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エリュプティオ③



 暗い地下室で、ランプの明かりが微かに揺れる。

 牢屋の隅でうずくまっていた天狐が、それに反応して大きな狐耳を動かし、顔を上げた。

 それに反応した見張りの男と目が合う。

 天狐は男から目を逸らし、男の後ろにある階段を見上げた。

 

 天狐に釣られて、男も階段のほうへ視線を移す。

 腰を上げ、ランプを手に持って階段を照らした。

 ランプに照らされた男は疲れた顔をしている。

 きっと近いうちに辞めていくだろう。


 ふと、扉がノックされる。

 男が階段を上がっていき、鍵を開ける音が聞こえた。

 また別の者が来たのか、それともベルフだろうか。

 考えながら足音を聞いていると、なんだか聞き覚えのある音のような気がして、天狐は少しだけ身を乗り出した。


「天狐」

 

 聞き覚えのある、心地よい声。

 見慣れた紫紺の瞳、人好きな表情。

 その姿を見るなり、天狐は自然と耳が上に引っ張られていくのを感じた。

 力なく垂れ下がっていた尻尾がパタパタと動き、重い身体を引き摺って鉄格子の側まで寄る。

 すっと求めていた紫紺色の瞳が、天狐を見下ろした。


「フロガ……」


 掠れた声で愛しい者の名前を呼び、見上げる。

 が、間近でフロガを見た瞬間、天狐の耳と尻尾は先程と同じように垂れ下がっていた。


「天狐、酷いことをされたね」

「誰だ、お前。 気安く私の名前を呼ぶな」


 琥珀色の瞳が鋭く睨み上げる。

 その目を見て、フロガは悲しそうに眉を下げた。


「どうしたんだ? 俺のことがわからないのか?」

「下手な演技はやめろ」


 優しげだった瞳が急に冷たくなる。

 下げた眉はそのままに、直線を描いていた唇の端が微かにつり上がった。


「へえ、わかるんだ。 俺とフロガを見分けられる奴なんて殆どいないのに」


 フロガの顔と声。 だが、何かが決定的に違う。

 この男は、何時ぞやの夜会で見たフロガの兄であるクレヴォだと天狐は察した。

 天狐の姿を見下ろしていたクレヴォが、何かを考えるように顎へ手を当てる。


「天狐……天狐……ああそうだ。オラージュ家でアタックの護衛をしていた女だ」

「お前は……クレヴォだな。 何の用だ」


 警戒して鉄格子から離れる天狐に、クレヴォはニコリと笑いかけた。

 こうして愛想の良い顔をすると、本当にフロガと見分けがつかない。


「そんなに警戒しないでよ。 俺は話をしに来ただけ」

「話だと?」

「そう。 ねえ、死なないって本当?」


 くだらない質問だ、と天狐は心の中で吐き捨てた。

 表情は変えず、ただ唇を固く閉ざして黙り込むことでその苛立ちを示す。

 クレヴォは天狐の沈黙に気付いても意に介さず、首を軽く傾げた。跳ねた毛先が肩に落ち、顔には影がかかる。

 質問を放棄するでもなく、クレヴォは次の話題へと軽快に移った。


「フロガとはいつ出会ったの? あいつは、君のどこに惚れたの? 多分、君ってあいつのタイプじゃないよね。もしかして、洗脳とか催眠とか幻術とか使ってたりする?」

「馬鹿か、そんなもん使うわけないだろ。 そもそも、魔法や魔術の類なら私が魔力を使えない時点で切れている」

「それもそうだ。 うーん、それじゃあ……どっちが先に惚れたの? 意外と君のほうだったりして」


 ぴくり、と天狐の耳が動く。

  

「……さあな」

「当たりだ。 で、どこに惚れたの? やっぱり優しいところ?」

「黙れ」

「あはは、そうなんだね。 でもさ、あいつは頭の中にお花畑が咲いてるような、おめでたい奴なんだよ。 ただの偽善者だ」


 天狐の唇が再び固く閉じられる。

 そんな天狐を見て、クレヴォはニコニコと楽しそうに笑った。

 喉を震わせるその声は、まるで嘲笑っているようにも聞こえる。


「あれ、どうしたの? 大好きな優しい旦那様を馬鹿にされて怒っちゃった?」

「……いや、お前の言う通りだ」

「は?」


 クレヴォの笑顔が引き攣った。

 紫紺の瞳が驚きに揺れ、微かに眉を寄せる。

 その変化を天狐は冷たく見つめ、鼻で小さく笑った。

 尻尾が幾度か床を叩き、乾いた音が地下室に響く。

 

「優しい? 違うな。 あれは自分が後悔しないように行動しているだけだ。 だからあいつは、残されたヒトの事なんて少しも考えないで、自分の命を簡単に捨てようとする……いや、そもそも捨てるなんて選択肢はなくて、自分というものがあいつの中には無かったんだろうな」

