エリュプティオ④
兄妹が夜会へ出かけ、ベルフとアリッサがそれぞれの愛人の所へと向かったころ、エリュプティオの屋敷には来訪者が現れていた。
応接室のソファに座る、女が一人。
栗色のミディアムボブに紺色のリボン、翡翠色の瞳は警戒した猫のように大きく開かれていて、長い睫毛が影を作っている。
陶器のような白い肌と人形のように生気のない表情には、まだ幼さが残っていた。
応接室で待つ女の前に、フットマンのガルディアが立つ。
「お待ちしておりました、メリオラ様」
「……今日はリカルドは居ないのか」
女の名前はメリオラ・アルヴェル。
エリュプティオ家で雇っている錬金術師だ。
「リカルドはメロウラージュへ行っておりまして……しばらく帰ってこないのです」
「そう……で、件の魔獣は?」
「ご案内いたします」
連れ立って屋敷内を歩き、ガルディアが地下室の扉を開ける。
カビの臭いが鼻腔をつき、湿り気のある室内にメリオラは微かに眉を潜めた。
「劣悪な環境だ」
思わず言葉を漏らすと、ガルディアが振り返って薄く笑った。
「下にいるのは害獣ですので」
言い終わってガルディアが前を向くと、人形のように無表情だったメリオラが明らかな嫌悪を瞳に宿す。
薄暗い階段の下から見張りと思われる日雇いの男がランプを持ってきた。
腕にはメリオラが作成した探知妨害の魔具をつけている。
「私の魔具がこんな風に使われているとはね」
「違法魔具なのですから、まともな使い方ではない事くらいわかっているのでは?」
「……それもそうだ」
自嘲気味にメリオラがため息をつく。
長い階段を降りていき、鉄格子が見えてくる頃、ランプと微かな照明に照らされた毛玉が目に入った。
大きな牢屋の角に丸まってる、くすんだ金色の毛玉。
「……毛玉? こんな魔獣は初めて見るな」
思わず、ガルディアと日雇いの男を押し退けて鉄格子の側に寄る。
よくよく見てみれば、毛玉はただの毛玉ではなく、尻尾のような物の集合体だというのがわかった。
「きみたち、席を外してくれ」
「それはできません」
「じゃあ、私から離れて視界に入らないで」
ガルディアが薄い笑顔を引き攣らせる。
仕方が無いと言わんばかりに日雇いの男を連れて階段の上へ向かい、視界の隅にメリオラが見える位置へと移動した。
それでも、やや不服そうにしていたメリオラだったが、やがて毛玉に向かって声をかけた。
「毛玉ちゃん」
ガルディアと話していた声色とはまるで違う、優しくて高い声。
動物や子供に話しかけているかのような声色に、ぴくり、と毛玉が反応する。
程なくしてぱたりと地面を叩いた。 やはり尻尾だったか、とメリオラは尻尾の中身を見ようと鉄格子に顔をくっつける。
そして驚いたのは、その尻尾の数だ。
尻尾の形状から、恐らく犬か猫の類。 色と柄、太さをみる限り、狐が近いだろうか。
しかし、尻尾が九本ある狐の魔獣というのは聞いたことがない。
「毛玉ちゃん、きみは一体……」
「……毛玉じゃない」
尻尾の中から女の声がして、メリオラは更に驚いた。
ヒトの言葉を話し、こちらの言葉を理解する知能がある魔獣なんてものはほんの一部だ。
ドラゴンなら解らなくもないが、メリオラはますますこの魔獣について知りたくなってきた。
「じゃあ、なんて呼べば良い? お名前はあるの?」
「天狐」
言ってから、尻尾がゆるやかに広がり、包まれていた者が正体を見せた。
大きな狐耳を持った、金髪の女。
歳はメリオラより少し上、20歳前半だろうか。
痩せ細った体には申し訳程度の布が掛けられていて、足枷に手錠、薬指にはメリオラの作成した指輪型の魔具が光った。
──これは、どう見てもヒトだ。
「天狐……きみは本当に魔獣なのか? ヒトにしか見えないんだけど……」
「いや。 魔獣じゃないが、ヒトでもない」
「そうか…………お返事ができるなんて凄いね」
「あ?」
メリオラがにっこりと笑う。
鉄格子を掴み、もっと見たいと言わんばかりに身を乗り出している。
「天狐ちゃんは何歳なの? 見た目は私より少し上かなぁ」
「知るか」
「ああ、すごい! やっぱり私の言葉がわかるんだね。 尻尾もモフモフ……触っても良い?」
「触るな」
「うふふ!お返事できて偉いね」
