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昨日世界から消えた怪物を覚えている  作者: 一刀詩姫


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16/21

忘れられた名前


 朝。


 目を覚まして最初に確認したのは、机の上に置かれたノートだった。


 昨夜、ユナが帰ったあとに見つけた文章。


 ――最初に消えたのは、彼ではない。


 何度読み返しても、その意味は分からなかった。


 最初に消えたのは、彼ではない。


 つまり、俺が探しているクラスメイトよりも前に、誰かが消えているということなのだろうか。


 それとも、別の意味があるのか。


「……考えても仕方ないか」


 俺はノートを閉じた。


 とにかく、学校に行こう。


     *


 教室に入ると、レイラが窓際の席で本を読んでいた。


「おはようございます、神崎くん」


「おはよう」


「今日は早いですね」


「ちょっと調べたいことがあって」


「調べものですか?」


「ああ。昔のクラスのこととか」


「昔のクラス?」


 レイラは本を閉じた。


「何かあったんですか?」


「いや、ちょっと気になることがあってさ」


「そうなんですね」


 彼女はそれ以上聞かなかった。


 ただ、机の上に置かれた俺のノートに一瞬だけ視線を向けた。


「神崎くん」


「ん?」


「無理はしないでくださいね」


「ありがとう」


 レイラは微笑んだ。


 その表情は、昨日までと何も変わらなかった。


     *


 午前の授業が終わり、休み時間。


 俺は教室の後ろにある掲示板をもう一度確認していた。


 集合写真。


 やはり、そこには不自然な空白がある。


 写真の中にいる生徒の数を数える。


 クラスの人数と合わない。


 けれど、誰もそれを気にしていない。


「何してるの?」


 声をかけてきたのは、同じクラスの男子だった。


「ちょっと写真を見てた」


「集合写真?」


「ああ。なあ、この写真っていつ撮ったか覚えてる?」


「去年の文化祭のときじゃなかったっけ?」


「そのとき、誰か休んでた?」


「さあ?」


 彼は写真を眺めた。


「別に普通じゃない?」


「そうか……」


「お前、最近変だぞ」


「そうか?」


「何か悩みでもあるなら相談しろよ」


 男子は笑いながら自分の席へ戻っていった。


 俺はもう一度写真を見る。


 そのときだった。


「あの……」


 背後から、小さな声が聞こえた。


 振り返ると、一人の女子生徒が立っていた。


 普段はあまり話したことのないクラスメイトだった。


「神崎くん、だよね?」


「ああ」


「さっきの写真のことなんだけど」


「何か知ってるのか?」


 彼女は周囲を気にするように教室を見渡した。


「……私も、少し気になってたの」


「どういうこと?」


「この写真、変じゃない?」


 俺は息を呑んだ。


「やっぱり、そう思う?」


「うん。でも、誰に聞いても何も覚えてないって言うから……」


 彼女は写真の一部分を指差した。


「ここ」


 そこには、他の生徒たちとは少し離れた空間があった。


「ここに誰かいた気がするの」


「誰が?」


「それが……思い出せない」


 彼女は眉を寄せた。


「顔も名前も出てこない。でも、確かにいたと思う」


 俺は彼女を見つめた。


 初めてだった。


 自分以外に、この違和感を覚えている人間がいた。


「少し話を聞かせてくれないか?」


「うん」


     *


 昼休み。


 俺たちは人の少ない階段の踊り場にいた。


「いつから気になってたんだ?」


「少し前から」


「何かきっかけがあった?」


「夢を見たの」


「夢?」


「うん。知らない男の子が出てくる夢」


 彼女は自分の手を見つめた。


「その子、私に何か話しかけていたんだけど、声が聞こえなかった」


「顔は?」


「ぼんやりしてた」


「それだけ?」


「ううん」


 彼女は少し間を置いた。


「目が覚めたとき、すごく悲しかった」


「悲しかった?」


「理由は分からない。でも、誰か大切な人を忘れてしまったような気がしたの」


 俺は黙って聞いていた。


「それから、教室の写真を見たの。そしたら、そこに誰かがいないことに気づいた」


「誰かが消えたことを覚えてるんだな」


「うん。でも……」


 彼女は不安そうに俺を見た。


「神崎くん。私たち、何か忘れているんじゃないかな」


 その言葉に、昨日のユナの声が重なった。


 ――誰かが消えたとき、周りの人はその人を忘れる。


 ――だけど、忘れたこと自体にも気づかない。


「俺もそう思う」


 そう答えた。


 彼女は少しだけ安心したように笑った。


     *


 午後の授業。


 俺はノートを取りながら、先ほどの話を考えていた。