「何言ってるの」

「フロガが大馬鹿野郎だって話だ。 そうだろ」

「はは……違うよ。 フロガはそんなことしない」


 クレヴォが笑う。だがその笑いはぎこちなく、口の端がピクピクと痙攣している。

 紫紺の瞳に浮かんだ感情は、驚きと否定が入り混じったものだ。 手が無意識に服の裾を握り、指先が白くなるほど力を込めていた。

 明らかに動揺している。


 天狐は内心、ほくそ笑んだ。

 どうやら、この男はフロガほど冷静を装えないらしい。 似ているのは顔だけだ。

 このまま揺さぶれば、上手く動かせるかもしれない。


「……そうか。 お前はあいつの真似をしているから、自分以外の奴に馬鹿にされるのが嫌なんだな」

「……真似なんかしていない」

「私があいつに惚れ込んでいるとでも思ったか? フロガの話を聞いて、十五年間欠けていた情報を埋めようとしたか」

「なんだよ、お前」


 クレヴォの額にうっすらと冷や汗が浮かんだ。

 辛うじて保っていた筈の笑みは消え、紫紺の瞳には怯えが滲み、天狐をまるで異形の存在でも見るように捉えている。

 長い脚が無意識に一歩後退し、靴底が石の床を擦る音が小さく響いた。

 天狐は微動だにせず、冷たい視線をクレヴォに注ぎ続ける。

 思った通り、これはチャンスだ。

 

「フロガの話をしてやってもいいが、条件がある。 呑むなら、お前の好きそうな話をしてやる。 ……そうだな、面識の無い、どうでもいいような村を助けようとして一人でドラゴンに立ち向かった話なんてどうだ? 最高に馬鹿げてる話だろ?」

 

 クレヴォの後退した脚が、ふと前に戻った。

怯えていた瞳が一転して関心に変わり、紫紺の瞳が好奇心に揺れる。

 一人でドラゴンに立ち向かったという、その無謀さ、その経緯にクレヴォの心が引き寄せられた。

 フロガが何を考え、どう動いたのか。

 知りたい、という衝動が顔に浮かびそうになる。

 だが、次の瞬間、クレヴォはハッと息を飲み、我に返った。


「うるさい……うるさい! 何が条件だ。 やっぱり魔獣は油断ならないな。 そうやって俺を取り込もうって魂胆だろ。 それぐらいわかる」

「残念だ。 聞きたくなったらいつでも来い」

「黙れ、バケモノ。 おい、こいつの飯抜け。ついでに喋られないくらい痛みつけてやれ」


 追い詰めすぎた、と天狐は一瞬後悔したが既に遅かった。

 見張りに声をかけて、クレヴォが早足で階段を駆け登っていく。

 

 

 

