ポムポムチューチューラブラブパンケーキ
「レンー! 起きてー!」
朝。
神崎レンの平穏な睡眠時間は、毎朝決まった時間に終わりを告げる。
「あと五分……」
「昨日も同じこと言ってた!」
布団が剥ぎ取られた。
「寒っ!」
「ほら、起きる!」
ベッドの横に立っているのは、幼馴染のユナだった。
長い髪を後ろでまとめ、制服の上にカーディガンを羽織っている。
朝から元気いっぱい。
対してレンは、まだ半分夢の中だった。
「お前さ、毎朝人の部屋に入ってくるのやめない?」
「どうして?」
「どうしてって……普通、入ってこないだろ」
「幼馴染だからいいの!」
「その理屈はおかしい」
「おかしくないもん」
ユナは腰に手を当てた。
「小さい頃なんて、レンのお母さんに頼まれて毎朝起こしてたんだから」
「それ、いつの話だよ」
「昨日のことみたいに覚えてるよ?」
「いや、昨日も起こされたけど」
「ほら!」
何がほらなのか分からない。
レンはため息をつきながらベッドから起き上がった。
すると、ユナがじっとこちらを見ている。
「……何?」
「寝癖」
「え?」
ユナは手を伸ばし、レンの髪を整えた。
指先が額に触れる。
距離が近い。
「はい、完成!」
「自分でできるって」
「知ってるよ」
ユナは笑った。
「でも、私がやりたいの」
レンは何も言えなくなった。
こういうところが、幼馴染という生き物なのだろう。
距離感がおかしい。
本人に自覚があるのかも分からない。
そして、こちらの心臓に悪い。
「……先に下で待ってるからね!」
ユナは何事もなかったように部屋を出ていった。
レンはしばらく、その背中を見送っていた。
「朝から疲れる……」
そう呟いた。
リビングに降りると、テーブルには朝食が並んでいた。
トースト、目玉焼き、サラダ。
そして、なぜか大きなパンケーキ。
「これ、何?」
「パンケーキ!」
「見れば分かる」
「今日の特別メニュー!」
ユナは胸を張った。
パンケーキの上には、生クリームとイチゴがたっぷり乗っている。
さらに、チョコレートソースで何か文字が描かれていた。
『LOVE』
「……」
「どう?」
「何が?」
「かわいいでしょ?」
「うん、まあ」
「反応が薄い!」
「朝からこれは重いだろ」
「ひどい!」
ユナは頬を膨らませた。
「せっかくレンのために作ったのに」
「俺のため?」
「そうだよ」
「なんで?」
「今日は転校生が来るから!」
「それとパンケーキに何の関係が?」
ユナは少しだけ考えた。
「……景気づけ?」
「何の?」
「私たちの!」
ますます分からない。
ユナはフォークを手に取り、パンケーキを一口大に切った。
そして、そのままレンの口元へ差し出す。
「はい、あーん」
「いや、自分で食べる」
「あーん」
「だから……」
「あーん!」
ユナの目が真剣だった。
レンは観念して口を開けた。
「どう?」
「うまい」
「でしょ!」
ユナは満足そうに笑った。
その笑顔を見ていると、なんとなく胸の奥が温かくなる。
不思議な感覚だった。
ずっと前から、こうして朝食を食べていたような。
そんな気がした。
「ねえ、レン」
「ん?」
「今日の転校生って、女の子らしいよ」
「へえ」
「しかも、すっごく綺麗な子なんだって」
「そうなんだ」
「興味ないの?」
「別に」
ユナはじっとレンを見た。
「本当に?」
「本当」
「ふーん」
ユナはパンケーキを一口食べた。
「じゃあ、安心だね」
「何が?」
「何でもない!」
そのとき、レンのスマートフォンが鳴った。
学校からの連絡だった。
本日のホームルームで転校生を紹介する。
レンは画面を確認して、スマートフォンをしまった。
「そろそろ行くか」
「うん!」
ユナは元気よく立ち上がった。
「今日は一緒に登校ね!」
「いつも一緒だろ」
