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昨日世界から消えた怪物を覚えている  作者: 一刀詩姫


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18/21

記録にない子ども


 朝。


 神崎レンは、机の上に置かれた写真を見つめていた。


 幼い頃の自分。


 その隣にいる、黒く塗りつぶされた子ども。


 写真の裏には、こう書かれていた。


『記憶保持者候補』

『最初の被験者を除く』


 そして、昨夜ユナが教えてくれた言葉。


『あなたが最初に忘れた人は、あなたを忘れていないよ』


「……誰なんだよ」


 何度考えても答えは出ない。


 レンは写真をノートに挟み、鞄にしまった。


 学校へ行けば、何か分かるかもしれない。


 そう思った。


     *


 教室に入ると、レイラが窓際の席で本を読んでいた。


「おはようございます、神崎くん」


「おはよう」


「昨日は大丈夫でしたか?」


「何が?」


「旧校舎です。あんなところに一人で行くなんて、危ないですよ」


 レンは足を止めた。


「どうして知ってる?」


「昨日、先生が話していましたよ。旧校舎の資料室に誰かが入ったって」


「そうか」


「何か見つかりました?」


「別に」


 レイラは本を閉じた。


「なら、よかったです」


 その笑顔を見ていると、レンは妙な感覚に襲われた。


 彼女は何も知らないふりをしている。


 いや、知らないふりをしているのではない。


 こちらが何を知っているのか、確かめている。


「レイラ」


「はい?」


「昨日、俺が探していた女の子のこと、本当に知らないのか?」


 レイラは少しだけ首を傾げた。


「誰のことですか?」


「……そうだよな」


「神崎くん」


「何?」


「人は、忘れることで前に進めることもあるんですよ」


 彼女は穏やかに言った。


「忘れたくないことまで忘れてしまうのは、悲しいですけど」


 その言葉に、レンは返事をしなかった。


     *


 昼休み。


 レンはスマートフォンを取り出し、写真の裏に書かれていた文字を検索していた。


 記憶保持者候補。


 最初の被験者。


 検索結果には、医療関係の記事や研究資料が表示されるだけだった。


 だが、一つだけ気になるものがあった。


 十数年前に閉鎖された、民間の児童支援施設についての記事。


 記事の内容は短かった。


『施設運営上の問題により閉鎖』

『関係者への取材は困難』

『一部の児童記録は非公開』


「児童支援施設……」


 レンは記事の日付を確認した。


 写真の裏に書かれていた記録と、時期が近い。


 偶然なのか。


 それとも。


「何を見ているんですか?」


 顔を上げると、レイラが立っていた。


「調べもの」


「最近、よく調べものをしていますね」


「気になることがあるから」


「そうですか」


 レイラはレンのスマートフォンに目を向けた。


 画面には、閉鎖された施設の記事が表示されている。


 一瞬。


 本当に一瞬だけ、レイラの表情が変わった。


「……その施設を調べているんですか?」


「知ってるのか?」


「いいえ」


 彼女はすぐに笑顔に戻った。


「ただ、あまり関わらない方がいいと思います」


「どうして?」


「古い施設には、いろいろな事情がありますから」


「それだけ?」


「はい」


 レイラはそれ以上何も言わず、自分の席へ戻っていった。


 レンは彼女の後ろ姿を見つめた。


 やはり、何かを知っている。


     *


 放課後。


 レンは記事に記載されていた施設の住所を頼りに、郊外へ向かった。


 電車を乗り継ぎ、駅からさらに歩く。


 住宅街を抜けた先に、その建物はあった。


 古い二階建ての建物。


 正面には、取り外された看板の跡だけが残っている。


「ここか……」


 門には鎖が巻かれていた。


 中に入ることはできない。


 レンは建物の周囲を歩き、裏手に回った。


 そこには、小さな掲示板が残されていた。


 雨に濡れ、文字のほとんどが消えている。


 しかし、一番下に貼られた古い紙だけは、かろうじて読めた。


『児童記録保管先変更のお知らせ』


 その下に、別の施設の名前が記されていた。


『管理移管先――ドールハウス』


「ドールハウス……?」


 聞いたことのない名前だった。


 レンはスマートフォンで検索する。


 だが、該当する施設は見つからない。


 住所も電話番号もない。


