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昨日世界から消えた怪物を覚えている  作者: 一刀詩姫


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15/21

空席の名前


 朝。


 教室に入ると、いつもより少しだけ騒がしかった。


「ねえ、昨日の話なんだけどさ」


「え? そんなことあったっけ?」


「いや、だから……」


 何人かのクラスメイトが、机を囲んで話をしている。


 俺は自分の席に鞄を置いた。


 昨日、転校してきたレイラは、すでに席に座っていた。


「おはようございます、神崎くん」


「おはよう」


「今日は少し眠そうですね」


「そうかな」


「はい。何か悩み事ですか?」


「別に」


 そう答えたものの、頭の中では昨日のことを考えていた。


 スマートフォンに届いた正体不明のメッセージ。


 そして、あのノートに浮かび上がった文字。


 ――昨日を忘れるな。


 俺は自分のノートを開いた。


 そこには、昨日書いた覚えのない文字が残っている。


 『消えたものを忘れるな』


 しばらく、その文字を見つめていた。


「神崎くん?」


「ん?」


「どうかしました?」


「いや、何でもない」


 ノートを閉じる。


 そのとき、教室の前の扉が開いた。


「席に着け。ホームルームを始めるぞ」


 担任の先生が入ってくる。


 いつもと変わらない朝。


 けれど、俺は一つ気になっていることがあった。


 教室の後ろ。


 窓際から二番目の席。


 そこに、誰も座っていない。


 いや。


 昨日も、その席は空いていた。


 だが、俺には確かに誰かが座っていた記憶がある。


 名前も、顔も、思い出せない。


 ただ、そこに誰かがいた。


 その感覚だけが残っていた。


     *


「先生」


 ホームルームが終わる直前、俺は手を挙げた。


「どうした、神崎」


「後ろの席って、誰か使ってませんでしたっけ?」


 先生は一瞬、教室の後ろを振り返った。


「後ろ?」


「窓際から二番目の席です」


「ああ、あそこか。今は空席だぞ」


「前は誰か座ってませんでした?」


「いや、最初から空席だったと思うが」


 先生は不思議そうに首を傾げた。


「何か気になることでもあるのか?」


「いえ……」


 俺はそれ以上聞かなかった。


 先生は出席簿を閉じ、教室を出ていった。


 隣の席ではレイラがノートを整理している。


「神崎くん」


「何?」


「さっきの席のことですか?」


「ああ」


「誰か座っていたんですか?」


「分からない。でも、そんな気がするんだ」


「そうですか」


 レイラは少し考えるように目を伏せた。


「不思議ですね」


「そうだな」


「人の記憶って、曖昧ですから」


 彼女は微笑んだ。


「見間違いだったのかもしれませんよ」


 その言葉に、俺は返事をしなかった。


 見間違い。


 本当にそうなのだろうか。


     *


 昼休み。


 俺は教室を出て、廊下の端にある掲示板を見ていた。


 そこにはクラスの集合写真が貼られている。


 少し前に撮影したものだ。


 クラスメイト全員が並んでいる。


 俺は一人ずつ顔を確認した。


 そして、気づいた。


 写真の中に、不自然な隙間がある。


 誰かが立っていたような空間。


 周囲の生徒は、そこだけ少し距離を空けている。


 偶然にしては不自然だった。


「何を見てるの?」


 背後から声がした。


 振り返ると、ユナが立っていた。


「ユナ?」


「どうしたの?」


「いや、これ」


 俺は掲示板を指差した。


「この写真、何か変じゃないか?」


 ユナは写真を見つめた。


 しばらく沈黙する。


「……レン」


「ん?」


「それ、まだ追いかけてるの?」


「何のこと?」


「消えた人のこと」


 俺はユナを見た。


「やっぱり、知ってるんだな」


「……少しだけ」


「誰が消えた?」


 ユナはすぐには答えなかった。


「名前を思い出そうとしないで」


「どうして?」


「思い出すことと、存在を取り戻すことは違うから」


 意味が分からなかった。


「ユナ、それってどういう……」


「ごめん。今は言えない」


 ユナは写真から目を離した。


「でも、一つだけ覚えておいて」


「何?」


「誰かが消えたとき、周りの人はその人を忘れる。だけど、忘れたこと自体にも気づかない」


 その言葉に背筋が冷たくなった。


「じゃあ、俺は……」


「レンは、まだ忘れていない」


 ユナはそう言って、少しだけ笑った。


「だから、気をつけて」


 次の瞬間、廊下の向こうから生徒たちの声が聞こえてきた。


 俺がそちらに目を向ける。


 そして再び振り返ったとき、ユナの姿はなかった。


 いつものことだった。


 彼女は、昼間にはいない。


 俺はもう一度、集合写真を見つめた。


 そこには、やはり不自然な隙間が残っていた。


     *


 放課後。


 俺は職員室に向かった。


「先生、少し聞きたいことがあるんですが」


「どうした?」


「クラスの名簿を見せてもらえませんか?」


「名簿?」


「はい。少し確認したいことがあって」


 先生は不思議そうな顔をしたが、出席簿を開いてくれた。


 俺は一人ずつ名前を確認していく。


 確かに、クラスの人数はいつも通りだった。


 欠席者もいない。


