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アナスタシアは、自室の扉が閉じられたまま静まり返った空間に立ち尽くしていた。
ほんの数分前まで隣にいたミレイユが、レティシアに「ちょっと借りるわね♡」の一言とともに連れ去られ――もとい、抱えられて行ったのを見送るしかなかった。
「……嵐、だったわね」
ぽつりと呟きながら椅子に腰を下ろす。
ノックをしたテトが「失礼します!」と元気よく入ってきたのはそのすぐあとだった。
後ろには、彼と同じ年頃の褐色の肌の少女。目元がぱっちりとした、少し緊張気味な子がついていた。
「この子、ナハル。お手伝いです!」
ナハルは小さくお辞儀して、お茶とお菓子の乗った盆を丁寧に卓へ置く。
器もお菓子も隣国ならではの色と形。
香料入りの焼き菓子が皿に盛られ、琥珀色のハーブティーからはやさしい甘さとスパイスの香りがふんわり立ちのぼっていた。
「レティ様からのご命令で、今日一日は“極上のお姫様時間”をご用意しております!」
そう言って胸を張るテトに、アナスタシアはふっと笑みをこぼす。
――これはきっと、昨日のプレゼント騒ぎの続きね。
あのふたりのことだ。
絶対に何か“仕掛けて”くる。
そう思うと、あきれながらも頬が緩む。
「では……せっかくだから」
茶をひと口。
柔らかい香りが、舌と胸の奥に広がった。
「いただくわ。ありがとう、テト。ナハル」
テトがにんまりと笑い、ナハルが目を丸くしてぺこりと頭を下げた。
アナスタシアはふたたび湯気の立つティーカップに目を落とす。
いまごろレティシアが“嵐”をおこしている真っ最中なのだろう。
――まったく、手が込んでるわ。
それでも、贈られる前から幸せを感じてしまう。
そんな自分にも、思わずくすっと笑ってしまった。
応接間のテーブルには、選びきれなかった宝石や香水瓶が未練がましく並べられたままだった。
ルカとゴドフロワは、それらの候補を前に静かに腕を組んでいた。
「うーん……」
ゴドフロワが唸る。
「これはもう、愛妻家としての判断か、商人としての読みか、二択ですな」
「どちらで迷っておられますか?」
ルカの問いに、ゴドフロワは茶をすする。
「つまり、アナスタシア嬢が“本当に気に入りそうなもの”を、職人と審美眼で選ぶべきか。
それとも、あなたが“彼女に渡したくて仕方ない顔で差し出せる”ようなものを選ぶか」
「……」
ルカは、わかっていた。
自分が何を選んでも、アナスタシアは笑って受け取ってくれるだろう。
それでも彼女が本当に喜ぶのは――“あなたが選んでくれた”という実感なのだ。
「きっと、彼女は僕が嬉しそうに差し出すものの方が喜んでくれます」
そう言ったルカの表情を、ゴドフロワは静かに見つめた。
「……なら、決まりですな」
「はい」
ゴドフロワは腰を上げ、奥へ続く扉を指さした。
「実は、見せていなかったものがありまして。
ちょっと派手かな、と思ってたんですが……いや、これは、きっと“お揃い”が似合うお二人にこそふさわしい」
出てきたのは、薄く織られた刺繍入りのストールだった。
練香を練り込んだ布は、揺れるたびにかすかな香りを放つ。
赤でもない、紫でもない、夜の砂を思わせる複雑な色合い。
「男女で結び方を変えられます。ふたりが身につけて並んで初めて、香りと色が完成する」
ルカは黙ってそれを手に取り、布を指で撫でた。
その眼差しがやさしくなる。
「アナは……好きだと思います。こういうの」
「でしょうとも」
ゴドフロワはにやりと笑い、ルカの背を軽く叩いた。
「愛妻家は、愛妻家の勘に従うべきですな」




