最悪のチーム
「作戦を説明する。三人とも、よく聞け」
朝八時。
特異災害対策局の作戦室で、御堂カナタはモニターに映し出された地下通路を指差した。
俺――神崎レンは、眠い目をこすりながら椅子に座っていた。
昨日は戦闘用スーツの訓練で散々な目に遭った。
警棒を振れば手首を痛め、短剣を使えば訓練人形の装甲に弾かれ、最後には銃の扱いまで教えられた。
おまけに、見知らぬ番号から届いた不気味なメッセージ。
『明日、あなたは一度死ぬ』
あれが何を意味するのか、結局わからないままだった。
「神崎。聞いているか?」
「聞いてます」
「では、今回の敵は?」
「……昨日喰いです」
「どんな個体だ?」
「……比較的、危険度の低い個体?」
「正解だ」
御堂はため息をついた。
「だが、油断するな。危険度が低いというのは、我々の基準で判断したものだ。実際に遭遇したとき、想定どおりに戦える保証はない」
「はい」
俺の隣では、黒崎アキラが腕を組んでいた。
俺より年上の彼は、昨日からずっと機嫌が悪そうだった。
そして、その反対側では――。
「はいはい! 質問!」
朝比奈ナギが元気よく手を挙げた。
「なんだ、朝比奈」
「今回の報酬って出ますか?」
「……任務だぞ」
「いや、命がけじゃん? 危険手当とか、そういうの!」
「規定に従って支給される」
「よっしゃ!」
ナギは小さくガッツポーズした。
緊張感がない。
昨日の自己紹介でも思ったけれど、この人は本当に昨日喰いと戦う人間なのだろうか。
「朝比奈」
アキラが冷たい声で言った。
「浮かれている場合じゃない。今回は神崎がいるんだぞ」
「それが何?」
「足を引っ張られる可能性が高い」
「ちょっと待て。俺、まだ何もしてないぞ」
「だから、事前に言っている」
「言い方ってものがあるだろ!」
ナギが俺たちの間に割って入った。
「はい、ストップ! まだ出発もしてないのに喧嘩しない!」
そして、俺とアキラの肩をそれぞれ叩いた。
「大丈夫、大丈夫! 私がなんとかするから!」
「……お前が一番不安なんだが」
アキラがぼそりと呟いた。
「今なんか言った?」
「何も」
「絶対言った!」
御堂が机を叩いた。
「いい加減にしろ!」
作戦室が静まり返る。
御堂は俺たちを順番に見た。
「今回の目的は、昨日喰いの排除。そして、現場周辺の調査だ。神崎は前衛。黒崎は遊撃。朝比奈は後方支援を担当しろ」
「了解!」
ナギが答える。
アキラも短くうなずいた。
俺も遅れて返事をする。
「神崎」
御堂が俺を見た。
「お前の能力は、まだ完全には解明されていない。敵に適応できるからといって、無理に攻撃を受けるな」
「わかってます」
「本当にわかっているか?」
「……たぶん」
「不安だな」
俺もそう思う。
「最後に一つ。今回の敵は地下通路に出現した。すでに周辺の監視カメラに異常が発生している。何かがおかしいと思ったら、すぐに報告しろ」
モニターの映像が切り替わる。
そこには、薄暗い地下通路と、壁に広がる黒い染みが映っていた。
「昨日喰いの特徴は?」
御堂が尋ねる。
俺は、あの夜の光景を思い出した。
人間のような形をしているのに、人間ではない怪物。
その姿を見た瞬間、なぜか以前にも出会ったことがあるような気がした。
「……人間を襲うだけじゃない。襲われた人間が、最初から存在しなかったことになる」
「そうだ」
御堂はうなずいた。
「だからこそ、記録を残すことが重要だ。帰還したら、三人とも必ず報告書を提出しろ」
「報告書もあるのか……」
俺が呟くと、ナギが笑った。
「学生なのに、いきなり社会人みたいだね!」
「社会人じゃないから、こういうの苦手なんだけど」
「えっ、レンって学生なの?」
「昨日、言わなかったっけ?」
「聞いてない!」
ナギは驚いた顔をした。
「何年生?」
「高校三年」
「うわ、受験生じゃん!」
「……今、その話する?」
「いやあ、すごいタイミングで適合しちゃったね!」
笑いながら言うナギに、俺は苦笑するしかなかった。
高校生活。
進路。
卒業後のこと。
少し前まで、俺が考えていたのはそんなことだった。
それなのに今は、怪物を倒すための作戦を聞いている。
自分の人生が、どこでおかしくなったのか。
もう、よくわからなかった。
「出発するぞ」
アキラが立ち上がった。
「遅れるなよ、神崎」
「わかってるよ」
俺はポケットに手を入れた。
そこには、昨日から持ち歩いているメモがある。
『白瀬ユナ』
自分の字で書かれた、知らない少女の名前。
なぜ、この名前を忘れてはいけないと思うのか。
その理由は、まだわからない。
けれど、俺はメモを捨てなかった。
そして、作戦室を後にした。
*
現場に到着したのは、午前十時を少し過ぎた頃だった。
