「雪芽」
「知り合った記念にいいもん見せたげる。あそこのカラス見てて」
「え?」
そう言うと、彼女は「発電設備」と書かれたフェンスにとまったカラスのところに向かった。
「あ!君は来なくていいから!そこで見てて!」
「りょ、了解です!」
彼女は振り向くと白く細長い指を口元に当てて「シーッ!」とやってみせた。口元から覗く真っ白い八重歯が可愛らしくて、僕は少しだけ赤面してしまった。
抜き足差し足でもなく、悠然と歩み寄る彼女。地面を埋め尽くす褐色の落ち葉を踏んでも全く音がしない。どうやら、あやかしである彼女は物理的な接触の一切を避けることができるみたいだ。目の前まで来ると、彼女はカラスの顔の真ん前で手を振って見せた。――反応なし。続けて、拍手のように手を叩いて見せた。――反応なし。ここまで来ると、なんだか色々と悪用できそうだなと邪な考えが浮かんでしまう。
"――パチンッ"
突然、彼女が指を鳴らすと、カラスはまるで幽霊でも見たかのように驚いて、そのままバサバサと何処かへ飛んでいってしまった。
「な、なんですか今!?」
「ふふん♪これは『実体化』だよ」
「じ、じったいか…?」
「そう、私達あやかしは幽霊と違って、周りから見えないモードと見えるモードを自在に使い分けられるの、めっちゃ便利でしょ?」
「う、羨ましいです…それ使えたら人生色々楽しそう……!!」
「あ!今絶対悪いことに使う妄想したでしょ?」
「え…? してないですよ、そんなこと……」
「あやしぃ…」
***
彼女の"実演"を見たあと、僕たち二人はなるべく人がいないエリアを歩いた。風に揺られた木漏れ日が顔を照らしたり、照らさなかったり、まるで万華鏡のように目まぐるしく光の形が移り変わっていく。ただの森なのに、彼女と一緒だとなんだか新鮮に感じる。でも、僕が森の景色を見ている間にも彼女はどんどん先に行ってしまう。ぐんぐん進んでいく彼女のスピードが僕への興味が大して無いことを表しているようで、なんだか悲しくなった。僕自身への関心というより、あやかしが見える珍しい人間としての関心が強いみたいだ。僕の方はというと、あやかしであるということよりも、俄然彼女自身について知りたいと思い始めていた。
「あの、一つ聞いてもいいですか?」
「ん? なんでも聞いていいよ」
「そもそも、雪芽さんてなんでこんな所にいるんですか?」
「ん!? こんな所とは失礼ね、なんでも何も、この公園は私が生まれた場所だよ?」
「えぇ!! ごめんなさい……さっきから色々と失礼で……」
「ふふふ、冗談だって、全然いいよ、何聞いても。生まれたって言ってもね、あなた達人間みたいに母親がいるわけではないの。昔…この公園の中心にでっかい山桜の木があったって知ってる?」
「あぁ! それ母から聞いたことあります」
「うんうん。それでね、その大きい木が年月を経て魂のようなものを宿したの。まあ、年を取った大木には稀にあることみたい。そして、そういうものからは何年かに一度、自我を持った存在が生み出される『抽出』っていうのが起こるの。ズバリ、伐採される前の最後の抽出が"私"ってこと」
彼女は新雪のように真っ白な髪をかき上げ、「ふふんっ」という感じに自慢げに腕を組んだ。
「だからさ、大まかな括りではあやかしで問題無いんだけど、細かく言うなら精霊の方が正しいんだよね、私」
たしかに、彼女の美しく可愛らしい見た目はあやかしというより精霊の方がしっくり来る。
「ほら、これ見てみ」
彼女は突然立ち止まると一本の木を指差した。
「このボロボロの死にかけの木さ、もうすぐで抽出を起こすみたい。私たち森のあやかしはね、抽出の"予感"みたいなものを感じるの。ドクン、ドクンて鼓動が鳴るみたいに」
「一体、どんなあやかしが生まれるんですかね?」
「それは全く分からないの。あくまで分かるのは生まれるってことだけ、そのあやかしの性質とか持ってる能力とかまでは生まれてからのお楽しみってとこ」
「悪いあやかしじゃないといいですね……」
「そればっかりは運だから、玉藻前とか酒呑童子みたいな、激強凶悪なあやかしが生まれる可能性だって、全くのゼロじゃないよ」
「えぇ!? 玉藻前とか酒呑童子ってほんとにいるんですか? フィクションではなく?」
「うん、彼らは実在するあやかしだよ。もっとも、今は何処かに厳重封印されてるみたいだから安心していい。そういうのって滅多に解かれないし」
