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昨日世界から消えた怪物を覚えている  作者: 一刀詩姫


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11/15

明日を殺す者


午前六時十二分。


俺は、目覚ましが鳴る前に目を覚ました。


眠れなかった。


目を閉じるたびに、黒い外套の人物が浮かぶ。


『その本は、未来を予言しているんじゃない』


『未来を、決めているの』


あの言葉が本当なら、俺の死はすでに決められていることになる。


黒い聖書に記された死亡予定日。


今日。


つまり、あと数時間で俺は死ぬ。


「……冗談じゃない」


ベッドから起き上がり、スマホを確認する。


昨夜のメッセージは残っていた。


『今日は、ごめんね』


『あなたを助けることができなかった』


『でも、まだ間に合う』


『明日になる前に、私を見つけて』


そして最後の一文。


『今度こそ、私を殺して』


送信元は不明。


返信しても既読はつかない。


それでも、俺は画面を見つめていた。


ユナは、俺に殺してほしいと言う。


なのに、俺が死ぬことは望んでいない。


彼女は何を知っているのだろう。


俺は何を忘れているのだろう。


答えを探す時間は、もう残されていなかった。


     *


午前八時。


俺が対策局本部に到着すると、入口でナギが待っていた。


「おはよう、レン!」


いつもの調子だった。


「……なんでここにいるんだ?」


「なんでって、呼び出されたからだよ」


「俺だけじゃなかったのか?」


「うん。黒崎さんも呼ばれてるよ。なんか大変なことになってるみたい」


ナギはそう言って、俺の顔をのぞき込んだ。


「レン、顔色悪いよ。ちゃんと寝た?」


「まあ、それなりに」


「絶対嘘だ。目の下、すごいことになってる」


「生まれつきだ」


「昨日も似たようなこと言ってなかった?」


「気のせいだろ」


ナギは小さく笑った。


それから、ポケットから小さな栄養補助食品を取り出して、俺に差し出した。


「はい。朝ごはん食べてないでしょ?」


「……よく分かったな」


「なんとなく!」


受け取って、包装を開ける。


甘い味が口の中に広がった。


たったそれだけのことなのに、少しだけ気持ちが落ち着いた。


「ありがとな」


「どういたしまして」


ナギは、いつもの笑顔で答えた。


「レンが死んじゃったら、困るからね」


俺の手が止まった。


「……何?」


「え?」


「今、なんて言った?」


「レンが死んだら困るって。だって、せっかくチームになったんだもん」


ナギは不思議そうに首を傾げた。


確かに、そのとおりだ。


ただの言い回しだろう。


俺は余計なことを考えすぎている。


「……そうだな」


栄養補助食品を食べ終えた俺は、ナギと一緒に本部へ入った。


そのとき、廊下の奥に黒崎アキラの姿が見えた。


「遅いぞ、神崎」


「まだ集合時間前だろ」


「死ぬ予定の奴が時間を気にするのか?」


思わず、俺はアキラをにらんだ。


「……知ってたのか」


「御堂から聞いた」


アキラの表情は真剣だった。


「黒い聖書に、お前の死亡予測が記されていたらしいな」


「予測じゃない。死亡予定日だ」


「同じようなものだろ」


「全然違う」


アキラは、ふっと鼻で笑った。


「だったら、証明してみろ」


「何を?」


「お前が今日も生きているってことをだ」


俺は一瞬、言葉を失った。


アキラは背を向ける。


「死ぬ気がないなら、準備しろ。御堂が説明する」


その背中を追いながら、俺は思った。


こいつなりの励ましなのだろう。


たぶん。


     *


「昨日の侵入者について、報告します」


会議室で、御堂が大型モニターを操作した。