地下通路は封鎖され、入り口には対策局の職員が立っていた。
俺たちは戦闘用スーツを装着し、装備の最終確認を行う。
黒い装甲が腕や脚に固定され、胸元の小さな端末に心拍数が表示された。
「うわあ、これ、やっぱりかっこいいね!」
ナギが自分の腕を眺めている。
「ナギ、装備の確認をしろ」
アキラが言った。
「してるってば! ほら、武器も持った!」
彼女が取り出したのは、小型の警棒と、手のひらほどの装置がいくつかだった。
「それは?」
俺が尋ねると、ナギは得意げに笑った。
「軌道偏向を使いやすくする補助装置! 投げると、私の能力で軌道を変えられるんだ」
「へえ……」
「敵の攻撃を逸らしたり、死角から装置をぶつけたり、使い方はいろいろ!」
「すごいじゃないか」
「でしょ?」
「ただし、本人が突っ込みすぎなければな」
アキラが余計な一言を挟んだ。
「アキラ、今日こそ見返してやるからね!」
「期待している」
「絶対期待してないでしょ!」
二人のやり取りを見ながら、俺は警棒を握り直した。
昨日、訓練で何度も失敗した武器だ。
正直、使いこなせる自信はない。
それでも、素手だけで戦うのは危険だとわかっていた。
「神崎」
アキラがこちらを向いた。
「お前は、俺の指示に従え」
「……命令されるのは嫌なんだけど」
「なら、自分で考えて動けるようになれ」
「それはそうだけどさ」
「戦闘中に迷えば、死ぬぞ」
その言葉には、昨日までとは違う重さがあった。
俺は反論できなかった。
アキラは強い。
それは認めるしかない。
そして、俺はまだ弱い。
能力があるからといって、急に強くなれるわけじゃない。
「……わかった。できるだけ合わせる」
「できるだけじゃ困る」
「じゃあ、どうしろっていうんだよ!」
「最初からそう言っている。指示に従え」
「お前、絶対人に教えるの向いてないだろ!」
ナギが俺たちの間に割って入った。
「はいはい、続きは帰ってから! 今は仕事!」
そして、彼女は地下通路を指差した。
「行こう!」
*
地下通路の中は、妙に静かだった。
照明は半分ほど消えており、遠くから水滴の落ちる音が聞こえる。
壁には、黒い染みが広がっていた。
それは、まるで何かが壁の内側から染み出しているようだった。
「……気持ち悪いな」
俺が呟く。
「昨日喰いの痕跡だ」
アキラが答えた。
「周辺に人影はない。だが、監視映像では、この先に何かが動いている」
「何かって?」
「わからない。だから調べる」
アキラは先頭に立った。
俺はその後ろにつき、ナギが最後尾を歩く。
作戦どおりの隊列だ。
しばらく進んだところで、ナギが小声で言った。
「ねえ、二人とも。変じゃない?」
「何がだ?」
アキラが振り返る。
「足音」
俺たちは立ち止まった。
確かに、妙だった。
俺たちが歩けば、三人分の足音が響く。
けれど、その音に混じって、もう一つ足音が聞こえていた。
コツ。
コツ。
コツ。
誰かが、俺たちの後ろを歩いている。
振り返る。
誰もいない。
「……気のせいか?」
俺が呟いた瞬間。
コツ。
今度は、目の前から聞こえた。
暗闇の奥。
何かが立っていた。
人間のような姿。
だが、頭部は異様に大きく、顔の位置には黒い穴が開いている。
身体の表面には、無数の文字のような模様が浮かんでいた。
それが、ゆっくりとこちらを向く。
『ミツケタ』
声が響いた。
耳から聞こえたのではない。
頭の中に、直接言葉が流れ込んできたような感覚だった。
「昨日喰い……!」
アキラが警棒を構えた。
「朝比奈、支援! 神崎は俺の後ろに入れ!」
「わかった!」
俺は指示に従おうとした。
だが、その瞬間。
怪物の腕が伸びた。
いや、腕だと思ったものが、突然、何倍にも膨れ上がったのだ。
黒い塊が通路を塞ぐ。
「避けろ!」
アキラが叫んだ。
俺は横へ飛び退いた。
ナギも反対側へ転がる。
怪物の腕が床を叩き、コンクリートが砕け散った。
「なんだよ、あれ!」
「喋るな! 動け!」
アキラが怪物に突っ込んだ。
残像が走る。
一瞬で距離を詰め、怪物の胴体へ警棒を叩き込む。
だが、攻撃は黒い表面に吸い込まれた。
「硬い……!」
怪物の腕が反転する。
アキラが跳び退いた。
「神崎! 右から回り込め!」
「右って、どっちだよ!」
「お前から見て右だ!」
「わかってるよ!」
俺は右側へ走った。
その瞬間、床から黒い触手が伸びた。
「うわっ!」
足を取られ、俺は転倒した。
「神崎!」
アキラがこちらを振り返る。
その隙に、怪物の腕がアキラを襲った。
「危ない!」
ナギが叫んだ。
彼女の手から、小型装置が飛ぶ。
軌道が曲がった。
装置は壁に当たる寸前で進路を変え、怪物の側頭部へ直撃した。
パンッ!
