間幕
大人しい人は怒ると質が悪いよね。
陰陽寮に向かう道のりを、トボトボと歩いている人影があった。
陰陽頭の言い付けした神祇省に在籍しているという白水という者を連れて行こうとしたら、その場に居合わせていた神祇官達に怒気と辛辣な言葉を浴びせられた。
正当性があり、こちらが非常識なことを言っている自覚はあったので、彼らの言葉は胸に突き刺さった───だが、
「そんなこと………私に言われたって…………」
自分はあくまでも陰陽寮に仕える一雑色でしたかない。そんな自分が怒られるなんて………なんとこの世は理不尽なことか。
陰陽寮に戻っても叱責を受けるだろうと重いため息を吐く彼は気付いていなかった………背後から、ひたり……ひたり……と忍び寄る昏い嗤いを唇に刻んだ陰が近付いているのを────。
「陰陽頭、中宮大夫、ただいま戻りました」
跪き、頭を下げる使者に向かって鷹揚に頷く初老に差し掛かった程の陰陽頭と鼻で笑う青白く太った中年の中宮大夫。
「それで? 後ろに居る者が例の白水と申す者か?」
中宮大夫の言葉に、使者は反射的に背後を振り返った。
「陰陽頭、お久しゅうございます。中宮大夫に於かれましてはお初に御目文字つかまります。私は神祇省にて従六位上 神祇大祐の御位を賜っております。大伴宿禰満と申します。以後、よしなに………」
美しい所作で拝礼する姿に、使者は一瞬見蕩れる………が。
「ほっほっほっ………久しいな、大伴殿」
「なんだと……? 白水ではないのか?! おい貴様!! これは一体どういうことだ!!」
「えっ?! い……いえ………わ、私は何も……!!」
中宮大夫に睨まれ、弁解したくとも使者の方も何故満が此処に居るのか判らず、あたふたしている。
一方陰陽頭は現れた満を見てどこか楽しげであった。
「私は陰陽頭より頼まれし神嘗祭の進行に関する書簡をお持ちいたしました………どうぞ、御改めください………」
「おお……! 進行の、それはわざわざ済まなかたったのぅ」
どうぞ、と書簡を陰陽頭に差し出した満。どうして彼が此処にいるのかは分かったが、幾らなんでも場が悪過ぎるだろう。中宮大夫が満を苛々しながら睨んでいるではないか!?
「大伴の───満と言ったな。貴様と同じ部署に白水という者が居るはずだ。何故、その者が此処に来ぬ!? 下位の輩が、皇帝より中宮大夫の位を授かる儂の命令に逆らうか! 言え! 白水と申す輩は何故来ぬのだ!? 返答次第では貴様もただでは済まされんぞ!!」
威圧的に満に詰め寄る中宮大夫。しかし当の満本人は微笑を浮かべたまま穏やかに中宮大夫に「何故、とは一体なにがでしょう?」とのたまった。
「私ども神祇官は神薙さまを主軸としてこの国に仕えております。我ら神祇官に直接命を下せるのは神薙さま、神祇伯、そして皇帝陛下の三名のみに御座います。そして我ら神祇官………その位低くとも、国を支える支柱の一角を建国時より任って参りました。その我らが、何故、中宮大夫の貴殿の命を聞く謂われがあるのでしょうか……?」
端で聞いていた使者は、満のあまりに直球なトゲにドン引きした。つまり、
・我ら神祇官に直接命を下せるのは神薙、神祇伯、皇帝の三名のみ
=お前は入っていない
・位低くとも国を支える支柱の一角
=職務乱用して従えさせられる立場では無い。
・何故、中宮大夫の貴殿の命を聞く謂われがあるのでしょうか?
=太政官系列の中宮職がでしゃばるな。神祇官に命令する権利なんざお前に無い。
言葉の裏に隠された慇懃無礼の羅列。使者の己とて気付いているのだ。中宮大夫が気付かないわけが無い。案の定………顔を真っ赤に染めて憤怒の形相をしていた。
「貴様ぁ……!! 儂を侮辱する気か!?」
「滅相もございません。私は一官吏として当然のことを申したまでのこと。あくまでも王城中の者が知っている内容を改めて申しただけです。それは………決して中宮大夫を侮辱する内容では無いはずですが?」
中宮大夫の言葉に、満はさも心外そうにそうのたまったが………その言葉の裏は、そんな満の態度とは裏腹に辛辣であった…………。つまり、
・私は一官吏として当然のことを申したまでのこと
=お前が馬鹿らしいこと言わなきゃ言わない
・王城中の者が知っている
=中宮大夫まで登りつめたんだからお前も勿論知っているよね?
・中宮大夫を侮辱する内容では無い
=お前が勝手に自滅しただけ。身の程が分かった?