 地下室の扉を勢いよく開ける。

 行き場のない苛立ちを鎮めるために、一度中庭に出ることにした。


 冷たい風が頬を撫でる。

 目の前には手入れされた芝生が広がり、深く息を吸うと湿った土の匂いと混じって肺に染み込んだ。

 吸った息をゆっくりと吐く。

 吐いた息が風に散り、肩から力が抜けるような錯覚があった。が、それは一瞬の慰めに過ぎない。


 中庭の中央に古びた石のベンチが置かれている。

 クレヴォはそこに腰を下ろし、両手を膝に置いて前を睨んだ。

 風が再び吹き抜け、焦茶の髪を揺らし、額に張り付いた汗を冷たく乾かす。気持ちを落ち着けようとしたが、天狐の声が執拗に耳の奥で反響した。

 その言葉の数々は鋭い棘のように刺さり、抜こうとすればするほど深く食い込む。


「俺がフロガの真似をしている……? ふざけるなよ」


 声に出して呟いた瞬間、唇が歪んだ。

 自分で言った言葉が虚しく響き、中庭の静寂に吸い込まれる。

 拳を握り、膝の上で軽く震えた。

 フロガの姿が脳裏に浮かぶ。あの屈託の無い笑顔。

 そして、天狐が語った馬鹿げたエピソードが重なる。

 あれはフロガらしくて、話の続きに心が惹かれる……が、慌ててその考えを振り払った。


 風が強まり、木々がざわめく。

 ベンチの冷たさが服越しに伝わり、長く座るには不快だった。

 立ち上がり、庭の出入り口へと向かう。

 天狐の言葉を頭から追い出すことはできなかったが、このまま中庭に留まっていても余計に苛立ちが募るだけだ。


 ──そろそろ、昼食の時間が近い。

 昨夜出て行った父親が返ってくる前に昼食を済ませてしまおうと、クレヴォはダイニングルームへ向かった。


「兄貴」


 ふと、後ろから妹の声がした。

 振り返ってみれば、トリアが難しい顔をして立っている。


「トリア。 お前も昼飯か?」

「そうだが……それより、フロガはもう帰ったか?」

「いや、まだいると思うけど」

「……奥さんは?」


 クレヴォが視線を斜め上に逸らす。

 それを咎めるように、トリアは大きなため息を吐いた。


「脅すだけって話だったろ。 なんか話がでかくなってないか? なんでフロガに跡継がせることになってんだ」

「俺もそのつもりだったけど、親父が暴走してるんだよ」


 トリアは相変わらず難しい顔をしたままだ。

 ここで、フロガの嫁は地下で酷い扱いをされている、なんて言えば、今度はトリアが暴走しかねない。

 結局トリアはフロガを慕っているのだ。

 それはクレヴォにとって、あまり面白いことではなかった。


「昨日、フロガに拘束魔法をかけた。 で、さっき部屋に行ったら、いなくなってたんだ」

「ふうん。 もしかしてフロガに協力するつもり?」

「……ぶん殴ってやったし、結局一目で私だとはわからなかったし……もうどうでもいい」

「いじけてるのか」


 ヒールで足を踏まれる。

 思わず腰を曲げると、トリアがしゃがみこんでクレヴォを睨みあげた。

 同じ紫紺色の瞳が煌々とぎらつき、クレヴォを映している。


「で、フロガの奥さん……天狐ってやつはどこだ」

「さあ……知らないな。 というか、嫁さん見つけてどうするんだよ。 フロガと一緒に逃がす? でもそんなことしたら、親父の態度がもっと強くなるよ」

「どうせ親父は私のなんてどうでもいいんだ。 何しても無駄だ」

「親父がどうでもいいのはお前だけじゃない。 俺もフロガも扱いは同じさ」


 ヒールで踏まれた足を軽く叩いて、クレヴォが歩き出す。 背中に感じるトリアの鋭い視線を流しながら、ダイニングルームへ向かって歩き始めた。

 ふと、ダイニングルームの前で、執事のリカルドを見つけた。

 リカルドはクレヴォとトリアに気付くと優しく微笑み、深々と礼をする。


「お帰りなさいませ、クレヴォ様、トリア様。 今日はどちらに?」

「いや……俺は中庭にいただけだよ」

「さようでございましたか。 昼食が出来上がっておりますので、どうぞ」


 ダイニングルームの扉が開くと、焼きたてのパンの香りや暖かな空気が流れ込んでくる。

 定位置へ座ろうと視線を泳がせた瞬間、クレヴォの目が思わぬ人物を捉える。


「おかえり、クレヴォ。 トリアも一緒なんだね」


 焦茶色の髪が揺れる。

 自分と同じ紫紺の瞳は穏やかに細められ、人好きな笑顔で二人を迎えた。


「フロガ……どうしたんだよ」


 あれほど憎しみの籠もった目をしていたのに、まるで全部忘れているかのように微笑むフロガ。

 衣服も昨日着ていた物とはまるで違う、上質な生地で仕立てられたジャケットとパンツにパリッとしたシャツ、それに装飾品までつけている。

 何かがおかしい。と、クレヴォはトリアを横目で見た。

 同様に驚いているトリアを見るに、昨日の拘束魔法のせいではないらしい。


 クレヴォの問いにフロガは不思議そうに首を傾げた。


「体調も良くなってきたから、俺もそろそろ家の事を手伝わないとって思ってさ。 十五年もお前に任せきりで悪かったな」

「体調……?」


 話が読めない。

 後ろにいるリカルドに視線をやると、リカルドはそっと耳打ちをした。


「旦那様のご指示のもと、フロガ様に催眠魔法を施しました。 クレヴォ様、どうか、そのお話に沿ってお進めくださいますよう」

「は? そんな事するなんて聞いてないぞ」

「クレヴォ様、旦那様のご指示です」

「あの……クソ親父……」


 リカルドの言葉に軽く舌打ちし、大人しくフロガの向かいに座る。

 一つ隣に座るトリアも困惑したようにクレヴォへ目配せした。

 フロガは相変わらず、人好きな笑顔を浮かべている。


「兄妹揃うなんて久し振りだね。 元気だった?」

「ああ、まあね」


 適当に相槌を打つ。


 運ばれてきたワインを一気に飲み干し、焦る気持ちを落ち着かせているところで、ダイニングルームにベルフとアリッサが入ってきた。

 こうして家族で食事をするなんて、フロガが家にいる頃でも稀だった。


「フロガの病気が治って本当に良かったわ」

 

 アリッサが白々しく笑う。

 それに続いてベルフも、何事もなかったかのように口を開いた。


「食事を終えたら仕事の話をしよう」

「はい、父さん」


 他にも何か話をした気がするが、クレヴォは内容を覚えているほど冷静ではなかった。


 昼食が終わり、アリッサは早々に「でかけてくるわ」と屋敷を出てしまった。

 きっとまたしばらく帰ってこないのだろう。


 食器が片付けられ、静かな緊張感がダイニングルームに漂う。

 ベルフが姿勢を正し、テーブルに手を置いた。

 シャンデリアの光がベルフの白髪を照らし、威厳ある顔に影を刻む。


「さて、アリッサも出掛けたところで話をしよう」


 フロガが瞳に鋭い光を宿してベルフを見る。

 クレヴォはワイングラスを手にしたまま視線を宙に泳がせ、その隣にいるトリアは小さく息を吐いて目の前にいるフロガを見つめた。


「まずフロガ。 お前は早めに嫁を見つけろ。 候補としては、ルヴェント家の次女だ」


 ルヴェント家、と聞いてトリアが顔色を変える。

 頬が一瞬青ざめ、すぐに熱を帯びたように赤らんだ。

 それから小さく口を開いた。声は震えを抑えようとする努力が滲んでいる。


「お父様、ルヴェントは莫大な借金を抱えている、と最近聞きましたわ。 お父様の望む爵位の上昇や政治的な地位への影響は、その……確実ではありませんわ」


 ベルフが何か言いたげにトリアを睨む。

 その視線に耐えきれず、トリアは小さく肩を丸めて目を逸らした。

 テーブル下で膝がわずかに震えている。


「ありがとう、トリア。 トリアはそういう噂話に詳しいの?」


 ベルフの視線を遮るように、フロガがトリアに笑いかけた。

 一瞬驚いたように目を丸くしたトリアが静かに俯く。その瞳に、ほのかな安堵が浮かんだ。

 続けてベルフがまた口を開こうとした瞬間、フロガがまたも遮る。


「父さんが候補を挙げてくれるのはありがたいんですが、今すぐ婚約を決めるのは時期尚早かと。 リカルド、直近に夜会はあるか?」

「はい。 只今話題に挙がりましたルヴェント家での会食、ジャンドゥ家で舞踏会があり、どちらもフロガ様の参加は可能かと存じます」

「わかった。 クレヴォ、トリア、俺も積極的に夜会へ参加するようにするよ。色々教えてくれる?」

 

