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昨日世界から消えた怪物を覚えている  作者: 一刀詩姫


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10/15

明日、俺は死ぬ


朝、目が覚めたとき。


俺はまず、枕元に置いた黒い紙を確認した。


『神崎レンの死亡予定日――明日』


何度読み返しても、文字は変わらない。


夢であってほしかった。


けれど、紙を握りつぶしても、破いても、燃やしてもいない。


俺はただ、その紙を制服のポケットにしまった。


今日、死ぬわけじゃない。


少なくとも、黒い聖書にはそう書かれていた。


「……だったら、今日くらい普通に過ごしてやる」


そうつぶやいた瞬間、スマホが震えた。


御堂カナタからのメッセージだった。


『午前九時。対策局本部に来てください。黒い聖書を見せます』


続けて、もう一通。


『一人で来るように』


一人で。


その一文が、妙に引っかかった。


昨日までなら、俺は何も考えずに従っていただろう。


でも今は違う。


俺の名前が書かれた本。


明日という死亡予定日。


そして、俺を殺してほしいと言った白瀬ユナ。


何かがつながっている。


それだけは、確信していた。


     *


「おっはよー! ……って、うわ。なにその顔」


本部の入口で、朝比奈ナギに遭遇した。


「そんなにひどい顔してるか?」


「うん。寝不足の幽霊みたい」


「幽霊に失礼だろ」


「じゃあ、死にかけの高校生?」


「もっとひどくなったぞ」


ナギは楽しそうに笑った。


その笑顔を見ていると、少しだけ気持ちが軽くなる。


昨日の夜、俺は自分が死ぬ日を知った。


それでも、朝は来た。


人は笑うし、くだらない会話もする。


世界は何も変わっていないように見える。


「ところで、レン。今日、御堂さんに呼ばれてるんでしょ?」


「……なんで知ってる?」


「あれ? 昨日、そんな話してなかったっけ?」


「してないと思うけど」


「そっか。じゃあ、私の勘違いかな」


ナギはあっさりと首をかしげた。


「まあ、御堂さんって秘密主義だからね。変なこと聞かれても、全部正直に答えなくていいと思うよ」


「それ、対策局の職員が言っていいのか?」


「私はまだ職員っていうより、現場の便利屋だから!」


胸を張るナギ。


俺は苦笑した。


今の会話に、特別おかしなところはなかった。


ただ、ナギが去ったあと。


俺はふと、疑問を覚えた。


どうして彼女は、俺が御堂に呼ばれていることを知っていたんだろう。


考えてみたが、すぐに答えは出なかった。


そして俺は、その疑問を忘れた。


正確には――別のことに気を取られたのだ。


廊下の奥から、黒崎アキラが歩いてきたからだった。


「おい、神崎。御堂がお前を待ってる」


「一人で来いって言われたんだけど」


「俺はついていかねえよ。用があるのは別の場所だ」


アキラは俺の顔を見て、わずかに眉をひそめた。


「……何かあったか?」


「別に」


「嘘が下手だな、お前」


「生まれつきだよ」


「なら、死ぬ前に直しておけ」


その言葉に、心臓が跳ねた。


アキラは気づいていない。


何気なく言っただけだ。


それなのに、俺には笑えなかった。


「……アキラ」


「なんだ」


「人間って、自分がいつ死ぬか知ったら、どうすると思う?」


アキラは少しだけ黙った。


それから、いつもの無愛想な顔で答えた。


「そいつ次第だろ」


「例えば?」


「逃げる奴もいる。諦める奴もいる。誰かを道連れにしようとする奴もいる」


「お前なら?」


「俺は――」


アキラは一度、視線を落とした。


「死ぬ理由を探す」


「……理由?」


「死ぬことが決まってるなら、せめて納得できる理由くらい欲しいだろ」


それだけ言って、アキラは歩き出した。


俺はその背中を見送った。


死ぬ理由。


俺は、そんなものを見つけたくない。


ただ、生きたい。


明日も、その先も。


ユナが何者なのかを知りたい。


なぜ俺を殺してほしいと言うのか。


なぜ俺は、彼女を忘れてしまうのか。


その答えを知るまでは、死ぬわけにはいかなかった。


     *


「来ましたね、神崎君」


対策局本部の地下三階。


御堂は、普段使っている会議室とは違う部屋で俺を待っていた。


窓はない。


壁は白く、机も椅子も最低限しか置かれていない。


部屋の中央には、透明なケースがあった。


その中に、一冊の本が置かれている。


黒い表紙。


装飾のない背表紙。


けれど、それを見た瞬間、俺は息をのんだ。


知っている。


この本を、俺は知っている。


触れたこともないはずなのに。


ページを開いたこともないはずなのに。


ずっと昔から、これを知っていたような気がした。


「これが……黒い聖書?」


「そうです」


御堂はケースのロックを解除した。


「ただし、触れるのは私が許可したページだけにしてください」


「どういう意味だよ?」


「この本は、読む人間によって記述が変わることがあります。正確には、読んだ人間が認識できる内容が変わる、と言ったほうが近いかもしれません」


「そんなの、ただの本じゃないだろ」


「ええ。少なくとも、私たちはそう考えています」


御堂は黒い聖書を開いた。


最初のページには、見たことのない文字が並んでいた。


読めない。


なのに、意味だけが頭の中に流れ込んでくる。


――昨日は失われる。


――今日に残るものは、昨日を覚えている者だけ。


――明日は、選ばれた者にのみ与えられる。


「……何だよ、これ」


俺がつぶやくと、御堂は次のページをめくった。


そこには、日付が記されていた。


今日の日付。


そして、その下に並ぶ文章。


『午前十時四十二分。


特異災害対策局第七観測区画において、適合者一名が死亡する』


俺は時計を見た。


午前九時二十七分。


「第七観測区画って……どこだ?」


「本部の地下にあります」


「適合者って、俺のことか?」


御堂は答えなかった。


「質問に答えろよ!」


思わず声が大きくなった。


御堂は、静かに俺を見つめていた。


その目には、同情があった。


そして――諦めも。


「神崎君。あなたの死亡予定日は、明日です」


「それは知ってる!」


「ですが、この本には、今日あなたが死ぬとも書かれています」


「どっちなんだよ!」


「私にも分かりません」


御堂は正直に言った。


「黒い聖書の予言は、これまで一度も外れたことがありません。しかし、記述の意味を人間が正しく理解できているとは限らない」


「つまり、明日死ぬっていうのも、今日死ぬっていうのも、本当かもしれないってことか?」


「そうです」


冗談じゃない。


俺はまだ十七歳だ。


高校生活だって、まともに終えていない。


将来のことも、家族のことも、自分の能力のことだって、何も分かっていない。


そんな俺が、今日死ぬ?


