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昨日世界から消えた怪物を覚えている  作者: 一刀詩姫


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5/13

適合者


 朝、目が覚めると、ユナはいなくなっていた。


 いつものことだった。


 昨夜、確かに彼女は俺の部屋にいた。


 俺の手を握り、泣きそうな顔で笑っていた。


 それなのに。


「……またかよ」


 ベッドの上には、誰もいない。


 テーブルの上にも、床にも、彼女がいた痕跡はなかった。


 スマホを確認する。


 昨夜のメッセージは残っていた。


 けれど、送信者の名前は表示されていない。


 俺は画面を見つめた。


 ユナ。


 白瀬ユナ。


 その名前を、何度も頭の中で繰り返す。


 忘れるな。


 絶対に忘れるな。


 そう自分に言い聞かせていると、スマホが震えた。


 着信だった。


 画面には、見覚えのある番号が表示されている。


 特異災害対策局。


「……はい」


『神崎さん。御堂です』


「どうしました?」


『本日、もう一度施設まで来ていただけますか』


「また検査ですか?」


『ええ。昨日の測定結果について、確認したいことがあります』


 少し間があった。


『それと、あなたに会わせたい人物がいます』


「人物?」


『あなたと同じ、適合者です』


 俺は思わず姿勢を正した。


 俺以外にも、あんな怪物と戦える人間がいる。


 その事実に、少しだけ安心した。


「分かりました。行きます」


 通話を切る。


 俺は洗面所へ向かい、鏡を見た。


 目の下には、薄い隈ができていた。


 最近、まともに眠れていない。


 それでも、今日やることは決まっていた。


 政府の施設に行く。


 自分の能力について知る。


 そして、ユナのことを調べる。


 彼女が何者なのか。


 なぜ、俺の前に現れるのか。


 なぜ、朝になると消えてしまうのか。


 必ず、その答えを見つけてやる。


     *


 特異災害対策局の地下施設。


 前回と同じエレベーターに乗り、地下深くへ降りていく。


 扉が開くと、御堂カナタが待っていた。


「おはようございます、神崎さん」


「おはようございます。今日は何をするんですか?」


「まずは、あなたの正式な能力測定です。その後、適合者同士の模擬戦を行います」


「模擬戦?」


「あなたと同じように、特殊な能力を持つ人間がいます。実戦に出る前に、自分の能力がどこまで通用するのか知っておく必要があります」


 御堂は歩き始めた。


「ただし、あなたの能力はまだ未知数です。無理はしないでください」


「分かりました」


 そう答えたものの、正直なところ、俺は少し楽しみにしていた。


 自分以外にも能力者がいる。


 なら、そいつらはどんな力を持っているのだろう。


 俺のように、強い相手と戦うことで強くなるのだろうか。


 それとも、まったく違う能力なのか。


 考えているうちに、訓練室へ到着した。


「紹介します」


 御堂が扉を開ける。


 室内には、一人の男が立っていた。


 年齢は二十代前半くらい。


 短い黒髪に、鋭い目つき。


 黒い訓練服を着て、腕を組んでいる。


 俺を見るなり、男は露骨に顔をしかめた。


「こいつが例の?」


「ええ。神崎レンさんです」


「ふうん」


 男は俺を上から下まで眺めた。


「普通の学生にしか見えないけどな」


「……初対面で失礼じゃないですか?」


「事実だろ。昨日まで一般人だったんだろ?」


 男は鼻で笑った。


「そんな奴を、いきなり実戦に出すつもりか?」


「その判断をするために、今日は模擬戦を行います」


 御堂が淡々と答える。


「黒崎アキラ。あなたの相手です」


「よろしくお願いします」


 俺が頭を下げると、アキラは軽く顎を上げた。


「まあ、せいぜい死なないようにしろよ」


「……あんた、性格悪いですね」


「よく言われる」


 アキラは笑った。


 どうやら、仲良くなるのは難しそうだった。


     *


「それでは、模擬戦を開始します」


 訓練室の中央。


 俺とアキラは、十メートルほど離れて向かい合っていた。


 御堂と研究員たちは、ガラス越しにこちらを見ている。


「ルールは簡単です。相手を行動不能にするか、どちらかが降参すれば終了。危険を感じた場合は、こちらで強制的に中断します」


「了解」


 アキラが答える。


 俺も頷いた。


「では、開始!」


 合図が響いた。


 次の瞬間、アキラの姿が消えた。


「は?」


 気づいたときには、目の前に拳が迫っていた。


 俺は反射的に腕を上げた。


 ドンッ!


「ぐっ……!」


 衝撃で身体が吹き飛ぶ。


 床を転がり、何とか立ち上がった。


「おいおい。今のを防げないのか?」


 アキラは十メートルほど離れた場所に立っていた。


 いや、違う。


 さっきまで、あいつは俺の目の前にいたはずだ。


 どうやって移動した?