「く……」
手を伸ばしてくるメリオラだが、どうにも届かない。
天狐はそっと尻尾を内に巻いて、メリオラに触られまいと壁に背を当てた。
どうにも、このメリオラという女と会話をしていると調子が狂う。
「お前、私を殺しに来たんじゃないのか」
「あ、そのつもりなんだけど……きみを殺すだなんてとんでもない事だ。 すぐにでも連れて帰りたい」
「ほう……なら、私をここから出せ」
琥珀色の瞳がぎらりと光る。
このメリオラという女、他の誰より扱いやすそうだ。 少し尻尾を触らせてやれば、言うことを聞くかもしれない。
天狐は未だ触ろうと四苦八苦しているメリオラの手に尻尾を近付けた。
触ろうともがくメリオラの手は、既のところで尻尾をかすめる。
「そうしてあげたいのは山々なんだけど、どうもエリュプティオ卿はきみを気に入っているらしいんだ。 殺せって言うくせに持ち帰るのは禁止なんだって」
「は? 意味が分からない」
「私もそう思うよ。 ねえ、そこのフットマン、どういう意味かわかるか?」
言われてガルディアが階段を降りてくる。
辛うじて保っている薄い笑顔は崩れかけていた。
「……旦那様はその害獣の殺し方を知りたいだけですので」
「殺すなら私が持ち帰っても良いのでは?」
「まだ、殺す時では無いという事です。 今は旦那様の所有物としてここに置いておく、という意味かと存じます」
「じゃあ、殺す時になったら私にくれる?」
「……私の一存ではなんとも」
やれやれ、とメリオラが肩を竦める。
天狐も尻尾を丸めたまま、耳を後ろに倒した。
「っていう感じ。 こんな所に監禁しておくだけなんて、勿体ないよね」
「ああ、そのとおりだ。 お前、見たところ錬金術師のようだが、この魔具を何とかできないか」
「……それは私の作ったものだから、もちろん外してあげることはできるよ」
言い終わった瞬間、メリオラの首に短刀の刃が当てられる。
薄い笑顔を浮かべていたガルディアが、口角を下げてメリオラを見下ろした。
メリオラはゆっくりと両手を上げ、悲しそうに眉を下げる。
その様子に、天狐は納得したようにため息を吐いた。
「そういうことか」
「そう。 私がきみに有利な事をしようとした瞬間、こうやって殺されちゃうってこと。 私って意外と非力なのよね」
メリオラがガルディアへ目配せをする。
短刀はそっと離れたが、冷たい視線がメリオラを貫いている。
「あんまり調子に乗るなよ、ガキ。 お前は旦那様に雇われているんだ。 金渡してんだから仕事しろ」
先程の丁寧な口調も、薄ら寒い笑顔も無くなったガルディアは、メリオラの首筋にピタピタと刃先を当てた。
しかしメリオラは微動だにしない。
「はいはい。 で、天狐ちゃん、本題なんだけど」
まだ本題じゃなかったのか、と天狐は心のなかで呟いた。
ガルディアを手で押し退けたメリオラが、再び鉄格子を掴んで顔を押し付ける。
「天狐ちゃんは本当に不老不死なの?」
翡翠色の瞳が、暗い照明を反射してギラリと輝いた。
天狐はそれを睨み返す。
「どうやらそのようだな」
「と、いうと? 自分でも不死であることに今まで気付かなかった?」
「不死かどうかはわからない。 ただ、私は九回死んだら、もう生き返ることが出来ないと聞いていた」
ここは素直に答える。
このおかしな錬金術師なら、自分の生態について何か知っているかもしれないと思ったのだ。
メリオラは顎に手を当て、感心したように息を吐いた。
「なるほど。 フットマン、彼女はここに来て何回死んだ?」
「……二十回程度」
「殺し方は?」
「急所を一つずつ刺したり……それ以外に思い付く限りの殺し方はしてみた」
メリオラが眉を顰める。
「可哀想に……痛かったよね。 これだから人間は嫌だ」
「お前の思想は知らん。 で、私は不死なのか? 最近自分でもわからなくなってきた」
「正直、解剖してみないとわからないんだけど、もし不死じゃないなら条件があるのかもしれない」
そう言ってメリオラは一つずつ指を立てた。
一つは、死ぬ回数に制限があること。
二つ目は、殺し方の条件。 普通に殺したのでは死なない。
三つ目に、何らかの呪いがかけられていること。