「……ふざけるな」


拳を握りしめた。


「俺は死なない」


「神崎君」


「予言が絶対だっていうなら、俺がそれを外してやる」


御堂は何も言わなかった。


俺は黒い聖書をにらみつけた。


すると、ページの文字が揺らいだ。


紙の表面に、黒い染みが広がる。


そこから、新しい文章が浮かび上がってきた。


『予定外の行動を確認』


俺は息を止めた。


その下に、さらに一文が現れる。


『観測者を変更する』


「……御堂さん。これ、何だ?」


御堂の顔色が変わった。


「本から離れて!」


その瞬間、部屋の照明が消えた。


警報が鳴り響く。


壁の向こうで、何かが倒れる音がした。


続いて、通信機から叫び声が聞こえた。


『こちら第七観測区画! 侵入者を確認! 繰り返す、侵入者を確認!』


御堂が通信機をつかむ。


「侵入者の特徴は?」


『黒い外套を着用! 顔は確認できません! それと――』


通信が途切れた。


数秒後。


別の声が、通信機から流れた。


『対象を発見しました』


聞いたことのない声だった。


『神崎レン。黒い聖書への接触を確認』


御堂が俺を見た。


俺も御堂を見返した。


「……誰だ、そいつ」


通信機の向こうで、誰かが笑った。


『予定を修正します』


その声は、妙に穏やかだった。


『神崎レンの死亡時刻を、午前十時四十二分から――午前十時三十分に変更』


時計を見る。


午前九時三十一分。


まだ、一時間近くある。


なのに。


俺の背後で、扉のロックが解除される音がした。


振り返る。


開いた扉の向こうに、黒い外套の人物が立っていた。


顔はフードに隠れている。


手には、黒い紙片。


そこに書かれていた文字を見て、俺は凍りついた。


『神崎レンを殺せ』


黒い外套の人物は、ゆっくりと顔を上げた。


「初めまして、神崎レン」


声は若い。


男なのか女なのかも、よく分からない。


「あなたに、一つだけ教えてあげる」


人物は、黒い聖書を指さした。


「その本は、未来を予言しているんじゃない」


「……何?」


「未来を、決めているの」


次の瞬間。


人物の姿が、かき消えた。


「なっ――!」


背後から殺気。


俺は振り返るより早く、身体を動かした。


鋭い衝撃が脇腹をえぐる。


痛みが走った。


視界が揺れる。


俺の身体が、壁に叩きつけられた。


「神崎君!」


御堂の声が遠くなる。


黒い外套の人物が、ゆっくりと近づいてくる。


その手には、いつの間にか刃物が握られていた。


「あなたが死ねば、明日が始まる」


刃先が、俺の喉元に向けられる。


「あなたが生きれば、昨日が戻ってくる」


意味が分からない。


けれど、その言葉を聞いた瞬間。


俺の頭の中に、白い服の少女が浮かんだ。


長い黒髪。


悲しそうな瞳。


白瀬ユナ。


『私は、あなたに殺してほしい』


『でも、あなたには生きていてほしい』


「……ユナ」


俺がその名を口にした瞬間、黒い外套の人物の動きが止まった。


ほんの一瞬。


ほんのわずかな反応。


それを、俺は見逃さなかった。


「お前……ユナを知ってるのか?」


人物は答えない。


代わりに、低い声で告げた。


「その名前を、二度と口にするな」


刃が振り下ろされる。


俺の身体が、勝手に動いた。


――対敵適応。


視界が変わる。


相手の動きが、ほんの少しだけ遅く見えた。


刃の軌道。


重心の位置。


踏み込む足。