 急に名前が出てきて、クレヴォが視線を上げる。

 グラスを置く手が一瞬止まり、訝しげに眉を寄せた。

 対してトリアは口許を綻ばせた。唇が小さく動き、嬉しさが溢れ出すのを抑えきれないようだ。


「はい、フロガお兄様。わたくし、もっとエリュプティオの役に立ちたくて……」 

「助かるよ、トリア。 でも、無理はしないようにね」

「いいえ! 無理なんてしてませんわ! わたくし……その、この家に入ってくださる殿方を、と……思って」

「トリアは優しいね。 そうだな、婿に入ってくれるのはありがたいけど、それで選択肢が狭まるのはトリアが大変だろ。 本当に好きなヒトができるかもしれないし」


 トリアが小さく首を振る。  

 今まで否定されていた分、こうしてフロガに肯定されたことが嬉しかったのか、頬がうっすらと桃色に染まっている。

 そうして話が進む中、隣で視線を落としたクレヴォを見て、ベルフが深いため息をついた。


「……まったく、誰かのせいで」


 ぴくり、とクレヴォの肩が揺れた。テーブルの上に置いた手が一瞬強張り、微かな音を立てる。

 しかし、フロガはまた笑ってみせて、重い空気を一掃した。


「子供なんて、気にしなくて良いですよ。 出来なければ貰ってくれば良いだけのことです」

「フロガ、お前何を……」

「それに、血を残したいだけならどうとでもなりますよ。 なんなら、父さんが何処かで産ませてくれば良い。 いるでしょう? お気に入りの愛人。 だから、トリアもクレヴォもそんなに気を張らないで良いよ」


 愛人の話を出されて、ベルフが思わず口を閉じる。

 顔が一瞬強張り、喉が小さく動いた。

 その黙った隙をついて、フロガはこの話を終わらせる。


「それじゃ、次は特産品の話をするから、トリアはもう席を外して良いよ」

「は、はい。 わかりました」


 フロガがトリアを笑顔で見送る。 トリアの背中が扉の向こうに消えるまで、その視線は優しげだった。

 が、扉が閉まり足音が遠ざかると、フロガは軽いため息を吐いた。

 空気が一変し、表情に冷たさが滲む。


「父さん、トリアを上手く使わないでどうするんです? 若い女性は一番扱いやすいんだから、もっと持ち上げないと」


 フロガの笑顔が消え、呆れたような口調と鋭い眼差しがベルフを射抜く。

 それは、先程まで見せていた人の良さそうな表情とは打って変わったものだった。

 それを正面で見ていたクレヴォが、思わず膝に下げた手を強く握る。


「さて、特産品の話ですけど」


 フロガが話を切り替えると、横からリカルドが資料を配った。

 資料によれば、フルーツの出来栄えは上々。

 それを使用したワインやジュース、ジャムやドライフルーツといった加工品もよく売れている。

 最近はクレヴォの勧めで女性をターゲットにした、メロウラージュのイメージ香水にも手を出し始めた。


「香水か……さすがクレヴォ。良い着眼点だ」


 言われて、クレヴォが口の端を吊り上げ、得意げに身を乗り出した。


「そうだろ。結局金を出すのは婦人ばっかりだし……」

「だが、売り上げはいまいちだ」


 言い掛けたクレヴォの言葉に、ベルフが被せる。

 わざとらしく大きなため息をつき、眉間に皺を寄せるベルフの様子に、クレヴォの表情が引き攣った。


「そうだな……香りっていう視点は良いと思うから、貴族以外にもターゲットを広げてみれば?」

「高級品なのに?」


 クレヴォが首を傾げ、声に疑念が滲む。

 テーブルに肘をつき、フロガを斜めに見やるその目は半信半疑だ。

 フロガは軽く笑い、指先で資料をトンと叩いた。


「高級品だから、特別感があるだろ。 といっても、香水自体の値段を安くするんじゃなくて、少し背伸びすれば手の届く新商品……コロンとか、ヘアミストやルームフレグランスなんて良いかもね」


