エリュプティオ⑧
急いで仕立てた天狐のドレスは予定通りの日時にしっかりと届いた。
フロガの髪色にも似たダークブラウンのマーメイドドレスは実にシンプルなデザインではあるが、その分随所に散りばめられた宝石が良く映えている。
それを身に纏った天狐がフロガの横に立てば、不思議なほど調和した。
おそらく、そうなるように計算されているのだろう。
しかし天狐は眉間に小さな皺を寄せていた。
「おいフロガ。 このドレスと装飾はまたお前の指示か?」
琥珀色の瞳がフロガを睨む。
そこにはやや軽蔑の色が見えた。
「そうだよ。 何か変だった?」
「変というか……お前の性格の悪さが滲み出たコーディネートだな」
「何言ってるんだよ。 妻に自分の色を纏わせて何か悪いことある?」
「……まあいい。 それより、妹には会えたのか」
呆れた天狐が話を変える。
すると満足気にしていたフロガの顔に影が差した。
どうやら、まだ会えていないようだ。
「使用人にも聞いたんだけど、部屋から出てこないみたいで……困ったな」
「手紙でも送れば良い。 店の場所も知ってんだから、機嫌が治ったらそのうち訪ねてくるだろ」
「……そんなに簡単なら良いけど」
フロガが小さく呟く。
屋敷から出発する前に、もう一度部屋を訪ねたが当然のように返事はなかった。
それどころか、ヒトの気配が感じられない。
隣にいる天狐を見やるも、小さく肩を竦めるだけであった。
──仕方なく屋敷を出る。
待っていた馬車に乗り込めば、既にクレヴォとフォリエンヌが座っていた。
「遅かったな」
「悪い。ちょっと用があって」
フロガと天狐が座るなり、馬車が動き始める。
小さな揺れに体を預けながら、フロガはこちらを見つめているクレヴォへ首をかしげてみせた。
「……なに?」
「いや、別に。 お前って意外と気持ち悪いんだな」
「え? なんだよ、いきなり」
突然の罵倒にフロガが顔を顰める。
そんなフロガの表情が面白かったのか、クレヴォはニヤつく口許を手で隠して目をそらした。
不服そうにしているフロガを、横にいる天狐が肘で小突く。
「ほら、私の言った通りだろ」
「あら、天狐さん。 わたくしは愛に溢れていてとても良いと思いますわよ」
「じゃあ、お前がこのドレスを着れと言われたら着るのか?」
「うふふ……どうかしら」
微笑むフォリエンヌに、天狐が口を尖らせる。
そんなやり取りをクレヴォは面白そうに眺めたあと、フロガへ向き直った。
「ところで、用ってなんだったんだ?」
「ああ。トリアを訪ねたんだけど、結局会えなくて……」
トリアの名前が出るなり、クレヴォの吊り上がっていた唇が下がった。
急に険しい顔をして、少し考えてから小さく口を開く。
「お前に言う必要ないと思って、使用人には口止めしてたんだけど」
「……トリアに何かあったのか?」
「家出したんだ。で、未だに行方がわかってない」
立ち上がりかけたフロガを、天狐が引っ張る。
騒ぐな。と言いたげに睨み上げた天狐へ、フロガは軽く頷いて座り直した。
「いつからいないんだ?」
「三日前にメイドが家を出たトリアを見送ってるから、そのへんかな」
フロガが大きな溜息をつく。
三日前といえば、フロガがトリアの部屋を訪ねたときだ。
あの頃には、もういなかったのかもしれない。
「うちでちゃんと捜索しているから心配するなよ。 それより、トリアはお前の食堂の場所がわかってるから、もしかしたらそっちに行くかも知れない」
「そうだな……何にせよ、一人にさせておくのは危ないだろうから、引き止めてみる」
「ああ、頼む」
フロガが小さく息を吐く。
視線は下へ落としたまま、何かを考えるようにきつく唇を結んだ。
*****
アタック・オラージュは困惑していた。
行きつけの食堂がもう随分と長い期間休業していたと思っていたら、オラージュ家の夜会招待リストに食堂のマスターの名前を見つけてしまったのだ。
何かの間違いかもしれない。
そう思いつつも、友人のドッドウェルに連絡をしたのが一週間ほど前。
そして夜会当日、アタックは目の前によく知ったヒトが現れて、再び困惑した。
「……マスター……いや、フロガさん?」
「お久しぶりです、アタックさん。 しばらく休んでしまってすみません」