 まるで、名前だけがそこに残されているようだった。


 そのとき。


 建物の中から、物音がした。


 ガタン。


「誰かいるのか?」


 レンは門の隙間から中を覗いた。


 二階の窓。


 そこに、一瞬だけ人影が見えた。


 小さな子どものようだった。


「おい!」


 声をかけた瞬間、人影は消えた。


 レンは門を揺らした。


 鎖は外れない。


 そのまま数秒、建物を見つめていると、足元に何かが落ちていることに気づいた。


 小さな紙片だった。


 拾い上げる。


 そこには、鉛筆で書かれた文字があった。


『レンくん』


 息が止まった。


 その文字を見た瞬間、頭の奥に声が響いた。


『レンくん、こっちだよ』


 知らないはずの声。


 けれど、懐かしい。


 レンは紙片を握りしめた。


「……誰なんだよ」


     *


 その頃。


 教団の施設。


 レイラは一人、端末の画面を見つめていた。


 そこには、レンの行動記録が表示されている。


『旧施設跡地への接近』

『管理移管先の名称を確認』

『ドールハウス』


 レイラは画面を閉じた。


「もう、そこまで辿り着いたんですね」


 彼女は黒の聖書を開いた。


 レンの名前の横には、過ぎ去った死亡予定日が記されている。


 その下に、新たな文字が浮かび上がっていた。


『記憶保持者の接触を確認』


 レイラは目を伏せた。


「……あの子のことまで、思い出してしまうんですか」


 彼女の指先が震えていた。


「それは、まだ早いんです」


 黒の聖書を閉じる。


 そして、机の引き出しから一枚の写真を取り出した。


 幼いレン。


 その隣にいる、もう一人の子ども。


 写真の裏には、かすれた文字が残されていた。


『二人目の観測対象』


 レイラは写真を胸元に抱いた。


「今度は、必ず……」


     *


 夜。


 レンの部屋。


 机の上には、施設で拾った紙片が置かれていた。


『レンくん』


 たった四文字。


 それだけなのに、胸の奥が苦しくなる。


 そのとき、窓の外にユナが現れた。


「こんばんは、レン」


「ユナ。今日、昔の施設を見つけた」


「うん」


「そこにドールハウスって名前が残っていた」


 ユナの表情が変わった。


「……その名前を見つけたんだね」


「知ってるのか?」


「知ってるよ」


「どんな施設なんだ?」


 ユナは少し考えてから答えた。


「そこは、忘れられた子どもたちが集められる場所」


「忘れられた?」


「生まれた場所も、育った環境も違う子どもたち。だけど、みんな同じものを持っていた」


「同じもの?」


「誰かに忘れられること」


 レンは言葉を失った。


「どういう意味だよ……」


「ドールハウスは、ただの施設じゃない」


 ユナは窓の外を見た。


「そこに集められた子どもたちは、何かを調べられていた」


「何を?」


「それは、まだ言えない」


「またそれかよ」


 レンは苛立ちを隠せなかった。


「俺の過去に何があったんだ? あの写真の子どもは誰なんだ? どうして俺は、誰かを忘れている?」


 ユナは静かにレンを見つめた。


「レン。あなたは、忘れたんじゃない」


「……え?」


「忘れさせられたんだよ」


 その言葉が、部屋に重く響いた。


「誰に?」


「それを知るためには、あなた自身の記憶を取り戻さないといけない」


 ユナはレンの手にある紙片を見つめた。


「その子は、まだあなたを覚えている」


「その子って……」


「あなたが最初に忘れた人」


 レンは紙片を握りしめた。


「生きているのか?」


 ユナは答えなかった。


 ただ、最後にこう告げた。


「レン。ドールハウスを探すなら、レイラには気をつけて」


「レイラが関係しているのか?」


「彼女は、あなたが思い出すことを望んでいない」


 その瞬間、ユナの姿が薄くなった。


「待ってくれ!」


「もうすぐ、あなたは選ばなければならなくなる」


「何を?」


「忘れたまま生きるか。それとも、思い出してすべてを失うか」


 ユナは消えた。


 部屋には、紙片だけが残されていた。


 レンはその文字を見つめる。


『レンくん』


 そして、紙片の裏側に、今まで気づかなかった小さな文字があることに気づいた。


『また、あの場所で』


 レンは顔を上げた。


 窓の外。


 遠くの街灯が、一つずつ消えていく。


 まるで、誰かが世界から明かりを消しているようだった。

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