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昨日世界から消えた怪物を覚えている  作者: 一刀詩姫


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19/21

終わらない昨日


地下施設、ドールハウス。


一般の研究員ですら立ち入ることを許されない最深部に、ひとつの会議室があった。


円形の部屋。


中央には大きなテーブルが置かれ、その周囲に十三脚の椅子が並んでいる。


しかし、今日そこに座っているのは四人だけだった。


「それでは、定例報告を始めましょう」


一番奥の席に座る少年が口を開いた。


No.1、レレ。


DC13のリーダーであり、十三人の中で最も年少の少年だった。


見た目だけなら、どこにでもいる普通の子どもだ。


けれど、その話し方は驚くほど落ち着いている。


年上の人間を相手にしても、まるで自分の方が年上であるかのような態度を崩さない。


「今回の議題は、神崎レンについてです」


テーブル中央のモニターに、一人の少年の写真が映し出された。


神崎レン。


「対象は現在、学校生活を続けています。ここ数日、旧施設に関する情報を集めているようですね」


レレが資料をめくる。


「天宮レイラさん。報告をお願いします」


「はい」


No.6、天宮レイラが立ち上がった。


「対象は、旧施設跡地に残された資料を確認しています。ドールハウスの名称にも気づいている可能性があります」


「どこまで知っているのでしょう?」


「分かりません。ただ、何かを思い出そうとしているように見えます」


「そうですか」


レレは小さく頷いた。


「ライラさんは?」


「私は、対象が何を知っているかより、何を思い出すかの方が問題だと思うけど」


No.11、ライラ。


彼女は椅子の背にもたれ、退屈そうに答えた。


「記憶が戻ったら面倒なことになるんじゃない? 私たちにとっても、研究員たちにとっても」


「確かに、その可能性はありますね」


レレは否定しなかった。


「ガクさんはどう思いますか?」


No.9、鳴海ガク。


大柄な男は、テーブルに肘をついていた。


「どうでもいいだろ。危険なら潰せばいい」


「対象の排除を提案しますか?」


「ああ。俺ならすぐに終わらせられる」


ガクは笑った。


「わざわざ観察なんてする必要もねえよ」


レレは少し考えるように目を伏せた。


「ですが、対象の能力については、まだ分かっていないことが多いです」


「だから何だ?」


「今、排除するのは早いと思います」


「ちっ……」


ガクは舌打ちした。


「レレ。あなたはどう考えているの?」


ライラが尋ねる。


「僕は、もう少し観測を続けるべきだと思っています」


「ずいぶん慎重なのね」


「分からないものを、分からないまま処理するのは危険ですから」


レレは穏やかに微笑んだ。


「神崎レンは、僕たちが考えている以上に重要な存在かもしれません」


会議室に沈黙が流れる。


やがてレレは資料を閉じた。


「本日の会議は以上です。各自、引き続き観測をお願いします」


椅子を引く音が響く。


四人はそれぞれ席を立った。


そのとき、レレがレイラに声をかけた。


「天宮さん」


「はい?」


「対象に接触する際は、十分に注意してください」


「分かっています」


「お願いしますね」


レレは最後まで穏やかな表情を崩さなかった。


⸻


会議室を出た後。


地下施設の廊下を、レイラとガクが歩いていた。


「相変わらず、レレは慎重だな」


ガクが不満そうに呟く。


「仕方ありません。レレは観測を優先していますから」


「俺は嫌いだね。ああいう回りくどいやり方は」


そのとき、二人の背後から声がした。


「ねえ、二人とも」


振り返る。


ライラだった。


彼女は楽しそうな笑みを浮かべながら、二人の前に立った。


「ちょっと話さない?」


「何だよ」


「そんなに警戒しないでよ。大した話じゃないから」


ライラはレイラに視線を向けた。


「ねえ、レイラ。あなたは本当に、あの男を放っておいていいと思ってる?」


「神崎レンのことですか?」


「そう」


ライラは壁に寄りかかる。


「あの男、普通じゃないわよね。昨日の記憶を持っている。消えたものを覚えている。しかも、ドールハウスに関係する過去まで調べ始めている」


「だから観測を続けるのです」


