終わらない昨日
地下施設、ドールハウス。
一般の研究員ですら立ち入ることを許されない最深部に、ひとつの会議室があった。
円形の部屋。
中央には大きなテーブルが置かれ、その周囲に十三脚の椅子が並んでいる。
しかし、今日そこに座っているのは四人だけだった。
「それでは、定例報告を始めましょう」
一番奥の席に座る少年が口を開いた。
No.1、レレ。
DC13のリーダーであり、十三人の中で最も年少の少年だった。
見た目だけなら、どこにでもいる普通の子どもだ。
けれど、その話し方は驚くほど落ち着いている。
年上の人間を相手にしても、まるで自分の方が年上であるかのような態度を崩さない。
「今回の議題は、神崎レンについてです」
テーブル中央のモニターに、一人の少年の写真が映し出された。
神崎レン。
「対象は現在、学校生活を続けています。ここ数日、旧施設に関する情報を集めているようですね」
レレが資料をめくる。
「天宮レイラさん。報告をお願いします」
「はい」
No.6、天宮レイラが立ち上がった。
「対象は、旧施設跡地に残された資料を確認しています。ドールハウスの名称にも気づいている可能性があります」
「どこまで知っているのでしょう?」
「分かりません。ただ、何かを思い出そうとしているように見えます」
「そうですか」
レレは小さく頷いた。
「ライラさんは?」
「私は、対象が何を知っているかより、何を思い出すかの方が問題だと思うけど」
No.11、ライラ。
彼女は椅子の背にもたれ、退屈そうに答えた。
「記憶が戻ったら面倒なことになるんじゃない? 私たちにとっても、研究員たちにとっても」
「確かに、その可能性はありますね」
レレは否定しなかった。
「ガクさんはどう思いますか?」
No.9、鳴海ガク。
大柄な男は、テーブルに肘をついていた。
「どうでもいいだろ。危険なら潰せばいい」
「対象の排除を提案しますか?」
「ああ。俺ならすぐに終わらせられる」
ガクは笑った。
「わざわざ観察なんてする必要もねえよ」
レレは少し考えるように目を伏せた。
「ですが、対象の能力については、まだ分かっていないことが多いです」
「だから何だ?」
「今、排除するのは早いと思います」
「ちっ……」
ガクは舌打ちした。
「レレ。あなたはどう考えているの?」
ライラが尋ねる。
「僕は、もう少し観測を続けるべきだと思っています」
「ずいぶん慎重なのね」
「分からないものを、分からないまま処理するのは危険ですから」
レレは穏やかに微笑んだ。
「神崎レンは、僕たちが考えている以上に重要な存在かもしれません」
会議室に沈黙が流れる。
やがてレレは資料を閉じた。
「本日の会議は以上です。各自、引き続き観測をお願いします」
椅子を引く音が響く。
四人はそれぞれ席を立った。
そのとき、レレがレイラに声をかけた。
「天宮さん」
「はい?」
「対象に接触する際は、十分に注意してください」
「分かっています」
「お願いしますね」
レレは最後まで穏やかな表情を崩さなかった。
⸻
会議室を出た後。
地下施設の廊下を、レイラとガクが歩いていた。
「相変わらず、レレは慎重だな」
ガクが不満そうに呟く。
「仕方ありません。レレは観測を優先していますから」
「俺は嫌いだね。ああいう回りくどいやり方は」
そのとき、二人の背後から声がした。
「ねえ、二人とも」
振り返る。
ライラだった。
彼女は楽しそうな笑みを浮かべながら、二人の前に立った。
「ちょっと話さない?」
「何だよ」
「そんなに警戒しないでよ。大した話じゃないから」
ライラはレイラに視線を向けた。
「ねえ、レイラ。あなたは本当に、あの男を放っておいていいと思ってる?」
「神崎レンのことですか?」
「そう」
ライラは壁に寄りかかる。
「あの男、普通じゃないわよね。昨日の記憶を持っている。消えたものを覚えている。しかも、ドールハウスに関係する過去まで調べ始めている」
「だから観測を続けるのです」
「それで間に合うの?」
「……」
「もし、あの男が何かを思い出したら?」
ライラはレイラの目を覗き込んだ。