 その言葉に、ベルフが目を細めた。

 椅子の背に凭れ直し、顎に手を当てて思案している。

 クレヴォも資料に目を落とし、何かを考えているようだ。


「あとはデザインだけど、うちと繋がりのあるアデラールとのコラボ商品にしよう」

「あの気難しいアデラールがパッケージのデザインなんかするわけないだろ」


 クレヴォが即座に切り返す。声に嘲りが混じり、資料をぺちぺちと叩く音が響いた。

 フロガは予想していたかのように口角を上げる。


「アデラールには相場より高いデザイン料を支払う」

「なんだと? デザイン如きに金をかけて、売れなかったらどうするつもりだ」 


 ベルフが口を挟む。

 声が低く響き、冷たい目がフロガを鋭く捉える。

 フロガは動じず、軽く首を振って言葉を続けた。


「いいえ、彼にはそれだけの価値があります。 だからこそ、アデラールには金額で敬意を表すんです。販売数量を限定して希少価値を出せば売れるはずです」  

「ほう……マウント取りが好きな貴婦人どもは『手に入らない』と聞けば我先にと飛びつきそうだな」


 冷たくフロガを睨んでいた瞳が一転し、煌々と輝く。

 そんなベルフに続いてクレヴォも大きく頷いた。


「ですね、悪くない。婦人連中が騒げば、男どもも黙って金を出さざるを得ないだろうし」

「だろ? リカルド、アデラールとの交渉の手配を頼む」

「かしこまりました」

 

 フロガが視線を投げると、リカルドは静かに頷き、資料を近くのフットマンへ渡した。

 フットマンの背中が扉へと消え、部屋に一瞬の静寂が訪れる。

 続けて、フロガが次の資料を促した。


「リカルド、次の資料を」

「はい」


 配られた資料に目を通すなり、フロガの顔色が変わる。

 同様に、クレヴォも驚いたように眉を寄せ、資料をめくる指を微かに震わせた。


「………こんなものを販売しているんですか」


 フロガが低く呟く。

 続けてクレヴォも資料から顔を上げた。


「俺も知らなかった。 何これ?」

「これを販売している事がバレれば危険ですよ」


 フロガが資料を叩くが、ベルフは動じずに椅子の背へ凭れ、腕を組んでいる。


「販売しているのは一部の貴族や裏の業者だけだ」

「ですがこの桃の成分は違法薬物と同じですよ。 継続して販売するにはリスクが高すぎます。販売は中止しましょう」

「馬鹿な事を言うな。 うちの主力と言っても良い商品なんだぞ」


 ベルフの声が低く響き、テーブルを叩く音が空気を裂く。

 フロガは動じず、目を細めて言葉を続けた。


「今年は不作だったことにして、値段を倍にするんです。出回る数が少ないと知れば、倍の金額でも払うでしょう。 さっきの香水と同じです」

「だが……」


 ベルフが口を開きかけるが、フロガが手を上げて遮る。


「半分をうちの手の者に買わせて、更に倍の値段で転売させれば良い。今年の分はこれで終わり。 売るとしても次は二、三年後……皆が少し忘れた頃に販売すれば、足もつき辛い」


 その提案に、クレヴォの心が一歩引く。

 フロガはこんな事を言う男だっただろうか。

 少なくとも、クレヴォの知っているフロガならすぐに販売を中止し、再販の提案だとしなかっただろう。


 ──フロガの目は鋭く光り、冷静さが漂う。

 ベルフが小さく唸り、顎を撫でながら黙り込んだので、フロガはこの無言を肯定と取ることにした。


「これで良いですね? では、この話は終わりにしましょう。 ほかに何か共有する事はありますか?」

「……充分だ」


 ベルフの一言で、話し合いが終わった。


 話が終わったところで、クレヴォが椅子を引いて立ち上がる。

 足音を殺すようにして早々に部屋を出るが、廊下へ出たところでフロガに呼び止められた。


「クレヴォ」


 振り返ると、フロガが立っていた。

 明るい廊下のはずなのに、何故かフロガの顔には影が落ちているように見える。


「今まで大変だっただろ? お前がいてくれて心強いよ。父さんの事は気にしないで、これからは二人で頑張ろう」


 優しい笑みを浮かべるフロガ。 記憶の中のフロガそのままだ。

 口角が柔らかく上がり、声は温かみを帯びている。

 ただひとつ違うのは、紫紺の瞳に以前のような輝きがない。

 それはクレヴォの知っているフロガとは違う気がして、胸に冷たいものが走った。

 背筋がゾクリとし、得体の知らない者を見ている恐怖と、昔のフロガが戻ってきた喜びが混ざって心臓を締め付ける。

 フロガの手がクレヴォの肩に軽く触れるが、その温もりは逆にクレヴォを震わせた。


「あ……ああ、うん。そうだな」


 クレヴォが掠れた声で応える。

 目を逸らし、唇が小さく震えた。

 フロガは笑みを崩さず、軽く肩を叩いて踵を返す。

 足音が遠ざかる中、クレヴォは壁に凭れて息を吐いた。



 フロガの軽快な足音が廊下に響く。

 婚約や香水の話は想定内であったが、まさか違法な物まで販売しているとは思わなかった。

 あれはもっとうまく隠して流通させよう。

 フロガは思考を巡らせながら、自室の扉を開く。


 柔らかなソファに凭れ、大きくため息を吐いた。

 テーブルに置かれているフルーツや焼き菓子を眺めながら、他の案を練る。


 ──フルーツを使ったカフェをオープンしてもいいかもしれない。


(……パフェやケーキ、フルーツティなんかを出せばきっとあいつも喜ぶだろうな)


 自然と口角があがる。

 しかし、次の瞬間には違和感を覚えた。


「あいつって……誰のことだっけ」

 