小さな爆発音が響く。
怪物の動きが、一瞬だけ止まった。
「今だよ、アキラ!」
「わかっている!」
アキラが再び動く。
怪物の背後に回り込み、警棒を叩き込む。
だが、今度は怪物の身体が波打った。
黒い表面が裂け、その内側から無数の腕が飛び出した。
「なっ……!」
アキラが距離を取る。
怪物の腕が、今度は俺に向かって伸びてきた。
「神崎、逃げろ!」
逃げようとした。
けれど、足が動かない。
転倒したときに、脚を痛めたらしい。
迫ってくる黒い腕。
その動きが、やけにはっきり見えた。
速い。
だが、昨日の怪物ほどではない。
俺は警棒を握り、身体を起こした。
「レン! 無理しないで!」
ナギの声が聞こえる。
無理をするな。
それは、わかっている。
だけど――。
このままでは、二人が危ない。
「うおおおおっ!」
俺は警棒を振り下ろした。
黒い腕と警棒がぶつかる。
衝撃が腕を駆け上がった。
骨が軋む。
痛い。
だが、昨日よりも、ほんの少しだけ耐えられた。
身体が、相手の攻撃に合わせて変化している。
筋肉の動きが変わる。
関節の角度が変わる。
何かが、身体の内側で組み替わっていく。
――対敵適応。
俺の能力が、動き始めていた。
「神崎! そのまま抑えろ!」
アキラの声が飛ぶ。
「簡単に言うな!」
俺は歯を食いしばった。
怪物の腕を押し返そうとする。
だが、力が足りない。
少しずつ、身体が押し込まれていく。
「ナギ! 攻撃を逸らせ!」
アキラが叫んだ。
「わかってる!」
ナギは装置を投げた。
しかし、怪物は腕を増やし、装置を叩き落とした。
「うそっ!」
「何をやっている!」
「見ればわかるでしょ! 効いてないの!」
「なら、別の方法を考えろ!」
「今考えてる!」
二人の声が響く。
俺は思わず叫んだ。
「喧嘩してる場合かよ!」
その瞬間、怪物の腕が大きく振り上げられた。
俺は弾き飛ばされ、壁に叩きつけられた。
「がっ……!」
肺の空気が抜ける。
視界が揺れた。
スーツの警告音が鳴り響く。
『警告。身体負荷、危険域』
『警告。神経活動に異常を検知』
頭の奥が、ひどく痛んだ。
そして。
知らない光景が脳裏をよぎった。
白い部屋。
誰かの手。
泣いている少女。
『レン。絶対に、私のことを忘れないで』
……誰だ?