「それで間に合うの?」


「……」


「もし、あの男が何かを思い出したら?」


ライラはレイラの目を覗き込んだ。


「もし、私たちが知られたくないことまで思い出したら?」


「それは……」


「今なら簡単よ」


ライラはガクに視線を移す。


「ねえ、ガク。あなたならできるでしょう?」


「何をだ?」


「神崎レンを殺すことよ」


ガクの口元が歪んだ。


「そりゃあ、簡単だ」


「でしょう?」


ライラは笑った。


「レレには内緒にしておけばいいじゃない。どうせ、あの子は慎重すぎるんだから」


「レレの判断に逆らうのは問題です」


レイラが言った。


「でも、あなたも分かっているでしょう?」


ライラの声が少し低くなる。


「神崎レンは危険よ。あの男を生かしておく理由なんてない」


「……」


「それとも、殺すのが怖い?」


「そんなことはありません」


「なら、いいじゃない」


ライラはレイラの肩に手を置いた。


「私たち三人で終わらせましょう」


ガクが拳を鳴らした。


「いいねえ。やっと面白くなってきた」


レイラはしばらく黙っていた。


やがて、小さく息を吐く。


「分かりました。ただし、必要以上のことはしないでください」


「もちろん」


ライラは笑顔で答えた。


その笑顔が、本心からのものなのか。


レイラには分からなかった。


⸻


放課後。


レンは教室で一人、ノートを眺めていた。


そこには、これまでに集めた情報が書き込まれている。


ドールハウス。


旧施設。


最初の被験者。


そして、サクラ。


どれも断片的で、つながりが見えない。


「神崎くん」


声をかけられ、顔を上げる。


天宮レイラだった。


「少し、話があります」


「またか?」


「はい。今度は大切なお話です」


「ここじゃ駄目なのか?」


「人に聞かれたくありません」


レイラは一度、廊下を確認した。


「屋上に来てもらえませんか?」


レンは少しだけ考えた。


レイラが何を知っているのか。


今まで聞けなかったことを聞けるかもしれない。


「分かった」


レンはノートを閉じた。


二人は教室を出た。


階段を上がり、屋上の扉を開ける。


そこには、すでに二人の人影があった。


「待ってたわよ」


ライラが笑う。


その隣には、ガク。


「……お前たち」


レンの表情が険しくなる。


「久しぶりね、神崎レン」


ライラが軽く手を振った。


「今日は話し合い?」


「そういうつもりでした」


レイラが答える。


「話し合い?」


レンは三人を見渡した。


「俺に何を聞きたい?」


「あなた自身のことよ」


ライラが言った。


「あなたは、自分が普通の人間だと思ってる?」


「どういう意味だ」


「そのままの意味よ」


ライラはゆっくりと近づく。


「あなたは、どうして消えた人間を覚えていられるの?」


「それは……」


「どうして世界から消されたものを、あなただけが覚えているの?」


「お前たちは何を知っている?」


レンの声が強くなる。


「ドールハウスも、旧施設も、サクラのことも。全部知っているんだろ?」


ライラは目を細めた。


「やっぱり、そこまで調べていたのね」


「答えろ」


「答える必要はないわ」


ライラは笑った。


「だって、あなたはここで終わるんだから」


その瞬間だった。


「もういいだろ」


ガクが前に出た。


「話は終わりだ。さっさと殺そうぜ」


「待ってください、ガク」


レイラが制止する。


だが、ガクは止まらなかった。


「邪魔すんなよ」


次の瞬間、ガクの姿が消えた。


「――っ!」


レンは反射的に身体をひねる。


直後、拳が頬をかすめた。


背後のフェンスが大きく歪む。


「避けたか」


ガクが笑う。


「いい反応じゃねえか」


「いきなり何をする!」


「殺すんだよ」


ガクの手がレンの胸元へ伸びる。


レンはその腕を掴み、身体を回転させた。


だが、ガクの身体はびくともしない。


「甘いな」


ガクの拳がレンの腹部にめり込んだ。


「がっ……!」


レンの身体が吹き飛ぶ。


屋上の床を転がり、壁にぶつかった。


「レン!」


レイラが叫ぶ。


「止めないのか?」


ライラが笑う。


「あなたも賛成したんでしょう?」


レイラは答えなかった。


ガクがゆっくりとレンに近づく。


「さて、もう一発いくか」


そのときだった。


――ドンッ!