 呟きは部屋の静寂に溶けていった。



*****


 燦然と輝くシャンデリアが大広間を照らす。

 無数の燭台が壁を飾り、貴婦人たちのドレスが色とりどりに揺れて、笑い声と楽団のしらべが大広間を満たしていた。

 給仕が持つ銀の盆にはシャンパンが泡立ち、グラスが触れ合う音が響き合う。

 夜会のざわめきの中、黒い燕尾服に身を包んだフロガは、軽やかな足取りで人波をかき分けた。


 今夜はジャンドゥ侯爵主催の夜会だ。

 侯爵とだけあって、様々な貴族がこの夜会に参加している。

 勧められたシャンパンを手に取りつつ周りを見渡していると、フロガは壁際に知った人物を見つけた。


「こんばんは、イザベル様」

「あ……フロガ様。 ごきげんよう」


 イザベルは先日の会食で知り合った、ルヴェント家の次女だ。

 ゆるく巻かれた翠色の髪と淡い水色のドレスがふわりと揺れた。

 灰色の瞳が控えめにフロガを見つめ、恥ずかしそうに逸らされる。


「先日頂いたフルーツ、とても美味しかったです。 その……今度、またお裾分けをいただけたら嬉しいわ」


 お裾分け、というのは遠回しに援助でも求めているのだろう。

 トリアが言っていた通り、ルヴェント家が莫大な借金を抱えているというのは本当だった。

 少し優しくしてみたら、イザベルは出会ったその日のうちに、ぺらぺらとフロガへ口を割ったのだ。


「イザベル様のお願いでしたら、考えてみますよ。 今日は夜会を楽しんでくださいね」


 一応声は掛けたが、没落寸前の家と深く交流するつもりはない。

 軽くあしらいつつ、フロガはそっとイザベルから距離を置いた。


 ふと、ホールの中心で一際目立つ人物に視線が行く。

 レッドゴールドのロングヘアに琥珀色の瞳、整った目鼻立ちと長い四肢。 誰が見ても口を揃えて「美女」だと言うだろう。

 深紅のドレスはスカート部分にシルクが使われているのか、滑らかな光沢が揺れている。

 胸元には金糸で花の模様が刺繍されており、散りばめられたルビーが輝いていた。

 彼女が扇子を手にして微笑み、動く度にドレスが生きているかものように翻る。

 流石のフロガもその姿に目を奪われたが、ふと、後ろの方から囁きが聞こえてきた。


「見て、オフェリア嬢だわ。 絡まれると厄介だから離れましょう」

「そうね……ほら見てあのドレス。 きっとまた何処で作ったとか長々と自慢話をされるんだわ」


 オフェリアという名前には聞き覚えがある。

 どこのご令嬢だったか……

 思い出そうとしているうちに、フロガに気付いたオフェリアがこちらへ向かってきた。


「ごきげんよう、エリュプティオ卿。 今日は奥様とトリアさんはお連れにならなかったのかしら?」


 フロガを見るなり、オフェリアがにこりと微笑む。

 おそらくクレヴォと間違っているのか、瞳には見慣れた相手への親しげな輝きが見受けられる。

 フロガもいつものように人好きな笑顔を浮かべ、首を傾げてみせた。


「お初にお目に掛かります……と言いたいところですが、どうやら私を兄のクレヴォと間違えていらっしゃるようですね。 私はフロガと申します。 兄と妹も一緒に来ていますが、どこかでグラスと戯れているかと」


 彼女の瞳が驚いたように一瞬丸くなる。

 それから扇子をぱたりと閉じて、優雅にカーテシーをした。


「まあ、失礼しましたわ。 オフェリア・サリクス・エグランタインと申します。 お兄様と瓜二つなのね……双子かしら?」

「ええ、よく間違われるんです」


 フロガが小さく笑う。


「そう、大変ですわね」

「いえ、貴女のような方にお声掛けいただけるのなら、悪いことばかりではありません」


 エグランタイン、と聞いてフロガはようやく思い出した。

 古い歴史を持つ貴族で、名も広く知られている。

 広大な領地は絹織物の交易で富を築き、鉱山から掘り出される魔石や宝石でその名をさらに高めていると、商人たちから聞いたことがあった。

 噂では、その財は遠くの都市の交易を潤し、貴族たちの間でも一目置かれるほどだと。

 となれば、利用しない手はない。

 上手く取り込めば、エリュプティオの名を格上げすることができる。


「きっとダンスも美しいのでしょうね。 よろしければ、一曲如何ですか? 」


 差し出した手をオフェリアが一瞬目を細めて眺め、扇子を軽く揺らす。

 今の時点でフロガに興味はないのだろう。 が、こうして持ち上げられるのは悪くないらしく、オフェリアは小さく頷いて、フロガの手を取った。


「ええ、よろしくてよ」


 深紅のドレスが優雅に翻り、ルビーがシャンデリアの光を散らす。

 二人はダンスの輪へ滑り込み、楽団の旋律に身を委ねた。

 オフェリアの長い髪が揺れ、その美しさが自然とホール内の視線を集める。フロガのリードは軽やかで、オフェリアを引き立てるように自然であった。

 そんな二人に貴族たちが注目し、扇子の陰で囁きが広がる。

 オフェリアはその様子を満足気に眺めていた。


「リードがお上手ですこと。 御覧になって? 皆、私に見惚れているわ」


 オフェリアがクスクスと笑い、声に自慢が滲む。

 フロガは笑顔で頷き、オフェリアの言葉に耳を傾けた。


「オフェリア様の美しさに目を奪われるのは当然のことですよ。 私も、その一人です」


 当然だと言わんばかりにオフェリアの顎が上がる。

 