「今日は特別!」
「何が違うんだよ……」
⸻
教室に入ると、いつもより少し騒がしかった。
「今日、転校生来るんだって」
「女子らしいぞ」
「美人だって話だ」
クラスメイトたちは、それぞれ好き勝手に話している。
レンが席に座ると、すぐにユナが隣へやってきた。
「レン、今日はちゃんと私の隣にいてね」
「席が隣じゃないだろ」
「心の距離の話!」
「何だそれ」
ユナが笑う。
そのとき、教室の扉が開いた。
「おはようございます」
担任の教師が入ってくる。
「今日はみんなに紹介する生徒がいる」
教室が静かになった。
「入ってきてください」
扉の向こうから、一人の少女が現れた。
長い髪。
整った顔立ち。
落ち着いた雰囲気。
そして、少し緊張したような表情。
「天宮レイラさんです」
教師が紹介する。
「今日からこのクラスの仲間になります。みんな、仲良くするように」
少女は教室を見渡した。
そして、レンの方を見た。
一瞬。
本当に一瞬だけ、目が止まる。
「天宮レイラです」
彼女は小さく頭を下げた。
「よろしくお願いします」
拍手が起きる。
「席は……そうだな」
教師が教室を見回す。
「神崎の隣が空いているな。そこに座ってください」
「はい」
レイラがこちらへ歩いてくる。
レンは何となく目で追っていた。
そして、隣の席に座る直前。
彼女が小さく呟いた。
「……あれ?」
「え?」
「いえ、何でもありません」
レイラは微笑んだ。
「よろしくお願いします。神崎くん」
「よろしく」
その瞬間、ユナがレンの肩に手を置いた。
「レン」
「何?」
「私のこと、忘れないでね」
「いや、隣にいるだろ」
「そういう意味じゃないの!」
ユナはレイラを見た。
レイラもユナを見た。
二人の視線が、ほんの一瞬だけ交差する。
「天宮さん、だよね?」
ユナが笑顔で話しかけた。
「はい。あなたは?」
「白石ユナ。レンの幼馴染です!」
「幼馴染……」
レイラはその言葉を繰り返した。
「はい。小さい頃からずっと一緒なんです」
ユナはレンの肩に手を置いたまま、少しだけ胸を張った。
「そうなんですね」
レイラは微笑んだ。
「私は天宮レイラです。これからよろしくお願いします」
「こちらこそ!」
二人は笑顔で挨拶を交わした。
しかし、レンにはなぜか、その場の空気が少しだけ変わったように感じられた。
⸻昼休み。
レンが購買へ行こうとすると、ユナが立ち上がった。
「レン、お昼一緒に食べよ!」
「いいけど」
「天宮さんもどう?」
ユナがレイラに声をかけた。
「えっ、私もですか?」
「うん! 転校初日だし、一緒に食べようよ!」
「ありがとうございます」
レイラは少し驚いたように笑った。
三人で机を囲む。
ユナが弁当箱を開ける。
「じゃーん!」
中には、色とりどりのおかずが詰まっていた。
「今日は頑張ったんだよ!」
「すごいな」
「でしょ?」
ユナは得意げに笑う。
「レンの分もあるからね」
「え?」
「はい、これ」
小さな弁当箱を差し出された。
「俺の?」
「うん。朝のパンケーキだけじゃ足りないでしょ?」
「いつ作ったんだよ」
「朝!」
「朝って……」
「レンが寝癖を直してもらってる間!」
「余計なことを言うな!」
レイラが小さく笑った。
「仲が良いんですね」
「もちろん!」
ユナが即答する。
「私たち、ずっと一緒だから!」
「そうなんですね」
レイラはレンの方を見た。
「神崎くんは、幸せですね」
「まあ……そうなのかもな」
レンが答えると、ユナは嬉しそうに笑った。
「そうだよ!」
その後、三人は他愛のない話をした。
好きな食べ物。
休日の過ごし方。
学校のこと。
レイラは転校初日とは思えないほど、自然に会話に加わっていた。
ただ、時々レンの顔を見ている。
自分でも理由が分からない。