「もし、私たちが知られたくないことまで思い出したら?」
「それは……」
「今なら簡単よ」
ライラはガクに視線を移す。
「ねえ、ガク。あなたならできるでしょう?」
「何をだ?」
「神崎レンを殺すことよ」
ガクの口元が歪んだ。
「そりゃあ、簡単だ」
「でしょう?」
ライラは笑った。
「レレには内緒にしておけばいいじゃない。どうせ、あの子は慎重すぎるんだから」
「レレの判断に逆らうのは問題です」
レイラが言った。
「でも、あなたも分かっているでしょう?」
ライラの声が少し低くなる。
「神崎レンは危険よ。あの男を生かしておく理由なんてない」
「……」
「それとも、殺すのが怖い?」
「そんなことはありません」
「なら、いいじゃない」
ライラはレイラの肩に手を置いた。
「私たち三人で終わらせましょう」
ガクが拳を鳴らした。
「いいねえ。やっと面白くなってきた」
レイラはしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「分かりました。ただし、必要以上のことはしないでください」
「もちろん」
ライラは笑顔で答えた。
その笑顔が、本心からのものなのか。
レイラには分からなかった。
⸻
放課後。
レンは教室で一人、ノートを眺めていた。
そこには、これまでに集めた情報が書き込まれている。
ドールハウス。
旧施設。
最初の被験者。
そして、サクラ。
どれも断片的で、つながりが見えない。
「神崎くん」
声をかけられ、顔を上げる。
天宮レイラだった。
「少し、話があります」
「またか?」
「はい。今度は大切なお話です」
「ここじゃ駄目なのか?」
「人に聞かれたくありません」
レイラは一度、廊下を確認した。
「屋上に来てもらえませんか?」
レンは少しだけ考えた。
レイラが何を知っているのか。
今まで聞けなかったことを聞けるかもしれない。
「分かった」
レンはノートを閉じた。
二人は教室を出た。
階段を上がり、屋上の扉を開ける。
そこには、すでに二人の人影があった。
「待ってたわよ」
ライラが笑う。
その隣には、ガク。
「……お前たち」
レンの表情が険しくなる。
「久しぶりね、神崎レン」
ライラが軽く手を振った。
「今日は話し合い?」
「そういうつもりでした」
レイラが答える。
「話し合い?」
レンは三人を見渡した。
「俺に何を聞きたい?」
「あなた自身のことよ」
ライラが言った。
「あなたは、自分が普通の人間だと思ってる?」
「どういう意味だ」
「そのままの意味よ」
ライラはゆっくりと近づく。
「あなたは、どうして消えた人間を覚えていられるの?」
「それは……」
「どうして世界から消されたものを、あなただけが覚えているの?」
「お前たちは何を知っている?」
レンの声が強くなる。
「ドールハウスも、旧施設も、サクラのことも。全部知っているんだろ?」
ライラは目を細めた。
「やっぱり、そこまで調べていたのね」
「答えろ」
「答える必要はないわ」
ライラは笑った。
「だって、あなたはここで終わるんだから」
その瞬間だった。
「もういいだろ」
ガクが前に出た。
「話は終わりだ。さっさと殺そうぜ」
「待ってください、ガク」
レイラが制止する。
だが、ガクは止まらなかった。
「邪魔すんなよ」
次の瞬間、ガクの姿が消えた。
「――っ!」
レンは反射的に身体をひねる。
直後、拳が頬をかすめた。
背後のフェンスが大きく歪む。
「避けたか」
ガクが笑う。
「いい反応じゃねえか」
「いきなり何をする!」
「殺すんだよ」
ガクの手がレンの胸元へ伸びる。
レンはその腕を掴み、身体を回転させた。
だが、ガクの身体はびくともしない。
「甘いな」
ガクの拳がレンの腹部にめり込んだ。
「がっ……!」
レンの身体が吹き飛ぶ。
屋上の床を転がり、壁にぶつかった。
「レン!」
レイラが叫ぶ。
「止めないのか?」
ライラが笑う。
「あなたも賛成したんでしょう?」
レイラは答えなかった。
ガクがゆっくりとレンに近づく。
「さて、もう一発いくか」
そのときだった。
――ドンッ!
