喧嘩を売られた神祇省?
厄介事、襲来!
未明……。
弘徽殿に住まう皇后付きの女房の朝は早い。皇帝たる帝の后である方に何不自由なくお健やかにお過ごしできるよう。すべてを完璧にこなさなくてはならない。
今日も今日とて皇后がお召しになる本日の衣装から来たる日の神嘗祭に向けての華やかなる衣装を手がけなくてはならない。
皇后は、この蓮炎国にて帝に次ぐ至高の存在。
その皇后が帝と共に行う祭事に於いて他の妃よりも劣る衣装を身に着けさせるなど断じてならない。
今は……帝の寵愛は皇后の下に無い………。
帝は、妃の一人である、梨壺の更衣をいたく気に入っておられる………。三位の大臣の御息女と云えども四人いる帝の后妃の中では一番、位の低い方である。
だが───幾ら位が低いからといっても未だに後宮には御子も姫もいらっしゃっらない。………考えたくはないが、もし、皇后や麗景殿の中宮ともう一人、宣耀殿に住まう麗景殿の中宮の腹違いの妹御。この三人に子がこのまま出来ず、梨壺の更衣に御子が産まれれば、その御子が帝位に即位する可能性は十分にあった。
そのような事、皇后付きの女房として見過ごす訳にはいかない………必ずや此度の神嘗祭で皇后の素晴らしさを帝に示し、再び皇后に帝の寵愛を取り戻させるのだ!
意気込む女房達を後目に……当の皇后が幾ら待っても目覚める様子が無い。
何時もならばとっくに目覚めている時間であるにも関わらず────女房達の間で、何故か嫌な予感がした。
「失礼致します。皇后さま、若松でございす。如何なされましたか? …………皇后さま?」
皇后と共に後宮に入内した、皇后がまだ太政大臣の姫君であった頃から仕えている若松が寝所に居る皇后に声を掛けた。
しかし皇后からの返答はない。
「────皇后さま? ………失礼致します」
許可無く寝所に入るは無礼であることは百も承知。なれど若松は、内心で少しずつ大きくなる厭なざわめきに危機感を覚えていた。
「許可無く寝所に入る無礼、大変申し訳ございません………お叱りは受けます故──────? 皇后さま? 皇后さま!! 誰か、誰かいらっしゃってください! 皇后さまが!!!」
皇后の寝所に入った若松の見たものは…………寝台の上でまるで死人のような真っ白な顔でぐったりとしながら微かに息をしている皇后の姿だった─────。
●○●○●○●○
その日───神祇省と陰陽寮に激震が走った。なんと、この国で帝に次ぐ至高の地位を持つ皇后が何者かに呪詛を掛けられ、死人のように眠り続けているというのだ。
幾多の結界を張り巡らせ、この国でもっとも安全と謳われている皇帝の后妃が居わすと後宮。
その後宮で皇后に呪詛。
「う~わ~~。………これは、陰陽寮の面子丸潰れだね。寄りにもよって帝のお膝元である後宮で、しかも皇后さまが呪詛されるだなんて…………いやいや世も末だなぁ~~もう~~~」
グデッと机に伏っぷす利寛。
「だから貴様は!! 極秘事項を口に出して言うな! このことは陰陽寮と我ら神祇省の者しか知らぬのだぞ!?」
「いや……あのね? 道綱殿? 君の声が一番大きいから。君こそ声を潜めようよ………」
バッと急いで口を手で塞ぐ道綱。しかし元は貴様の所為だと利寛を睨み付ける。
「利寛、道綱殿をからかうな。道綱殿も落ち着かれよ……。この阿呆に真面目に付き合うとこっちがバカを見ますよ…………」
利寛の従兄弟である隆勝が道綱を窘める。
「隆勝、ひでぇ~~~」
「言ってろ、馬鹿者」
その様子を見ていた満が苦笑しながら縁から受け取った書簡を整理していた。
「三人共、しゃべってないでこっちを手伝ってくれませんか? 確かに……見過ごせぬ事態ではありますが我らには来るべき日の為の行いがございます。今、我らが無駄に騒ぎ立てたところで何にもなりませんよ」
「……………」
優しく、されど鋭い満の指摘に三人はウッとする。………縁は、我関せずの様子で淡々と目の前の書簡の整理整頓していた………。
まあ、自分には関係ないことと───この時の縁はこの後宮で行った事件に無関心であった…………それが間違いだと気付いたのは、陰陽寮からの使者が神祇省にやってきたからだった。
「こちらに白水殿はいらっしゃっいますか? 陰陽頭と中宮職の中宮大夫がお呼びになっていらっしゃいます。急なことではありますが私と共に付いてきてくださいませんか?」
「「「「「…………………」」」」」
神祇省に居る、全員からの視線を受けて陰陽寮の使者は居心地悪そうに視線をさ迷わせていた。
「………すみませんが、それは一体、何の冗談でしょうか?」
何時ものように優しげな微笑みを浮かべる満が使者に話し掛けたが、その目は決して笑っていない。穏やかな彼も、流石に下っ端とはいえ神祇省の縁が他の部署の人間に呼び出されるという状況は癇に障ったもよう………。
当たり前だ。神祇省の伯に断りもなく、神祇省の一員である縁を一方的に連れて行こうとしているのだから。
(そういえば………神祇省の伯って今どこに居るんだ?)