 だが、どこかがおかしい。


 出席番号の並び。


 名簿の余白。


 そして、集合写真にあった空白。


「先生」


「何だ?」


「このクラスって、最初は何人でした?」


「今と同じだと思うが」


「そうですか」


「何かあったのか?」


「いえ。ありがとうございました」


 職員室を出る。


 廊下には誰もいなかった。


 俺はスマートフォンを取り出し、昨日届いたメッセージを確認する。


 『彼女の笑顔を信じないでください』


 彼女とは誰のことなのか。


 ユナなのか。


 それともレイラなのか。


 俺はレイラの顔を思い浮かべた。


 あの笑顔。


 何も知らないような、優しい表情。


 だが、彼女は本当に何も知らないのだろうか。


「神崎くん?」


 突然、背後から声がした。


 振り返ると、レイラが立っていた。


「まだ帰っていなかったんですか?」


「ちょっと調べ物を」


「そうなんですね」


 レイラは俺のスマートフォンに目を向けた。


「何か見つかりました?」


「いや、まだ」


「そうですか」


 彼女は少しだけ残念そうに笑った。


「私でよければ、お手伝いしますよ」


「ありがとう。でも大丈夫」


「遠慮しなくてもいいですよ」


 レイラは穏やかな声で言った。


「神崎くんが探しているもの、私も気になりますから」


 俺は彼女を見た。


「どうして?」


「だって、同じクラスのことですから」


 レイラは笑った。


 その笑顔に、不自然なところはなかった。


     *


 夜。


 自室の机に向かい、俺は今日の出来事をノートに書き込んでいた。


 消えたクラスメイト。


 集合写真の空白。


 誰も覚えていない存在。


 そして、ユナの言葉。


 ――思い出すことと、存在を取り戻すことは違う。


 俺はペンを止めた。


 そのとき、部屋の隅に置いていた時計が鳴った。


 午前零時。


 窓の外から、かすかな物音が聞こえる。


「レン」


 聞き慣れた声。


 振り返ると、そこにユナが立っていた。


「ユナ……」


「どうしたの? そんな顔して」


「今日、昼間に話したことなんだけど」


「うん」


「消えたクラスメイトのこと。何か知ってるんだろ?」


 ユナは少しだけ困った顔をした。


「知ってるよ」


「誰なんだ?」


「それは……」


 彼女は俺のノートに目を向けた。


「レンが思い出さなきゃいけないことだから」


「またそれかよ」


「ごめんね」


 ユナは申し訳なさそうに笑った。


「でも、レンが自分で見つけないと意味がないの」


「どういう意味だよ」


 ユナは答えなかった。


 代わりに、俺のノートを指差した。


「そのページ」


「これ?」


「もう少し下を見て」


 俺はノートを確認した。


 そこには、今日書いた覚えのない文字があった。


 『黒の聖書』


 その下に、もう一つ。


 『死亡予告』


 俺は息を呑んだ。


「何だよ、これ……」


 ユナは静かに俺を見つめていた。


「レン」


「何?」


「あなたは、もう一度死ぬことになるかもしれない」


 部屋の空気が凍りついた。


「……どういうことだ?」


「まだ、全部は話せない」


 ユナは一歩、俺に近づいた。


「でも、今度は誰かがあなたを殺そうとしている」


「誰が?」


 彼女は答えなかった。


 ただ、俺の手をそっと握った。


「お願い。今度は、誰も信じないで」


「ユナ……?」


「私のことも」


 その言葉を最後に、彼女は目を伏せた。


     *


 同じ頃。


 暗い部屋の中で、一人の少女が机に向かっていた。


 レイラ。


 彼女の前には、一冊の黒い本が置かれている。


 表紙には、装飾された文字でこう記されていた。


 『黒の聖書』


 彼女はそのページを開いた。


 そこには、一人の少年の名前が記されている。


 神崎レン。


 その名前の横には、すでに過ぎた日付があった。


 そして、その下には一文。


 ――死亡。


 レイラはその文字を指でなぞった。


「……どうして」


 小さく呟く。


「どうして、あなたは生きているんですか?」


 彼女は本を閉じた。


 表情から笑顔が消えていた。


「もう一度、確認しないと」


 机の上には、レンの写真が置かれていた。


 レイラはそれを手に取る。


「今度は、間違えません」


 その声は、誰にも聞かれることなく暗闇に消えていった。


     *


 午前六時。


 窓から朝日が差し込む。


 俺は机に突っ伏したまま目を覚ました。


「……ユナ?」


 隣を見る。


 そこには誰もいなかった。


 昨夜まで確かに存在していた温もりも、声も、すべて消えている。


 机の上にはノートが開かれていた。


 最後のページ。


 そこに、見覚えのない文字が残っていた。


 『最初に消えたのは、彼ではない。』


 俺はその一文を見つめた。


 彼とは誰のことなのか。


 そして、最初に消えたのは誰なのか。


 まだ、何も分からない。


 ただ一つだけ確かなことがあった。


 このクラスには、最初から存在しなかったことにされている誰かがいる。


 そして、その誰かを覚えている人間が、まだどこかにいるのかもしれない。


 俺はノートを閉じた。


 今日も学校へ行かなければならない。


 あの空席の正体を知るために。

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