6 きっかけ
湊は暫くその場に立ち尽くし、一眼レフカメラの写真に収めた巨大な影を眺めていた。そして、暖かい日差しが体に当たる感覚で湊は我に返った。
空を見上げると先ほどまでの曇天が嘘のようにすっかり晴れており、まるで巨大な影が雲をも引っ張って行ってしまったかのように思えた。
湊は無意識に、巨大な影が去っていった方角に歩き出そうと一歩踏み出して止まった。
見たことのない巨大な影を写真に収めた。
くっきりとした写真が撮れた訳ではなかったが確かに写真に収めたのだ。
なら、追いかける必要はあるのか。
湊の中でそんなことが頭をもたげた。
そして答えは悩むまでもなく、すぐに出た。
追いかける必要はある。
なぜなら、強く興味が湧いたからだ。
今まで見たことのない、空を飛ぶ巨大な影。
それの正体を確かめ、先ほどの写真よりくっきりとした姿を写真に収めるまでは帰りたくないと湊は思ったのだった。
そう思うが早いか、湊は巨大な影を追って歩き始めた。
既に巨大な影は彼方に消えてしまっていたが、帰りの時間まではまだ余裕があったので時間ギリギリまで、湊は巨大な影を追うことにした。
当然といえば当然の事なのだが、人がおらず荒れ放題になっているフィフスウェル内は、いくら歩けどほとんど風景が変わらなかった。
背の高い雑草の生えた田畑。瓦礫。田畑。瓦礫……。たまに無人機の残骸。見たくはないが、昔は人だった物も。
身を隠すところに困ることはなかったが帰るときに同じ景色ばかりで迷いそうだと湊は思いながら歩いた。
そして前にフィフスウェル内に侵入したときに見た記憶のある、倒れた無人機の残骸の横を通り過ぎようとしたその時だった。
突然、その倒れた無人機の残骸から物音がしたのだ。
咄嗟に、湊は近場の草むらに飛び込んだ。
好き放題に生え盛った雑草は普段なら視界を悪くするだけだが、こういう時に役に立つ。
湊の体は完全に草むらの中に隠れていて、外からは見えなくなっていた。
草むらの中から物音がした無人機の残骸を注意深く観察する湊は、いつの間にか自分でも気づかないうちに一眼レフカメラを構えていた。
なにか予感がしていたのだ。
カメラを構えておいた方がいい予感が。
そして無人機から這い出てきたそれを湊は瞬時に写真に収めた。
巨大な影とは違いくっきりと写真に写ったそれは、湊より年下に見える少女だった。
「は……?」
全く現実感が無いその写真に思わず湊は声を出した。そして、咄嗟に声を抑えるように口を手で押えた。
しかし、無人機から出てきた少女はそれに反応し勢いよく湊が隠れていた草むらを搔き分けた。
「ッ!」
草むらの中で這いつくばって口を押えていた湊と草むらを掻き分けた少女。目と目があった。
短いブロンドの髪、長いまつ毛、碧色の瞳、傷一つなく整った顔立ち。
薄く汚れた白いワンピースを着た少女はまるで人形の様であった。
声を出すことや動くことすら忘れて二人は見つめ合っていた。
どれほど時間が流れただろう。たった数秒かもしれないし、何分も経っていたかもしれない。
しかし静寂は破られた。
少女の声によって。
「写真、撮ったの?」
「あ、うん。その……」
「消して」
少女は眉を顰めてそういった。
湊は体を起こし、草むらに胡坐をかいて座る姿勢をとった。
いくら草むらといえど地面に触れていた部位には土が付いていた。それを払いながら湊は少女を見た。
「……なんで?」
そんなこと聞かなくても湊は分かっていた。
湊だってフィフスウェル内で自分が写真に写ったら消すだろうし、撮られたら消せというだろう。それは自らがフィフスウェル内に侵入した証拠そのものであるからだ。
聞くまでもないこと。でも聞いた。
何故か。
理由は簡単だ。
少女を撮った写真を消したくなかったのだ。
湊には自分が撮った少女が写った写真が、何よりも素晴らしい写真に見えた。
世界中の歴史ある風景画。世界に名が轟くプロのカメラマンが撮った季節を収めた写真。
少女が写った写真はそんなものにだって勝ると思った。
「貸して」
「嫌だよ。仕事道具なんだ」
湊が少女の言葉に抵抗していると、少女は心底面倒くさいといった顔で草むらの中に入ってきて湊の持つカメラに手を伸ばしてきた。
湊がカメラを持つ手を伸ばして少女の手の届かない背中側へやると、少女は湊の上に乗ってきた。
「ちょ、ちょっと……」
湊が姿勢を崩して少女を乗せたまま後ろに倒れると、その隙に少女は湊のカメラを奪った。
そして湊に馬乗りになったまま、少女はカメラを操作した。
湊が恨めしい目を少女に向けると「素直に渡さないのが悪い」と少女はいった。