屋上の床が大きく揺れた。


「何だ?」


ガクが足を止める。


遠くで爆発音が響いた。


校舎の窓が次々と割れていく。


悲鳴。


叫び声。


何かが壊れる音。


レンは腹部を押さえながら立ち上がった。


「……何が起きてる?」


屋上のフェンスの向こう。


校庭に、黒い影が立っていた。


人の形をしている。


だが、顔がない。


腕も脚も、どこか歪んでいる。


一体。


二体。


十体。


いや、それどころではない。


校庭を埋め尽くすほどの黒い影が、次々と現れていた。


「嘘……」


ライラの顔から笑みが消える。


「昨日喰い……?」


レイラが呟いた。


その言葉を聞いたレンの背筋が凍る。


昨日喰い。


記憶から、記録から、存在そのものを消していく怪物。


かつて自分が見たものと同じだった。


「どうして、こんな数が……」


レイラが端末を取り出す。


画面には異常を示す警告が次々と表示されていた。


『昨日喰い反応――急増』


『発生地点――複数』


『修正処理――異常』


「何よ、これ……」


ライラが後ずさる。


その瞬間、屋上の床が裂けた。


黒い腕が、地面の下から伸びる。


「きゃあっ!」


ライラの身体が宙に浮いた。


反応する間もなかった。


黒い腕が彼女の身体を貫き、そのまま引きずり込む。


「ライラ!」


レイラが手を伸ばす。


しかし、指先は届かなかった。


ライラの姿が黒い影の中に消える。


一瞬だった。


「……嘘だろ」


ガクが呟く。


つい数秒前まで笑っていた男の顔から、余裕が消えていた。


「おい、何なんだよ、これは!」


校舎の屋上に、さらに複数の昨日喰いが這い上がってくる。


レイラは端末を操作する。


「発生地点が増えています……! 学校だけじゃない。街全体です!」


「ふざけんな!」


ガクが拳を握る。


「俺の邪魔をするんじゃねえ!」


ガクの右手が黒く染まった。


次の瞬間、迫ってきた昨日喰いに拳を叩き込む。


――バキィッ!