いつもと同じ、人好きの笑顔。
いつもと違う、綺羅びやかな衣装。
その隣には、フロガの妻である天狐がいた。
天狐が纏うのはどこか見覚えのあるダークブラウン。
マーメイドのシルエットは華やかだが、派手な装飾や刺繍といったものは殆どされていない。
身体の線に沿って密着する布は、天狐の動きに対して従順に従い、無駄な遊びも揺れもなく、光の角度によって僅かに色を変える。
この布の動きと上品な色合いは、名のある仕立屋に作らせたのであろうというのが一目でわかった。
その上質なドレスの先、身体の線の細さに釣られて思わず視線が特定の場所へ行くが、その視線を予測していたように散りばめられた紫紺の宝石が光を反射する。
それはまるで、闇の底からこちらを睨んで威嚇しているかのようであった。
僅かな恐怖と罪悪感から逃げるように隣を見ると、宝石と同じ色の瞳が細められる。
アタックは背筋がヒヤリと冷たくなるのを感じて、思わず背中を丸めた。
「……あんた、エグい事するなぁ」
「え、何です?」
「いや……それより、どうしてここに? みんな心配してたんだぜ」
「色々ありまして……食堂はもう少し休む予定ですが、再開したら手紙を送ります」
「ありがてぇ……じゃなくて……大変だったんだな」
何があったかは詮索しないほうが良さそうだ。
とりあえず、心配していたフロガと天狐の安否がわかって食堂再開の目処があるというだけで、アタックとしては安堵できる。
なんせ、あの食堂が無くなったら羽を伸ばすところが無くなってしまう。
貴族生活にも慣れてきたとはいえ、ヴァルムだけは別格なのだ。
「今日はお招きいただきありがとうございます。 今後ともよろしくお願いします」
「あ……ああ、うん。 来てくれてありがとうな」
フロガに話したいことが山ほどある。
しかし、ここでは人目があって、いつものように話をすることができない。
フロガもそれをわかっているのだろう、形式的な挨拶だけ済ませると、軽く声をひそませた。
「またヴァルムでお待ちしております。 アタックさんの好きなミックスグリル、用意しておきますね」
「マスター……ああ、楽しみにしてる!」
アタックに一礼し、フロガは広間の人混みを眺める。
今日の目的はオフェリアに会うことだ。
いつも目立っているオフェリアの事だから、探そうとしなくても勝手に視線や耳に入ってくるはずなのでここに来ていればすぐにわかるだろう。
「今日のオフェリア様は一段と綺羅びやかね……噂では婚約が近いとか」
予想通り、誰かの噂話が耳に入る。
目線の先を追ってみれば、マスタードイエローのドレスを纏ったオフェリアがつまらなそうに扇子を扇いでいた。
オフェリアの周りにヒトがいないことを確認し、フロガはそっと近付く。
「オフェリア様」
フロガの声がけに、オフェリアが視線を上げる。
つまらなそうな顔から一転、自信に溢れた笑顔を浮かべると、軽くカーテシーをした。
「ごきげんよう。 調査の報告は必要かしら?」
フロガの後ろにいる天狐を一瞥してから、オフェリアはポーチ型の魔具へ視線を移す。
そこにはオフェリアが調べたエリュプティオ家やフロガ自身のことが書かれた報告書があることを暗に示している。
「一応、いただきます。 少し考えがありまして」
「あらそう。 ちょっと面白そうね」
ポーチごと渡された報告書を、フロガは天狐へそのまま手渡す。
中身を確認した天狐がフロガへ軽く頷くと、オフェリアに向かって丁寧にカーテシーをした。
「オフェリア様。 紹介が遅れましたが、妻の天狐です……報告書をご覧になったのなら、ご存知かと思われますが」
「存じ上げていなくてもそのドレスを見れば誰でもわかりますわ。 貴方って随分と独占欲がお強いのねぇ。 ごきげんよう、はじめまして。 オフェリア・サリクス・エグランタインと申します」
オフェリアが微笑む。
天狐と似た琥珀色を細め、優雅に扇子を扇いだ。
そんなオフェリアを一瞥し、無言で深くカーテシーをしてから天狐は再びフロガの後ろへ戻った。
「……噂で聞いていた通り、綺麗な奥様ですわね。 わたくしの次に美しいわ」
「ありがとうございます。 私としては妻が一番なんですがね」
「好みはヒトそれぞれですものねぇ」