「本当に消すの?」
「ええ」
少女を押しのけてカメラを奪還する事も一瞬頭をよぎったがそれはやめて、湊は諦めるように体の力を抜き、草むらに体を預けた。
湊はなぜだか少女を押しのける気にはなれなかった。
草むらは濃い緑の匂いがした。
人形の様な少女の背後には綺麗な青空が見えた。
何となくいつまでもこうしていたい気分だった。
しかし、少女が写真を消したらすぐにこの時間は終わるだろうと湊は思った。だが、数分経っても少女は湊の上でカメラを操作したままだった。カメラの操作に慣れていないのか、想像以上に時間がかかっていた。
流石に気になった湊は少女に声を掛けた。
「操作、わからないの?」
少女は首を横に振った。
「消したわ。はい」
少女は湊にカメラを押し付けると、立ち上がって草むらから出ていった。
一応、湊はカメラの中身を確認したが、少女の写真はしっかりと消されていた。
湊が草むらから出ると、少女は既に道路の上を歩いていた。それは偶然にも湊の向かう先、巨大な影の消えた方向であった。
「ちょっと待って」
湊は少女を追いかけて隣に並んだ。
少女は足を止めなかったので湊も歩き続けた。
「何?」
少女は湊を見ずにそう口にした。
独り言のように聞こえたが気にせず湊は少女に話しかけた。
「俺、竹岡湊。君は?」
「……」
少女は反応しないまま歩き続けた。
だが湊は諦めずに少女に並んで歩いた。
すると少女は諦めたように湊を見た。
「ピャートゥイ・ジェーヴスカ。私はそう呼ばれていた」
少女を見つめ返すと、やはり作り物のようにとても綺麗で可愛らしいと湊は思った。
「やっぱり日本人じゃないんだね。その髪の色といい、目の色といい、日本人ではありえないほど綺麗な色をしているからそうだと思ったんだ。ピャートゥイはどうしてここにいるのか聞いてもいいかい?」
そう少し興奮したように湊が話していると、ピャートゥイは足を止めた。
突然だった為、湊は少し前まで歩いてしまった。
「あなた……」
ピャートゥイが何かいう前に湊はそれを遮った。
「湊でいいよ」
ピャートゥイはため息をついて再び口を開いた。
「湊。あなたは随分とおしゃべりに育ったのね」
「え、あぁ。まぁね」
そんなやり取りをした後、少女はまた歩き出した。
それに湊も続いた。
ピャートゥイは横に並んだ湊を鋭く睨んだ。
「湊、あなたどこまで付いてくるつもりなの」
正直にいってもよかったが、ここは少しおどけてみようと湊は思った。
「君がここにいる理由を知るまで……とかどうだい?」
湊は鋭い視線に笑顔で応えるようにそういって笑った。
ピャートゥイは迷惑そうな顔をした。そしてため息を一つ。
「教えて欲しいのなら自分から先に言ったらどう。私だけ教えるなんて不公平じゃない?」
湊はその通りだな、と思った。
「俺は、そうだな……。フィフスウェル内の無人機の調査かな。写真を撮ったり、残骸から物を拾ったり」
そう話して最後にこれ内緒ね、と湊は付け足した。
興味なさげにそう、とピャートイは呟く。
「あの写真……」
ピャートゥイはそこまでいって口を閉ざした。
あの写真。
どの写真の事だろうと湊は考えた。
ピャートゥイを撮った写真はもう消えているので、それ以外にピャートゥイは何かカメラの中身を見たのだろうか。
湊が不思議そうにしていると、ピャートゥイは続きを話し始めた。
「影が写った写真。あれを追いかけているのかと思った」
なるほど、と思うと同時に巨大な影を追いかけている先で出会ったピャートゥイなら何か知っているかもしれないと湊は思った。
「ピャートゥイはあの巨大な影がなにか知っているの?」
「そうね。知ってた」
「なら、ぜひ教えて欲しい」
ピャートゥイの言葉に驚いて、少し食い気味にそう湊がいうと「そう、でも今は知らないから無理ね」とピャートゥイは不思議な誤魔化し方をした。
昔は知っていたが今は知らない、なんてどういうことなのだろう。
記憶が曖昧だとかそういうことなのだろうか。
そう湊は少し悩んでからそれ以上聞くのはやめた。
ピャートゥイの顔を見るとそれ以上のことは教えないといった意志が感じられたからだ。
「……ピャートゥイは企業の人じゃないよね?」
「何の話?」
湊は何でもないといって頭を掻いた。
本来他人と接触するべきではないのは分かっていたのだが湊は自分が止められなかった。ピャートゥイに対する好奇心なのか、もっと別の何かなのか。
湊は道の先を見た。
晴れ空から落ちる日差しが道を照らしている。
この道はどこに続いているのだろうか。