今の声は。
思い出そうとした瞬間、映像が消えた。
「レン!」
ナギの声で我に返る。
「大丈夫!?」
「……ああ」
大丈夫なわけがない。
身体中が痛い。
それでも、立ち上がった。
怪物は、再びこちらへ向かってきていた。
アキラは片膝をついている。
ナギも装置を使い切り、警棒を構えていた。
三人とも、まともに戦える状態ではない。
「……くそっ」
俺は呟いた。
訓練では、もっと簡単だった。
役割を決めて。
合図を出して。
決められた動きをする。
それだけで、連携が取れているような気になっていた。
でも、実戦は違う。
敵は、俺たちの都合なんて考えてくれない。
俺たちが迷えば、死ぬ。
俺たちが揉めれば、死ぬ。
そして、一人が失敗すれば、全員が危険になる。
「アキラ!」
俺は叫んだ。
「俺が正面から引きつける! お前は背後に回れ!」
「却下だ。お前では持たない」
「じゃあ、どうするんだよ!」
「俺が引きつける。お前は――」
「それじゃ、さっきと同じだろ!」
アキラが言葉を止めた。
俺は続けた。
「お前一人で戦って、俺たちが後ろで見てるだけじゃ、いつか失敗する!」
「……」
「俺は弱い。武器も使いこなせない。お前みたいに速く動けない。でも、だからって何もできないわけじゃないだろ!」
自分でも、何を言っているのかわからなかった。
ただ、ここでアキラの指示を待っていたら、また誰かが傷つく。
それだけは、嫌だった。
「……ナギ!」
「なに!?」
「さっきの装置、まだあるか!?」
「一個だけ!」
「それを、怪物の頭の上に投げてくれ!」
「頭の上?」
「うん! 軌道を曲げられるんだろ?」
ナギは一瞬、目を見開いた。
そして、笑った。
「なるほど! そういうことね!」
「待て、神崎。何をするつもりだ?」
アキラが問いかける。
「俺が怪物を正面から引きつける。ナギが装置を頭上に回す。その瞬間に、お前が弱点を狙う!」
「弱点がわからない」
「……そこは、なんとかしてくれ!」
「無茶苦茶だな」
「お前が言うな!」
アキラは小さく舌打ちした。
それから、構え直す。
「朝比奈。合図を待て。神崎、お前は三秒だけ耐えろ」
「三秒!?」
「それ以上は無理だ」
「……わかった!」
俺は怪物に向かって走った。
「こっちだ、化け物!」
怪物の頭部がこちらを向く。
黒い腕が伸びた。
俺は横へ跳び、警棒で腕を受け流す。
一撃。
二撃。
三撃。
身体が悲鳴を上げる。
だが、動きは見えていた。
さっきよりも、少しだけ。
怪物の腕が大きく振り上げられる。
その瞬間。
「今だよ!」
ナギが装置を投げた。
小さな装置は怪物の頭上へ飛ぶ。
怪物が腕を伸ばした。
だが、装置の軌道が変わる。
右へ。
左へ。
そして、怪物の頭部の真上へ。
「アキラ!」
俺が叫ぶ。
「遅い!」
アキラの姿が消えた。
次の瞬間、怪物の背後に現れる。
警棒を逆手に持ち、黒い表面の裂け目へ突き立てた。
「そこだ!」
ガキンッ!
硬い音が響く。
怪物の動きが止まった。
ナギの装置が、頭上で炸裂する。
閃光。
衝撃。
そして、アキラの攻撃が、裂け目の奥にある黒い核を砕いた。
『――ミツケ……』
怪物の声が途切れた。
身体が崩れ落ちる。
黒い染みとなって床へ広がり、やがて煙のように消えていった。
静寂が戻る。
俺はその場に座り込んだ。
「……終わった?」
ナギが恐る恐る尋ねる。
アキラは怪物の残骸を確認し、短く答えた。
「反応は消えた。討伐完了だ」
「やったああああ!」
ナギが両手を上げた。
そして、俺の隣に駆け寄ってくる。
「レン! やったね!」
「……ああ」
俺は笑おうとした。
けれど、身体中が痛くて、うまく笑えなかった。
ナギは俺の顔を覗き込む。
「大丈夫? 顔色、真っ青だよ」
「平気……」
「絶対、平気じゃないでしょ!」
彼女が俺の肩を支えた。
少し離れた場所で、アキラがこちらを見ていた。
「神崎」
「……何?」
「さっきの判断は悪くなかった」
「え?」
思いがけない言葉だった。
「だが、次に同じことをしたら止める。お前は自分の身体を過信しすぎだ」
「……わかってるよ」
「本当にわかっているのか?」
「それ、御堂さんにも言われたんだけど!」
アキラは答えなかった。
代わりに、少しだけ表情を緩めた。
「……生きて帰れた。それでいい」
俺は、その言葉を意外に思った。
もっと怒られると思っていた。
もっと責められると思っていた。
