「あやかしとの出会い」
高校が休みの土曜日、僕は朝から近所の公園に来ていた。母は「土日は家で勉強しなさい!」と怒っていたが、構うことなく出てきた。
毎週土曜、僕はこの大きな都立公園に一人で行き、様々な花をデジカメで撮ったり、原っぱにシートを敷いて寝転んだり、売店で今川焼を買ったりして午前中を過ごした。月から金まで学校に行って疲れた自分にとって、この時間はささやかなご褒美のようなものだった。
土曜ということもあって、公園内は多くの家族連れやカップルで賑わっていた。きゃっきゃ言いながらボールで遊ぶ子供たち、仲睦まじげに写真を一緒に撮る若い男女、腕を組んで歩く老夫婦など、ここはいつ来ても幸せそうな人達でいっぱいだ。自分もその中の一人、と言いたいところだが、あいにく高校は楽しくないし、恋人もいなければ親との仲も良くなかった。自分だけが、現実逃避のためにここに来ている気がした。
愛用しているデジカメで美しい銀杏並木を撮っていると、子供たちがシャボン玉を作りながら走ってきた。「それかーしてー!ねえかーしてー!」と言う小さな男の子。どうやら、弟が姉にシャボン玉を作らせてくれるようねだっているみたいだ。そんな様子が微笑ましくて、つい彼らを目で追ってしまった。
二人は銀杏並木を通り過ぎると、売店の客達の間を器用にすり抜け、そのままドッグラン広場へと入っていった。
なんとなく広場の中に目をやると、飼い主たちと犬であふれる中、シャボン玉姉弟の他にもう一人、犬を連れていない人がいることに気づいた。その人は肩までの髪を白く染めた若い女性で、黒いダウンジャケットのポケットに手を突っ込みながら、広場の中央に立っていた。
子供たちが広場から出ていった後、その奇抜な見た目と犬を連れていないことが気になって暫く様子を見ていると、おかしなことに気づいた。人間だけでなく犬までもが、まるで彼女の存在に気づいていないように、完全なる無視をしているように見えるのだ。
もちろん、街中などでも様子がおかしい人を、まるで存在しないかのようにスマートに無視する人は多い。それでも、犬のような動物は知らない人間が近くにいたら何かしらの反応を示すものではないだろうか?
僕は、周りからまるで"木"のように扱われている彼女のことが俄然気になってしまった。
今思い返すと、はたから見たらナンパのような行いだったと思う。それでも、近づいて声をかけないわけにはいかなかった。
広場に入っていくと、入り口付近の数人の飼い主は、すぐに犬を連れていない僕のことを不思議そうな目で見た。やはりおかしいのだ。犬を連れないでドッグラン広場に行けばそういう反応をされる。
彼女は僕が近づいても一瞥もせず、ただ走り回る犬たちを眺めていた。目の前まで来ると、髪だけでなく、眉毛やまつ毛までもが雪のように真っ白いことに気づいた。それに、女優かアイドルかのような極端に小さい頭とすらりと伸びた長い手足、ひと言で言えばとんでもない美人だった。そして、彼女からは花の香りがした。
「あの…お姉さんはここで何してるんですか? 犬、連れてないし…」
僕が恐る恐る声をかけても、女性はこちらを見もしないし、返答もしなかった。僕はそのあからさまな無視に、少し腹が立った。
「犬を連れていないと入っちゃいけないって、看板に書いてありますよ?もしかして読まなかったんですか?」
とても子供っぽく、惨めな行動だったと思う。そもそも犬を連れていないのは自分も同じだったし、その様はまるで、ナンパに失敗して捨て台詞を吐く気持ち悪い男のようだった。だが、その言葉を聞いて、ようやく彼女はこちらを見た。
「君…もしかして…私が見えるの!?」
「え?」
言葉の意味は分からなかった。だがそう言う彼女の顔は、まるで悪いことをしているのを見つかったときみたいな、驚きとバツの悪さが混じったような顔だった。