使者は満の背後に黒い悪魔の影が見えた気がした。
「ぐぅ……! 貴様ぁ………!!」
「ほっほっほっ……………まあまあ中宮大夫殿、貴殿の立場も分かりますが、神祇官の言うていることも一理あります。………ここで、無理を通せば中宮大夫殿の御名にも瑕がつきましょう。ここは一つ、中宮大夫殿の寛大なるお心をお示しなさってはいかがですか?」
「………うぬぅ」
陰陽頭の諌言に思案顔をする中宮大夫。もっとも、諌言を受け入れた訳ではなく、己が名に瑕が着くという言葉に怯んだだけだろうが。
「───いいだろ。貴様の無礼、此度だけは不問にしてやろう………だが………次は無いと思え!! 分かったな!? ──ふん!!」
満にそう言い捨てると、中宮大夫は陰陽頭に退出の挨拶も告げずに荒々しく足音を立てながら陰陽寮から立ち去って行った。
「…………退出の礼も告げぬとは。中宮職の大夫に就きながら何と礼儀知らずであることか…………そうは思いませんか? 陰陽頭?」
ふわりと優しげな微笑を陰陽頭に向ける満に、当の陰陽頭はほっほっほっ、と扇で口元を隠しながらも………僅かに体が、若干引き気味になっていた。
「まあまあ満殿、貴殿の怒りも判りますが……ここは一つ、そのような怖い顔をなさらず。この老いぼれの話に耳を傾けてはくださいませんかのぅ?」
「お話を聞くのは吝かではありませんが、怖い顔とは心外ですね。……内心の義憤を抑え、極めて理性的に行動を心掛けているというのに」
表面は取り繕えていてもその背後に醸し出している黒い気配がすべて裏切っている。
…………使者と陰陽頭の心の声が一致した。
「ほっほっ……それは失礼した。許されよ、満殿。さて………この度、満殿の所属する神祇省に仕えております白水という者を陰陽寮───正確には中宮大夫が求めたのにはちと訳がありましてな。………満殿、いや、神祇省には後宮での出来事をお聞きになりましたかな?」
後半、声を潜めた陰陽頭の言葉に頷く満。
「ええ……随分と大変な事態が起こっているようで。私共としても是非、詳しい詳細を知りたいと思っていた所なのですよ」
言外にとっとと話せ、と言っている満に陰陽頭は扇の裏で苦笑する。
(これはこれは………思ったよりも随分と怒っているようだな……まあ、無理もなし。逆の立場であったのであれば儂とて腹が立つわい)
しかしここで退くわけにはいかない。嗚呼……立場とはなんと面倒な。
「知っておられるのならば話は早い。……実は、中宮大夫は皇后さまに掛かった呪詛を、国の混乱を防ぐ為にもなんとか内密に処理したいと考えておられるのですよ………しかし………知っての通り後宮は皇帝の為に設えられている神聖なる場所。幾ら陰陽師や神祇官といえどそう易々と足を踏み入れては良い場所では無い………」
国の混乱どうのこうのは、単なる言い訳であるだろうが………。喉の奥に出掛かった言葉を飲み込む。
しかし満にも陰陽頭の心の声が分かったのであろう。黒い笑みが更に深まった………正直怖い。
「そこで、中宮大夫殿は考えられたのです。………王城内でも特殊な立ち位置で在られる神薙さまの後見を受けておられる白水殿なれば、王城に勤める官吏達とて理解を示すだろうと」
「なるほど……つまり、素姓の知れぬ、されど皇帝の信が厚く特殊な立場の神薙さまの後見を受ける白水殿であれば王城内の官吏も大きな声で非難も出来ず。しかし何か不祥事が起きれば責任の所在はすべて神薙さまと神祇省に勤める我ら神祇官が被ればよいと、中宮大夫はそうお考えであるということですね? ………ふふ。良く、解りました」
中宮大夫の企みも見抜いているもよう………。まあ、分かり易すぎるから無理も無い。思わず視線を逸らした陰陽頭。使者に至っては室の隅で震えながら二人の様子を見ていた。
「陰陽頭、お話は解りました。私は急ぎの用が出来ましたのでこれにて御前を失礼させて頂きます」
優雅に一礼し、サッと踵を返す満。流れるような動作に一瞬、そのまま流し掛けてしまったがその前に陰陽頭はハッと正気に戻った。
「待ちなさい。満殿……この一件、『神薙さま』は、どうなさるおつもりか?」
ここで神薙の名を出すことに、この老いぼれも中々いい根性しているな、と思いながらも満は微笑み返す。
「さあ? 私のような末端の神祇官に神薙さまのお考えを見通すことなぞ出来ません。あの方は、その責務もさることながら抱えて居られる重圧も我々の比ではありません故………」
お話がそれだけならば、と今度こそ陰陽寮を後にする満。完全に立ち去ったのを確認し、陰陽頭は使者の者共ども肺の奥から息を吐き出した。
(中宮大夫………中宮職の者達も揃って神祇省を敵に回したか………役目上、衝突こそせぬだろうが我ら陰陽寮も悪感情を抱かれたな……)
隅で震える使者の姿を見ながら嘆息する。
(皇后の呪詛を引き金に、内政中枢と神祇省の間で嵐が起こるぞ………)
陰陽頭が感じた暗雲たる予感は、数日の内に現実になることを、この時は誰も予想だにしていなかった…………。
その後、使者役をした人は神祇寮の近くには近づかなくなったとさ。