「アキラも、さっきは助かった。ありがとう」
俺が言うと、彼は一瞬だけ目を逸らした。
「礼を言われるようなことじゃない」
「いや、言わせてくれよ」
「……好きにしろ」
ナギが笑った。
「なにそれ! 二人とも、素直じゃないなあ!」
「お前は黙ってろ」
「ひどっ!」
俺たちは、少しだけ笑った。
初めての実戦。
作戦どおりにはいかなかった。
何度も失敗した。
危うく、全員がやられるところだった。
それでも、三人で倒した。
それは、確かな一歩だった。
――そのときまでは。
*
帰還後、俺たちは医療室で簡単な検査を受けた。
俺の身体には複数の打撲があり、右腕には軽い損傷が見つかった。
スーツがなければ、もっとひどい怪我になっていたらしい。
「今回は、よく生きて帰ったな」
御堂はそう言いながら、端末を操作していた。
「ただし、報告書には連携不足と記載しておく」
「……ですよね」
「訓練でできたことが実戦でもできるとは限らない。今日の失敗を忘れるな」
「はい」
「それから、神崎」
御堂が顔を上げた。
「戦闘中、脳波に異常が出ていた。何か変わったことはなかったか?」
俺は迷った。
白い部屋。
泣いている少女。
そして、あの声。
『レン。絶対に、私のことを忘れないで』
「……少し、昔のことを思い出した気がします」
「昔のこと?」
「でも、何だったのかは思い出せません」
御堂は黙り込んだ。
「そうか。次に同じことがあれば、必ず報告しろ」
「わかりました」
医療室を出ると、ナギが廊下で待っていた。
「レン! 帰るの?」
「いや、もう少し検査がある」
「そっか。じゃあ、これ!」
彼女は小さな紙を差し出した。
そこには、連絡先が書かれていた。
「何かあったら連絡してね! アキラは怖いし、御堂さんは真面目すぎるし、話し相手がいたほうがいいでしょ?」
「……本人たちに聞かれたら怒られるぞ」
「だから今、こっそり渡してるんじゃん!」
ナギは笑った。
「また三人で任務に行くんだから。次はもっと上手くやろうね!」
「……そうだな」
俺は紙を受け取った。
初めてできた、仲間と呼べる存在。
そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなった。
その夜。
自宅に戻った俺は、ベッドに倒れ込んだ。
身体は疲れ切っていた。
目を閉じると、すぐに眠気が押し寄せてくる。
けれど、眠る前に一つだけ、確認しておきたいことがあった。
ポケットからメモを取り出す。
『白瀬ユナ』
その名前を見つめる。
誰なのか。
なぜ忘れてはいけないのか。
俺は、まだ何も知らない。
ただ、この名前を見ると、胸の奥が少しだけ痛くなる。
「……ユナ」
声に出してみた。
その瞬間。
部屋の隅で、何かが動いた気がした。
俺は顔を上げる。
誰もいない。
窓の外にも、廊下にも、人影はなかった。
けれど、スマートフォンが震えた。
見知らぬ番号からのメッセージ。
画面に表示された文章を見て、俺は息を止めた。
『レン』
『昨日喰いを倒したんだね』
『よかった』
『でも、気をつけて』
『次に現れる怪物は、あなたのことを知っている』
送り主の名前はない。
それなのに。
俺には、なぜか誰からのメッセージなのかわかった気がした。
続けて、もう一通届く。
『お願い』
『今度は、私を見つけて』
俺はスマートフォンを握りしめた。
その名前を、思い出そうとする。
白い服。
長い黒髪。
そして、夜になると俺の部屋に現れる少女。
「……白瀬、ユナ」
そう呟いた瞬間、頭の奥に鋭い痛みが走った。
視界が暗くなる。
一瞬だけ、知らない光景が浮かんだ。
崩れ落ちる東京。
空に浮かぶ巨大な影。
そして、俺と同じ顔をした誰かが、こちらを見ていた。
『まだ、思い出すな』
知らない声が響く。
『お前は、まだ何も知らなくていい』
次の瞬間、光景は消えた。
俺は荒い息を吐きながら、ベッドの上で身体を起こした。
スマートフォンの画面は、すでに暗くなっていた。
メッセージも、履歴も残っていない。
まるで、最初から何も届いていなかったかのように。
ただ一つ。
手の中のメモだけは、確かに残っていた。
『白瀬ユナ』
俺はその名前を、もう一度見つめた。
明日になれば、また忘れてしまうかもしれない。
それでも。
今度こそ、見つける。
そう決めた。
そして俺は、まだ知らなかった。
この日の戦闘が、これから起きる異変の、ほんの始まりにすぎなかったことを。