「お上手なのはリードだけではないようね。 悪くない返しだわ」

「ありがとうございます」


 フロガは笑みを崩さず、終盤に差し掛かった曲を軽い足取りで踊った。

 このオフェリアという女、傲慢ではあるが虚栄心は利用できるかもしれない。

 どこか鋭く内面を見るような瞳は油断できないとも思ったが、かすかに懐かしさを感じる。

 何処かで見たことのあるような、琥珀色の美しい瞳。

 とおい昔に、こうして踊ったことがあるような気がして、フロガはその瞳に魅入った。


 ダンスが終わり、手が離れる。

 その瞬間、フロガは我に返ったように後退った。

 近くにいたフットマンからドリンクを受け取り、オフェリアへ渡す。


「……とても楽しい時間でした」

「ええ、私も。 久し振りに悪くない夜会だわ」


 オフェリアがグラスを手に持って軽く口をつけたあと、視線をフロガに戻した。

 

「私が夜会に出ると、みんなを釘付けにしてしまうでしょう? だからいつもダンスに集中できないの。 今日は新しく仕立てたドレスだったし、楽しく踊れて良かったわ」

「美しいのも良いことばかりではありませんね。 そちらのドレス、貴女の髪色に馴染んでいてとてもお似合いですよ」

「あら、見る目があるのね。 このドレスは特別に作らせたもので……」


 先の令嬢たちが噂していた自慢話が始まる。

 だが、その言葉ひとつひとつは一見華やかな自慢に聞こえつつ、フロガとエリュプティオ家を見定めるような響きを帯びていた。


 彼女の声は軽やかだが、瞳が一瞬鋭く光る。フロガはニコニコと笑い、穏やかに応えた。


「オフェリア様は素晴らしいセンスをお持ちなんですね。 ドレスといえば、最近うちの領地をイメージして出した香水が人気でして……よろしければ、今度フルーツと一緒にお送り致しますよ」


 オフェリアが小さく笑い、眉がわずかに上がった。


「香水?」

「ええ。 香水と言えば花の香りが主流ですが、領地の特産であるフルーツやスイーツの香りをイメージしたものを作っているんです」

「あらそうなの」

「是非、お試し下さい。 フレッシュで甘い香りですから、美しい貴女が纏えば夜会がもっと華やぐはずです」


 オフェリアの扇子をあおる手が止まる。

 フロガは相変わらず穏やかな笑みを崩さない。


 ──普段ならば、オフェリアの自慢話に疲れて離れていく者が殆どだ。

 話の意図にも気付かず、ただ面倒臭がって離れていくのだ。

 しかしフロガは少し違う。

 話の裏を汲み取り、尚且つこちらを立てて、自分のアピールも欠かさない。

 エグランタイン家の基準にはまだ測りかねるが、悪くない相手だとオフェリアはほんの少しだけ考えた。


「ふふ……あなた、まあまあ面白いわね。気に入ったわ」

「光栄です」


 フロガはニコリと笑い、心の内でオフェリアの微かな気持ちの変化を感じていた。

 もう少し押せば、うまく取り込めそうだ、と。


 その時、大広間が急にざわめきに包まれた。

 貴婦人たちが扇子の陰で囁き合い、令嬢たちが目を輝かせる。


「まあ、ミレイユ様よ」

「相変わらず素敵ね……」


 オフェリアの笑顔が一瞬にして消え、眉がピクリと動いた。

 現れたのはミレイユ・オルリアン。長い金髪に赤い瞳が際立つ、オルリアン侯爵家の令息だ。

 燕尾服に身を包み、颯爽と会場に足を踏み入れると、まるで御伽噺に出てくる王子様のような魅力で貴族たちの視線を一気にさらった。

 オフェリアがグラスを握る手に力がこもり、扇子を軽く叩くように振る。

 彼女の瞳に、苛立ちと複雑な光が混じる。

 フロガは静かにその様子を見やり、 オフェリアの苛立ちの原因がミレイユにあるのだと察した。

 きっと自分より目立っているのが気に食わないのだろう。

 そんなオフェリアの視線に気付いたのか、ミレイユがこちらへ歩いてきた。


「おや、オフェリア嬢じゃないか。気づかなかったなぁ」

「あらあら、ミレイユ様。私の美しさに目を病んでしまったのね! お労しいこと」

「はあ? そんなわけあるか」

「だってこの私に気付かないだなんて……ああ、私が眩しすぎるのがいけないのね。私ってなんて罪なのかしら」

「君な、そんなんだからいつまでたっても結婚できないんだぞ」

「あら、お相手がいないのはミレイユ様もでしょう? まあ私は、私の完璧さに皆様が謙遜してしまっているだけなのだけれど。 なんせ私ったらこの美貌に加えて頭脳明晰、ダンスも乗馬も狩りだって……」