画面には、黒い外套の人物が映っていた。


だが、顔は見えない。


監視カメラの映像は、人物が現れる直前と消えた直後だけ、奇妙に乱れていた。


「侵入者は本部のセキュリティを突破し、第七観測区画まで到達しました。警備員二名が負傷。死者はいません」


「そいつは何者なんですか?」


俺が尋ねると、御堂は首を横に振った。


「不明です。ただし、現場に残された痕跡から、通常の適合者とは異なる能力を使用した可能性があります」


「昨日喰いじゃないのか?」


アキラが尋ねた。


「その可能性も否定できません。しかし、昨日喰いが人間のような目的を持って行動する事例は、これまで確認されていません」


「じゃあ、適合者か」


「それも分かりません」


御堂は画面を切り替えた。


次に映ったのは、一枚の黒い紙だった。


そこには、昨日俺が見たものと同じ文字が書かれていた。


『第十三番目の聖書は、すでに目覚めている』


「黒い聖書は、全部で十三冊あるんですか?」


ナギが尋ねた。


「確認されているのは十三冊です」


御堂は答えた。


「ただし、すべてが同じものとは限りません。私たちが保管している一冊と、ほかの十二冊には、記述に違いがあると考えられています」


「その十三冊を持っているのが、教団ってことですか?」


「……なぜ、そう思うのですか?」


御堂の声がわずかに低くなった。


ナギは少し驚いた顔をした。


「昨日の侵入者が、あの本のことを知っていたからです。普通の人じゃないなら、そういう秘密を知っている組織がいるのかなって」


「推測としては、間違っていません」


御堂は、モニターに別の資料を表示した。


『終末聖典教団』


その文字を見た瞬間、部屋の空気が変わった。


「この組織は、十年以上前から各地の特異災害に関与している疑いがあります。彼らは黒い聖書を神の啓示と考え、記された未来を実現することを目的としている」


「未来を実現する?」


俺は聞き返した。


「例えば、ある街が崩壊すると記されていたとします。彼らは、その街を救おうとはしません。むしろ、崩壊を実現するために行動する」


「……頭がおかしいだろ」


「そう考えるのが普通でしょうね」


御堂は淡々と答えた。


「しかし、彼らの行動には一貫性があります。黒い聖書に記された未来を、絶対に変えてはならないと信じているのです」


俺は拳を握りしめた。


ならば、昨日の侵入者も教団の人間なのだろうか。


俺を殺すために、わざわざ本部へ侵入した。


俺が死ぬことが、黒い聖書に記された未来だから。


「御堂さん」


「はい」


「俺の死亡予定日は、今日ですよね」


「そうです」


「だったら、教団は今日、俺を殺しに来るんじゃないですか?」


御堂は、すぐには答えなかった。


その沈黙が、答えのようなものだった。


「可能性は高いでしょう」


「なら、俺を隔離してください。外に出なければ、少なくとも襲われる危険は減る」


「それはできません」


「なんでだよ!」


「あなたを狙うのが教団だけとは限らないからです」


御堂は、俺の目を見た。


「あなたの死亡予定日が記されたページには、もう一つ、気になる記述がありました」


モニターに、黒い聖書のページが表示される。


『神崎レンが死ぬとき、最初の扉が開く』


俺は息をのんだ。


「……扉?」


「どこにある扉なのかは不明です。しかし、黒い聖書の別のページにも、同じ表現が登場します」


「それが開いたら、どうなるんですか?」


御堂は、静かに首を横に振った。


「分かりません」


「分からないことばっかりじゃないか」


「だからこそ、あなたには生きてもらう必要があります」


御堂の声は、いつになく強かった。


「あなたが死ねば、何かが始まる。その可能性がある以上、私たちはあなたを死なせるわけにはいきません」


俺はモニターを見つめた。


『神崎レンが死ぬとき、最初の扉が開く』


俺が死ぬことに、何の意味がある?