 彼女も夢を見ている。


 消えた誰かを覚えている。


 だが、名前も顔も思い出せない。


 もし、俺と同じように何かを覚えている人間が他にもいるなら。


 消失事件の真相に近づけるかもしれない。


「神崎くん」


 隣から声がした。


「ここ、先生が説明していましたよ」


「あ、悪い」


「大丈夫ですか?」


「ちょっと考え事」


「そうですか」


 レイラは自分のノートを少しこちらに寄せた。


「よかったら、あとでノートを見せますね」


「ありがとう」


 俺は彼女に礼を言った。


 そのとき、レイラの手元にあるノートが目に入った。


 そこには授業内容とは別に、小さな文字が書かれていた。


 ――記憶保持者、二名。


 俺が視線を向けると、レイラはすぐにノートを閉じた。


「どうかしました?」


「いや、何でもない」


 レイラは微笑んだ。


「そうですか」


     *


 放課後。


 俺は先ほどの女子生徒と、もう一度話をすることにした。


 しかし、教室に彼女の姿はなかった。


「なあ、さっきの子知らない?」


 近くにいた男子に尋ねる。


「さっきの子?」


「ほら、窓際の席の……」


「誰?」


「いや、さっきまでここにいた女子だよ」


「お前、誰と話してたんだ?」


 俺は言葉を失った。


 周囲を見渡す。


 彼女が座っていた席。


 そこには誰もいなかった。


 俺は机の上に置かれたプリントを見つけた。


 名前の欄には、何も書かれていない。


 まるで最初から誰も使っていなかったように。


「嘘だろ……」


 俺は廊下に飛び出した。


 階段を下り、昇降口へ向かう。


 しかし、彼女の姿はどこにもなかった。


 スマートフォンを取り出す。


 連絡先を確認する。


 そこにも、彼女の名前はない。


 俺は今日、確かに彼女と話した。


 夢のことも聞いた。


 集合写真のことも。


 なのに。


 彼女の存在を証明できるものが何一つ残っていない。


 そのとき、スマートフォンが震えた。


 知らない番号からのメッセージだった。


 『見つけてしまいましたね』


 続けて、もう一通。


 『次は、あなたの番です』


 俺は画面を見つめた。


 そして、最後の一文。


 『最初に消えた人間を、思い出してはいけません』


     *


 夜。


 部屋の窓際にユナが立っていた。


「レン」


「ユナ……」


「どうしたの? 怖い顔してる」


「今日、誰かが消えた」


 ユナは何も言わなかった。


「俺と同じように、消えた人間のことを覚えていた人だ」


「そう」


「どうして、あの子まで消えたんだ?」


「……レン」


 ユナは俺の隣に座った。


「この世界では、忘れられたものは、存在しなかったことになる」


「どういう意味だよ」


「記録も、記憶も、関係も。少しずつ消えていく」


「じゃあ、あの子は?」


「まだ完全には消えていないと思う」


「本当か?」


「うん」


 ユナは俺の手を握った。


「だから、忘れないで」


「何を?」


「今日、あなたが会った女の子のこと」


 俺は頷いた。


「忘れるもんか」


 ユナは少しだけ笑った。


「そうだね」


 そして、俺のノートを開いた。


 最後のページ。


 そこには、昨日と同じ文章が残っていた。


 ――最初に消えたのは、彼ではない。


 ユナはその文字を見つめていた。


「レン」


「何?」


「この文章の意味が分かったとき、あなたはきっと後悔する」


「それでも知りたい」


 ユナは静かに目を閉じた。


「……そっか」


     *


 深夜。


 暗い部屋の中で、レイラは一冊の黒い本を開いていた。


 黒の聖書。


 そのページには、新しい文字が浮かび上がっている。


 【記憶保持者:二名】


 その下に、もう一つの表示。


 【対象外個体:一名】


 レイラはその文字を見つめた。


「やっぱり……」


 彼女はページをめくる。


 そこには、神崎レンの名前があった。


 そして、その横には死亡予告の日付。


 すでに過ぎた日付だった。


「あなたは、本来ここにいるはずのない人間なんです」


 レイラは静かに本を閉じた。


「今度こそ、救ってみせます」


 その声は、どこか悲しげだった。


 彼女は机の上に置かれた写真を手に取る。


 そこには、幼い頃のレンが写っていた。


 その写真の隅には、もう一人。


 顔の部分だけが、黒く塗りつぶされていた。


 レイラは写真を裏返した。


 そこには、短い文字が記されていた。


 『最初の被験者』


 彼女はしばらく、その文字を見つめていた。


 そして、誰にも聞こえない声で呟いた。


「……まだ、覚えている人がいたんですね」


 黒の聖書が、静かに閉じられた。

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