「もう一度いくぞ」


 アキラが構える。


 俺は拳を握った。


 強い。


 こいつは、間違いなく俺より強い。


 なら。


『対敵適応、発動』


 頭の中に声が響いた。


 身体の奥が熱くなる。


 視界が鮮明になった。


 アキラの動きが、わずかに遅く見える。


 右足に体重が乗っている。


 次は左から来る。


 そう直感した。


 俺は身体をひねった。


 拳が頬をかすめる。


「……へえ?」


 アキラの目が細くなった。


「今の、見えたのか?」


「何とかね」


「そうか」


 アキラが笑った。


「じゃあ、これはどうだ?」


 次の瞬間。


 アキラの姿が、二つに分かれた。


「なっ……!」


 左右から、同時に拳が飛んでくる。


 避けられない。


 俺は咄嗟に腕を交差させた。


 ドンッ!


 衝撃が全身を貫いた。


 床に叩きつけられ、息が詰まる。


「がっ……!」


「終わりだ」


 アキラが俺の前に立った。


 その手が、俺の首元に伸びる。


「降参しろ」


「……まだだ」


「何?」


 俺は床に手をついた。


 立ち上がろうとする。


 だが、身体が重い。


 息が苦しい。


 能力が発動しているはずなのに、さっきほど身体が動かない。


 なぜだ?