初めて会ったはずなのに。
なぜか、ずっと前から知っているような気がする。
その感覚が、少しだけ不思議だった。
「天宮さん?」
ユナに呼ばれて、レイラは我に返った。
「はい?」
「好きな食べ物って何?」
「そうですね……甘いものが好きです」
「本当?」
ユナの目が輝いた。
「私も!」
「じゃあ、今度一緒に食べに行きませんか?」
「いいね!」
ユナはレンを見た。
「レンも行こうね!」
「俺も?」
「当たり前でしょ!」
「はいはい」
レイラは二人を見て、微笑んだ。
なぜか、その光景が少しだけ羨ましかった。
⸻放課後。
レンが帰る準備をしていると、レイラが声をかけてきた。
「神崎くん」
「どうした?」
「少し、お願いがあるんです」
「お願い?」
「学校のことを、教えてもらえませんか?」
「俺でいいのか?」
「はい。隣の席ですし」
レイラは少しだけ笑った。
「それに、神崎くんと話していると、何だか落ち着くんです」
「……そうなのか?」
「はい。自分でも不思議なんですけど」
その言葉に、レンは少し困ったように笑った。
「まあ、俺でよければ」
「ありがとうございます」
そのとき、横から声がした。
「レン!」
ユナだった。
「帰ろう!」
「分かった」
ユナはレイラに向き直る。
「天宮さんも一緒に帰る?」
「いいんですか?」
「もちろん!」
「では、お言葉に甘えて」
三人で教室を出る。
廊下を歩きながら、ユナはレンの腕に自分の腕を絡めた。
「ちょっと、歩きにくいんだけど」
「いいじゃん!」
「よくない」
「幼馴染特権!」
レイラはその様子を見ていた。
そして、気づかないうちに口を開いていた。
「……いいな」
「え?」
レンが振り返る。
「いえ、何でもありません」
レイラは笑った。
「私も、あんなふうに自然に甘えられたらいいなと思って」
「天宮さんも甘えればいいじゃん!」
ユナが言った。
「えっ?」
「レン、意外と面倒見いいんだよ?」
「おい」
「だから、遠慮しなくていいからね!」
ユナは笑顔だった。
その言葉に、レイラの胸が少しだけ温かくなった。
初めて会ったはずなのに。
この人たちと、もっと一緒にいたい。
そんな気持ちが生まれていた。
⸻
その夜。
レイラは自室のベッドに横になっていた。
今日の出来事を思い返す。
転校初日。
新しい教室。
新しい友人。
そして、神崎レン。
「……変な人」
小さく呟く。
初めて会ったはずなのに、彼の顔を見ると安心する。
それなのに、彼が遠くへ行ってしまうことを想像すると、胸が苦しくなる。
どうしてだろう。
レイラは目を閉じた。
そのとき、夢を見た。
黒い空。
崩れていく校舎。
誰かの叫び声。
そして、目の前で倒れていく少年。
「神崎くん……?」
夢の中の自分は、彼に手を伸ばしていた。
けれど、届かない。
「待って……!」
少年の姿が、黒い影に飲み込まれていく。
レイラは飛び起きた。
「はあっ……はあっ……」
心臓が激しく鳴っている。
額には汗が滲んでいた。
「……夢?」
部屋は静かだった。
何も起きていない。
ただの夢。
そう思おうとした。
けれど、頬に触れた指先が濡れている。
涙だった。
「どうして……」
レイラは自分の胸に手を当てた。
「どうして、泣いてるの……?」
答えはなかった。
⸻
同じ頃。
レンもまた、眠れずにいた。
夢の中で、誰かが自分を呼んでいた。
何度も。
何度も。
その声は、とても懐かしかった。
けれど、誰の声なのか思い出せない。
「……誰だよ」
レンは暗い天井を見つめた。
窓の外では、月が静かに輝いている。
穏やかな夜。
何も起きていない世界。
それでも、胸の奥には小さな違和感が残っていた。
まるで、昨日までの自分が。
何か大切なものを失ってしまったかのように。