俺はただの高校生だ。


世界を救う力なんて、持っていない。


それなのに、どうして俺なんだ。


「……だったら、死ななければいいんだろ」


俺は立ち上がった。


「今日を生き延びれば、少なくとも予言は外れる」


「神崎君」


「俺は、自分の死ぬ日を決められるのは嫌だ。誰かが書いた本に、俺の人生を決められてたまるか」


御堂は俺を見つめたあと、静かにうなずいた。


「分かりました。あなたの判断を尊重します」


アキラが立ち上がる。


「俺も同行する」


「え?」


「お前一人で行動させるわけにはいかないだろ」


「どこかに行くなんて言ってないぞ」


「顔に書いてある」


ナギも手を挙げた。


「じゃあ、私も!」


「お前は残ってもいいんだぞ」


「やだよ。三人チームなんだから」


ナギは笑った。


「三人で帰ってこようよ」


その言葉に、俺はうなずいた。


そうだ。


一人で死ぬ必要なんてない。


俺には、仲間がいる。


まだ、何も分かっていないけれど。


     *


午前十時。


俺たちは、教団に関係する可能性のある施設へ向かうことになった。


場所は、名古屋市内の廃業した礼拝堂。


数年前に閉鎖された建物だが、最近になって、夜間に人の出入りが確認されているという。


「教団のアジトか?」


車の中で、アキラが尋ねた。


「断定はできません。ただ、黒い聖書に関する資料が持ち込まれた形跡があります」


御堂の声が通信機から流れる。


「施設内部に何があるか分かりません。無理な戦闘は避けてください」


「了解」


アキラが短く答えた。


ナギは窓の外を眺めている。


「礼拝堂かあ。なんか、いかにもって感じだね」


「怖くないのか?」


俺が尋ねると、ナギは笑った。


「怖いよ。でも、怖いからって逃げてたら、いつまでたっても何も変わらないでしょ?」


「……そうだな」


「それに、レンが死ぬのを黙って見てるなんて、私には無理だもん」


彼女は、まっすぐ俺を見た。


その瞳に、嘘は感じられなかった。


少なくとも、俺には。


やがて車が止まった。


目の前には、古びた礼拝堂が建っていた。


白い壁はひび割れ、正面の扉には鎖が巻かれている。


だが、建物の奥から、かすかに光が漏れていた。


「……誰かいるな」


アキラがつぶやく。


俺たちは装備を確認し、建物の裏手へ回った。


窓は割れていた。


そこから中へ入る。


内部には、古い長椅子が並んでいた。


正面には十字架。


その下に、黒い布で覆われた祭壇がある。


「ここ、普通の教会じゃないよね」


ナギが小声で言った。


俺もそう思った。


床には、円形の模様が描かれていた。


その中心には、黒い文字が並んでいる。


見覚えのある文字だった。


黒い聖書に書かれていたものと、よく似ている。


「神崎、触るな」


アキラが俺の腕をつかんだ。


「分かってる」


そのとき。


祭壇の奥から、拍手が聞こえた。


パチ、パチ、パチ。


ゆっくりとした拍手だった。


俺たちが振り返ると、二階の回廊に、一人の男が立っていた。


白い服。


整った顔立ち。


年齢は二十代後半くらいだろうか。


男は、穏やかな笑みを浮かべていた。


「ようこそ、対策局の皆さん」


アキラが前へ出る。


「お前が教団の人間か」


「ええ。そう呼ばれることもあります」


男は階段を下りてきた。


「私はレイ。終末聖典教団の案内役を務めています」


「案内役?」


「はい。あなた方が知りたがっていることを、少しだけお教えしましょう」


レイは俺を見た。


その瞬間、笑顔がわずかに変わった。


「お会いできて光栄です、神崎レン君」


「……俺を知ってるのか」


「もちろん。あなたは、私たちにとって大切な方ですから」


「俺を殺そうとしているくせに?」


「殺す?」


レイは不思議そうに首を傾げた。


「とんでもない。私たちは、あなたに生きていてほしいのですよ」


俺は言葉を失った。


昨日の侵入者は、俺を殺そうとした。


なのに、この男は生きていてほしいと言う。


教団の目的は、黒い聖書に記された未来を実現すること。


ならば、俺が死ぬことも、俺が生きることも、どちらも教団の望みなのか?