後ろで会話を聞いている天狐が顔を顰める。
苦言こそ口にしないが、何か言いたそうである。
「わたくし、噂話は信じないのだけれど、たまにはこうして本当の事が紛れているのね」
噂話、と聞いてフロガの笑顔が薄くなる。
今夜の本題は、その噂話なのだ。
フロガが故意に教えた、ミレイユとジェーネリック嬢の婚約。
まずはこれを訂正し、謝らなければならない。
「……オフェリア様、今日は貴女に謝罪したい事があります」
「あら、何かしら?」
フロガが深々と頭を下げる。
「ミレイユ様の婚約のことです。 私はあの噂話が嘘だとわかっていながら、まるで事実であるかのように貴女に伝え、傷つけてしまった。 本当に申し訳ありません」
緩やかな風がうなじに当たる。
オフェリアが扇をあおいでいるのだろう。
これからどんな罵倒の言葉を吐かれたとしても、それを受け入れるしかない。
それだけオフェリアを傷つけてしまったのだから、当然だ。
フロガは硬く目を閉じたまま、頭を上げずにいると小さな笑い声が聞こえてきた。
それはオフェリアの声である。
「顔をお上げになって、フロガ様」
言われるままに、顔を上げる。
すると、オフェリアは扇で口元を隠して笑いを堪えていた。
「……オフェリア様?」
「ふふ、面白いわねぇ! このわたくしが、そんな嘘を信じると思って?」
「泣いてましたけど……」
「ああ、あれ? 別にミレイユ様が婚約したことに悲しんでいた訳ではなくってよ。 どこの馬の骨かもわからない令嬢を選んだミレイユ様を憐れんでいただけ。 ああ、なんて見る目のない実に哀れで愚鈍な方なのかしらってね。 まあ、本人に聞いたらすぐにわかったわ」
弾丸のように早口で喋るオフェリアに、後ろにいる天狐が圧倒されている。
フロガもやや引きつつ、いつもの人好きな笑顔を浮かべた。
「あはは……オフェリア様は本当にミレイユ様を好いているんですね」
「……わたくしがいつ、あのヒトを好きだなんて言ったのかしら」
「ミレイユ様を憐れんで涙を流して、信じられないから本人にわざわざ真実を確認するなんて、好意そのものだと思いますよ」
あおいでいた扇が止まる。
面白そうに細くなっていた瞳は伏せられ、扇で隠された。
フロガは眉を下げ、天狐へ目配せをする。
頷いた天狐が、そっとフロガの後ろから離れて人混みの中へ消えた。
「……わたくしは、あのヒトのことは何とも」
「オフェリア様、もう一度言います。 貴女かミレイユ様、どちらかが素直になれば良いだけなんです」
オフェリアは目を伏せたまま、言葉を返さない。
フロガは続けた。
「……ほんの少しで構いません。 貴女の気持ちを教えてください。 貴女はミレイユ様の事をどう思っているのですか?」
しばらく沈黙が続く。
周りの話し声や華やかな音楽、食器が触れ合う音、そんな賑やかな音に混ざって、オフェリアはようやく小さな声を出した。
「わたくしは…………そうね、ミレイユ様を……お慕いしておりますわ。 でも、どうやってこんな事を伝えればいいの?」
「その言葉だけで充分ですよ」
言って、フロガは視線をオフェリアの後ろへずらす。
「……充分すぎる」
よく知った声が、オフェリアのすぐ後ろから聞こえた。
思わず振り返ると、気まずそうに視線を落としたミレイユが口元をおさえて棒立ちしていた。
そのミレイユの後ろには、先ほどまでフロガの横にいた天狐と、クレヴォがいる。
「……いやらしい事をなさるのねぇ」
「まったくだ。 貴方が「面白い話がある」だなんて言うから来てみれば……」
ミレイユがクレヴォを見上げる。
フロガと似たような人好きな笑顔を返すと、ミレイユは視線を下げた。
「こうでもしないと二人共いつまで経っても進展しないでしょう。 いずれ本当にどこの馬の骨ともわからない者に取られても良いんですか?」
「あら、酷い言い方。 わたくしはミレイユ様の所有物ではなくってよ」
「僕もこいつの物になった覚えはない」
「はい、わかりましたよ。 せっかくですし、踊ってきたらどうですか? お二人ならきっと絵になるんでしょうね」
言われて二人が顔を見合わせる。
フロガの言葉が効いたのか、ミレイユは小さく咳払いをしてから、オフェリアへそっと手を差し出した。