一応神祇省で一番偉いのは神薙らしいのだが、神薙は神祇省で最高位である伯の位にはついていないのだという。
神薙の立ち位置はよく判らないが………ともかく、神祇省の伯は別の人間であるらしい。
一度も会ったことは無いけれど。
「じょ、冗談ではありません……!! 本当に! この神祇省にいらっしゃっる白水殿を呼んでくるように言われたんです!!」
「誰もねぇ~……君が、嘘を吐いているって思っているわけじゃないよ? ただ………神祇省の面子丸潰れな真似をするのはどういう理由かな? と聞いているんだけど………だってさ、有り得ないよね? 神祇伯に話も通さずにウチの新人連れてこうだなんて─────これってさ、越権行為だよねぇ?」
利寛も、声は明るいが目が笑っていない。
「そのような真似をして………白水殿を連れて行こうとするのはどういう事だ? ………納得のいく説明を」
「こっちの面子を潰そうとしているのだ。むしろしてもらわなくては困るない」
道綱と隆勝も冷めた瞳で使者を睥睨する。
「そのようなことを私に言われても………い、白水殿は、如何なる考えか!?」
「お断り致します。神薙さまと伯を通しての命ならいざ知らず………他の部署の命令に従う義理は無いので」
ただでさえ仕事がたまっているのに………勘弁してくれ、マジで。
顔面蒼白でおろおろし始める使者にとっとと帰れとばかりに利寛が笑顔でのたまう。
「あのさ~~、ただでさえこっちは神嘗祭の準備に追われているのに陰陽寮や………何でか知らないけど中務省に属してる中宮大夫によけーなチョッカイ出されなきゃいけないの? そんな謂われはないよ? 神祇省はさ」
それは使者の方も百も承知なのだろう。もう血の気の引いた顔を俯かせて震えてしまっている……。
「理解してくれた? そんじゃあさ~~~……お帰りは、あっちだよ?」
可愛らしく首を傾げながら扉を指差す利寛。使者は──カクンと肩を落としてふらふら~と出て行った。その様子を見ていた縁はポツリと呟く。
「……私に何の用だったんでしょう?」
「さあな。……だが、中務省が出てくるなんてきな臭いとしか言えんな。しかもこの時期に……」
道綱の言うこの時期───つまり、皇后が呪詛されたという一大事に。
中務省──、
皇帝の補佐や、詔勅の宣下や叙位など、朝廷に関する職務の全般を担っていた為に、八省の中でも最も重要な省とされる………中宮職はその中務省の中でも後宮の事務を担当する部署だ(ちなみに陰陽寮もこの中務省に属してるが陰陽寮はその特異性からほぼ独立機関と化している)。
「嫌な予感がしますね………。白水殿、今日はあまりこの神祇省から出ないようにしてください。これから外へ持って行く書簡は私が行きますから、いいですね?」
「はい。ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げる縁に満は優しく微笑んで「それでは行ってきます」と神祇省を書簡を持って出て行った………。それを、微妙な顔で見送る三人がボソボソと話し合っていた。
「ねぇ? あの書簡さ、陰陽寮行きの書簡じゃなかったけ?」
「………確か、陰陽寮が催促していた神嘗祭の進行に関する書簡だな」
「満殿………まさか…………」
隆勝が顔をひきつらせる………。同じ考えが利寛と道綱にも浮かんでいた。
「────直接、殴り込みに行ったみたいだねぇ~~満殿。いやー優しげな風貌に似合わず実は、中身はちょっとばかり好戦的だったみたいだねぇ…………」
「満殿の事だ、問題はおこさんだろ。ほら、さっさと仕事するぞ!」
背後で交わされる会話に縁は賢明にも無言を貫いた───。
私は何も聞いていません。でも満殿は敵には回さないと今、決めました。
頭の片隅に先ほど出て行った陰陽寮の使者の、ふらふらとした姿が横切った。
言い付けを守るどころか。すぐ後ろから微笑みながらも内心怒っている満が、使者の背後から忍び寄っている様子がさまざまと脳裏に浮かぶ。
「…………」
縁は使者の冥福を心の底から祈るのであった。
静かで優しい人ほど、怒らせると後が怖いのです…………ガタブルガタブル((((;゜Д゜))))