「……何が目的だ」


レイは、ゆっくりと両手を広げた。


「神崎君。あなたは、自分が何者なのか知りたいのでしょう?」


「……」


「白瀬ユナという少女についても」


その名前を聞いた瞬間、俺は一歩踏み出した。


「ユナを知っているのか!」


「ええ」


レイは微笑んだ。


「彼女は、私たちが探し続けている存在です」


「どこにいる?」


「それをお教えする前に、一つだけ質問させてください」


レイは、祭壇の黒い布を取り払った。


そこには、一冊の本が置かれていた。


黒い表紙。


白い文字。


俺が見たものと同じ本。


だが、その表紙に書かれている数字は、十三だった。


「神崎君」


レイの声が、礼拝堂に響いた。


「あなたは、明日が来ることを信じていますか?」


「……何を言ってるんだ」


「昨日が消え、今日が歪み、明日が約束されない世界で。それでも、あなたは明日を信じられますか?」


俺は答えられなかった。


レイは続けた。


「私たちは、明日を取り戻そうとしているのです」


「黒い聖書に書かれた未来を実現することが、明日を取り戻すことなのか?」


「ええ。少なくとも、私たちはそう信じています」


「だったら、俺が死ぬことも、その一部なのか?」


レイは、少しだけ悲しそうな顔をした。


「あなたが死ぬかどうか。それは、あなた自身が決めることです」


「……黒い聖書は未来を決めるんじゃないのか?」


「黒い聖書が示すのは、可能性です」


その言葉に、俺は目を見開いた。


昨日の侵入者は、未来を決めると言った。


この男は、可能性だと言う。


どちらが本当なのだろう。


「ただし」


レイの表情から、笑みが消えた。


「一つだけ、間違いなく言えることがあります」


礼拝堂の空気が、急に冷たくなった。


床に描かれた模様が、黒く光り始める。


「あなたが死ねば、世界は変わる」


その瞬間。


床の模様から、黒い腕が伸びた。


「伏せろ!」


アキラが叫ぶ。


俺たちは飛び退いた。


黒い腕が床を突き破り、長椅子をなぎ倒す。


その奥から、異形の影が姿を現した。


人間のような形。


だが、頭部は存在しない。


胸には、黒い聖書と同じ文字が刻まれていた。


昨日喰い。


そう呼ぶべき存在だった。


「レイ! これは何だ!」


俺が叫ぶと、男は静かに答えた。


「あなたへの贈り物です」


「ふざけるな!」


「神崎君。あなたは今日、死ぬ予定なのでしょう?」


レイは微笑んだ。


「ならば、その運命に抗ってみてください」


黒い影が動いた。


アキラが一瞬で距離を詰め、敵の側面へ回り込む。


ナギが補助装置を投げた。


軌道偏向。


装置が弧を描き、黒い影の背後から直撃する。


だが、敵は倒れなかった。


その胸の文字が、赤く光った。


『神崎レン』


俺の名前だった。


「……なんで、俺の名前が」


黒い影が、俺に向かって腕を伸ばす。


その腕の先から、声が聞こえた。


『お前が死ねば、扉が開く』


黒い聖書に記された言葉。


『お前が死ねば、昨日が戻る』


ユナの声。


『お前が死ねば――』


そして、最後に。


俺自身の声が響いた。


『お前が死ねば、俺は生まれる』


頭の中で、何かが弾けた。


知らない記憶が流れ込んでくる。


白い部屋。


血に染まった床。


泣いている少女。


そして、俺と同じ顔をした誰か。


そいつは、俺に向かって手を伸ばしていた。


『レン』


『今度こそ、失敗するな』


「うあああああっ!」


激痛が走った。


俺の能力が、強制的に発動する。


黒い影の動きが見える。


攻撃の軌道が分かる。


俺はその腕をつかみ、全力でねじ伏せた。


だが、身体が耐えられない。


骨が軋む。


血の味が口に広がる。


「レン!」


ナギの声が聞こえた。


彼女が俺の手をつかむ。


「一人で抱え込まないで!」


アキラが敵の胸部に攻撃を叩き込む。


ナギの軌道偏向が、敵の動きをわずかにずらす。


その隙に、俺は拳を振り抜いた。


黒い影の胸部が砕けた。


文字が消え、異形の身体が崩れていく。


やがて、黒い霧となって消滅した。


静寂が戻った。


俺は膝をつき、荒い息を繰り返した。


ナギが肩を支えてくれる。


「レン、大丈夫?」


「……ああ。なんとか」


アキラは周囲を警戒していた。


だが、レイの姿はなかった。


祭壇の上にあった十三番目の聖書も、消えていた。


床には、黒い紙片が一枚だけ残されていた。


俺はそれを拾った。


そこには、短い文章が書かれていた。


『第一の扉は、まだ開かない』


そして、その下に。


『神崎レンの死亡予定日――変更』


俺は息を止めた。


新しい日付が記されている。


明日ではない。


今日でもない。


その文字を見た瞬間、俺は背筋が凍るのを感じた。


『死亡予定日――記載不能』


     *


帰りの車の中で、俺は何度もその文字を思い返していた。


記載不能。


死ぬ日が消えたのか。


それとも、俺の死ぬ未来が見えなくなったのか。


どちらにしても、黒い聖書の予言は変わった。


俺が死ななかったから?