屋上の床が大きく揺れた。
「何だ?」
ガクが足を止める。
遠くで爆発音が響いた。
校舎の窓が次々と割れていく。
悲鳴。
叫び声。
何かが壊れる音。
レンは腹部を押さえながら立ち上がった。
「……何が起きてる?」
屋上のフェンスの向こう。
校庭に、黒い影が立っていた。
人の形をしている。
だが、顔がない。
腕も脚も、どこか歪んでいる。
一体。
二体。
十体。
いや、それどころではない。
校庭を埋め尽くすほどの黒い影が、次々と現れていた。
「嘘……」
ライラの顔から笑みが消える。
「昨日喰い……?」
レイラが呟いた。
その言葉を聞いたレンの背筋が凍る。
昨日喰い。
記憶から、記録から、存在そのものを消していく怪物。
かつて自分が見たものと同じだった。
「どうして、こんな数が……」
レイラが端末を取り出す。
画面には異常を示す警告が次々と表示されていた。
『昨日喰い反応――急増』
『発生地点――複数』
『修正処理――異常』
「何よ、これ……」
ライラが後ずさる。
その瞬間、屋上の床が裂けた。
黒い腕が、地面の下から伸びる。
「きゃあっ!」
ライラの身体が宙に浮いた。
反応する間もなかった。
黒い腕が彼女の身体を貫き、そのまま引きずり込む。
「ライラ!」
レイラが手を伸ばす。
しかし、指先は届かなかった。
ライラの姿が黒い影の中に消える。
一瞬だった。
「……嘘だろ」
ガクが呟く。
つい数秒前まで笑っていた男の顔から、余裕が消えていた。
「おい、何なんだよ、これは!」
校舎の屋上に、さらに複数の昨日喰いが這い上がってくる。
レイラは端末を操作する。
「発生地点が増えています……! 学校だけじゃない。街全体です!」
「ふざけんな!」
ガクが拳を握る。
「俺の邪魔をするんじゃねえ!」
ガクの右手が黒く染まった。
次の瞬間、迫ってきた昨日喰いに拳を叩き込む。
――バキィッ!
黒い身体が内側から砕け散った。
ガクの能力。
崩壊。
触れた対象の構造を内部から破壊する力。
「どうだ!」
しかし、砕けた昨日喰いの後ろから、さらに三体が現れた。
「くそっ!」
ガクは続けて拳を振るう。
一体。
二体。
三体。
次々と昨日喰いを破壊する。
だが、数が減らない。
むしろ増えている。
「ガク、後ろ!」
レイラの声。
ガクが振り返った瞬間、黒い腕が背中を掴んだ。
「がああああっ!」
ガクは自分の身体を掴む腕を崩壊させる。
だが、別の影が脚に絡みついた。
「離せ! この化け物が!」
ガクの身体が大きく傾く。
レンは立ち上がり、レイラの腕を掴んだ。
「逃げるぞ!」
「でも、ガクが!」
「もう無理だ!」
「待って!」
その声を聞いたガクが、こちらを見た。
「おい……神崎!」
レンが振り返る。
「何だよ!」
「お前……まだ死ぬんじゃねえぞ!」
ガクは笑った。
「俺がぶっ壊すまで、勝手に死ぬんじゃねえ!」
次の瞬間、黒い影がガクの身体を覆い尽くした。
拳が最後に一度だけ振り下ろされる。
昨日喰いが砕けた。
しかし、ガクの姿も消えていた。
⸻
屋上の扉を目指して、レンとレイラは走った。
しかし、階段へ続く通路は崩れていた。
校舎の壁が剥がれ落ち、床に大きな亀裂が走っている。
窓の外には、黒い影が無数に蠢いていた。
「どうして……」
レイラが呟く。
「どうして、こんなことに……」
「分からない!」
レンは答えた。
「でも、ここにいたら死ぬ!」
