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昨日世界から消えた怪物を覚えている  作者: 一刀詩姫


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7/13

最悪のチーム


「作戦を説明する。三人とも、よく聞け」


朝八時。


特異災害対策局の作戦室で、御堂カナタはモニターに映し出された地下通路を指差した。


俺――神崎レンは、眠い目をこすりながら椅子に座っていた。


昨日は戦闘用スーツの訓練で散々な目に遭った。


警棒を振れば手首を痛め、短剣を使えば訓練人形の装甲に弾かれ、最後には銃の扱いまで教えられた。


おまけに、見知らぬ番号から届いた不気味なメッセージ。


『明日、あなたは一度死ぬ』


あれが何を意味するのか、結局わからないままだった。


「神崎。聞いているか?」


「聞いてます」


「では、今回の敵は?」


「……昨日喰いです」


「どんな個体だ?」


「……比較的、危険度の低い個体?」


「正解だ」


御堂はため息をついた。


「だが、油断するな。危険度が低いというのは、我々の基準で判断したものだ。実際に遭遇したとき、想定どおりに戦える保証はない」


「はい」


俺の隣では、黒崎アキラが腕を組んでいた。


俺より年上の彼は、昨日からずっと機嫌が悪そうだった。


そして、その反対側では――。


「はいはい! 質問!」


朝比奈ナギが元気よく手を挙げた。


「なんだ、朝比奈」


「今回の報酬って出ますか?」


「……任務だぞ」


「いや、命がけじゃん? 危険手当とか、そういうの!」


「規定に従って支給される」


「よっしゃ!」


ナギは小さくガッツポーズした。


緊張感がない。


昨日の自己紹介でも思ったけれど、この人は本当に昨日喰いと戦う人間なのだろうか。


「朝比奈」


アキラが冷たい声で言った。


「浮かれている場合じゃない。今回は神崎がいるんだぞ」


「それが何?」


「足を引っ張られる可能性が高い」


「ちょっと待て。俺、まだ何もしてないぞ」


「だから、事前に言っている」


「言い方ってものがあるだろ!」


ナギが俺たちの間に割って入った。


「はい、ストップ! まだ出発もしてないのに喧嘩しない!」


そして、俺とアキラの肩をそれぞれ叩いた。


「大丈夫、大丈夫! 私がなんとかするから!」


「……お前が一番不安なんだが」


アキラがぼそりと呟いた。


「今なんか言った?」


「何も」


「絶対言った!」


御堂が机を叩いた。


「いい加減にしろ!」


作戦室が静まり返る。


御堂は俺たちを順番に見た。


「今回の目的は、昨日喰いの排除。そして、現場周辺の調査だ。神崎は前衛。黒崎は遊撃。朝比奈は後方支援を担当しろ」


「了解!」


ナギが答える。


アキラも短くうなずいた。


俺も遅れて返事をする。


「神崎」


御堂が俺を見た。


「お前の能力は、まだ完全には解明されていない。敵に適応できるからといって、無理に攻撃を受けるな」


「わかってます」


「本当にわかっているか?」


「……たぶん」


「不安だな」


俺もそう思う。


「最後に一つ。今回の敵は地下通路に出現した。すでに周辺の監視カメラに異常が発生している。何かがおかしいと思ったら、すぐに報告しろ」


モニターの映像が切り替わる。


そこには、薄暗い地下通路と、壁に広がる黒い染みが映っていた。


「昨日喰いの特徴は?」


御堂が尋ねる。


俺は、あの夜の光景を思い出した。


人間のような形をしているのに、人間ではない怪物。


その姿を見た瞬間、なぜか以前にも出会ったことがあるような気がした。


「……人間を襲うだけじゃない。襲われた人間が、最初から存在しなかったことになる」


「そうだ」


御堂はうなずいた。


「だからこそ、記録を残すことが重要だ。帰還したら、三人とも必ず報告書を提出しろ」


「報告書もあるのか……」


俺が呟くと、ナギが笑った。


「学生なのに、いきなり社会人みたいだね!」


「社会人じゃないから、こういうの苦手なんだけど」


「えっ、レンって学生なの?」


「昨日、言わなかったっけ?」


「聞いてない!」


ナギは驚いた顔をした。