 相手は強い。


 なら、俺も強くなるはずだ。


 なのに。


「お前、気づいてないのか?」


 アキラが言った。


「自分の能力のことだよ」


「……どういう意味だ?」


「お前の力は、何でもできる能力じゃない」


 アキラは俺を見下ろした。


「相手が強ければ強いほど、お前はそいつに対抗できる。だが、それは相手と同じ力を手に入れるって意味じゃない」


「……」


「適応するためには、身体に負荷がかかる。相手が強すぎれば、お前の身体が先に壊れる」


 俺は、自分の拳を見た。


 確かに、指先が震えている。


 呼吸も乱れていた。


「それに、もう一つ」


 アキラは続けた。


「お前の能力は、相手がいなければ意味がない」


「……何?」


「強い敵がいるから、お前は強くなれる。だが、弱い相手と戦ったらどうなる?」


 答えられなかった。


「お前の能力が、そのまま弱くなる可能性があるってことだ」


 アキラは構えを解いた。


「自分より強い相手に勝つための能力。聞こえはいいが、使い方を間違えれば、ただの欠陥能力だ」


 その言葉が、胸に突き刺さった。


 欠陥能力。


 俺の力は、本当にそうなのか。


「……まだ、やれる」


 俺は立ち上がった。


 足が震えている。


 それでも、拳を構えた。


「もう一度だ」


「やめておけ」


「もう一度!」


 アキラの表情が変わった。


 次の瞬間、彼の姿が消えた。


 今度は、見えた。


 右。


 俺は避けた。


 続けて左。


 腕で受ける。


 蹴り。


 身体をひねってかわす。


 少しずつ、動きが読める。


 身体が、相手に適応している。


 なら、まだいける。


 俺は踏み込んだ。


「これで……!」


 拳を振り抜く。


 だが。


 アキラは、簡単にそれをかわした。


 そして、俺の胸元に手を当てた。


「甘い」


 衝撃。


 視界が白く染まった。


 俺は床に倒れ込んだ。


 身体が動かない。


『模擬戦終了』


 機械音声が響いた。


「勝者、黒崎アキラ」


 悔しかった。


 何もできなかった。


 自分の能力を理解しているつもりだった。


 だが、実際には何も分かっていなかった。


 俺は、ただ相手に合わせて強くなるだけ。


 自分から勝つための力を持っているわけじゃない。


「神崎」


 アキラが手を差し出した。


「……何ですか?」


「勘違いするなよ」


 俺は、その手を見つめた。


「お前は弱い。今はな」


「……」


「だが、普通の人間があの攻撃を受けて、立ち上がれるわけがない」


 アキラは少しだけ笑った。


「お前の能力は、使い方次第で化けるかもしれない」


 俺は、その手を取った。


「……ありがとうございます」


「礼を言うな。次は俺に一発くらい当ててみろ」


「次は、絶対に当てます」


「言ったな?」


 アキラは笑った。


 初めて、少しだけ楽しそうに見えた。


     *


 模擬戦の後、俺は医療室に運ばれた。


 幸い、大きな怪我はなかった。


 ただ、全身の筋肉が悲鳴を上げていた。


「無茶をしましたね」


 御堂が、ベッドの横に立っていた。


「……すみません」


「謝る必要はありません。あなたの能力について、重要なデータが取れましたから」


「俺の能力って、本当に強いんですか?」


 御堂は少し考えた。


「強いかどうかは、まだ分かりません」


「……そうですか」


「ただ、一つだけ確かなことがあります」


 御堂はタブレットを見せた。


 そこには、模擬戦中の俺の身体データが表示されていた。


「あなたの能力は、単純な身体強化ではありません。相手の攻撃に対して、身体が最適な反応を選択しているように見えます」


「最適な反応?」


「攻撃を受けるたび、避け方や防御の仕方が変化しているんです。普通なら、一度受けた攻撃に慣れるまで時間がかかる。しかし、あなたは数秒で対応し始めている」


 御堂は画面を切り替えた。


「ただし、能力を使用した後、脳の活動に一時的な異常が確認されました」


「脳の異常?」


「記憶に関係する領域です」


 俺は息を呑んだ。


「……記憶が、なくなるんですか?」


「今の段階では断定できません。ただ、能力を使う前後で、記憶の想起に関する反応が弱まっています」


 嫌な予感がした。


 ユナの言葉が、頭の中によみがえる。


『あなたは、私を忘れてしまう』


 まさか。


 俺の能力は、使うたびに記憶を奪っていくのか?


「神崎さん」


 御堂が静かに言った。


「能力を使うことには、危険が伴います。今後は訓練を重ね、使用限界を見極める必要があります」


「……分かりました」


 そう答えたものの、心は落ち着かなかった。


 俺が強くなるほど、何かを失う。


 それが事実なら。


 俺は、いつかユナのことも忘れてしまうのだろうか。


     *


 その夜。


 俺は自宅に戻った。


 部屋の明かりをつけ、ベッドに腰を下ろす。


 身体は疲れ切っていた。


 けれど、眠る気にはなれなかった。


 机の上には、白い紙が一枚置いてある。


 そこには、俺が自分で書いた文字があった。


『白瀬ユナ』


『毎晩、俺の部屋に現れる少女』


『朝になると消える』


『俺以外の人間は、彼女の存在を確認できない』


 忘れないために、書き残しておいたのだ。


 俺は、その紙を見つめた。


「……大丈夫だ」


 声に出して、自分に言い聞かせる。


「俺は、忘れない」


 そのとき。


 部屋の明かりが、一瞬だけ点滅した。


 顔を上げる。


 ベッドの上に、白いワンピースの少女が座っていた。


「おかえり、レン」


 ユナだった。


 俺は思わず笑った。


「……ただいま」


「今日は、どうだった?」


「最悪だったよ。能力の訓練をして、ボコボコにされた」


「そっか」


 ユナは小さく笑った。


「でも、生きて帰ってきたんだね」


「当たり前だろ」


 俺は彼女の隣に座った。


「……なあ、ユナ」


「何?」


「俺の能力、使うたびに記憶がなくなるかもしれないんだってさ」


 ユナの笑顔が消えた。


「……そう」


「お前、何か知ってるんだろ?」


 彼女は答えなかった。


「頼む。何でもいいから教えてくれ」


 俺は、彼女の顔を見つめた。


「俺は、お前のことを忘れたくない」


 ユナは、しばらく黙っていた。


 そして、そっと俺の手を握った。


「レン」


「……何だよ」


「もし、私のことを忘れてしまっても」


 彼女は笑った。


「もう一度、私を見つけてね」


 胸が締めつけられた。


「……忘れないって言ってるだろ」


「うん」


 ユナは頷いた。


「信じてるよ」


 その言葉を聞いて、俺は少しだけ安心した。


 彼女は、俺を信じてくれている。


 なら、俺も彼女を信じよう。


 いつか必ず、すべての謎を解き明かす。


 彼女が誰なのか。


 なぜ俺の前に現れるのか。


 そして、俺の能力が何を奪っていくのか。


 絶対に。


 絶対に、忘れない。


     *


 深夜。


 レンが眠りについた後。


 ユナは、一人でベッドの端に座っていた。


 彼女はレンの寝顔を見つめ、そっと手を伸ばす。


 頬に触れようとして、指先が止まった。


「……ごめんね」


 小さな声だった。


「また、忘れさせちゃう」


 ユナの身体が、少しずつ透け始める。


 指先から、腕へ。


 腕から、肩へ。


 彼女は驚かなかった。


 まるで、それが当たり前のことだと知っているようだった。


「でも……」


 ユナは、眠っているレンを見つめた。


「今度こそ、あなたを助けたい」


 最後に残ったのは、彼女の瞳だった。


 それも、すぐに消えた。


 部屋には、レンだけが残された。


 そして翌朝。


 レンは、机の上の紙を見て、首をかしげることになる。


 そこに書かれた名前を見ても、何も思い出せなかったからだ。


 ――白瀬ユナ。


 それが誰なのか。


 なぜ自分が、その名前を書いたのか。


 彼には、分からなかった。

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