17
盛大な結婚式を終え、屋敷に戻ってきた日の夜。
客たちを見送り、ようやく二人きりになったリビングで、アズリオはそわそわと落ち着かない様子でミハイルの前に立っていた。その顔は、昼間の堂々とした領主の姿が嘘のように、何やら言いたげにもだもだしている。
「あの、ミハイル……」
「はい、アズリオ様。どうされました?」
ミハイルが首を傾げると、アズリオは意を決したように、真っ赤な顔で一気にまくしたてた。
「その、アズリオ様、という呼び方と……丁寧な口調を、できれば変えてほしいんだ! もう俺たちは正式な夫婦だし、お互いの気持ちも分かっただろう? だから、俺のことはただアズリオと、呼んで、敬語も使わないで欲しい」
アズリオにしてみれば、ミハイルの丁寧な口調が、身売りの妻としての遠慮の名残のように思えて、少し寂しかったのだ。これからは対等なパートナーとして、もっと自分に甘えてほしいという、彼なりの健気な願いだった。
ミハイルはパチパチと瞬きをして、それから少し悪戯っぽく微笑んだ。
「……分かった。よろしくね、アズリオ」
「――っ!!」
初めて耳にする、自分の名を呼ぶ甘くさっぱりとした声とタメ口の破壊力に、アズリオはその場に崩れ落ちそうになるのを必死に堪えた。
しかし、そんなおねだりをしておきながら、寝室に移動してからのアズリオの鋼の理性は、相変わらず難攻不落のままだった。
婚礼の挙げ直しの夜。名実ともに本当の夫婦になった記念すべき夜だというのに、ベッドに入ったアズリオは、昨日までと変わらず仰向けに寝て微動だにせず天井を見つめていた。
(……本当に、どこまで生真面目なんだろう、この人は)
ミハイルは暗闇の中で、隣の大きな身体を見つめた。
アズリオが自分を大切に想うがゆえに手を触れないのだということは、もう痛いほど分かっている。援助を条件に婿入りさせたという罪悪感や、ミハイルを怖がらせたくないという優しさが、彼の理性を縛り付けているのだ。
けれど、さすがのミハイルも、ここまでお膳立てが揃ってなお動かない夫に対して、「これ以上待っていたら、いつまで経っても先に進まないな」と、持ち前のさっぱりとした現実的な思考を働かせ始めた。
(アズリオが動けないなら、僕から動くしかないよね)
「アズリオ」
静かに、しかし僅かに甘さを滲ませて名前を呼ぶと、アズリオの肩がびくりと震えた。
「な、何だ、ミハイル? 喉が渇いたか、それとも――」
言いかけるアズリオの言葉は、最後まで続かなかった。
ミハイルが自らシーツを跳ね除け、アズリオの逞しい胸元に這い上がるようにして、その身体にシーツ越しではなく直接、ぴったりと重なったからだ。
「ミ、ミハイル……っ!? 何を――」
大混乱に陥るアズリオの首筋に、ミハイルは細い両腕をそっと回した。至近距離で見つめ合う形になり、ミハイルの熱を帯びた吐息が、アズリオの唇にダイレクトに触れる。
「今日、誓いのキスをしてくれた時、すごく嬉しかった」
ミハイルはアズリオの耳元で、少し照れながらも、はっきりとタメ語で囁いた。
「でも、おでこじゃなくて……本当は、もっと違うところに触れてほしかったな、なんて」
「っ、~~~!!」
アズリオの脳内で、これまで彼を縛り付けていたすべての罪悪感と理性が急激に解けていく。
「ミハイル……本当に、後悔しないか? 一度触れてしまったら、止まれそうにない」
低く、獣のような熱を帯びた声で ──しかしどこかまだ愛おしそうに震える声で―― 問いかけるアズリオに、ミハイルははにかむように、けれど男らしくしっかりと微笑んで頷いた。
「うん。だから、早く捕まえて、アズリオ」
その言葉を聞くや否や、アズリオはミハイルの唇を自分の唇で塞いだ。
緊張と興奮で震える唇で、触れるか触れないかくらいの力加減で、何度も何度も口づける。
それだけで甘い刺激が背筋を駆け抜け、ミハイルはくたりとアズリオに体重を預けた。
アズリオはこれまで溜め込んできた何年分もの一途な情熱と愛おしさを全てぶつけるようにミハイルの腰を抱き寄せ、口づけを深くしていった。
夜の寝室に、これまでとは全く違う、甘く濃密な熱が満ちていく。
不器用ですれ違い続けた二人の夜は、ミハイルのさっぱりとした一歩によって、ようやく本物の初夜を迎えるのだった。