「何年生?」


「高校三年」


「うわ、受験生じゃん!」


「……今、その話する?」


「いやあ、すごいタイミングで適合しちゃったね!」


笑いながら言うナギに、俺は苦笑するしかなかった。


高校生活。


進路。


卒業後のこと。


少し前まで、俺が考えていたのはそんなことだった。


それなのに今は、怪物を倒すための作戦を聞いている。


自分の人生が、どこでおかしくなったのか。


もう、よくわからなかった。


「出発するぞ」


アキラが立ち上がった。


「遅れるなよ、神崎」


「わかってるよ」


俺はポケットに手を入れた。


そこには、昨日から持ち歩いているメモがある。


『白瀬ユナ』


自分の字で書かれた、知らない少女の名前。


なぜ、この名前を忘れてはいけないと思うのか。


その理由は、まだわからない。


けれど、俺はメモを捨てなかった。


そして、作戦室を後にした。


*


現場に到着したのは、午前十時を少し過ぎた頃だった。


地下通路は封鎖され、入り口には対策局の職員が立っていた。


俺たちは戦闘用スーツを装着し、装備の最終確認を行う。


黒い装甲が腕や脚に固定され、胸元の小さな端末に心拍数が表示された。


「うわあ、これ、やっぱりかっこいいね!」


ナギが自分の腕を眺めている。


「ナギ、装備の確認をしろ」


アキラが言った。


「してるってば! ほら、武器も持った!」


彼女が取り出したのは、小型の警棒と、手のひらほどの装置がいくつかだった。


「それは?」


俺が尋ねると、ナギは得意げに笑った。


「軌道偏向を使いやすくする補助装置! 投げると、私の能力で軌道を変えられるんだ」


「へえ……」


「敵の攻撃を逸らしたり、死角から装置をぶつけたり、使い方はいろいろ!」


「すごいじゃないか」


「でしょ?」


「ただし、本人が突っ込みすぎなければな」


アキラが余計な一言を挟んだ。


「アキラ、今日こそ見返してやるからね!」


「期待している」


「絶対期待してないでしょ!」


二人のやり取りを見ながら、俺は警棒を握り直した。


昨日、訓練で何度も失敗した武器だ。


正直、使いこなせる自信はない。


それでも、素手だけで戦うのは危険だとわかっていた。


「神崎」


アキラがこちらを向いた。


「お前は、俺の指示に従え」


「……命令されるのは嫌なんだけど」


「なら、自分で考えて動けるようになれ」


「それはそうだけどさ」


「戦闘中に迷えば、死ぬぞ」


その言葉には、昨日までとは違う重さがあった。


俺は反論できなかった。


アキラは強い。


それは認めるしかない。


そして、俺はまだ弱い。


能力があるからといって、急に強くなれるわけじゃない。


「……わかった。できるだけ合わせる」


「できるだけじゃ困る」


「じゃあ、どうしろっていうんだよ!」


「最初からそう言っている。指示に従え」


「お前、絶対人に教えるの向いてないだろ!」


ナギが俺たちの間に割って入った。


「はいはい、続きは帰ってから! 今は仕事!」


そして、彼女は地下通路を指差した。


「行こう!」


*


地下通路の中は、妙に静かだった。


照明は半分ほど消えており、遠くから水滴の落ちる音が聞こえる。


壁には、黒い染みが広がっていた。


それは、まるで何かが壁の内側から染み出しているようだった。


「……気持ち悪いな」


俺が呟く。


「昨日喰いの痕跡だ」


アキラが答えた。


「周辺に人影はない。だが、監視映像では、この先に何かが動いている」


「何かって?」


「わからない。だから調べる」


アキラは先頭に立った。


俺はその後ろにつき、ナギが最後尾を歩く。


作戦どおりの隊列だ。


しばらく進んだところで、ナギが小声で言った。


「ねえ、二人とも。変じゃない?」


「何がだ?」


アキラが振り返る。


「足音」


俺たちは立ち止まった。


確かに、妙だった。


俺たちが歩けば、三人分の足音が響く。


けれど、その音に混じって、もう一つ足音が聞こえていた。


コツ。


コツ。


コツ。


誰かが、俺たちの後ろを歩いている。


振り返る。


誰もいない。


「……気のせいか?」


俺が呟いた瞬間。


コツ。