「見える、と言いますと?」
「どうやら、本当に"見えてる"みたいね……」
彼女がさっきから言っている「見える」がどういう意味なのか、さすがに察しの悪い僕でもそろそろ分かってきた。彼女は「私が見えるのか?」と言った。それはつまり、普通は見えない存在であることを表している。普通見えないもの……要は、彼女が幽霊とか妖怪とか、その類のものということを表している。
この広場の他の人間や動物には、彼女の姿はそもそも見えていなかったのだ。見えていないから、彼女がまるで存在しないかのように振る舞うことができた。
「こういうの"視える"のは初めて?」
「え? あ…はい」
「そっかぁ、見えちゃったなら仕方ないなぁ…。そしたら…場所、変えようか?」
彼女に目線で促されて周りを見ると、その場の全ての人間と犬が僕のことを怪訝そうな顔で見ていた。それもそうだ。犬も連れずにドッグラン広場に入ってきて、突然大声で独り言を言い始める。まさに不審者そのものだ。
彼女に腕を引かれて連れて行かれたのは、公園内でも特に人が来ない雑木林の中だった。
「ここなら人も来ないし、君の疑問にもしっかり答えてあげられるね。ほら…目線、気になるんでしょ?」
実際、彼女の提案は本当にありがたかった。本来人前で発表するのだって緊張してまともにできない僕だ。あんな目で見られ続けたらどうにかなってしまう。
「さっそくで申し訳ないんですけど、お姉さんは一体何者なんです?」
「ほんっとに単刀直入だね…。うん……すごく説明しづらいんだけど、一応、私は君たち人間が言うところの『あやかし』に該当すると思う」
「!?」
彼女はそこら辺から適当な枝を拾うと、手に刺してみせた。いや、刺すというより、"通り抜けさせた"、という方が正しいだろう。今まさに、アニメや映画で見るような超常現象が目の前で起きていた。
「ほれ、これが証拠」
「うわぁっ!!」
「うわって何よ!?」
「ご、ごめんなさい…」
か、確定してしまった。今自分の目の前にいるのは、本物の幽霊なのだ…!幽霊がいることが確定したので、次は宇宙人やUFOの存在についても瞬時に考え出してしまった。
「ゆ、幽霊がほんとにいるなんて…」
「だ、か、ら、幽霊じゃないって言ってるでしょ!! 私はどちらかといえば"あやかし"だって…。さては、人の話全然聞かないタイプね?」
「ほんとにごめんなさい…」
「まあいいけど…。ていうか、さっきから君、驚いてはいるけど怖がってはいないね。ほんと変わってるわ…」
「はい…なんていうか、思ったより見た目が全然人間だったんで…」
「あぁ、そういうことか、まあ私はあやかしの中でも特に人間ぽい格好してるから、見かけても気づけない人もいるかもね」
確かに、彼女の服装は完全に人間の若者という感じで、真っ白い髪も、見た人はそういうブリーチなんだと思うだけだろう。
「なんだか解せないって感じだから説明したげる。幽霊ってのは人間が成るもの。あやかしは元々人間じゃない。場所だったり、物だったりが時間をかけて生み出すものなの。つまり、私は後者ってこと。人間だったことなんて一度もないわ」
彼女は身振り手振りも混じえて懇切丁寧に説明してくれた。その様子がほんとに人間みたいで、話を聞いた後でもまだ信じきれなかった。
彼女の言う通り、驚きはしたが恐怖は全く無かった。どちらかといえば、彼女のことをもっと知りたいという好奇心のほうが強かったからだ。
「あ、そういえば、お姉さんの名前は?」
「ん? あぁ、たしかにまだ名乗ってなかったね。私の名前は『雪芽』、君は?」
「柳 羽良って言います」
「え? 柳原?」
「あぁ、やっぱそうですよね…。柳が苗字で、羽に良いで"はら"って名前です…」
「ふーん、なんか変な名前」
「あはは…」
このようにして、僕は雪芽との運命的な出会いを果たしたのだった。




