っ……!」
ミレイユが言葉を詰まらせる横で、アナスタシアはお茶を含みながら目を細めた。
月が高く昇る頃、バルコニーの空気は次第に甘く、そして少しだけ熱を帯びはじめていた。
香り高い果実酒を少し口にしたレティシアが、ふいに声を落とす。
「でね……あのひと、最近じゃ夜になるとね、わたしの胸に顔をうずめて“今日も可愛かったよ、レティ”なんて囁くのよ」
アナスタシアがぽふっと音を立ててクッションにもたれた。
「レ、レティシア……っ、いきなりすぎます」
耳まで真っ赤である。
「だって本当の話よ?
こっちが顔見られなくなるくらい恥ずかしいのに、本人はまるで当然のように――あら、アナスタシア、お顔が真っ赤よ?」
にこやかにからかうレティシアに、ミレイユまで小さく笑っている。
「わ、私にはまだちょっと、そういうのは……」
アナスタシアが視線を逸らしながらぼそりと呟いた。
「そう? でもね、アナスタシア」
レティシアがふわりと笑う。
彼女の目は、いつもの派手さではなく、どこか柔らかい光を帯びていた。
「だって、ダーリンに喜んでほしいもの。
好きな人が自分に触れて幸せそうにしてくれるのって、すごく嬉しいじゃない」
その言葉に、アナスタシアの胸の奥が、そっと震えた。
ルカの不器用な優しさ。
そっと差し出してくれる手。
自分の一言に一喜一憂するまなざし。
――「喜んでほしい」
それは、確かにアナスタシアのなかにもあった想いだった。
アナスタシアはそっと、自分の膝の上で、手をぎゅっと握りしめた。
「……私も、そう思います」
小さな声で、けれどしっかりと。
ミレイユがそっと紅茶を差し出しながら、そっと目を細めた。