そうして三本の指を立てたメリオラが、小指を開いた四本の指を天狐に見せる。
「四つ目は、きみが大昔の錬金術師が作ったキメラだという可能性」
「……くだらない話だな」
「そうだね、これに関しては御伽噺だよ。 そもそも、その天才と謳われた男も死んでしまっているし……不老不死の方法を見つけたのなら、キメラの前に自分自身で試しただろうに。 私だったら、そうしている」
あっけらかんと言ってのけるメリオラが四本立てた指を畳んで、ガルディアを見やる。
「ということで、彼女を解剖してみたいのだけど」
「貴様は信用ならん。 旦那様にお伺いをたててからにする」
残念そうに眉を下げたメリオラが、天狐へ視線を戻す。
天狐は耳を後ろに倒したまま、メリオラを睨んだ。
「天狐ちゃんはどう思う?」
「さっきまで可哀想とか言っていた癖にふざけてんのか」
「そうだよね、嫌だよね。 わかった、解剖はしない」
「はあ?」
ガルディアがこめかみに血管を浮かべている。
短刀を持つ手がプルプルと震え、今にもメリオラを刺しそうだ。
「私は魔獣の嫌がることはしない主義だ」
「このクソアマ……こいつは魔獣じゃないって言ってただろ」
「いや、まだわからない」
「ふざけやがって、そもそも魔獣の嫌がる事ってなんだよ! 魔獣は喋らねーし、意思の疎通もできねぇよ!!」
「ふ……フットマンにはこのレベルの話はわからないだろうな」
メリオラが鼻で笑い、肩を竦める。
思わずガルディアは短刀を振り上げたが、既のところで留まった。
その様子を見届けてから、メリオラは再び天狐を見つめて、手を伸ばす。
「最後に、その尻尾を触らせて欲しい」
「断る」
「じゃあ、次に会ったときは触らせてね。 約束だ」
「魔獣の嫌がることはしないんじゃなかったのか」
メリオラが伸ばした手を引っ込め、唇に手を当てて声を顰める。
「まだ君が魔獣かどうか、わからないでしょう?」
それからにこりと笑って、腕を広げてみせた。
「私の名前はメリオラ・アルヴェル。 錬金術師だ。 覚えておいてね、天狐ちゃん」
短いマントを翻し、メリオラはガルディアの肩を叩いた。
天狐に向けていた感情豊かな表情とは真逆の無表情で
、ガルディアを見上げる。
階段を登りきり、扉を開けて地下室を後にした。
「エリュプティオ卿に伝えろ。 彼女の生態は非常に難解。 研究室に戻って資料を確認するが、理解を深めるために解剖の許可が欲しい」
「……かしこまりました。 お伝え致します」
「それから、彼女の身の回りの環境改善を要求する」
「そちらに関しましては旦那様の匙加減となりますので、あなたが口を挟むような事ではございません」
ガルディアがぴくぴくと頬を痙攣させる。
対してメリオラはまるで人形のように眉一つ動かさない。
「また来る」
「お待ちしております」
メリオラが屋敷の門を通り、貴族街区を歩いていく。
その後ろ姿が見えなくなってから、ガルディアは地団駄を踏んだ。
もう二度と会いたくないという、ガルディアの苛立ちは地団駄を通して地面へと飲み込まれていった。
*****
メロウラージュ、エリュプティオ邸ではリカルドが過去の経費精算書に目を通していた。
突如ベルフから命じられた、カントリーハウスの資料整理の最中だ。
これにはミーティスも同行している。
膨大な量がある紙の資料を綺麗にファイリングして本棚へ戻していく最中で、ミーティスはちらりとリカルドを見やった。
「私たち、体よく追い払われたんでしょうか」
リカルドは書類から目を上げ、ミーティスの方へ軽く微笑みながら答えた。
「体よくではなく実に堂々と、ですね」
ミーティスが微笑み返す。 リカルドにそう見えただけで本当に微笑んでいるかはわからない。
それからミーティスが、他の資料に手を出した。
パラパラと紙をめくる中で、ふと指が止まる。
「おや……リカルド、これを見てください」
ミーティスが手に持っているのは領収証だ。
明細には「魔具三種」と記載されているが、魔具にしては法外な値段だ。
発行者は錬金術師のメリオラ・アルヴェル。
ここまで読んで、リカルドとミーティスは顔を見合わせた。
「違法魔具でしょうか」
「違法魔具でしょうねぇ」