「だ、だとしても恐ろしいです……」
「……まあ…ね」
「そんじゃ!! 次は私が聞く番。君こそ、せっかくの土日に一人でこんなとこにいる理由は?」
「……僕、友達いないし親とも仲悪いんです。だから、毎週土曜にここで時間を過ごすのが唯一の癒し……なんです」
「げっ! めっちゃ重たい話出てきた…! なんかごめん……」
「やっぱり、キモいですよね…?」
「う〜ん……私人間じゃないからあなた達の価値観はよく分からないけど、一人でいることは別にキモくないと思うな。実際、私だって基本一人で行動してるし。君が嫌じゃないならいいんじゃない?それで」
久方ぶりの肯定の言葉に、思わず涙腺が緩んでしまった。涙がじんわりとにじみ出てくるのを感じる。
「ちょ、ちょっと待って、なんで君泣いてんの!? やめてってばそういうの! それはちょっとキモいかも――――――」
***
彼女の優しい言葉に涙しながら、気づけば公園の出口まで来ていた。人の流れの邪魔にならないよう、脇に逸れる。
「んじゃ、気をつけてねー」
彼女がお別れの言葉を言いながら手を振る。言わなきゃいけないことがあるのに、意気地なしの僕はなかなか覚悟が決められない。
「あ! あの…」
「ん?」
「雪芽さん、ぼ、僕と…その……ともだち…」
「え、ともだち?」
「ぼ、僕とお友達になってくれませんか!?」
「…………」
「だ、だめですか……?」
「フハハハハハハッ、なんでそんなに改まってるの? 友達になるくらい別にいいに決まってんじゃん。それに、私の方は結構仲良くなれそうかなって、さっきから思ってたよ?」
「雪芽さん……」
「そういう堅苦しいのは無し!! 君のことも柳って呼び捨てにするから、もちろんいいよね?」
「ど、どうぞ、お好きに読んでいただいて…」
「ん、OK それじゃあ……連絡先交換しよっか?」
「え!? 雪芽さんあやかしなのに携帯持ってるんですか?」
「ん? 普通に持ってるよ。ていうか、人型のあやかしは基本持ってる。全然必需品」
「け、契約とかって……」
「あぁ…それは追々説明したげる、話すと長いしめんどくさいから」
彼女はダウンジャケットのポケットから背面に大量のデコレーションが施されたスマホを取り出した。
「そういえば実体化の切り替えって服とか持ち物ごとできるんですね」
「うん、実に良い着眼点だね。ズバリ、私が『自分の物』って心の底から認識したものは一緒に切り替え可能だよ。これがまた便利でさ、日常で重宝しまくってるの」
「う、羨ましい……」
「あ! まただ!」
「ち、違いますってば!!」
反論しつつ、こんなふうに楽しく談笑するのは何時ぶりだったかと、嬉しくも悲しくもあるような、不思議な気持ちになった。
「よし! これで交換完了ッ!!」
雪芽さんのアイコンは恐ろしい蛇の画像だった。
「うわっ……な、なんですか、これ…?」
「ん? めっちゃ可愛いでしょ? それ」
どうやら、彼女のセンスはかなり独特なようだ。
***
別れ際、雪芽さんが微笑みながら手を振ってくれたことが、心の中でじんわりとカイロのように温かだった。久しぶりの感触。誰かに、心の隙間をぴったりと埋めてもらう時の感触だ。僕があやかしと友達になるという、大凡あり得ないシチュエーションでもすんなり受け入れられているのは、それほどを心に大きな隙間を抱えていたということかもしれない。
まだ出会ったばかりだというのに、僕は雪芽さんの優しさに救われていた。人間だとか、あやかしだとか、実際そんなことはどうでもいいのかもしれない。大事なのはその人の心なんだと思った。
***
帰宅し、母親からグチグチと嫌味を言われながら自室に逃げ込んだ。薄暗い部屋の中、力無くベッドに沈み込む。天井を見つめながら考えることは一つだった。
雪芽さんの髪……あの絹のようなサラサラとした真っ白い髪、美しく整った目鼻立ち、スラリと伸びた手足……。良くないと分かっていても、思い浮かべずにはいられなかった。一度しか会ったことがない女の人のことがこんなにも頭を埋め尽くすなんて、自分にとってまったく初めてのことだった。人間ではないということがどうでもよくなるくらい、彼女は素敵だった。脳裏に焼きついたその姿は、あまりに浮世離れしていて、年頃の僕には刺激が強すぎた。
思えば、最初に声をかけた時もまるで彼女に吸い寄せられるようだった。もしかしたら、僕は彼女に一目惚れをしてしまったのかもしれない。




