最後の助言
しばらくして、人の流れが変わった。
気がつくと、フェリシアの前に父が立っていた。
ギルバートはすぐ隣にいたが、今は別の来客と短い会話をしていた。アルヴィンも少し離れたところにいる。
父と二人に、なった。
「フェリシア」
父の声は、低かった。
フェリシアは父を見た。
「……元気そうだな」
「はい」
「……公爵邸では、大事にしてもらっているか」
「はい」
父はフェリシアのドレスを見た。ブローチを見た。それからまた、フェリシアの顔を見た。
何か言いたいことがあるのは、わかった。言おうとして、詰まっているのも。
「フェリシア、その……領地の方が、少し」
「存じています」
「……使者を送ったのだが、受け取っていたか」
「はい。お断りしました」
父が、一瞬、目を細めた。
「戻れとは言わない。ただ、何か……お前に、できることがあれば」
フェリシアは少しの間、父を見ていた。
使者を送る前に、一度でも連絡をくれていたら。嵐の日に、馬車の一台でも出してくれていたら。書斎で、顔を上げてくれていたら。
でも今、それを言っても仕方がないことも、わかっていた。
「お父様」
「なんだ」
「庭の土を、よく耕してください。固い土では何も育ちません」
「……庭の土を?」
「それだけが、私からお伝えできることです」
父はフェリシアを見た。
それ以上の意味があることは、父にも伝わったかもしれない。伝わらなかったかもしれない。
「……そうか」
父は頷いた。
フェリシアも頷いた。
そこへ、ギルバートが戻ってきた。
父の顔を見て、ギルバートは静かにフェリシアの隣に立った。
ただ立っただけだが、それだけで父の背筋がわずかに伸びた。
「……ウィンストン公爵。娘をよろしくお願いします」
父は頭を下げた。
ギルバートは少しの間、父を見た。
「……フェリシアは、俺が守る」
それだけ言った。
父はもう一度頭を下げ、人混みの中に戻っていった。
フェリシアはその背中を見ていた。
小さく見えた。ルミナリス家の屋敷で書類を見ていた父より、ずっと小さく見えた。
「……大丈夫か」
ギルバートが低い声で言った。
「はい」
「……本当に?」
珍しい聞き方だった。フェリシアはギルバートを見た。
「……悲しくないのか、と思って」
フェリシアは少し考えた。
悲しくないか。
悲しくない、とは言えなかった。でも、胸が張り裂けるほどでもなかった。それよりも、何か遠くのものを見ているような、静かな気持ちだった。
「……少しは、悲しいです」
フェリシアは正直に言った。
「でも、今は」
ギルバートを見た。
「今の方が、ずっと良いので」
ギルバートは何も言わなかった。
視線を逸らして、人混みの向こうを見た。耳が赤くなっていた。
それからギルバートはフェリシアの手を取り、指を絡めた。
今夜二度目だったが、今度は先ほどより、少しだけ強かった。
フェリシアは繋がれた手を見た。
それから前を向いた。
会場の明かりが、ドレスの深い緑を照らしている。胸元のブローチが、柔らかく光っていた。
帰りの馬車の中、二人は並んで座っていた。
窓の外に、夜の街が流れていく。
ギルバートは腕を組んで目を閉じていた。眠っているのか、そうでないのか、わからなかった。
フェリシアは窓の外を見ながら、今夜のことを思い返した。
カサンドラの顔。父の背中。アルヴィンの言葉。ギルバートの手。
「……フェリシア」
目を閉じたまま、ギルバートが言った。
「はい」
「……疲れたか」
「少し」
「……そうか」
沈黙が続いた。
馬車が揺れた。フェリシアの肩が、ギルバートの腕に触れた。フェリシアが身を引こうとすると、ギルバートが小さく言った。
「……そのままでいい」
フェリシアは動くのをやめた。
窓の外に、星が出ていた。
「……来年の式では」
ギルバートが、また口を開いた。
「はい」
「……スノードロップを、たくさん植えるつもりだ」
「はい」
「……白い花が、一番似合うと思って」
フェリシアは窓の外を見たまま、微笑んだ。
「楽しみにしています」
ギルバートは答えなかった。
でも、腕を組んでいた手が、そっと解けた。
馬車が揺れるたびに、フェリシアの肩とギルバートの腕が触れた。
二人はそのまま、公爵邸に帰り着くまで、並んで座っていた。