今度は、目の前から聞こえた。


暗闇の奥。


何かが立っていた。


人間のような姿。


だが、頭部は異様に大きく、顔の位置には黒い穴が開いている。


身体の表面には、無数の文字のような模様が浮かんでいた。


それが、ゆっくりとこちらを向く。


『ミツケタ』


声が響いた。


耳から聞こえたのではない。


頭の中に、直接言葉が流れ込んできたような感覚だった。


「昨日喰い……!」


アキラが警棒を構えた。


「朝比奈、支援! 神崎は俺の後ろに入れ!」


「わかった!」


俺は指示に従おうとした。


だが、その瞬間。


怪物の腕が伸びた。


いや、腕だと思ったものが、突然、何倍にも膨れ上がったのだ。


黒い塊が通路を塞ぐ。


「避けろ!」


アキラが叫んだ。


俺は横へ飛び退いた。


ナギも反対側へ転がる。


怪物の腕が床を叩き、コンクリートが砕け散った。


「なんだよ、あれ!」


「喋るな! 動け!」


アキラが怪物に突っ込んだ。


残像が走る。


一瞬で距離を詰め、怪物の胴体へ警棒を叩き込む。


だが、攻撃は黒い表面に吸い込まれた。


「硬い……!」


怪物の腕が反転する。


アキラが跳び退いた。


「神崎! 右から回り込め!」


「右って、どっちだよ!」


「お前から見て右だ!」


「わかってるよ!」


俺は右側へ走った。


その瞬間、床から黒い触手が伸びた。


「うわっ!」


足を取られ、俺は転倒した。


「神崎!」


アキラがこちらを振り返る。


その隙に、怪物の腕がアキラを襲った。


「危ない!」


ナギが叫んだ。


彼女の手から、小型装置が飛ぶ。


軌道が曲がった。


装置は壁に当たる寸前で進路を変え、怪物の側頭部へ直撃した。


パンッ!


小さな爆発音が響く。


怪物の動きが、一瞬だけ止まった。


「今だよ、アキラ!」


「わかっている!」


アキラが再び動く。


怪物の背後に回り込み、警棒を叩き込む。


だが、今度は怪物の身体が波打った。


黒い表面が裂け、その内側から無数の腕が飛び出した。


「なっ……!」


アキラが距離を取る。


怪物の腕が、今度は俺に向かって伸びてきた。


「神崎、逃げろ!」


逃げようとした。


けれど、足が動かない。


転倒したときに、脚を痛めたらしい。


迫ってくる黒い腕。


その動きが、やけにはっきり見えた。


速い。


だが、昨日の怪物ほどではない。


俺は警棒を握り、身体を起こした。


「レン! 無理しないで!」


ナギの声が聞こえる。


無理をするな。


それは、わかっている。


だけど――。


このままでは、二人が危ない。


「うおおおおっ!」


俺は警棒を振り下ろした。


黒い腕と警棒がぶつかる。


衝撃が腕を駆け上がった。


骨が軋む。


痛い。


だが、昨日よりも、ほんの少しだけ耐えられた。


身体が、相手の攻撃に合わせて変化している。


筋肉の動きが変わる。


関節の角度が変わる。


何かが、身体の内側で組み替わっていく。


――対敵適応。


俺の能力が、動き始めていた。


「神崎! そのまま抑えろ!」


アキラの声が飛ぶ。


「簡単に言うな!」


俺は歯を食いしばった。


怪物の腕を押し返そうとする。


だが、力が足りない。


少しずつ、身体が押し込まれていく。


「ナギ! 攻撃を逸らせ!」


アキラが叫んだ。


「わかってる!」


ナギは装置を投げた。


しかし、怪物は腕を増やし、装置を叩き落とした。


「うそっ!」


「何をやっている!」


「見ればわかるでしょ! 効いてないの!」


「なら、別の方法を考えろ!」


「今考えてる!」


二人の声が響く。


俺は思わず叫んだ。


「喧嘩してる場合かよ!」


その瞬間、怪物の腕が大きく振り上げられた。


俺は弾き飛ばされ、壁に叩きつけられた。


「がっ……!」


肺の空気が抜ける。


視界が揺れた。


スーツの警告音が鳴り響く。


『警告。身体負荷、危険域』


『警告。神経活動に異常を検知』


頭の奥が、ひどく痛んだ。


そして。


知らない光景が脳裏をよぎった。


白い部屋。


誰かの手。


泣いている少女。


『レン。絶対に、私のことを忘れないで』


……誰だ?