それとも、十三番目の聖書に触れたから?


「神崎」


助手席のアキラが口を開いた。


「さっきの記憶、何だったんだ」


「……分からない」


「お前、戦闘中に何か言ってたぞ」


「何を?」


「『今度こそ、失敗するな』って」


俺は顔を上げた。


その言葉には、覚えがなかった。


だが、頭の奥に、まだ何かが残っている。


白い部屋。


血の匂い。


泣いている少女。


そして、俺と同じ顔をした誰か。


「……俺は、何かを忘れてるのかもしれない」


そうつぶやくと、アキラは窓の外を見た。


「人間なんて、そんなもんだろ」


「お前にも、忘れたくないことがあるのか?」


アキラは答えなかった。


ただ、しばらくしてから言った。


「あるさ」


その声は、いつもより少しだけ低かった。


「だから、忘れないために戦ってる」


俺は、それ以上聞かなかった。


     *


夜。


自宅に戻った俺は、部屋の明かりをつけた。


ユナはいなかった。


枕元にも、黒い紙はない。


スマホを確認しても、新しいメッセージは届いていなかった。


「……今日は来ないのか」


少しだけ、寂しいと思った。


その感情に気づき、俺は苦笑した。


彼女が何者なのかも分からない。


俺を殺してほしいと言う理由も分からない。


それでも、彼女に会いたいと思っている。


「……俺も、大概だな」


ベッドに腰を下ろした、そのときだった。


机の上に、一枚の紙が置かれていることに気づいた。


いつからあったのか分からない。


黒い紙。


白い文字。


俺は、ゆっくりと手に取った。


『神崎レンへ』


その下には、見覚えのない文章が記されていた。


『あなたは今日、最初の死を回避した』


『しかし、死は一度では終わらない』


『あなたが生きるたびに、誰かが消える』


指先が震えた。


最後の一文。


そこには、名前が書かれていた。


『白瀬ユナ』


その瞬間、部屋の明かりが消えた。


暗闇の中で、声がした。


「……レン」


振り返る。


そこに、白い服の少女が立っていた。


ユナだった。


けれど、いつもと違う。


彼女の身体は、透けていた。


まるで、今にも消えてしまいそうに。


「ユナ……?」


俺が手を伸ばすと、彼女は悲しそうに笑った。


「ごめんね」


「何がだよ!」


「あなたが生きてしまったから」


その言葉の意味が、分からなかった。


「どういうことだよ。俺が生きたら、何でお前が――」


「レン」


ユナは俺の手を取った。


その手は、ひどく冷たかった。


「次に私が消えたら、探さないで」


「……は?」


「お願い。今度だけは、私のことを忘れて」


彼女の身体が、少しずつ薄れていく。


「待てよ! 何でだよ!」


俺は手を伸ばした。


だが、指先は彼女の身体をすり抜けた。


「ユナ!」


最後に、彼女の声が聞こえた。


「あなたが私を見つけたら――」


そこで、声は途切れた。


部屋に明かりが戻る。


ユナはいない。


机の上の黒い紙も、消えていた。


ただ、俺の手のひらに、小さな白い文字が残されていた。


『あと十二回』


何が、十二回なのか。


俺には分からなかった。


けれど、その数字を見た瞬間。


頭の奥で、誰かが笑った気がした。


そして、俺の知らない声が、静かに告げた。


「さあ、二周目を始めよう」


その声を聞いた瞬間、俺は理解した。


今日、俺は死ななかった。


だが、何かが始まってしまったのだ。


俺が生きるたびに、誰かが消える世界。


そして、俺自身が何度も繰り返してきた、知らない昨日。


窓の外では、夜が明けようとしていた。


明日は来る。


けれど、それが本当に俺の知っている明日なのか。


もう、分からなかった。

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