こんな間抜けな事をベルフがするだろうか。と、ミーティスは考えたが、リカルドはそうは考えなかった。
領収証を受け取り、他のものと一緒にファイリングして、本棚の隅へ仕舞う。
「やはり、ガルディアは詰めが甘い……いや、間抜けと言うべきか」
リカルドの呟きに、ミーティスがくすくすと笑った。
「魔具を購入したのはガルディアでしたか。 となれば、奥様の場所も彼が知っていますね」
「ええ。 この資料を片付けたら、早速屋敷に戻りましょう」
積み上げている資料を、再び手に取る。
そのリカルドの様子に、ミーティスは首を傾げた。
「え、今戻るんじゃないんですか」
「旦那様の御命令は最優先事項です。 さあ、早く片付けますよ」
ミーティスは一瞬、リカルドの言葉に目を丸くしたが、すぐに手元の資料を手に取り、ファイリングを再開した。
「こんなくだらない事が最優先ですか……旦那様は我々に隠し事をしているからこの仕事を押し付けただけでは?」
やや呆れ気味なミーティスに、リカルドは書類を整理する手を止めず、淡々と答える。
「私はこの家に忠誠を誓っています。 ベルフ様が我々に何を隠そうと、私は最期までベルフ様にお仕えし、どこまでもついて行くだけですよ」
相変わらず、リカルドの忠誠心には舌を巻く。
それに付き合わされるのは少々大変だが、フロガへ「奥様を探す手伝いをする」と言ってしまった以上、ミーティスはリカルドについて行くつもりだった。
こうしてリカルドについた方が自分で動くよりも確実なのだ。
「リカルドはどうしてそこまでベルフ様に拘るのですか? 貴方ほどの者であれば、どこへ行っても歓迎されるでしょうに」
「ベルフ様に拘っているのではありませんよ。 私は、このエリュプティオという血に拘っているのです。 初代の……フランマ様に助けて頂いた、あの日からずっと」
資料を整理する手は止まらないが、リカルドの目は何処か遠くを見ているようだ。
その声には、普段の淡々とした口調とは異なる、深い響きがあった。
ミーティスはちらりとリカルドを見やったが、その目は依然として過去の記憶に沈んでいるようだった。
「フランマ様……初代のエリュプティオ家当主、ですか。 そのフランマ様が死んでもなお忠誠を誓う理由って、一体何なんですか?」
リカルドは小さく息をつき、ようやく視線をミーティスに戻した。書類を手に取りながら、静かに語り始める。
「大した話ではありません……ただ、私が奴隷として売られていたころ、フランマ様に命を救われた。 それだけです。 あの方は、身分の低い者にも分け隔てなく手を差し伸べる人だった。 私のような者にも、生きる意味を与えてくれた。だから、私はエリュプティオの名に誓った。この家に、どんな形であれ忠誠を尽くすと」
ミーティスは黙って耳を傾けて、書類の束を整えながら、軽く首を振った。
「……ですが、ベルフ様がフロガ様の奥様を隠しているとなると、その忠誠も少し複雑じゃないですか? エリュプティオ家の名を守らなければいけないのなら、ベルフ様の意図を疑うべき時もあるのでは?」
ミーティスの言葉に、リカルドはほんのわずかに眉を動かした。
しかし、すぐにいつもの落ち着いた表情に戻り、まとめた書類を本棚にしまった。
「疑うことは簡単です。 が、私にとって忠誠とは主の過ちさえも受け入れ、最善の道を探すことなんですよ。 そして、その行動にどんな意図があろうと、私はエリュプティオの名を裏切らない。 善の道がなければ、悪の道にだって共に行くと決めているんです」
ミーティスはリカルドの言葉に、ふっと笑みを浮かべた。
「……では、さっさとこの資料を片付けて、帰る準備をしましょう」
リカルドは小さく頷き、書類の山に再び向き合った。
ミーティスもまた、黙々と作業を続ける。
カントリーハウスの静かな部屋には、紙が擦れる音と、時折外から聞こえる風の音だけが響いていた。
*****
娼館エテルネル。
表向きは社交サロンを装っているが、貴族の間では名の知れた高級娼館である。
在籍する女たちは二十代程度の者が多い。
若さと美貌を備えた彼女たちは、礼儀作法や舞踏に通じ、まるで社交界の華そのものとして教育されている。