今の声は。


思い出そうとした瞬間、映像が消えた。


「レン!」


ナギの声で我に返る。


「大丈夫!?」


「……ああ」


大丈夫なわけがない。


身体中が痛い。


それでも、立ち上がった。


怪物は、再びこちらへ向かってきていた。


アキラは片膝をついている。


ナギも装置を使い切り、警棒を構えていた。


三人とも、まともに戦える状態ではない。


「……くそっ」


俺は呟いた。


訓練では、もっと簡単だった。


役割を決めて。


合図を出して。


決められた動きをする。


それだけで、連携が取れているような気になっていた。


でも、実戦は違う。


敵は、俺たちの都合なんて考えてくれない。


俺たちが迷えば、死ぬ。


俺たちが揉めれば、死ぬ。


そして、一人が失敗すれば、全員が危険になる。


「アキラ!」


俺は叫んだ。


「俺が正面から引きつける! お前は背後に回れ!」


「却下だ。お前では持たない」


「じゃあ、どうするんだよ!」


「俺が引きつける。お前は――」


「それじゃ、さっきと同じだろ!」


アキラが言葉を止めた。


俺は続けた。


「お前一人で戦って、俺たちが後ろで見てるだけじゃ、いつか失敗する!」


「……」


「俺は弱い。武器も使いこなせない。お前みたいに速く動けない。でも、だからって何もできないわけじゃないだろ!」


自分でも、何を言っているのかわからなかった。


ただ、ここでアキラの指示を待っていたら、また誰かが傷つく。


それだけは、嫌だった。


「……ナギ!」


「なに!?」


「さっきの装置、まだあるか!?」


「一個だけ!」


「それを、怪物の頭の上に投げてくれ!」


「頭の上?」


「うん! 軌道を曲げられるんだろ?」


ナギは一瞬、目を見開いた。


そして、笑った。


「なるほど! そういうことね!」


「待て、神崎。何をするつもりだ?」


アキラが問いかける。


「俺が怪物を正面から引きつける。ナギが装置を頭上に回す。その瞬間に、お前が弱点を狙う!」


「弱点がわからない」


「……そこは、なんとかしてくれ!」


「無茶苦茶だな」


「お前が言うな!」


アキラは小さく舌打ちした。


それから、構え直す。


「朝比奈。合図を待て。神崎、お前は三秒だけ耐えろ」


「三秒!?」


「それ以上は無理だ」


「……わかった!」


俺は怪物に向かって走った。


「こっちだ、化け物!」


怪物の頭部がこちらを向く。


黒い腕が伸びた。


俺は横へ跳び、警棒で腕を受け流す。


一撃。


二撃。


三撃。


身体が悲鳴を上げる。


だが、動きは見えていた。


さっきよりも、少しだけ。


怪物の腕が大きく振り上げられる。


その瞬間。


「今だよ!」


ナギが装置を投げた。


小さな装置は怪物の頭上へ飛ぶ。


怪物が腕を伸ばした。


だが、装置の軌道が変わる。


右へ。


左へ。


そして、怪物の頭部の真上へ。


「アキラ!」


俺が叫ぶ。


「遅い!」


アキラの姿が消えた。


次の瞬間、怪物の背後に現れる。


警棒を逆手に持ち、黒い表面の裂け目へ突き立てた。


「そこだ!」


ガキンッ!