「……君と僕なら、ここにいる全員の視線を集められるだろうな」
オフェリアがくすくすと笑う。
扇子をたたみ、差し出された手に自分の手を添える。
目を伏せ、この瞬間を噛みしめるかのように息を吐き、それから再びミレイユを見上げた。
「このわたくしが相手なんだから当然でしょう? 足を引っ張らないでね」
「僕が足を引っ張る? 寝言は寝て言え」
毒を吐き合いながら、華やかな旋律が流れ始めたホールの中心へ向かう。
瞬間、ホールを満たしていた話し声が凪のように静まり返り、どよめきに変わった。
しかしそのどよめきも長くは続かない。
二人が踊り始めると、皆が感嘆の溜息を漏らして魅入っていた。
「相変わらず、お前はお人好しなんだな」
眺めていたクレヴォが呆れたようにフロガを見やる。
フロガはそれに苦笑で返し、天狐の手を取った。
「俺たちはそろそろ帰るよ。 資料はもらった?」
「ああ。 良さそうなタイミングで公表するから楽しみにしておけよ」
ちら、と懐から資料を出してみせる。
先ほど天狐がクレヴォを呼びに行ったときに渡したようだ。
「じゃあな、フロガ。 これで本当に終わりだ」
フロガの返事を待たずに、クレヴォは人混みの中へ足を向ける。
ヒラヒラと軽く手を振ったクレヴォを見届けて、フロガは屋敷の玄関へと向かった。
*****
屋敷の重い扉が閉められると、先ほどまでの喧騒が嘘のように静かになった。
香水と酒と食事の匂いから一転、冬の夜の匂いが鼻の奥を冷やしていく。
帰りを待っていたエリュプティオの御者と目が合うが、フロガは軽く手を振って馬車に乗らないことを伝えた。
深く頭を下げた御者を横目に、夜道を歩き始める。
空にはたくさんの星が輝き、貴族街区は黄金色のイルミネーションで彩られていた。
立ち並ぶ街路樹には、魔石の結晶が散りばめられていて黄金色の小さな光が幾数も煌めいている。
その周りに浮いているランタンが街頭代わりの幻想的な光を放ち、時折風に揺れる炎が鈴のような儚い音を鳴らしていた。
石畳にも魔法がかけられているのか、暗い夜闇の中で黄金色の光が点々と淡く輝いているさまは、夜空の中を歩いているかのような錯覚すらある。
「もうほし祭りの季節か。 早いなぁ」
ぼんやりと呟くフロガの後ろで、天狐は小さく息を吐いた。
白い息がふわりと消えるのを待ってから、歩みを止める。
「……いいのか、これで」
「ん? 何が?」
振り返ったフロガの表情はいつもと変わらない。
曇りのない紫紺色はじっと天狐を見つめ、答えを待っている。
その瞳を見つめ返した天狐の瞳は金色に輝いていた。
──この金色は、天狐が魔力を最大限使うときに現れる色だ。
「お前に催眠魔法をかけて、操って、好き勝手やっていたんだぞ。 お前はこれで終わりで良いのかと聞いているんだ」
「ああ、いいよ。……正確には良くはないけれど、きっとクレヴォから何かしらしてくれる。 だから、これで終わりでいいんだ」
金色の瞳が瞬く。
琥珀色に戻ることのない瞳を猛禽のようにギラつかせながら、天狐は続けた。
「……お前が、一言やれと言えば、私はいつだってあの家と関係者全員を跡形も無く消すことができる。 家だけじゃない、全部をなかったことにすることだってできるんだぞ。 もう一度聞いてやる、本当にこれで終わりでいいのか?」
隠すことのない殺気が溢れている。
常人ならば、きっと足が竦んでしまうような気迫だ。
しかし、フロガは少し目を見開いただけで、すぐにいつものように緩い笑顔を浮かべて、ふっと吹き出した。
一歩、天狐へ歩み寄る。
未だ煌々と輝いている金の瞳を愛くしむかのように、フロガは目を細めて天狐を見つめた。
「俺が、お前にそんな事をさせる訳ないじゃないか」
殺気が消える。
金色はゆっくりと琥珀色へと戻り、フロガから視線を逸らした。
「……わかった」
静かに呟いた天狐が、フロガの手に触れる。
温かくて大きな手は、天狐の指を絡め取って強く握った。
「さあ、帰ろう」
「ああ」
星空のような光の道を進んでいく。
転移魔法を使えばすぐにでもヴァルムに着くのだが、滅多に見ることのない趣向を凝らしたイルミネーションを眺めながら、二人はゆっくりと帰路を歩いた。