二人は別の出口を探す。
そのとき、廊下の奥から黒い影が現れた。
昨日喰い。
一体ではない。
十体以上が、こちらへ向かってくる。
「レン!」
レイラがレンの前に立つ。
「下がってください!」
「何をする気だ!」
「少しだけ時間を稼ぎます!」
レイラが手を伸ばした。
その瞬間、昨日喰いが一斉に動いた。
「レイラ!」
レンが叫ぶ。
彼女の身体が黒い影に包まれる。
「いや……!」
レンは手を伸ばした。
レイラの指先が、ほんの一瞬だけ触れた。
「神崎くん……」
「手を離すな!」
「私……」
レイラは何かを言おうとした。
けれど、その声は最後まで届かなかった。
彼女の身体が、黒い影の中へ消えていく。
レンは一人になった。
廊下の奥から、昨日喰いが迫る。
逃げ場はない。
「くそっ……!」
レンは拳を握った。
何度も死にかけた。
何度も消える人間を見てきた。
それでも、まだ何も分かっていない。
自分が何者なのか。
どうして世界に覚えられない人間がいるのか。
なぜ、自分だけが昨日を覚えているのか。
「俺は……」
昨日喰いが目の前まで迫る。
「まだ、何も知らないんだ!」
黒い腕が伸びた。
レンの身体を貫く。
視界が揺れる。
膝が崩れ、床に倒れ込む。
遠くで、誰かの声が聞こえた。
『レンくん』
懐かしい声。
ずっと昔に聞いたような声。
『遅すぎたね』
誰だ。
誰の声だ。
思い出そうとする。
けれど、思い出せない。
レンの視界が暗くなる。
最後に見えたのは、崩れ落ちていく校舎と、黒く染まった空だった。
そして、世界から音が消えた。
⸻
白い空間。
無数のモニターが並ぶ。
その一つに、文字が表示されていた。
『世界状態:消失』
『昨日喰い反応:停止』
『対象:神崎レン』
『生存確認:失敗』
画面を見つめる研究員が、静かに呟いた。
「……また、世界が終わった」
「再構築以外、ほかに選択肢はないか」
画面に新しい文字が浮かび上がる。
『RESTART』
『世界再構築プロセス開始』
『記憶情報の再配置』
『歴史情報の再生成』
『対象、神崎レン』
『再構築を開始します』
⸻
「レンー!」
聞き覚えのある声。
「いつまで寝てるの!」
身体を揺さぶられる。
レンはゆっくりと目を開けた。
カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいる。
見慣れた部屋。
見慣れた天井。
そして、ベッドの横に立つ少女。
「……ユナ?」
「なに?」
少女は不思議そうに首を傾げた。
「寝ぼけてるの?」
「いや……」
「ほら、早く起きて! 遅刻するよ!」
ユナは布団を引っ張った。
「今日は転校生が来るんだからね!」
「転校生?」
「そう。昨日も言ったでしょ?」
レンは黙った。
昨日。
その言葉に、胸の奥がわずかに痛んだ。
何かを忘れている。
何かを失った。
そんな感覚だけが残っていた。
「レン?」
ユナが顔を覗き込む。
「どうしたの?」
「……何でもない」
レンは起き上がった。
窓の外には、青い空が広がっている。
何事もなかったかのような、穏やかな朝。
昨日喰いもいない。
誰も死んでいない。
世界は、何事もなかったかのように続いている。
けれど。
レンは知らなかった。
今日、この学校にやってくる転校生が誰なのか。
そして、その少女もまた、かつて自分を殺そうとした人間だったことを。