硬い音が響く。


怪物の動きが止まった。


ナギの装置が、頭上で炸裂する。


閃光。


衝撃。


そして、アキラの攻撃が、裂け目の奥にある黒い核を砕いた。


『――ミツケ……』


怪物の声が途切れた。


身体が崩れ落ちる。


黒い染みとなって床へ広がり、やがて煙のように消えていった。


静寂が戻る。


俺はその場に座り込んだ。


「……終わった?」


ナギが恐る恐る尋ねる。


アキラは怪物の残骸を確認し、短く答えた。


「反応は消えた。討伐完了だ」


「やったああああ!」


ナギが両手を上げた。


そして、俺の隣に駆け寄ってくる。


「レン! やったね!」


「……ああ」


俺は笑おうとした。


けれど、身体中が痛くて、うまく笑えなかった。


ナギは俺の顔を覗き込む。


「大丈夫? 顔色、真っ青だよ」


「平気……」


「絶対、平気じゃないでしょ!」


彼女が俺の肩を支えた。


少し離れた場所で、アキラがこちらを見ていた。


「神崎」


「……何?」


「さっきの判断は悪くなかった」


「え?」


思いがけない言葉だった。


「だが、次に同じことをしたら止める。お前は自分の身体を過信しすぎだ」


「……わかってるよ」


「本当にわかっているのか?」


「それ、御堂さんにも言われたんだけど!」


アキラは答えなかった。


代わりに、少しだけ表情を緩めた。


「……生きて帰れた。それでいい」


俺は、その言葉を意外に思った。


もっと怒られると思っていた。


もっと責められると思っていた。


「アキラも、さっきは助かった。ありがとう」


俺が言うと、彼は一瞬だけ目を逸らした。


「礼を言われるようなことじゃない」


「いや、言わせてくれよ」


「……好きにしろ」


ナギが笑った。


「なにそれ! 二人とも、素直じゃないなあ!」


「お前は黙ってろ」


「ひどっ!」


俺たちは、少しだけ笑った。


初めての実戦。


作戦どおりにはいかなかった。


何度も失敗した。


危うく、全員がやられるところだった。


それでも、三人で倒した。


それは、確かな一歩だった。


――そのときまでは。


*


帰還後、俺たちは医療室で簡単な検査を受けた。


俺の身体には複数の打撲があり、右腕には軽い損傷が見つかった。


スーツがなければ、もっとひどい怪我になっていたらしい。


「今回は、よく生きて帰ったな」


御堂はそう言いながら、端末を操作していた。


「ただし、報告書には連携不足と記載しておく」


「……ですよね」


「訓練でできたことが実戦でもできるとは限らない。今日の失敗を忘れるな」


「はい」


「それから、神崎」


御堂が顔を上げた。


「戦闘中、脳波に異常が出ていた。何か変わったことはなかったか?」


俺は迷った。


白い部屋。


泣いている少女。


そして、あの声。


『レン。絶対に、私のことを忘れないで』


「……少し、昔のことを思い出した気がします」


「昔のこと?」


「でも、何だったのかは思い出せません」


御堂は黙り込んだ。


「そうか。次に同じことがあれば、必ず報告しろ」


「わかりました」


医療室を出ると、ナギが廊下で待っていた。


「レン! 帰るの?」


「いや、もう少し検査がある」


「そっか。じゃあ、これ!」


彼女は小さな紙を差し出した。


そこには、連絡先が書かれていた。


「何かあったら連絡してね! アキラは怖いし、御堂さんは真面目すぎるし、話し相手がいたほうがいいでしょ?」


「……本人たちに聞かれたら怒られるぞ」


「だから今、こっそり渡してるんじゃん!」


ナギは笑った。


「また三人で任務に行くんだから。次はもっと上手くやろうね!」


「……そうだな」


俺は紙を受け取った。


初めてできた、仲間と呼べる存在。


そう思うと、少しだけ気持ちが軽くなった。


その夜。


自宅に戻った俺は、ベッドに倒れ込んだ。


身体は疲れ切っていた。


目を閉じると、すぐに眠気が押し寄せてくる。


けれど、眠る前に一つだけ、確認しておきたいことがあった。


ポケットからメモを取り出す。


『白瀬ユナ』


その名前を見つめる。


誰なのか。


なぜ忘れてはいけないのか。


俺は、まだ何も知らない。


ただ、この名前を見ると、胸の奥が少しだけ痛くなる。


「……ユナ」


声に出してみた。


その瞬間。


部屋の隅で、何かが動いた気がした。


俺は顔を上げる。


誰もいない。


窓の外にも、廊下にも、人影はなかった。


けれど、スマートフォンが震えた。


見知らぬ番号からのメッセージ。


画面に表示された文章を見て、俺は息を止めた。


『レン』


『昨日喰いを倒したんだね』


『よかった』


『でも、気をつけて』


『次に現れる怪物は、あなたのことを知っている』


送り主の名前はない。


それなのに。


俺には、なぜか誰からのメッセージなのかわかった気がした。


続けて、もう一通届く。


『お願い』


『今度は、私を見つけて』


俺はスマートフォンを握りしめた。


その名前を、思い出そうとする。


白い服。


長い黒髪。


そして、夜になると俺の部屋に現れる少女。


「……白瀬、ユナ」


そう呟いた瞬間、頭の奥に鋭い痛みが走った。


視界が暗くなる。


一瞬だけ、知らない光景が浮かんだ。


崩れ落ちる東京。


空に浮かぶ巨大な影。


そして、俺と同じ顔をした誰かが、こちらを見ていた。


『まだ、思い出すな』


知らない声が響く。


『お前は、まだ何も知らなくていい』


次の瞬間、光景は消えた。


俺は荒い息を吐きながら、ベッドの上で身体を起こした。


スマートフォンの画面は、すでに暗くなっていた。


メッセージも、履歴も残っていない。


まるで、最初から何も届いていなかったかのように。


ただ一つ。


手の中のメモだけは、確かに残っていた。


『白瀬ユナ』


俺はその名前を、もう一度見つめた。


明日になれば、また忘れてしまうかもしれない。


それでも。


今度こそ、見つける。


そう決めた。


そして俺は、まだ知らなかった。


この日の戦闘が、これから起きる異変の、ほんの始まりにすぎなかったことを。

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