黒い身体が内側から砕け散った。


ガクの能力。


崩壊。


触れた対象の構造を内部から破壊する力。


「どうだ!」


しかし、砕けた昨日喰いの後ろから、さらに三体が現れた。


「くそっ!」


ガクは続けて拳を振るう。


一体。


二体。


三体。


次々と昨日喰いを破壊する。


だが、数が減らない。


むしろ増えている。


「ガク、後ろ!」


レイラの声。


ガクが振り返った瞬間、黒い腕が背中を掴んだ。


「がああああっ!」


ガクは自分の身体を掴む腕を崩壊させる。


だが、別の影が脚に絡みついた。


「離せ! この化け物が!」


ガクの身体が大きく傾く。


レンは立ち上がり、レイラの腕を掴んだ。


「逃げるぞ!」


「でも、ガクが!」


「もう無理だ!」


「待って!」


その声を聞いたガクが、こちらを見た。


「おい……神崎!」


レンが振り返る。


「何だよ!」


「お前……まだ死ぬんじゃねえぞ!」


ガクは笑った。


「俺がぶっ壊すまで、勝手に死ぬんじゃねえ!」


次の瞬間、黒い影がガクの身体を覆い尽くした。


拳が最後に一度だけ振り下ろされる。


昨日喰いが砕けた。


しかし、ガクの姿も消えていた。


⸻


屋上の扉を目指して、レンとレイラは走った。


しかし、階段へ続く通路は崩れていた。


校舎の壁が剥がれ落ち、床に大きな亀裂が走っている。


窓の外には、黒い影が無数に蠢いていた。


「どうして……」


レイラが呟く。


「どうして、こんなことに……」


「分からない!」


レンは答えた。


「でも、ここにいたら死ぬ!」


二人は別の出口を探す。


そのとき、廊下の奥から黒い影が現れた。


昨日喰い。


一体ではない。


十体以上が、こちらへ向かってくる。


「レン!」


レイラがレンの前に立つ。


「下がってください!」


「何をする気だ!」


「少しだけ時間を稼ぎます!」


レイラが手を伸ばした。


その瞬間、昨日喰いが一斉に動いた。


「レイラ!」


レンが叫ぶ。


彼女の身体が黒い影に包まれる。


「いや……!」


レンは手を伸ばした。


レイラの指先が、ほんの一瞬だけ触れた。


「神崎くん……」


「手を離すな!」


「私……」


レイラは何かを言おうとした。


けれど、その声は最後まで届かなかった。


彼女の身体が、黒い影の中へ消えていく。


レンは一人になった。


廊下の奥から、昨日喰いが迫る。


逃げ場はない。


「くそっ……!」


レンは拳を握った。


何度も死にかけた。


何度も消える人間を見てきた。


それでも、まだ何も分かっていない。


自分が何者なのか。


どうして世界に覚えられない人間がいるのか。


なぜ、自分だけが昨日を覚えているのか。


「俺は……」


昨日喰いが目の前まで迫る。


「まだ、何も知らないんだ!」


黒い腕が伸びた。


レンの身体を貫く。


視界が揺れる。


膝が崩れ、床に倒れ込む。


遠くで、誰かの声が聞こえた。


『レンくん』


懐かしい声。


ずっと昔に聞いたような声。


『遅すぎたね』


誰だ。


誰の声だ。


思い出そうとする。


けれど、思い出せない。


レンの視界が暗くなる。


最後に見えたのは、崩れ落ちていく校舎と、黒く染まった空だった。


そして、世界から音が消えた。


⸻


白い空間。


無数のモニターが並ぶ。


その一つに、文字が表示されていた。


『世界状態:消失』


『昨日喰い反応:停止』


『対象:神崎レン』


『生存確認:失敗』


画面を見つめる研究員が、静かに呟いた。


「……また、世界が終わった」


「再構築以外、ほかに選択肢はないか」


画面に新しい文字が浮かび上がる。


『RESTART』


『世界再構築プロセス開始』


『記憶情報の再配置』


『歴史情報の再生成』


『対象、神崎レン』


『再構築を開始します』


⸻


「レンー!」


聞き覚えのある声。


「いつまで寝てるの!」


身体を揺さぶられる。


レンはゆっくりと目を開けた。


カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいる。


見慣れた部屋。


見慣れた天井。


そして、ベッドの横に立つ少女。


「……ユナ?」


「なに?」


少女は不思議そうに首を傾げた。


「寝ぼけてるの?」


「いや……」


「ほら、早く起きて! 遅刻するよ!」


ユナは布団を引っ張った。


「今日は転校生が来るんだからね!」


「転校生?」


「そう。昨日も言ったでしょ?」


レンは黙った。


昨日。


その言葉に、胸の奥がわずかに痛んだ。


何かを忘れている。


何かを失った。


そんな感覚だけが残っていた。


「レン?」


ユナが顔を覗き込む。


「どうしたの?」


「……何でもない」


レンは起き上がった。


窓の外には、青い空が広がっている。


何事もなかったかのような、穏やかな朝。


昨日喰いもいない。


誰も死んでいない。


世界は、何事もなかったかのように続いている。


けれど。


レンは知らなかった。


今日、この学校にやってくる転校生が誰なのか。


そして、その少女もまた、かつて自分を殺そうとした人間だったことを。


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