 弾丸のように喋り始めた二人をフロガは黙って観察していたのだが、ミレイユがフロガを見やる。


「きみ、こんな奴と話してて楽しいか?」

「ええ、オフェリア様は楽しい方ですよ。 ところで、お初にお目に掛かります。 フロガ・エリュプティオと申します」


 いつも通りの、人好きな笑顔を浮かべる。

 ミレイユは軽く口角を上げて、笑顔に応えた。


「ミレイユ・オルリアンだ。 ま、楽しめてるのなら良いんじゃないか」


 彼の口調は軽いが、オフェリアをちらりと見やる目に、苛立ちとは別の柔らかさが一瞬だけ混じる。

 オフェリアは鼻で笑うと、軽く扇子を振った。


「私はいつだって完璧よ。 私の美しさがわからないだなんて、貧相なセンスですこと。 フロガ様はわかっているわよねぇ?」


 フロガがニコリと頷く。


「もちろんです。オフェリア様のお話は興味深い事ばかりですよ」


 ミレイユが小さく肩をすくめ、遠くで手を振る令嬢に視線を投げた。


「好きにしろよ。じゃあ僕は呼ばれているから……ああそうだ、オフェリア。 次の乗馬の約束、忘れるなよ」

「もちろん」


  流れるように次の予定を確認し合う。

 先程まで言い争っていた割に仲は良いようだ。

 ミレイユがヒトの中へ消えていくのを見届けてから、オフェリアは軽く鼻を鳴らして苛立ちを装った。


「まったく、いつもああやって勝手に絡んでくるのよ。 困ったものだわ」


 そんな事を言うオフェリアの声は弾んでいる。

 気付かないふりをしつつ、フロガはそっと探りを入れてみた。

 

「ミレイユ様も夜会を盛り上げる方ですね。 仲が良いのですか?」

「まさか! 学園が同じだっただけよ……さて、私、ちょっと夜会に飽きてきたから、そろそろ帰ろうかしら」


 フロガが軽く一礼し、申し出る。


「では、玄関までお送りします。今夜は本当に楽しい時間でした」

「ありがとう、フロガ様。あなたと話せて私も悪くなかったわ。またお会いできるかしら?」

「ええ、もちろんです。次はオフェリア様がもっと楽しめる話をお届けしますよ」


 二人は大広間の喧騒を背に、ゆっくりと玄関へ向かった。

 馬車に乗り込むオフェリアが、窓から顔を出し、微笑む。


「ふふ、楽しみにしてるわ。今度はあなたの話を聞かせてね。では、ごきげんよう」


 フロガは一礼し、馬車が夜の闇に遠ざかるのを見送った。

 

 広間へ戻ると、遠目から様子を伺っていたクレヴォとトリアが近寄ってきた。

 

「フロガお兄様、オフェリア嬢はあまり良い話がありませんのよ」


 トリアが警戒心を孕んだ声で、周りに聞こえないようにそっと呟いた。

 ざわめく声と音楽に紛れたトリアの呟きを拾い、フロガは安心させるように笑ってみせる。

 

「ご令嬢達が話してるのを聞いたから知ってるよ。試しに声をかけてみたけど、噂とはちょっと違うね」

「ああ、お前も気付いたか。初手でかなり値踏みしてくる。油断できない子だよ」


 クレヴォはオフェリアと認識がある。

 だから、彼女がどういう人間なのかもうわかっているのだろう。

 そしてフロガと同じようにうまく立ち回ったということが、オフェリアの様子で察することができる。

 きっと気に入らなければ、話し掛けてもこないはずだ。


「自慢話のように聞こえるけど、うちが釣り合うかどうか見定めているね。ついでに人の形を見てる」

「……そういえば、私の変装も一目でみやぶっていたわ」

「お前、あれ見られたのか?」

「しかも遠目ですぐに気付きやがっ……気付きましたの」

「変装ってなに?」


 フロガが口を挟むと、トリアが扇子で顔を隠す。

 催眠魔法をかけられている今、トリアのもう一つの顔はフロガの中で無かったことになっているのだ。


「……とにかく、オフェリア嬢は私はあまりおすすめしませんわ。結婚してからもあの調子だと困りますもの」

 

 話を戻す。

 フロガは少し考えたが首を振った。


「いや、彼女は気配りできるよ。話も上手くて観察力がある」

「え……」

「次会ったらよく見てごらん。多分、あの見た目と優秀さなうえミレイユ様と繋がりがあるから嫉妬されて変な噂を流されてるだけだと思う」


 ちら、と横目で大広間の真ん中にいるミレイユを見やる。

 ダンスを踊る姿に若い令嬢たちがうっとりと心を奪われているようだ。


「ミレイユか……あれだけご令嬢に人気なのに特定の人がいないって聞くけど。縁談も断ってるとか」

「まあつまり、両片想いなんだろうね。二人とも素直になれないだけの、拗れたやつ」


 トリアとクレヴォが同時に目を丸くし、フロガを凝視する。

 トリアの扇子がパタリと止まり、クレヴォの口元に一瞬驚きの笑みが浮かんだ。


「わかりやすいと思ったけど……誰も気付いてないの?」

「……どちらにせよ、オフェリア嬢の選択は無くなりましたわね」

「いや、候補に入れて良いと思う。 別にミレイユ様と婚約してる訳じゃないしね。侯爵家と縁ができれば、うちの格も上がるだろ」

「でも、一筋縄じゃいかなさそうだぞ。 噂では剣術にも長けてて手合わせさせられるとか、雑談で突然専門的な話をされて知識を探られるとか……」

 

 クレヴォの言葉に、フロガは軽く笑ってみせる。

 シャンデリアの光に照らされているはずの紫紺の瞳には、影が落ちていた。

 

「どっちも得意分野だよ」


 


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