19
馬車が近づくにつれ、邸宅の異様さがはっきりしてくる。
単に豪華な屋敷というだけではなかった。
周囲には倉庫が並び、商会の印を掲げた建物が点在している。
荷を運ぶ砂駝の列。
帳簿を抱えて走る見習い。
香料を選別する職人。
絨毯を干す作業場。
屋敷を中心に、小さな街ができていた。
「……商会の拠点ですね」
バルドーが低く言う。
視線は冷静だが、内心は驚いているのがわかる。
「完全に経済圏を作ってる」
ルカも同意する。
「一邸宅の規模じゃない」
人が絶えず出入りし、門前には商人が列を作っている。
ここを通らずには商売ができない。
そんな空気が漂っている。
アナスタシアはぽつりと呟く。
「……本当にやってしまったのね」
ミレイユが小さく笑う。
「レティシア様ですから」
その瞬間、全員の頭に同じ言葉が浮かぶ。
――あれは放っておくと国ひとつ乗っ取って帰ってきかねないからな。
レティシアの兄が冗談めかして言った言葉。
冗談ではなかった。
馬車が門をくぐると、従業員が一斉に動き出す。
統制が取れている。
ここはもう逃避行の果てではない。
新しい王国だった。
その中心で、きっと彼女は笑っている。
門をくぐった馬車が止まると同時に、玄関の扉が勢いよく開いた。
現れたのは、見慣れた金の髪。
風を切るような足取りで階段を降りてくる。
「アナスタシア!」
声が屋敷に響く。
レティシアは以前よりも派手だった。
衣装は隣国の絹で仕立てられ、宝石が陽光を受けてきらめいている。
だが笑顔は変わらない。
アナスタシアが馬車を降りると、レティシアはそのまま抱きついた。
「来たのね!」
「ええ……来たわ」
息が詰まるほど勢いがある。
「よく来たわね、ほんとに。あなたが来ないなら私が行くところだったわよ」
「それは聞いたわ」
後ろでルカが小さく咳払いする。
レティシアはちらりと見て、にやりと笑った。
「新郎様もご苦労さま」
「お招きありがとうございます」
形式的な挨拶にも余裕で返す。
「当然よ。私の城にようこそ」
城、と言い切った。
そのとき、背後から丸い影が現れる。
「レティ、少し落ち着きなさい」
穏やかな声。
ゴドフロワ・バルメだった。
相変わらず派手な衣装と香水だが、どこか堂々としている。
以前より背筋が伸びて見えた。
レティシアは振り向き、腕を絡める。
「ダーリン、見て。来てくれたのよ」
「もちろん見ているよ」
ゴドフロワは優雅に礼をする。
「歓迎します。遠いところを」
彼は自然にレティシアの腰を抱き寄せる。
レティシアは当然のように寄り添う。
距離がない。
完全にない。
アナスタシアとミレイユが同時に瞬きをする。
ルカとバルドーは無言で視線を交わす。
「紹介するわ」
レティシアが誇らしげに言う。
「私のダーリン」
「そして僕のレティ」
ゴドフロワがさらりと返す。
間髪入れずに頬へキス。
レティシアは笑いながら受け入れる。
遠慮という概念が存在しない。
ラブラブだった。
周囲の使用人は完全に慣れている顔をしている。
アナスタシアは口元を押さえ、小さく呟く。
「……幸せそうね」
レティシアは聞き逃さなかった。
「当然でしょ?」
胸を張る。
「私は世界で一番正しい選択をしたのよ」
ゴドフロワは満足そうに頷いていた。
邸宅の扉が開くと、涼やかな香りが流れ出た。
磨き上げられた床に織物が敷かれ、天井からは色ガラスの灯りが揺れている。異国の邸宅らしく、壁には細やかな模様が刻まれ、光が柔らかく反射していた。
レティシアは振り返りもせず歩きながらゴドフロワの腕に絡みつく。
「ねえダーリン、客間は東の翼よね?」
「君が変えなければそうだね」
「変えてないわよ、まだ」
“まだ”が妙に強調される。
ゴドフロワは肩をすくめるだけだった。
そのまま自然に腰へ手を回し、額に口づける。廊下のど真ん中である。
使用人たちは気にした様子もない。
日常なのだ。
後ろを歩く一行の空気が少しだけ固まる。
ルカが小声で呟いた。
「……いいなぁ」
心底うらやましそうだった。
アナスタシアは即座に肘で軽くつつく。
「ルカ様」
「はい」
「聞こえています」
「すみません」
全然反省していない顔だった。
「でも……ああいうの、憧れませんか」
「憧れません」
即答。
「少しも?」
「少しもです」
言い切りながらも耳がほんのり赤い。
ルカはそれを見てさらに声を落とす。
「じゃあ二人きりの時だけで」
アナスタシアは一瞬だけ足を止める。
ミレイユが横で咳払いする。
バルドーは無言で天井を見た。
「……前を見て歩いてください」
アナスタシアは小さく言い、先へ進む。
ルカは素直に従いながらも、ちらりと彼女の手を握った。
汗ばんでいる。
それでも離さない。
アナスタシアは視線だけで抗議し、結局そのまま握り返した。
先を行くレティシアの笑い声が廊下に響いていた。