俺は紙一重で刃をかわし、相手の腕をつかんだ。


だが、次の瞬間。


全身に激痛が走った。


能力が、身体を無理やり作り変えようとしている。


骨が軋む。


呼吸が止まりかける。


それでも、俺は手を離さなかった。


「俺は……まだ死ねない!」


黒い外套の人物が、初めて驚いたように目を見開いた。


フードの隙間から、白い肌が見えた。


そして、かすかな声。


「……やっぱり」


その声は、どこか懐かしかった。


「あなたは、まだ覚えているんだね」


次の瞬間、人物は自ら腕を振りほどき、後方へ跳んだ。


床に黒い紙片が落ちる。


俺がそれを拾おうとしたとき、人物はもう廊下の奥へ消えていた。


追いかけようとしたが、足に力が入らない。


俺はその場に膝をついた。


御堂が駆け寄ってくる。


「神崎君! 意識はありますか!」


「……あいつは、何者なんだ」


「分かりません。ですが、あなたを狙っていることは確かです」


御堂は床に落ちた紙片を拾った。


その表情が、凍りついた。


「どうした?」


御堂は、すぐには答えなかった。


俺は紙片を奪い取った。


そこには、たった一行だけ記されていた。


『第十三番目の聖書は、すでに目覚めている』


そして、その下に。


見覚えのある名前があった。


『白瀬ユナ』


     *


その夜。


特異災害対策局から帰宅した俺は、ベッドに倒れ込んでいた。


身体中が痛い。


対敵適応を使った反動で、指先すら思うように動かない。


それでも、頭の中では、あの人物の言葉が何度も繰り返されていた。


――その本は、未来を予言しているんじゃない。


――未来を、決めているの。


黒い聖書は、誰が書いたんだ。


なぜ、俺の死ぬ日が記されているんだ。


そして、第十三番目の聖書とは何なのか。


考えても、答えは出ない。


「……ユナ」


名前を呼ぶ。


返事はない。


今夜も、彼女は現れないのだろうか。


そう思ったとき。


枕元のスマホが震えた。


知らない番号からのメッセージ。


画面を開く。


『今日は、ごめんね』


続けて、二通目。


『あなたを助けることができなかった』


俺は飛び起きた。


『誰だ?』


すぐに返信する。


既読はつかない。


代わりに、三通目が届いた。


『でも、まだ間に合う』


『明日になる前に、私を見つけて』


俺は息をのんだ。


最後のメッセージが届く。


『レン』


『今度こそ、私を殺して』


その瞬間、スマホの画面が真っ黒になった。


暗い画面に、俺の顔が映る。


だが。


そこに映っていた俺は、笑っていた。


俺は笑っていない。


画面の中の俺だけが、口元を歪めている。


そして、そいつは俺の知らない声で言った。


「明日なんて、来なければいいのに」


画面が元に戻る。


俺はしばらく、身動きが取れなかった。


窓の外では、夜が静かに深まっていく。


午前零時まで、あと少し。


黒い聖書に記された死亡予定日まで、あと一日。


そして俺は、まだ知らなかった。


俺を殺そうとしたあの人物が、教団にとっても、対策局にとっても、決して正体を知られてはならない存在だったことを。


その人物が残した報告書には、たった一文だけが記されていた。


『対象は、白瀬ユナの名前に反応』


その下には、誰にも読めないほど小さな文字で、こう書き加えられていた。


『――計画は、予定どおり進行中』

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