ただ抱かれるだけではなく、晩餐の席を飾り、旅の伴にもできる──それがエテルネル最大の強みであり、貴族たちが熱心に通う理由だった。
館内の廊下は深紅の絨毯と香の煙に彩られ、客の歩みを包み込む。
奥へ進むほど静寂は濃くなり、限られた客のみが許される特別室へと至る。
ベルフもこの特別室へ入る事が許された客の一人である。
今夜も娼館の前へ馬車をつければ、オーナーであるカヌレ・ヴォーラン男爵がベルフを出迎えた。
「ようこそおいでくださいました、エリュプティオ卿。 さあ、ご案内致します」
カヌレは二十代後半くらいの、中性的な顔立ちをした男である。
まだ若いようだが、その若さ故の軽さは微塵も無く、落ち着いた佇まいと余裕のある口調は年齢に不相応な貫禄すら感じた。
しかし、この落ち着きがなければ高級娼館のオーナーなど務まらないのだろう。
──そんなカヌレの後ろを付いて歩き、重厚な扉の先へ通される。
濃青の絨毯、黒檀の調度、煌びやかなシャンデリア。
壁や部屋の隅には、ところ狭しと魔獣の剥製が飾られていた。
どの魔獣も、あまり見ることのない珍しいものだ。
それらはすべて、カヌレの収集品である。
収集品を横目で見ながら、ベルフはソファへ体を沈めた。
「相変わらず良い趣味をしているな。 あそこにあるのは新作か?」
出されたワインのグラスを揺らし、以前来た時にはなかった剥製へ目を向けた。
一際目を惹くそれは、大きな鳥型魔獣だ。
翼を広げたその姿は、今にも羽ばたき出しそうなほど生々しい。尾羽は紅蓮に染まり、光を受けて燐のような輝きを放っている。
その尾羽へ、カヌレはそっと触れた。
「お褒めに預かり光栄でございます。 こちらは最近手に入れた逸品でして……シノワの一部では姿を見た者には幸運が訪れると伝えられております……が、ここにあるのは幸運ではなく、私の収集欲の結晶というわけです」
「ほう、幸運か。 良い物を手に入れたな」
「……願わくば、この幸運が次の逸品を呼び寄せてくれればいいのですが」
「もう次か。 何が欲しい? 物によっては手伝ってやっても良いが」
カヌレがぱっと顔を明るくする。
ベルフの向かいへ座り、にこにこと嬉しそうに手を合わせた。
「実はずっと探しいている魔獣がおりまして……九つの尻尾を持った狐型魔獣がシノワの小さな村で見たと聞いたんですが、どんなハンターを雇っても見つけられないのです」
「九つの尻尾……ほう、面白いな」
その特徴を聞いて、ベルフは口元に笑みを浮かべた。
ワインを口に含み、香りに意識を向けるふりをして、抑えきれない笑みを手で隠す。
頭の中では、すぐに天狐の姿が浮かんでいた。
──あれは紛れもなく、このカヌレが探している逸品のことだろう。
(なるほど……あの玩具はまあまあの価値があったか)
ベルフは心の中でつぶやく。
柔らかで指通りの良い毛並み、九つの尾のしなやかさ、瞳の鋭さ──すべてが愛玩に値する。
「……実は私も最近良い玩具を手に入れてな。 狐……に近いかもしれん。 今度機会があれば見せてやろう」
「是非。 エリュプティオ卿の気に入る玩具ならば、きっと素晴らしい逸品なのでしょうね」
こうして柔らかく微笑むカヌレが、天狐を見たら発狂するのではないだろうか。
ベルフは微かに片方の眉を上げ、ワインの香りに顔を近づけるふりをしながら、胸の内で笑った。
(渡す気は微塵もないが、好奇心旺盛な若造を焦らすのも悪くない)
ベルフはソファに深く腰を沈め、カヌレのコレクションたちを横目で見やった。
ここにある剥製のどれよりも価値があるものを所有している。
そう思うと心が躍った。
「さて、今宵も当館の逸品、ハニーをお付けいたします。 ごゆるりとお楽しみください」
カヌレが立ち上がり、重い扉を開けると室内に甘く華やかな香りが流れてきた。
部屋を出るカヌレと入れ替わりに、ハニーがカーテシーをして入ってくる。
柔らかそうな淡い金髪はシャンデリアの光を受けて揺れ、濃い桃色の瞳はベルフを捉えて緩やかに細まった。
ベルフはソファに腰を沈め、視線の端でハニーの立ち姿を追う。
これから夢のような時間が始まる。
いっそ、覚めなければ良いのだが。
ベルフは横に座ったハニーの肩を抱き、その柔らかさに目を細めた。




